”Hayaku”by Crista Galli
どうやら国籍はフランスの、まあ胡散臭いバンドではあります(苦笑)ライナーにはケルトとオリエントとか、地球と大地の精霊への祝祭とか書いてあるんで、まあ、その方面のバンドなのでしょう。ちなみにタイトルの”ハヤク”ってのは日本語のようです。
ジャケにも昔の中国人みたいな衣装をまとった人物が描かれているが、これ、日本人のつもりかも知れない。後ろの大きな赤丸は日の丸のようにも、赤斑を浮かべた木星のようにも見える。
バンドの正式メンバーはキーボードとギターの二人で、この二人がその他にも民族楽器各種を操り、それに若干のセッイション・メンバーなど加わって織りなすサウンドがあなたを内宇宙の旅へと誘う・・・ほうら、胡散臭いでしょう(笑)
告白すれば実は。面目ないが、この種の音を聴くのは結構好きだったりする。いや、本気で宇宙と交信する音楽とか思っちゃいませんよ。昔のSF映画のチャチい特撮などを愛す、そのノリで、この種の”スピリチュアル”音楽の胡散臭さを楽しんでます。
などと言っている間にもCDは演奏をはじめていて、電気ピアノがかなり隙間の多い音をポツリポツリと置いて行く。中華風の音階のプリミティヴなメロディが反復して奏でられ、口琴が、あるいはオーストラリアのディジリドゥがリズムを刻み、仏教のお経のような男性コーラスが鳴り響く上を、女性のスキャットの美しい高音が舞う。あるいはホーミーが披露される。
あちこちの民俗音楽を継ぎ接ぎしつつ、それらしい瞑想的雰囲気が織りなされて行く。音の向こうになんとなく浮かび上がるのは、太古のシルクロードの風景だろうか。白ッ茶けた砂漠が広がり、幻想の天女が舞う。
そうか、クソ暑い日が続くんで、ふと炎熱の砂漠の音楽を聴きたくなったんだなとここではじめて気が付く。でも、本物の砂漠の音楽をかけたら暑苦しくていられないんで、絵空事の砂丘を選んだ。
この、ありもしない世界の時の止まった風景に身を置き、無駄な時間を過ごすのが好きだ。エアコンからの半端に涼しい風を感じながら、非在の砂漠の旅を夢想する夏の日。
タモリが井上陽水の唄を褒めて言った言葉を思い出す。「あんたの唄は良いねえ。なんにも言ってないもの」陽水は「少しは何か言ってると思うんだけどねえ」とくさっていたが、いや、なんでもないことの素晴らしさを人は知らんといかん。
終盤にいたり、ずっと聴こえていた女性コーラスはいつの間にか日本語の歌詞を歌い始めている。穏やかな童謡調のメロディ。耳を凝らすが、はっきり意味を取れるような発音ではない。日本人にローマ字で書かせた歌詞を丸暗記して歌っているのだろう。何でここで日本語が出てくるのか、もちろん分らない。
最終曲はバイオリンをバックに従えた女性ボーカルがアイリッシュ・トラッドの如きメロディをじっくりと歌い上げる。マジで歌ってもらえばかなり聴けることに気が付く。考えてみれば、やっている音楽の志向性は適当でも、ミュージシャン個々の実力は確かなものだ。冗談半分で聴いているつもりだが、一杯食わされているのは、本当はこちらなのかもしれない。
一通り聴いた後、日本語の歌詞が気になり何度か聴き直すが、正確にはどういう歌詞なのか、いまだに聞き取れずにいる。
そのひとみをひらいて うみはしずか
しずかなかぜが ふいてたうみはきれい
こんなもので、それから「はやく・・・を」と呼びかけて来るのだが、せかされても意味が取れないので行動に移しようがないのだった。行動に移す必要などない事を多分、歌っているのだろうが。
試聴を付けようと思ったんだけど、You-tubeには同名異バンドしかなかったんで・・・
