父が認知症で入院している大内病院がリニューアルオープンし、記念イベントが行われ、家族などが招待されたので参加してきました。
私の父は88歳で現在は認知症ですが85歳までは、元気に地域で頑張っていました。妻である私の母が73歳で亡くなってから10年間は朝はボランティアで新聞配達、昼はシルバー人材センターで公園の清掃管理などで活躍していました。
父は戦争にも徴兵でかりだされ、苦労して帰ってきた後、鉄工所など18種類の仕事について、自分を家を自分で建てたり、ボイラー溶接免許を取得して、日産科学で働いてきました。
ですから、器用でなんでもできるのでシルバー人材センターでは82歳まで働いていました。
それが認知症になってしまい介護保険のディサービスに通いましたが昼夜逆転など深刻な事態になり、今は認知症の特別介護棟に入院しています。診療報酬の改定で長期入院はままならず、転院を繰り返してきましたが、大内病院さんに入院しているときは認知症の症状が改善されるのでありがたく思っています。
今回、理事長の武久洋三さんがイベントのあいさつで「病院の前面をオープンにして一般的に暗いといわれる精神病院のイメージを明るくし、心が病んだらすぐに相談できるようにしました」とあいさつしました。
そして、精神病院は心の病気にかかっている人も社会に混じって在宅医療を充実していきたいと語られました。そして、今回のイベントでは五月みどりさんにお願いして、「五月みどりショー」を開いてくださいました。
理事長さんは若い頃から五月さんのファンで「一週間に10日来い」を聞きに通いましたとユーモラスたっぷりに話していました。ビデオの曲はこの曲です。
私の父は88歳で現在は認知症ですが85歳までは、元気に地域で頑張っていました。妻である私の母が73歳で亡くなってから10年間は朝はボランティアで新聞配達、昼はシルバー人材センターで公園の清掃管理などで活躍していました。
父は戦争にも徴兵でかりだされ、苦労して帰ってきた後、鉄工所など18種類の仕事について、自分を家を自分で建てたり、ボイラー溶接免許を取得して、日産科学で働いてきました。
ですから、器用でなんでもできるのでシルバー人材センターでは82歳まで働いていました。
それが認知症になってしまい介護保険のディサービスに通いましたが昼夜逆転など深刻な事態になり、今は認知症の特別介護棟に入院しています。診療報酬の改定で長期入院はままならず、転院を繰り返してきましたが、大内病院さんに入院しているときは認知症の症状が改善されるのでありがたく思っています。
今回、理事長の武久洋三さんがイベントのあいさつで「病院の前面をオープンにして一般的に暗いといわれる精神病院のイメージを明るくし、心が病んだらすぐに相談できるようにしました」とあいさつしました。
そして、精神病院は心の病気にかかっている人も社会に混じって在宅医療を充実していきたいと語られました。そして、今回のイベントでは五月みどりさんにお願いして、「五月みどりショー」を開いてくださいました。
理事長さんは若い頃から五月さんのファンで「一週間に10日来い」を聞きに通いましたとユーモラスたっぷりに話していました。ビデオの曲はこの曲です。