ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

鳩間の港の猫時間

2009-07-21 03:43:48 | 沖縄の音楽

 ”ヨーンの道”by 鳩間可奈子

 あれは何を調べようとしたんだっけなあ、ともかく私はその日、You-tubeの沖縄シマウタ関係をあちこち覗いては何ごとか探し出そうとしていて、そのついで、というのもなんだけれども、その時偶然に出会った鳩間可奈子という女の子の歌う”鳩間の港”なる歌がちょっと気に入ってしまったのだった。
 まあ何のことはない、宴席で手拍子を打って歌うのにちょうど良い、調子の良いメロディの波止場のお別れ唄なんだけど、その気のおけないメロディが気に入ってしまったのだった。一杯機嫌で歌ってみたら楽しいだろうなあと。

 その後、彼女が”鳩間の港”を含むアルバムを沖縄現地のレコード会社から出していると知ったんでさっそく取り寄せてみた。今、ジャケ裏を見てみるとこのCD、2000年の暮れに出ている。何を今頃言っておる、だろうなあ、シマウタ好きの人たちには。こんな文章は。いやあ、私は沖縄の音楽を聴きはじめたのはごく最近のことなんで、ここの所はお許しを願いたい。

 この鳩間可奈子と言う歌手は沖縄は石垣島方面の出で、八重山の民謡をことに好んで歌ってきているとのこと。まあ、今述べたように八重山の民謡の特性、といった事もまだ全然分っておりません、私。申し訳ない。
 まあそんな訳で、なるほど、歌詞カードを見ると”八重山民謡”と記された曲もいくつかある。そして。完璧にシロートの私がこんな事を言うのもなんだけれども、確かにこれまで聴いてみた沖縄のシマウタとは、趣が違っている。なんというか、よりのんびりした時間が流れているみたいな手触りを感じたのだな、彼女の歌に。それが八重山の民謡の特徴か彼女の個性かは分からない。どちらでもある、みたいな気がするのだが。

 あまり”プロ!”って感じにいきり立つよりも、そこら辺の音楽好きの女の子がふと唄ってみた、そんな気負わなさがふんわりとした唄の個性となって彼女の歌には漂っている。そののどかさが心地良く思えた。ちょうど、このアルバムに八重山民謡で”与那国の猫小”って曲が入っているが、港に住み着いた野良猫が暖かな日差しの中でのんびり昼寝をしているみたいな、そんな風景が浮かんでくる彼女の唄の個性が、なにやら嬉しいのである。

 アルバムの主人公である鳩間可奈子の個性はそれでいいとしても、このアルバムの作りはしかし、いかがなものか。すべてではないが、何曲か問題ある曲が目につく。
 冒頭の”トゥバリャー”や4曲目、”NIFAI-YOU”あたりの、妙に都会的なオシャレなサウンド作りはどうだろう。彼女の個性には全然合っていないと思うのだが。どうなっているのだ。策士、知名定男らしからぬ誤算と言えまいか。
 それでも製作者の期待に答えようとロックなバックトラックに負けじと力んで声を張っている彼女がなんだか痛々しくもある。

 憤りさえ感じたのが、中山千夏作詩、小室等作曲の”老人と海”なる曲。なんスか、これは?70年代の亡霊が立ち上がって来たとしか思えない、時代錯誤もはなはだしい曲だが、何で彼女にここでこの唄を歌わせねばならないのか?理解に苦しむ。時々、プロデュースの知名定男は、こういう変な行動に出るのだよな。
 それでも昨年出た2枚目のアルバムでは、妙な小細工は成されることなく、おそらくは一作目への反省に元ずき(と信じたい)彼女の個性を生かした八重山民謡中心の構成になっていると聞く(私も盤は買ったのだが、まだ聴いていない)ので、そのうち時間を作ってのんびり聴いてみようと思う。

 ・・・と、書いてみてあらためて驚いたのだが、1stと2ndの間が8年か。いくら島時間と言っても。いやまあ、これが彼女のペースであるのなら文句を言う筋合いでもないのだが、もちろん。