ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

もしも平和になったなら

2007-04-14 00:41:26 | アジア


 ”Trinh Cong Son,1939年2月28日 - 2001年4月1日”

 ブログの相互リンクを結んでくだすっているNAKAさんが、ベトナムのシンガー・ソングライターである、故チン・コン・ソンの作品ばかりを取り上げたベトナムの女性歌手の新作アルバムをレヴューされていて、それを読んでいるうちに、私にとってのチン・コンソン史(?)など書いてみたくなった。まあ、当然ながらたいしたものではないのだが。

 そもそも私がチン・コン・ソンに関して知っているところは少ない。60年代の終わりに、森山良子が彼の作った「坊や大きくならないで」をヒットさせた。ベトナム戦争が醜惨をきわめているさなかのことだった。
 生まれた男の子に、”どうかこのまま大人にならないでくれ。お前が大人になると他の男たちのように戦場に狩り出され、そして硝煙の彼方に消えて行ってしまう。だから大きくならずに、このまま眠りなさい”と祈る母親の独白を歌にしたものだった。

 それ以外にも当時、チン・コン・ソンの歌をいくつか、フォーク好きの友人から教えられた記憶がある。”戦争が終わったら、復興の槌音が鳴り響く平和なこの国を北から南まで旅をしよう。遠くの友を訪ねて、語り明かそう”と歌う、明るい曲調の”もしも平和になったなら”などは印象に残った。高石友也が日本語に訳して歌っていた。

 歌を作ったチン・コン・ソンとは、どのような人なのだろう。その種の反戦歌というか社会派の歌ばかりを作り続けている硬骨漢であるようだったが。
 アメリカ政府の援助を受け、軍事力で圧政を敷き、力ずくで政府が延命を図る南ベトナムに身を置きながらそのような反戦歌を作り歌うなど、当然のことながら気楽な人生などであるはずはないのだが。

 などと想像してみたのだが、その回答はどこを覗けば得られるのやら分からず、こちらとしてもそのようなフォークソングよりはロックに夢中の少年であったので、そのままなんとなく忘れて行ってしまったのだが。

 チン・コン・ソンの名をその後、久しぶりに聞いたのは、ベトナムからアメリカ軍が撤退し、南ベトナム政府が崩壊、南北ベトナムが統一されてからほどなくだった。仔細は忘れたが、チン・コン・ソンが反政府的言動を行なったかどにより、ベトナム統一政権から思想教育センター送りの処置を受けたとのことだった。

 そんなことになるんじゃないかと思っていたよ。それが、その知らせを聞いた時の私の感想だった。物事の真相を見極め、その矛盾を穿つような作風の表現者は、政権が右だろうと左だろうと疎ましく思われる。そんなものだ。と、相変らずチン・コン・ソンの生活と意見がいかようなものかも知らぬまま、生意気盛りの青二才だった私は知った風に頷いたものだった。そんなダルい絶望のポーズが当時の精神のトレンドだった。と、とりあえず私は記憶している。

 その後。アメリカとの長過ぎる戦争に勝利したばかりの統一ベトナム政府は、軍をカンボジアに進めた。その行為は、”ベトナム反戦”を世界平和を希求するものの聖なる合言葉として来た人々への大きな裏切りとなった。絶望やら脱力感やら。新生ベトナムの社会を生き辛いと感じる人々が外洋に出るには頼りなさ過ぎるボートを仕立てて近隣の国に逃げ出す”ベトナム難民”も、ただ事ではない数になろうとしていた。

 ようやく自分でもつたない歌を作り、人前で歌い始めていた当時の私は、学生時代に友人のレコードで覚えた”もしも平和になったなら”を、苦い皮肉として何度もステージで歌った。ようやく大地に平和が訪れたのに、始めてしまうのがやっぱり戦争だなんて、なんと人類の愚かしいことか。

 と茶化してみたところで。人類がバカと証明されることで自分が得する気配も、特になかったのであるが。

 さらに時が流れ。もうステージで歌うこともなくなってしまった私は、ネットの向こうのある通販サイトを眺めている。どうやらそこでチン・コン・ソンのアルバムが入手可能らしいのだが、どうしたものか。そう、実は彼のアルバムを持っていない、というよりその歌も一度も聴いてはいないのだった、正直を言えば。

 いつか知らぬ間に故人となってしまっていたチン・コン・ソンの歌を、今の自分が聴いて、どれほど楽しめるだろうか?私なりの”青春残侠伝”として、それを聴いておくべきだ、そんな思いもないではなかったが、その一方、いまさらそれを聴いて、反応すべき何かが自分のうちにあるとも思えなかった。

 チン・コン・ソン。どのような人生だったのだろうね。幸福だったのか、そうでもなかったのか。そもそもそれは、ハッピーエンドだったのか。それとも、そんな具合に人生を考える人ではなかったのか。そして彼の残した歌は今、ベトナムの地でどのような存在なのか。私には何も分かっていない。昔も今も。
 私は散々悩んだ挙句、後日また、このサイトを訪れることでもあったら考えようなどとぬるい結論を出し、ネットとの接続を切ったのだった。


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