”Nangsao Nancy” by Mangpor Chonticha
タイの大衆歌謡ルークトゥンの世界でも、ひときわディープな歌い手である Mangpor Chonticha の4thアルバムであります。
このアルバムのタイトル曲である”Nangsao Nancy”を歌う彼女の映像に、他の事を調べていて検索していたYou-Tubeで偶然出会ってしまった時のインパクトは忘れがたい。
ダンサーたちを引き連れて歌い踊る彼女の所作は明るい演出が成されていたのだけれど、見ているうちにその曲の孕む”汎アジア的貧乏の予感”みたいなものがメロディのあちこちに滲み出しているような気がしはじめ、そいつが頭を離れなくなったのだ。
そして私は、その曲を何度も聞き返せずにはおれなくなり、気が付けば彼女のCDが手に入る場を求めてネットの世界を彷徨っていたのだった。あの曲をもう一度、いや2度でも3度でも聴きたい、と。
舞台の輝きと喝采の下には、戦前、東南アジアを遊民として横切った詩人・金子光晴が詠った、貧しいアジアの女たちの嘆きが、いくら時代が移ろうと変わることなく息をひそめて登場の時を待っている・・・曲のメロディを追ううち、そんなイメージに私は取り付かれていたのだ。
日本ではGSなんかでお馴染みだったAm-G-F-E7のコード進行に乗って、「いかにも歌謡曲」な安っぽいホーンによるイントロがうねりながら流れて行く。突込み気味なリズム陣がカツカツと”メコン河クラーベ”な脈を打ち、”演歌に目覚めたサンタナ”みたいなヘビメタ調ギターが饒舌に暴れまくる。アコーディオン等がソロを取ると香る、昭和30年代の日本を想起させるレトロなイメージ。
そして歌いだされる、出所不明の懐かしさ漂う、どこかうら寂しさを秘めたメロディ。
一回聴けば覚えてしまうような、実にベタな構造の単調なメロディが執拗に繰り返されるのだが、この曲の出所は何なのだろうか。普通のルークトゥンのメロディとは、若干構成が異なるような気がする、私は。
メロディの裏に幻視した私的イメージに耽溺し過ぎたかも知れない、との反省もありつつ、こんな事考えちゃったんだからしょうがないじゃないかと居直り、記す。まあ、下に試聴を貼っておくので、そちらで現物に接してみてください。「なんだよ、陽気な曲じゃないか」と呆れられるんじゃないだろうか。
Mangpor は声量はあり音程は正確できれいなコブシ回し、ずいぶんと端正な歌い手である。後半の民謡調のナンバーなどでも、その実力は明らかなのだが、毎度タイ情報を参考にさせてもらっているころんさんによれば、この数年、彼女は芳しくない出来のアルバムを連発しているらしい。
このアルバムでは安定した実力を発揮しているのだが、その後、どうしてしまったと言うのだろう。その辺も気になるので、彼女をもう少し追いかけてみようかと思っている。
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