「 神に逆らう者は高慢で神を求めず/何事も神を無視してたくらむ。」
詩篇 10扁 4節
「罪を認めて悔い改めよ」と叫ぶエレミヤを人々は嘲笑し、しかもエレミヤが語る滅亡預言は成就しない。
悪がますます栄える現実の中で、エレミヤは神に叫ぶ。
神の不在経験によってもたらされるリアリティは、私たちの神に対する幻想が打ち砕かれて、
神に対する真の信仰を強めてくれることにあります。神の沈黙が、神の不在が、
神と私たちとの関係を浅瀬から深みへと導いてくれるのです。目にする現実に、心が落ち込んでしまうのではなく、
私たちがそれまで持っていた神に対する幻想から解放されて、柔軟にされることで、内なる暗闇から抜け出す経験をするのです。
神の不在を個人的に経験することで、結局は、私たちが神の臨在をより強く、より深く味わうように導かれる
・・・ここに神の不在経験の隠された意義があると思います。
また、これが聖書の定義による高慢です。「神はいない」という考え、また神を尋ね求めようとしない心です。
神を全く介することをしない、高慢な心の表れです。神はいないとする者たちが、それとなく幸せに暮らしています。
それで、自分はこのように長らく幸せに暮らすのだ、災いは来ないと豪語している姿です。
私はここに、日本の姿をみます。自分たちだけでできる、そして日本はこれからも豊かに暮らしていけるであろうというものです。
今の楽しみだけで生きているので、そうした夢想のような、幻想のような世界で生きることができています。
日本人は高慢な民族だと言いました。ここで使われている意味で言ったのだと思います。
一見、まじめで人によくする人でも、神のことを求め、考えることについては意に介さないことが多いです。
エレミヤ12:1-2
「正しいのは、主よ、あなたです。それでも、私はあなたと争い、裁きについて論じたい。
なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか。あなたが彼らを植えられたので、
彼らは根を張り、育って実を結んでいます。口先ではあなたに近く、腹ではあなたから遠いのです」。
ローマ 1:20
「神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神聖は世界の創造されたときからこのかた、
被造物によって知られはっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」
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