とにかく生きてみる。深夜バイト11連勤も根性と惰性で無事終わった。疲れを通りこしてなんか5歳くらい歳がいったような気がする。そんなこんなで、景色をみわたしてみると、夏が、夏が・・・・終わりかけてきよるのが判る。紅白歌合戦で言えば、10時半ごろからの演歌さんの3組連続登場に、まもなく歳が明ける気配を序序にかもしだしているような気がする。またまたケツが落ち着かないのである。
それに・・・・破傷風で集中治療室に入っている親父も1ヶ月半がたった今でも意識はほとんどない。
痴呆というか、物忘れの激しい母親は、面会時間が決まっているというのにもかかわらず、ボケた時間に面会に行き、看護婦さんとひと悶着やらかしているという状況である。
暑い・・・夏・・・・も高校野球の終わりとともに秋に向かって進みはじめるのだが、この夏まったく夏を感じることもなかった私は、買い物に行った際にスーパでスイカを買った。
スカイがめちゃくちゃ好きでもないのだが、しようむない飲料を飲むのなら、断然スイカを食べるほうが喉の渇きにもいいし、消化にもいいような気がするのである。
思いだせば夏の色々なシーンでスイカが登場してきた。
子供のころの夏休み、祖母の家の縁側で食べた典型的な・・・子供スイカ。
高校のクラブの差し入れに、親父がトラックに乗って持ってきた・・青春スイカ。
深夜の国道沿いにあった果物販売所での冷蔵ケースに入って冷っこさを訴えている・・やくざスイカ。
そんなことを思いだしながら・・・・スイカがむしょうに食いたくなった。
そもそもスイカは・・・どの食べ物にもアレンジがしにくいと言うか、アレンジしたものをみたことがない。
昔しアイスキヤンディーであったような気がしたが、それもヒットしないまま終わった。
スイカは、手を入れないのがいいのだろう・・
スイカはそれ自体を食うのが一番ベストなのだろう・・・・
それでも・・スイカの種は邪魔臭いのが難点だ。何回も種なしで・・むしゃぶりたい欲求に駆られたことがあるが、この歳になってスイカの種というか、種をよけながら食べるのも案外一理あるのではということに気がついた。
これは呼吸をしながら食べるということに繋がるのだと思う。
うまいものにはかぶりつく癖が私にはある。腹の減った時の牛丼なんか、呼吸を止めて掻きこんでいるような気がするし、焼肉の上カルビを食べる時も、完全に呼吸を忘れている気がする。
その点・・・・スイカは、口を大きく開けても、かじり、すする瞬間に種を気にしながら小口にして齧っていくのだから、十分酸素を取り込みながら・・食っていけるというか、食わなければならないのである。
だから・・・深呼吸の状態を作りながらあせっても、あわてても必然とゆっくり感をもたしながらしか、食えないわけであり、その結果他のものよりリラックスした状態で食べれるということになるのではと、思っている。
それでも・・・やっぱしスイカのクライマックスは、最後の皮から実が1センチから2センチになった頃の、種がほとんどなくなった時である。ここからは食べ方にターボがかかり、果汁をほっぺたにつけながらの
むさぼり喰いは、人間であることを忘れる状態になるというか・・・何処かへトリップしてしまうのである。
十分に呼吸をしながらリラクッス状態で食べるスイカの先の部分と、人間を忘れた動物状態に近い形でむさぼり食べる、へたに近い種のない部分・・・まさにアンダンテが効いた食べものであるといえる。
そんな冷やしたスイカを目の前におき去り行く夏を・・・引き止めるかのように今スイカを食べるのだ。
稼ぎがいい旦那のように、風鈴の鳴る縁側もない。
少年のように白いランニングも着れないし・・・
一人で、ただ一人で三日月を45度片むけたように切ったスイカを置く。
そして・・ひとつひとつと種をとりながら、ゆっくり呼吸をしながら先ちょから齧っていく。
リラックス・・・してくる。心のこりもとれてくる。じっくりと潜在意識のギャップがとれてくる。
うまい・・・・スイカがうまい・・と心からこみ上げる。
口いれて噛みながら・・目をつぶる。
誰がなんと言おうとこれは、ウォターメロンではないと頭に浮かぶ。
スイカは西瓜であるのだ。
そして・・・へたと実が背中合わせに近い場所になった。
そこから気が狂ったように、私の口は、シャブシャブ、ジュルジュルと言わしはじめた。
「ええ・・夏やんけ!!」 「ええ夏やんけ・・・」と一人語と共に、西瓜の赤実が消えていった。
まだ・・・西瓜は残っている。
明日もあさっても、西瓜を喰いたおしてやる・・