マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

惜しむことなく

2020年05月22日 | キリスト教

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、

  御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」

            ローマ 8章 32節

ここ で注目したいことは、「惜しみなく」ということばです。私たちは、人に対しても、神に対しても、

惜しむという気持ちがつきものです。しかし神が私たちを助ける時には、惜しむということがないのです。

神に は出し惜しみするということがありません。「惜しみなく」です。

つまり、この「惜しみなく」とは「無制 限の恵み」なのです。

 

神とともに歩む者には、いつも神が第二、第三の道を備えてくださることを知らなければならない。

一つの道がふさがれ、失敗に見えても、神は次の道を備えてくださいます。

どの道が一番良いのか、あるいはよかったのかは、時間と共に、神が示してくださいます。

大切なことは、「神はわたしを顧みてくださること」を知っておくことです。

どの道に導かれても、自ら低くし、委ねることを学んでいきたい。

 

ここも答えは、「私たちにすべてのものを恵んでくださる」であります。神は私たちのために、

ご自分のひとり子でさえ惜しまずに死に渡されました。ならば、私たちに必要なものをお与えにならないことは、

決してないのです。

 

詩篇118:6~7
「主は私の味方。私は恐れない。人は私に何ができよう・・。主は、私を助けてくださる私の 味方」

であることを大胆に宣言して、主に信頼する者となりたいものです。 

 

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