私の手形がとんで、1週間がたった。あの闇金業者からの連絡はない。ないと言っても、携帯は変えたし、会社には出ていないから、懸かってくる可能性があるとすれば、子供達が暮らす、自宅以外にない。システム金融で、手形、小切手で融資を受ける時、裏書や別の保証をしていないのだが、私自身の自宅の住所と電話番号は、聞かれる。それは正直に答えてもかまわないという姉さんの指示で、偽りなしに答えていた。まず闇金業者が、脅しや圧力を持って自宅に来るだけで、かれらは逮捕さされる可能性がある・・。また決して、初めから取り込むつもりなど、なかったから、正直に自宅の住所や電話番号を教えた・・という言い訳が、公の判断が必要な場合、有効になるらしい。あくまでも、この物語(事件)は、会社の資金繰りにつまり、多くのシステム金融からお金を引っ張った、けど返済できずに会社を棄てて逃げたという図式である。
それでも落ち着かない日々を送っているのには間違いない。
私の会社と事務所はそのまま、別の人が引き継ぐらしいと姉さんから聞いた。
その彼らの正体は、蛇の道は蛇ということで、「キタムラ氏および、キタムラ氏の会社に債権がり、その債権の変わりに、事業譲渡したという形で、なにか別のことをするらしいが、今後私にふりかかることが、ないんであれば、何でもしてくださいという気持ちであった。
目の前に、それらしき男があらわれ、腕の一本でも折られた、直ぐにでも弁護士に相談しようと、常に思いながら、過ごし始めた。
また別の友人は紹介で多重債務者被害者の会「銀杏の会」を紹介してくれた。その友人は、ある共産党系の中小企業のコンサルタンと協会の社員だった。
担当者に電話を入れると●日に、集まりがありますから、予約を入れておきますから来てくださいということだった。私的には、安価の相談料で、債権者と交渉してくれる民間の駆け込み寺的なものと想像していた。
大阪梅田の古いビルの一室に事務所があり、時間前に行くと、受付をして、大まかなあらすじと、債権者と金額を伝えた。ただし債権者については、リースやローンは別にして、闇金業者のみを知っている範囲で伝えた。「隣の会議室で待っていてください・・」といわれ、会議室に入ったら、数人の人が暗い顔をして座っていた。そこにいる人は、皆多重債務に苦しむ人達であることは直ぐに判った。時間になるころには、8組が、会議室に集まっていた。
司法書士の先先や、顧問の方の挨拶があり、そのあと一人一人が、今の現状を皆さんの前で、打ち明けるというか、カミングアウトするようなことを言われた。
まず・・親子で事業に失敗して、多くの借金を闇金からの借り手いてどうにもならないということを涙ながらに話をしている。
次の方達も同じように、多くのところから高利のお金を借りているとのことで・・・
家を手放す、会社を手放す、仕事がなくなるか・・本当に途方にくれているのがひしひしと伝わる。私は、自分のことをまとめながら、なにが困っているのかを・・考えて見た。
まず家は公団の賃貸である。取られようなない。貯金、株などの資産もない。売上を抑えれるほど、仕事は忙しくない・・と言うか、私はこの手形を振り出した会社以外にも、個人で広告の企画をする仕事を、ある会社の外部ブレーンと言う形でしていたのだ。そしてそれが非常に忙しくなっていたのだ。その会社の社長にお願いをして、ギャラや、企画費については、別でもらうようにしていたから、手形が不当たりなったけど、別のキャラを立てて仕事をしていたので、昨日と今の変化は仕事と言う意味では、まったくなかったのだ。
私の順番が廻ってくる前に、私はその銀杏の会の会議室を抜け出した。
私のやっていること、やったことを、ここにいる皆さんに話しするには、あまりにも私達がチャランポランに思えたからだ。ここにいる皆さんの抱えてる問題に比べたら・・・なんて不真面目であろうか・・と考えたからだ。そして・・多分、私の手形や、小切手で不当たりを受けた債権者は、キツイ取立てを今後、してこないだろう・・と言う思いも多々あったのだろう。
今年の夏・・深夜バイトで15万を稼ぐのがやっとである。子供にも満足な教育を施していないし、妻とは離婚をして、ここ何年か全く話していない。また個人的に応援をしていただいた人にも、お返しも出来ていない。
あの事件があって、私は仕事で上手いこといかなくなったり、資金や、短期の借りいれを人にお願いする時に、いつもあの夏の事件を、言い訳にしていた。
人には、「騙されまして・・・」とか「悪いやつに引っかかりまして・・」とかを言っていた。
しかし・・手形や小切手が不当たりなっていなくても、その前から信用は、なかったのだと思う。
いかにも、その件で信用を落としたような弁を撒くしていたが、本当はその前から信用はなくしていたのだ。そして、あの事件がなくても、私は必ずつまずくはずであったのだ。
それを私は、言い訳のネタにして、「悪るいのは・・みんなあいつらだ・・・あれさえなければ今頃は・・・」と、いともいい人顔で言っていた。
今、どうしても決着をつけておかなければならない。
正しいことをして生きようなんて今更大きな声ではいえない。清濁合わせ呑みもこの年齢なら理解できるし、消化も出来る。しかしこうなったのは全て自分の撒いた種であり、撒いた種に対して言い訳をしてきた自分を責めることである。
あの夏、えげつない闇金から、お金を引っ張った、えげつない人達。
理屈もなしに、生きることに、シノグために泥につかることの出来る彼らには、言い訳なんかはなかった。
「行くも地獄、止まるのも地獄、同じ地獄なら、行く道いくしかない・・」
そんな姉さんも亡くなってもう5年めである。ご冥福を祈りたい。