ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

レココレ誌の英国ロック・ベスト100が変だ

2009-07-18 03:43:18 | 音楽雑誌に物申す


 またこの話になってしまうけど・・・と言いつつ、やっぱり書かねばならんと。出たばかりのレコードコレクターズ誌8月号の特集、初期英国ロック・ポップの名曲ベスト100”なる記事についてである。そう、この種の企画に対する違和感については、もう何度も書いてきた。でも、「前にも書いたから良いや」とは、ならんのよねえ。

 今回の企画は、”ロニー・ドネガンが「ロックアイランド・ライン」を吹き込んだ1955年からサージェント・ペパーズ」発売の前年の1966年”の間に出たレコードのうちからベスト100を選ぶ、と言う企画。25人の筆者に選んでもらった個人のベストを下に編集部で構成した、と言う事。まあ、英国ロックの黎明期を探るって感じでしょうか。
 で、まずベスト1がストーンズの「サティスファクション」である。ま、まあ、そんなもんかなと。何か言いたいことがあるような気もするが、これでいいとしておくとしても。

 でも確実に疑問符を感じてしまうのが、2位と3位だ。ザ・フーの「マイ・ジェネレイション」とキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」ってのはいかがなものか。
 こんなの、完全に日本における洋楽受容史の捏造作業じゃないのか。もう答えが出ている歴史を見下ろして自分に都合の良い絵を描いた、その”後出しジャンケン”の不自然さに、もの凄く居心地の悪い気持ちがする。リアルタイマーとして、その頃の音楽を聴いて来た身としては。

 当時、フーなんて聴いてた奴、日本にはいなかった。そりゃ、一部マニアはおいておくとして。だって、55年から66年だよ。フーなんてバンド、誰も知らない。彼らが日本の音楽ファンに認知を受けたのは、あの”ウッドストック”への出演を契機に、といっていいだろう。
 私の記憶が確かならば、フーがラジオなどで聴ける様になったのだって、67年のヒット曲である「アイム・ア・ボーイ」からだったはずだ。この曲はたまらなかったよ。ラジオで聴いて即、すっ飛んでいったよ、レコード店に。で、待ちに待った次の曲、「ハッピー・ジャック」は、市民プールにおけるBGMとして聴いたのだった。消毒薬の匂いの向こうに揺れる水面を見ながら、「あ、これフーの新曲じゃないのか」と呟いたあの夏の日。

 まあ、感傷に浸るのはあとでいいとしても。ともかくそうでしょ、どちらかといえば70年代になってからの姿である”大スターになったフー”の姿から逆算して、この曲をこの辺りに押し込んだわけだよね。イギリスでは売れていた?それなら日本ではそうではなかった事実が読み取れるような扱いをするべきだと思う。英国には英国の、日本には日本の”英国ロック愛好の歴史”があるのだから。日本人が読む雑誌でしょ、日本語で書いてあるんだから。

 キンクスの”ユー・リアリー・ガト・ミー”だって、ここまで上位ってのは、おかしい。これも”現在、この曲がどういう評価を受けているか”を根拠にしての”上位入賞”だよねえ。
 さらに見て行けば「テルスター」なんて曲が10位ってのも無理やりでしょ。こんなのこそマニアのわがまま、歴史の捏造といっていいと思う。55年から66年なんて時代のベスト10に入るのが普通に納得出来ようか。
 さらに12位、”ジョニー・キッド&パイレーツ”ってバンド。知らねえよ、そんな奴ら。付けられたコメントに”過小評価を受けている”とかあるけど、では今回突然、こんな上位に無理やり突っ込んで、「よし、これで歴史は正された」と悦にいろうってのかい?基本的なところで勘違いしてないか。

 なんて話をいちいち書いて行くと、このクソ暑い中、疲れて仕方ないんでやめておくけど、ともかく言いたい。あと出しジャンケンはやめよう、と。こんな風にして自分好みの歴史をでっち上げて楽しむなんて、悪趣味と思うんだがねえ。