ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

続・でっちあげの”放送禁止”

2008-09-12 02:53:43 | その他の日本の音楽


 9日に”でっちあげの”放送禁止”なる文章を書きましたが、これに関してはmixiでも話題にしてみました。すると、いくつかの反応がありましたので、それのご報告。
 他の方が寄せてくれた私の文章への反応をそのまま載せたい所ですが著作権の問題もあり、それに対する私のレスのみ、ここに紹介します。まあ、何が話題となったかはご想像いただけるのではないかと・・・
 中途半端な記事で恐縮なのですが、お読みいただければと。

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 Aさんへ
 まったく、ショービジネス=モンキービジネス、呆れますわ。
 さらにさらに、それに乗せられて仕掛け人のもくろみ通りに反応する”一般大衆”ってのが、もの凄く気持ち悪いです。”統治されたがる人々”というんでしょうか。なんなんだろなあ・・・

 Bさんへ
 始まりは苦情のコメント一本とか、そんなものだったかもしれません。そいつを猿芝居に持って行った策士がいるんでしょうねえ。
 
 Cさんへ
 ”コンビニがわざわざ偽装を行なう”というのは、まあ確かにオーバーな話というか”釣り”気味のブラックユーモアですが、あの記事の中で”コンビニで自粛”の事実がいつの間にか巧妙に”放送禁止”にすりかえられている。これはご覧になったとおりですね。現実に、我々の目の前で偽装は行なわれているわけです。

 Dさんへ
 「100人聞いて99人が」のくだりは、私も突っ込みどころだと感じていました。
 そもそも”100人聞いて99人がいいといってくれる”なんてありうると思うのか?本気で言っているなら思いあがりもいいところで、”100人聞いてその半分にでも関心を持ってもらえたら奇跡”くらいがいいところでしょうね。いいとか悪いとか感想を持ってもらえるのは、その先の事で。いい気なものですわ。

 Aさんの言われるとおり、「一人でも」がそのように動き出す事を想定すると・・・こいつは非常に危険な考えといわざるを得ないでしょうね。ますますヤバい、と。

 Aさんへ
 そういえば以前、「朝まで生テレビ」で差別に関する討論が行なわれた際、「あきらかに事実誤認に元ずく見当違いのクレームでも争わずに謝罪を行なう」なんて話も出ていましたね。
 放送禁止とか発売禁止とか普通に言われている現象、実態はこのような”自粛”であるわけで。そのような状況下で歌を世に出す側が「100人中一人でも」と言ってしまう。今回の件、はじめに思っていたよりさらに深い問題を孕んでいそうです。