どうやら国籍はフランスの、まあ胡散臭いバンドではあります(苦笑)ライナーにはケルトとオリエントとか、地球と大地の精霊への祝祭とか書いてあるんで、まあ、その方面のバンドなのでしょう。ちなみにタイトルの”ハヤク”ってのは日本語のようです。
ジャケにも昔の中国人みたいな衣装をまとった人物が描かれているが、これ、日本人のつもりかも知れない。後ろの大きな赤丸は日の丸のようにも、赤斑を浮かべた木星のようにも見える。
バンドの正式メンバーはキーボードとギターの二人で、この二人がその他にも民族楽器各種を操り、それに若干のセッイション・メンバーなど加わって織りなすサウンドがあなたを内宇宙の旅へと誘う・・・ほうら、胡散臭いでしょう(笑)
告白すれば実は。面目ないが、この種の音を聴くのは結構好きだったりする。いや、本気で宇宙と交信する音楽とか思っちゃいませんよ。昔のSF映画のチャチい特撮などを愛す、そのノリで、この種の”スピリチュアル”音楽の胡散臭さを楽しんでます。
などと言っている間にもCDは演奏をはじめていて、電気ピアノがかなり隙間の多い音をポツリポツリと置いて行く。中華風の音階のプリミティヴなメロディが反復して奏でられ、口琴が、あるいはオーストラリアのディジリドゥがリズムを刻み、仏教のお経のような男性コーラスが鳴り響く上を、女性のスキャットの美しい高音が舞う。あるいはホーミーが披露される。
あちこちの民俗音楽を継ぎ接ぎしつつ、それらしい瞑想的雰囲気が織りなされて行く。音の向こうになんとなく浮かび上がるのは、太古のシルクロードの風景だろうか。白ッ茶けた砂漠が広がり、幻想の天女が舞う。
そうか、クソ暑い日が続くんで、ふと炎熱の砂漠の音楽を聴きたくなったんだなとここではじめて気が付く。でも、本物の砂漠の音楽をかけたら暑苦しくていられないんで、絵空事の砂丘を選んだ。
この、ありもしない世界の時の止まった風景に身を置き、無駄な時間を過ごすのが好きだ。エアコンからの半端に涼しい風を感じながら、非在の砂漠の旅を夢想する夏の日。
タモリが井上陽水の唄を褒めて言った言葉を思い出す。「あんたの唄は良いねえ。なんにも言ってないもの」陽水は「少しは何か言ってると思うんだけどねえ」とくさっていたが、いや、なんでもないことの素晴らしさを人は知らんといかん。
終盤にいたり、ずっと聴こえていた女性コーラスはいつの間にか日本語の歌詞を歌い始めている。穏やかな童謡調のメロディ。耳を凝らすが、はっきり意味を取れるような発音ではない。日本人にローマ字で書かせた歌詞を丸暗記して歌っているのだろう。何でここで日本語が出てくるのか、もちろん分らない。
最終曲はバイオリンをバックに従えた女性ボーカルがアイリッシュ・トラッドの如きメロディをじっくりと歌い上げる。マジで歌ってもらえばかなり聴けることに気が付く。考えてみれば、やっている音楽の志向性は適当でも、ミュージシャン個々の実力は確かなものだ。冗談半分で聴いているつもりだが、一杯食わされているのは、本当はこちらなのかもしれない。
一通り聴いた後、日本語の歌詞が気になり何度か聴き直すが、正確にはどういう歌詞なのか、いまだに聞き取れずにいる。
そのひとみをひらいて うみはしずか
しずかなかぜが ふいてたうみはきれい
こんなもので、それから「はやく・・・を」と呼びかけて来るのだが、せかされても意味が取れないので行動に移しようがないのだった。行動に移す必要などない事を多分、歌っているのだろうが。
試聴を付けようと思ったんだけど、You-tubeには同名異バンドしかなかったんで・・・