ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ガラス庭園の記憶

2009-07-11 04:27:13 | ヨーロッパ


 ”Essere O Non Essere”by IL VOLO

 天国にしか咲かない夢幻の花の周りを一匹の蝶が戯れ飛び回っている風景などを空想させる、そんな繊細極まるギター・ソロが奏でられ、そしてロックのリズムが入ってくるのだが、それも非常に精微を極めるもので、こみ入った細工のガラス彫刻など連想させる。

 空高く飛翔する各楽器の絡み合いの狭間に揺らめくオリエンタルな音要素が印象的な曲、”Medio Oriente 249000 Tutto Compreso ”は、遥か宇宙空間から見下ろした中央アジアはタクラマカン砂漠と、そこを行くラクダに乗った太古の絹商人たちの姿までが浮ぶような、カラフルな幻想に満ちている。
 幻想の中を吹きぬける地中海の風と、イタリアらしいクラシック趣味が音に深い奥行きを与えている。

 そんな具合に、イタリアン・ロックの一方の頂点とも言うべきバンド、イル・ヴォーロの美しい幻想世界の旅は続いて行くのだが、しかしこのアルバム製作の年代はもう1975年。すでにイタリアン・ロックの全盛時代は過ぎ去っていた。
 1970年代の初めの、ほんの1~2年でイタリアのロックは遥かな高みに駆け上がり、奇蹟のような美しいサウンドがいくつも生まれ、そしてある日、それらはすべて崩れ去り、時代遅れの遺物として忘れ去られた。

 何でそんなことになったのか分からない。シーンが一挙に盛り上がり過ぎたせいでもあろうか。当時のイタリアは騒然たる政治の季節で、ロックバンドのライブ会場がテロの標的にされたことがイタリアン・ロック界の気勢を削ぎ衰退を招いた、などという説明も聞いた。どれも本当のような気がし、また、見当外れのような気もする。
 ともかく、つかの間のイタリアンロックの夢の時間はほんの刹那で終わりを告げ、シーンをリードしたミュージシャンのある者はヒーローにはお定まりの悲劇の夭折をし、またある者は、滑稽なクイズ番組の司会者という姿でしたたかに生き残る。

 しがないイタリアのGSから発し、70年代の初めにはとてつもない甘美な音楽世界を構築していたフォルムラ・トレなるバンドが発展的解散をした後、腕利きのミュージシャンを集めて結成したのが、このイル・ヴォーロなる音楽集団だった。
 このつわもの集結も、上げ潮に覆われ、崩れ去らんとする浜辺の砂の彫刻のような危うさを見せ始めたイタリアン・ロックのたそがれを自覚し、身を寄せ合って滅びから身を守ろうとしたと思えなくもない。
 だが結局このバンドも2枚のアルバムを残しただけで解散し、歴史の闇に消えた。

 たまにイタリアンロックが奇蹟のように燃え上がったあのつかの間の季節が懐かしくて、このタグイを取り出して聴いてみるのだが、音はそのたびに記憶していたよりも繊細になっているような感触があり、そのうちいつか盤に針を下ろしても何も聴こえては来ない、そんな日が来るような気もするのである。いや、盤が擦り切れてとか、そういう話をしてるんじゃないってば。