1960年代に、来日した歌手のコンサートで歌詞の同時通訳が行なわれていた、という事実があるらしく、その詳細を知りたく思っているのだが、どうも資料に出会えない。そもそも、何をどのように調べたら良いのやら。
歌詞が訳されたというくらいだから、当然、歌詞部分に重きを置くタイプの歌手のコンサートにおいて、ということになるのだろうが。
それがどのようなものだったかを知るよすがとして、70年代に来日してライブを行なっていったアメリカのフォークシンガー、レン・チャンドラーのライブ盤がある。
このライブで60年代風(?)の同時通訳が行なわれ、その様子が盤には収められているのだ。とは言うものの、実はその盤は大分以前にひょんなことから売り払ってしまっていて手元になく、また、今のところCD化再発の気配もない。
仕方がないので記憶の中のその盤の様子を書くが。
まあ、同時通訳と言ってもすべての曲に始終、通訳の歌詞日本語訳が被さる、などということはなかった。基本は、曲のイントロや間奏の間に舞台下手(か上手か知らないが)のマイクの前に控えた通訳が歌詞の大意を語り上げる、という形である。
しかし、スローバラードのある曲などでは、歌手が一節歌うたびに休符の間に訳詩を放り込み、訳詩は歌唱と同時進行し、歌の邪魔にもならず、歌手と絶妙のパートナー・シップを見せたりもする。見事なタイミングのとり方であり、ある種の”芸”としての熟練を感じさせるものがある。
それなどを聞いていると、60年代当時は結構頻繁に通訳付きの海外アーティストのライブが行なわれていたのでは?なんて気もしてくるのだ。
ここで話題にしているレン・チャンドラーとは、フォーク歌手であると同時に、60年代の黒人公民権運動の闘士として鳴らし、何度も投獄の経験さえあるという豪の者である。そのような歌手であるから当然、社会派としてのメッセージ色の強い歌もレパートリーに加わっていて、おそらくはそのようなタイプの歌手たちが、同時通訳付きのライブを行なっていたのではないか。普通のポップス歌手たちはむしろ、そんなものは邪魔臭がる筈である、当然。
となると、まず思い起こされるのが反戦フォークの大家、なんていい方でいいのかどうか、アメリカの大ベテラン歌手、ピート・シーガーである。彼などは歌に込められたメッセージに大いにこだわりそうだし、「日本の民衆とのコミュニケーションを大事にしたい」とか言って通訳付きのライブを好んで行なっていたのではあるまいか。
とは言うものの、いくら激動の60年代とは言え、彼のようなタイプの”メッセージ派”の歌手たちがそんなにたびたび来日していたとも思えず、となると、レン・チャンドラー盤における通訳の熟練振りはどこから来るのか?と、謎はますます深まる。
ライブにおける同時通訳の存在に関してのもう一つの”証言”として、五木寛之の”闇からの声”という短編小説が挙げられる。
これはまさに、来日した社会派のフォーク歌手のステージにおいて同時通訳を行なった女性を主人公にして描かれていた。その歌手のライブを担当するようになった日から彼女の元に毎夜、正体不明の脅迫電話が来るようになり、恐ろしくなった彼女は、その電話の主の命ずるままに、歌手のメッセージを故意に捻じ曲げた通訳を行なうようになるのだが・・・といった物語。
初期の五木作品に多い、芸能界絡みのサスペンスであり、その種の作品ばかりを集めた”男だけの世界”なるタイトルの短編集に収められていた。(この本、版元には何とか再販をお願いしたい。私の一番好きな五木の作品集なのだ)
ともあれ。このような形で小説に取り上げられているのだから、ライブにおける同時通訳はそれなりに普通に行なわれていたと、やはり考えざるを得ない。
以上、ライブにおける同時通訳に関して私の知っている事をすべて書いてみた。これに付いて何かご存知の方、ご教示いただければ幸いです。若い皆さん、昔はそんなことが行なわれていたんだよ。
86年に岡山に晩年のピートがやってきました。
その時に通訳の女性がいたことを記憶しています!
正しい状況を知るためにこのコンサートの主催者に連絡をしてみました。
この方は60前になる地元フォークシンガーで,今僕はギターでサポートをしているのです。
「ピートの時は通訳の女性がいて,曲間ではなく,
曲の始めにピートが解説してそれを通訳した。
だからちょっと時間がかかって間延びはした」
「レンチャンドラーの日本ツアーは僕の企画が通って実現したんです。
彼の場合は割とゆっくりした曲が多かったので曲の中で通訳が入った。
ベルウッド盤があるからいつでも聴かせるよ」
とまさにマリーナ号さんの疑問にはピッタリの証言者といえましょう!
当時のフォークシンガーはメロディよりもメッセージであり,
日本の観客はそれを受け止めに来た。
公演というより講演といえるものだったのですね。
フォークもポップス化して今では曲間トークにも通訳などつきません。
ディランもあれだけたくさん歌詞を作っても,
日本の殆どのファンはメロディと演奏しかうけとめてない訳で,
考えてみれば気の毒なことですー。
これは!直球ど真ん中みたいな証言者の方をご紹介いただき、しかもコメントまでくださるとはありがとうございます。
どうやらピート・シーガーは”通訳付き”が標準装備(?)のようですね。彼らしいや。で、レン・チャンドラ-のケースは、特殊なものであった、と。
チャンドラーのものは、曲によっては詩の朗読と歌のデュエットくらいの息の合い方をしていたので、そのようなものが昔は普通にステージで演じられていたものかと勝手な想像をしていたのですが、まあ、あんな具合にはなかなか行かないでしょうね。
それにしても、かってそのようなことが行なわれていた事が、まるきり忘れられてしまっているのが、残念な気がします。活字になっているものも、五木の小説におけるものだけなんじゃないでしょうか。通訳をやっていた人の体験記なんか、あっても良さそうな気がするんですが・・・