「リンス」
あれだけ人気者で時代の寵児やったオイラもそろそろ消えて無くなる時がそこまで来ているのだ。
シャンプーの横で風呂桶に入れてもらい、銭湯に行く時の優越感は本当に堪らんかったなぁ!
シャンプーの横で「どやワシが今や泣く子も黙る、ハゲのおっさんも使うと言う天下のリンスや、髪の毛がツヤツヤでサラサラになるんや!」と肩で風きり薬屋や化粧品店の棚に並んでいたもんやが⁉︎
それが、それが今は何や?「あいつらは何や?」
コンデショナーって言う、「貴方の髪サラサラで自然な感じに整えますよ!的な媚びたあの名前は」
今やドラッグストアでは、センターに立っている奴らは、いつからあんなに偉そうになったんや!
坊主でも、角刈りのにいちゃでも、禿げた男でも
シャンプーの後にリンスが来る洗髪の方程式にもここに来て漸く慣れたと言うか市民権を持ったと言うのに、それが今はリンスの出番が完全に減っているし、このままなら、多分あと2年でリンス族は完全にこの世の中から消えてしまうのだ。
そこで、我々リンス族はここに反コンデショーナ運動に立ち上がらなくてはならないしそれがリンスに受けた恩返しなのではないか?
「我々リンスは坊主、角刈り、ハゲの頭にも、何とか粘って粘って、時には、「その頭でリンス?するの?」と蔑すさまれ、田舎者と呼ばれ、無駄な努力と笑われたけど、今ではイカツイ兄さんの風呂カゴの中にもちゃんとメンバーに入れらているリンスの、この歴史を終わらせる訳にはいかないのです〜〜思えば大きなピンチもありました。
薬師丸ひろ子が訴えた、チャンリンシャンと言う我々リンスとシャンプーを合体させたあの事件です。あれで我々リンスは、完全にその使命感に揺らぎが起こり、シャンプーとの間にあったお互いを認め合う隣人愛が、イニシャティブの奪い合いに変わった事を、それを乗り越えてリンスの一本立ちに汗水流して努力をして来たのに、ここに来て、コンデショナーなる、スマートで切り口がハッキリした奴らに、シャンプーからのリンスと言う勝利の方程式を奪われているのです〜〜
そもそも我々リンスは、「ゆすぐ」と言う意味を持ってこの世に表れました。
シャンプーの洗剤性を中和させる事が当初の目的であったのですから、あの時代、我々が背負った期待は我々の実力以上だったのです。
健気に髪の毛の為に持てるスペック以上にオーバーワークだった事は正直に認めましょう。
だが、コンデショナーと言うその鮮やかな名称にここで屈する訳にはいかんのです〜〜
また未だに石鹸で頭と身体を行きよる漢なる奴も少ないけど存在します。
彼らの無骨さと、その演歌的生き方に敬意を払い、彼らにすり寄る事も生き残ると言う点であればありとも思う。
それともコンデショナーのネガテイブキャンペーンを張ろうと言うのか?
「男よ炙ったイカとリンスする!」のコピーもいい!
それか、リンスは今年の9月に完全撤退!今までの感謝を込めての全国ツアーでもするか?
コンデショナーよ!
時は移ろうのだ。リンスも行く川の流れの様に静かに流れて行くのだろう。そうなんだ!それなら最後に阪神のJFKの勝利の方程式の様な、洗髪の黄金の方程式に参加しないか?
シャンプーの後のリンスで抑えにコンデショナーと言う方程式を作ろうじゃないか?とも思っている。
でもやっぱり雨の降る日を待ってさらばリンス達!と言おう!
僕には君達を応援出来る髪がもう少ないのだ。
ありがとうリンス!
僕はコンデショナーにロマンは感じられないしこっぱ恥ずかしいしやっぱりコンデショナーに演歌は無い!
だから僕は認めない事にした。
一人で行く銭湯に持って行ったコンデショナーから湧いた湯船の妄想は一人でも楽しいのかい。