”コパン”BY 大貫妙子(”野辺”所収)
6月の30日は父の命日だった。とりあえず墓参りと言う事で車を出し、母を乗せて寺に向った。朝方まで降り続いていた雨が上がってくれたのはありがたかった。重苦しい曇天であろうと、雨が降るよりまだマシだ。
途中で、となりの町内に嫁に行った妹を拾って行く。賑やかな事の好きな家なら親類縁者を呼び寄せて賑やかにこの種の事をやるのかも知れないが、私の家はそうではなく、いつの間にかこの三人の、まあ、いつでも集まれるメンバーで法要関係を執り行う慣わしとなっている。
それにしても。父の葬儀の日に、何も分からずはしゃいで暴れまわっていた姪が、今では保母として働いているのだから、油断していると歳月はいくらでも流れる。
とりあえず墓所を掃除し花を替え線香を手向けた。こんな機会でもなければ合えない、などという顔ぶれでもなし、どうでもいいような世間話や噂話のタグイをしながら行程を終え、近くのファミレスによって軽食、と言う運びになる。確か何年か前には同じメンバーでステーキハウスに行ったものだったが。こんな具合に”行くものは日々に疎し”となって行くのだろう。
母と妹の無駄話を聞き流しながらファミレスに向う車のハンドルを握り、妙にシンとした気分になっていた。家にあまり還って来ない父であり、子供の頃はいつもこの3人で食卓を囲んでたものだが、なに、時は流れても我々は同じ事をやっている。
そして私は。父の急死を受け、なんだかドサクサな運びとなり、継ぐ気もなかった店の経営を成り行きで受け継ぎ、やめるきっかけもつかめぬまま今日まで来てしまった。とはいえ、それまでやっていた職業が”バイトで食いつなぎつつ、ギター抱えて旅に出てはライブハウスやら路上やらで自作の歌を歌う”といったものだったから、どちらがマシと言うものでもなかったのだが。
母も妹も、そしてもちろん私も歳を経た。と言うより老いつつある。時との戦いに勝利するすべはない。
命ある私たちと、逝ってしまった者の世界が出会う境目を歌ったものとして、私は大貫妙子の”野辺”という歌は非常に優れたものと思っている。素朴なメロディの、ある種スピリチュアルな趣のある旋律を持つ曲。風に揺れる野の花に託して、生のサイクルの一つを終え、自然に帰る命の姿がよく描かれていると思う。
あの日、父の遺体を乗せた車から降り、これから厄介になる火葬場の係員に挨拶をすると、彼は私の持っていた具物を見て、「あ、野膳はこちらにいただきましょう」と言ったものだ。 なるほど、野膳というのか。その時、うら寂しい山上の野原でこの世で最後の食事をする経帷子姿の父の姿が見えるような気がし、それ以前から愛聴していた”野辺”のメロディが、それまで気が付かなかった懐かしさを持って心の中に響いたのだった。
気が付けば、今年もまた我が家の駐車場の梁にツバメが巣を作っている。この連中がこの営業をはじめ、駐車場の床が、時に車のボディが奴らの糞で汚されたりする事で、我が家の人間は夏の到来を実感するように、もう大分前からなってしまっている。
毎年やって来るツバメたちはかってその場を訪れたツバメたちの眷族にあたるのか、それとも本能の印す道筋に導かれてやって来た、見知らぬ血筋の者たちなのか。見当も付かぬまま、今年もまた夏がやって来ようとしている。