ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遥か台湾の岸辺に

2008-09-07 01:43:23 | アジア


 ”飲乎酔”by 楊瀞

 えーい、いい加減にしろと言うしかない蒸し暑さが続いているのだが、暦の上ではもう9月になっているのである。

 宵の口、日課のウォーキングに出かけると、海岸では相変らず観光客たちが暗くなった海に向い、花火を打ったりビーチバレーに興じたり、あるいはただそぞろ歩いたりしているのを見かける。
 その勢いは、だが、真夏と比べるとさすがに寂しいものがあり、そもそも断然人数は減っている。

 彼らに一夏踏み荒らされてデコボコとなってしまっている砂浜に力なく波が打ち寄せる様子は、まるでこの夏の酷い暑さに海までが疲弊しきったかのように見える。
 そんな海を横目に遊歩道を歩いて行くと、時に涼しい風は吹きぬけ、また道際では秋の虫がとっくに鳴き出しており、このクソ暑さではさっぱり実感がわかないものの、秋はすでに忍び寄っていると思い知らされる。

 この夏は、沖縄の音楽ばかり聴いていた。それまでは、”沖縄音楽至上主義者”とでも言うべき沖縄音楽びいきの人々の、「沖縄の音楽こそ偉大である。沖縄の音楽家こそ正しい。沖縄のすべてが正しく、疑問を差し挟む者はすなわち反革命である」みたいな物言いに閉口してまるで聴く気になれなかった音楽だったのだが。
 だが、昨年末から奄美の音楽を聴き出したことのついでに、そのお隣の音楽も聴いておこうと気まぐれを起こし、そしたら手もなくはまってしまったという次第である。

 それまで沖縄びいきの人々が入れ込んでいた革命的シマウタ(?)は避け、別に革命と関係なさそうな”単なる沖縄の歌謡曲としてのシマウタの側面”を探る間合いで聴いてみたのが成功だったと思っている。一度こだわりが破れると、沖縄の音楽はまさに堰を切ったようにこちらの心に流れ込んできた。

 故・高田渡がよくその詩にメロディを付けて歌っていた沖縄の詩人、山之口獏が”端書”という短い詩を書いている。かって愛していた女性に宛てた詩で、「あなたが彼と寝ると想像するだけで、あんなに暑かった台湾が、さらに、耐え難いほど暑くなるように思われる」といった内容なのだが、そういえば台湾は沖縄のさらに南にある。

 と、改めて確認してしまうくらい、いかにも熱帯の音楽という感じの沖縄のシマウタと並べてみると、台湾の音楽には熱帯臭さが感じられない。
 大衆音楽の手触りからだけで判断すると、どう考えても台湾は沖縄より北にあり、冬にはきっちり雪まで降り、しかも積もりそうな印象まである。

 それは台湾の”公式”な面を支配しているのが、かって国共内戦で毛沢東の共産党に破れ、台湾の地に落ち延びて、とりあえずその島の支配者となった国民党政権の中華民国であり、文化の面にもその影が落ちている、その証左であるのだろう。台湾の公式な文化の根はいまだ大陸にある。

 その一方、台湾の草の根階級と書いてしまうが、そちらを構成している、台湾語を喋る、国民党がやって来る以前から台湾の住人だった人々とその子孫たちの文化にはそれなりに風土に適応した個性が存在しているように私には聞こえている。

 たとえばその一つが、アクの強い台湾語で歌われる台湾の演歌だろう。

 かって日本が行なった台湾の植民地支配の置き土産の一つであろうその音楽は、昭和30年代あたりの日本の演歌に基本を置き、それに台湾風の洗練が加わった、独特の味わいがあり、”沖縄の南”の熱気を強力に歌い上げている。

 典型的な”古賀政夫スタイル”のギターの爪弾きが奏でられ、尺八が嫋々と鳴り渡り、琴の音の響きに導かれて、ネットリとしたコブシ回しの歌声が聞こえてくる。
 今日の日本の演歌界では”時代遅れ”として採用されないような典型的な演歌のメロディ、歌唱法、アレンジなどが”臆面もなく”展開される。時に台湾語の歌詞に”忘れない~忘れない~♪”などと日本語のリフレインが入り混じり、驚かされたりもする。

 現地ではおそらく、”下層階級の聴く音楽”などと認識されているのではないかこの音楽の、日本のそれとも韓国のそれとも異質な、南国独特ののどかな個性を持った演歌表現が私にはたまらなく愛らしいものと感じられている。

 私の最近のお気に入り演歌歌手が、上に挙げた楊瀞(ヤン・チン)である。何枚か集めたCDのジャケ写真を見る限りは、日本のグラビア・アイドルの”オシリーナ”こと秋山莉奈に似ている。似ているような気がしないでもない。どうでもいいことではあるが。
 濃厚な歌い方が当たり前みたいな台湾演歌の世界においては珍しい、清純派といえる可憐なコブシ回しが愛らしい。というか今日風に言えば”萌える”のであって。たまりまへんわ。

 彼女はここ数年、出身地である台湾からシンガポールやマレーシアなど、中華系の人々のニーズが存在する東南アジア地域に活動の中心を移しているそうな。そちらの方により大きなビジネスチャンスが潜在じているということなのだろう。
 地図の上に引かれた国境線など無視してパワフルに脈打つ大衆音楽のダイナミズムのありようなどうかがわせて、こいつも血の騒ぐ情報と受け取っている。

 夜更けの浜辺に、まだわだかまる暑気。そいつもまた、黒潮と共に立ち昇って来た、遥か南の島のエコーと受け取れば。いや、それでも暑苦しいものは暑苦しいんだけどさ。早く秋らしい秋が来ないものか。