ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

「ホタル」・批判

2005-12-24 02:00:48 | その他の評論


 木曜日の夜、深夜のテレビで高倉健主演の「ホタル」って映画を見ていたわけですよ。これがまあ、いつ作られた映画か知りませんが、なんともはや・・・

 健さん、太平洋戦争当時に特攻兵だった、が、戦友は戦いに散ったが彼自身は出撃命令はついにくだらず生き残った、なんて設定ですわ。で、高倉健は当然、心の中でそれを引きずっていますな。けどそんなことはおくびにも出さず、寡黙に漁師の仕事に精を出している。昭和天皇崩御(そうか、あの頃、作られたのか)に絡めて、元特攻隊委員のコメントを取りたい新聞記者(これが「朝日新聞の記者」と再三強調されるのは、意味あるんでしょうね。ヨミウリでもサンケイでも東京スポーツでもない。アサヒシンブン)なんかがやって来ても、話すことは何もないとそっぽを向いている。まあ、そんなキャラ設定。

 演ずる高倉健にしてみても楽勝の役柄、見る側の健さんファンも見慣れたパターンで何も考えずに安心して見ていられるって感じの映画ですね。
 登場人物も物語りもことごとくその方向に見事に割り振られていまして、健さんファンに軽蔑されるために出てくるアホ役やら、いかにも絵に描いたような古典的な”けなげで可哀相な妻”などが要所要所に配されております。お定まりの役振り、定番のストーリー。観客の期待は何一つ裏切られることはない。新しいことは何もやらないようにしていますから。観客、新しい事物なんか見たいと思ってませんから。

 で、結局、すべては「健さん渋い、かっこいい!」に収束して行く仕組みになっている。なんかこれってさあ、「ウルトラマンの怪獣退治」とドラマツルギーにおいて何も変わることがないって気がするんだけど、あなた、どう思いますか?

 そしてなにやら物語の運びの次第で、高倉健は、かって特攻兵となって”大日本帝国”のために死ぬ羽目になった朝鮮人の特攻兵の遺族に会いに海峡を渡る。彼の遺言を彼の家族に伝えるためなのです、これが。気の重い任務ですが、もちろん、健さんの耐える男のかっこ良さを演出するのが狙いですな。
 そしてそこでも、「はじめは日本人が来たというので敵対的だった韓国の人たちも、健さん扮する元特攻兵の誠意ある態度に、次第に心を開いて行くのでありました」となる訳です。都合良過ぎやしないか、話が。

 人情話でごまかしつつ、結局正当化してるんですよ、大日本帝国が朝鮮半島の人たちを特攻隊に狩り出した事実を。「自分は朝鮮人民としての誇りを持って特攻に赴いたのだ」とか朝鮮人特攻兵に遺言として言わせる事によって。ひどい映画だよ、これ。人々の高倉健に寄せる安易な感傷に便乗して、特攻を賛美し、日本のかっての朝鮮半島領有も正当化するというあからさまなゴリ押し作戦であり、相当にたちが悪い。

 そして映画終了直後、テレビは近日公開の映画、「男たちの大和」の大宣伝に突入するのでありましたとさ。うん、そんなことだろうと思った。で、「大和」を見終わったバカな高校生の涙のインタビューなど挿入されて、一同めでたく舞い収める。と。
 昨今のワカモノたちは、涙にさえ持って行けば楽勝ですべて判断停止してくれるから楽でいいでしょうなあ、政治家の皆さんも・・・






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