「 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネ 13章34節
イエスが愛されたというのが基準です。
弟子たちは、イエスがどのように自分たちを愛してくださったのかを知っていました。
イエスは愛を語ったのではなく、愛をお見せになりました。ご自分が模範となられて、
それを実践されていました。したがって、弟子たちは、イエスが去って行っても、
このイエスにならって前に進んで行くことができるわけです。
どのようにして生きれば良いか分からないのではなく、模範にしたがって生きていくことができます。
それは、イエスにならって人を愛して生きることです。
「互いに愛し合いなさい」とイエスは言っておられます。
ではキリストの愛とはどんな人間関係を言っているのでしょうか。いつもべたべたした人間関係を
持つことが愛しあっうことだと思っている人たちがおられます。多くの教会、クリスチャンが、
愛をこのように理解し、結果として自立できない人たちを造っています。こうした人たちの特徴は、
自分の立場から神、教会、人の愛について鋭く論じますが、自分は、神、教会、人から見てどんなものであるか
と言う視座が欠けています。また、キリストの愛は乾燥した愛でもありません。
人が愛や助けを必要としているとき。指一本貸さない人、他人のためにはお金も時間も犠牲も払いたくない、
ただそれらしいジェスチャーをして泳いでいく人であってはならないと思います。
ヨハネは、手紙の中で、愛とは真実と行ないであって、口先のものではないと言っていますが、そのことをイエスは行なわれたのです。
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