「 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」
へブル 2章 18節
コーリー・テン・ブームは、ドイツの強制収容所に送られました。金曜日は健康診断の日でした。
裸になりニヤニヤしている看守たちの前を列を作って歩いて行かねばなりませんでした。
待っている間、聖書のある箇所がコーリにとって、急に命のあるものとなりました。
同じ金曜日、十字架にかけられたイエス様のことでした。
「 イエス様は、裸のまま十字架にかけられたのです。・・・・・・ 聖書や刻まれた十字架像には、
少なくとも一枚の腰布がつけてあります。それは、芸術家の尊厳の気持ちの現れであることが突然わかってきたのです。
実際には、あの金曜日の朝敬意の念のかけらさえなかったのです。」 裸であることは、コーリーにとって、
もはや恥ではなく光栄となったことでしょう。イエス様と同じ体験をしているのですから。
どんな境遇にあっても、主イエス様はわたしたちのそばにいつもいてくださるのです。
詩篇 22:24
「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。
むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」