”ミュージックマガジン”誌の10月号が書店に並んだので立ち読みしていると、中村とうよう氏による奄美民謡CDのレヴューがあった。それがなかなかに強烈な問題提起なのであって。
たとえば川畑さおりという歌手のアルバムへの評文には、こうある。”たぶんコンテストでは決まった節回しを競うのだろう。”罰則減点で縛り付け、自由な表現という歌の大原則に背を向けた、いわば奴隷の美意識ではないのか”
また、福山哲也という歌手のアルバムに対しては、”奄美島唄が形を厳守する音楽なら、今後この欄で扱うのは無意味だから”と。
ううむ。奄美の島唄ファンの当方であるが、とうよう氏の主張に共鳴する部分もないではないのだ、実は。
ただ、昨年暮れあたりからかな、奄美島唄に興味を持って聴き始めた身としては、この問題について考えるのは、もう少しあとにしたかったのだが。そう、当方も奄美島唄が孕む問題点には、うすうす気がつき始めていたのだ。
だが、それに関して自分なりの考えを述べるには、まだまだ島唄について知らないことが多過ぎるので、その問題はしばし棚上げにしておきたかったのである。おきたかったのだけれどねえ・・・
奄美の島唄に惹かれたのは何より、”日本の古代歌謡が生きた形でそこにある”という事実に驚かされたからだった。
本当に古代歌謡までも連なりそうな形の唄が、博物館に収まるのでもなく、また古老の思い出話の一部として埃を払って引き出されるのではなく、次から次にと登場して来る若い歌い手によって歌われる、そのありように新鮮な驚きを覚え、夢中でCDを買い集めた。
歌詞に関しての書籍など読んでみると、今となっては意味の分からなくなってしまった歌もかなりあるらしい。もともと民俗学の本など読むのが好きだった当方としては、ますます血の騒ぎを覚えた次第。
そんなこんなで、奄美の島唄に夢中になって行った。
だがその一方、ちょっと気にならないでもない部分も、聴き進むにつれて出て来た。たとえば、どの歌手のCDを聴いても、収められている曲目は似たようなものじゃないか、という事実。
お隣の沖縄のように、新作の島唄というものが続々と生み出されているという状況では、どうやらないようだ。
あの”サーモンとガーリック”のアルバムでも、いまだに坪山豊氏が”ワイド節”を創唱した事実が”栄光の歴史”として語られているのだが、いったい何年前の話なの?その後に、歴史を変えるような新作は登場していないのだろうか?
登場しにくいような精神風土が奄美島唄の世界にあるのだろうか?なんて疑問がそぞろアタマをもたげては来ていたのだ、私の心のうちでも。
また、奄美の唄者たちのアルバムを聞き進むにつれて、かなりハードな様式美の世界のようだな、との手触りはかなりリアルに伝わって来てもいた。踏み外すことの許されないレールの幅は、どうやらかなり狭そうな・・・
楽しみに聴いている奄美島唄ではあるのだが、このまま行くとクラシック音楽のファンみたいに、厳格な形式に縛られた、しかも限られたメニューの中で歌い手各々の歌の解釈の微小な差をああだこうだと語る、重箱の隅をつつくような神経質な愛好家の世界に入り込んでしまうのではないか?
などとファンとしての将来になんとなく暗雲を感じ始めないでもない、みたいな気分になっていたところに出会ってしまった、冒頭に紹介したとうよう氏の一文である。
うーむむむむ・・・
まあ、分かんないです、まだ。この件に関して結論を出すのは、もう少し奄美の島唄に付き合ってからにしよう。というか、ほかにとるべき道もないよ。自分としてはまだまだ、奄美島唄という音楽の存在を新鮮なものとして楽しめているのだからね。
それにしても、あのとうよう氏の評論に対する奄美の唄者自身の感想というもの、訊いてみたいものだなあ。