木は氣...です。1本 1本の木はそれぞれ 異なる 氣を発しています。木と交流してみてください。平和な静寂な大きななにかを感じるはず..............そのとき 木から一方的にもらおうとは想わないでね。
木には感情があり とくに傷ついた木は かぎりなくやさしい。.........わたしはときどき 木にうたをうたいます。その木の氣を感じながら 木のうたを。
......と想っていたら こんな記事をみつけました。
⇒ こちら
医学博士の塩谷信男さんの講演に行った事があり、そこで想念が人体や動植物に及ぼす力の存在を知りました。以下、「健康・長寿と安楽詩」という著書の中から少し抜粋して書きます。
昭和20年1月(戦争中)、渋谷の私の医院に見知らぬ人が訪ねて来て「私はこういう者ですが、人体のてのひらから出る放射線の研究をしています。そして、人体の手のひらから放射線が出ている人を探して訪ね歩き、其の放射線を測らせてもらっています。先生は手を当てて人の病を治しておられると聞きましたので、其の御手を調べさせて下さいませんか。」という申し出であった。
名刺には「日本電気株式会社・大津製作所 井上房太郎」と記されていた。「私は昭和6年に、手のひらから放射線が出ている事を知って、これに生命線と名付け、其の研究をしていた。医院の看板にも生命線研究所と書き加えておいた。..................大喜びで招じ入れて話を聞き、私の掌から出る放射線を調べてもらった。其れは極めて簡単な機械だったが、ガルバメーターに繋いであった。
私の掌のアチコチに当てて測っていたが、「だめです。針がスケールアウトして測れません。今まで沢山の人について調べて来ましたが、こんなに強い人は初めてです。」と呆れていた。いろいろ話が弾み、とうとう「今夜はうちに泊まって話を聞きましょう」という事になって、其の夜は世田谷の住居まで一緒に帰り泊まる事になった。ところが其の夜に面白い話が出来た。
「実は先生、私には説明がつかない事が起こっているんです。木の樹液の流れによって電位差が起こるのではないかと考えて、この機械を木に付けて試したのですが、何の変化も起きませんでした。
ちょっと失望して「なんだ、何も変化も起こらないじゃないか」と言って木をぶったのです。そしたら、メーターの針が動いたのです。こりゃおかしい、振動でメーター動く事は無いのだから、原因は他にあるに相違いないといと思って、木に(先の尖った)針を立てて刺激してみたのです。
そしたら、メーターが強く動いたのです。これは面白いと思って、いろいろやってみたのです。そしたら、木を弄ると針が動く事がわかりました。こりゃ、ひょっとすると木にも感情があるんじゃないかと思うようになりました。しかし、証明する事は出来ません。先生の考えはいかがですか。」
この質問に私はビックリした。そして喜んだ。私は木にも感情があると思っていたが、証明する方法が無かった。「そりゃ、あなた、素晴らしい事実を発見なすった。木にも感情がある事は事実なんです。知性もあるんです。大昔の日本人は知っていました。大祓いの祝詞に書いてあるでしょう。「言問いし岩根木根立草も言辞めて…」と。
つまり、大昔には、岩も木も草も、みな人間や動物と意思の交換をしていたのです。話あっていたんですよ。
それが人間の方が心の純真さが無くなり、霊性も失われていったので、草木の方も人間を相手にしなくなったのです。ただし、現代でも心が優しい人や草木に愛情を注いで育てると良く育つし、生け花も長持ちする事は良く知られています。いやー、あなたは実に素晴らしい発見をしたのですよ。」
翌朝、早速、庭の青桐の幹に機械を付けて実験したところ、メーターが活発に動いた。彼との別れ際に、其の機械を1つ頂戴した。ガルバノメーターは頂戴する事は出来なかったので、東大工学部から借りてきて実験を重ねた。そして、次々と面白い事実を知ったのだが、そう長くも借りておけないと思って返したら、間もなく空襲を受けて医院と一緒に頂戴した機械も焼かれてしまった。其の機械が無くなってしまったので、草木との対話は其れっきり出来なくなってしまった。
ところが、終戦後の読売新聞に面白い記事が出ていた。ニューヨークの警察学校の校長でバックスターという人物が、ウソ発見機を使って植物と会話しているという事が、米国のオーゴスベル雑誌に出ていたのを読売新聞が記事にした。
日本でも、橋本健博士もこの事を知って自分で独自の機械を作り実験を始めていた。この機械は素晴らしいもので、メーターが動く他にも音も出る仕組みになっている。
この機械を私も譲り受け、実験をしたが面白い事実を発見した。初めは博士と同じようにサボテンで実験したが、其の後に庭の草や花に付けて実験した。
面白い事に心の優しい人や純粋な人には良く反応していたが、相手によっては何も反応しない事がわかった。よって、男性よりも婦人や子供の方が良く答えてくれる。あるとき、素晴らしい花の鉢を患者さんから頂いた。
玄関に置いたが、ある日に2階に運んで機械を付けて話かけてみたが返事がない。そこで「家内を呼ぼうか?」と聞いてみたところ、其の途端に「ウーン」と音が鳴った。家内が2階に上がって来て、部屋の戸を開けた途端にウーンと音を出した。
そして、家内が花の傍に座ると、何も言わないのにウーン、ウーンと音を出す。家内が「まぁいい子ね」と手を花にかざして動かすと、ウーン、ウーンと音に高低を付けて出す。
ちょうど、飼い犬が主人が帰ってきたときに横腹をこすりつけて来るという感じに似ている。これには驚いた。普通は単調な音を出すだけなのだ。
家内は毎朝、花木に水をやっている。声をかけたりしている。私は傍を通ってもキレイな花だと思っても声はかけないし水もやらない。なるほど、そうかと良く理解した。米国のバックスター氏は、観用植物で実験しているが、植物に記憶力のある事を明言している。
私は、こんな実験もした。サボテンの鉢を2つ並べて置き、一方だけに話して他の鉢は放って置くと返事をしなくなる事を発見した。植物は音楽を好む事も良く知られている。一般にクラッシックや静かなメロディが好まれるようだ。
ジャズやロックは嫌われる。サウンドボックスの傍に植物を置いて実験した人の記録を読むと、静かなメロディの曲を聞かせていると蔓がサウンドボックスの方に伸びるが、騒々しい音楽を聞かせていると反対方向に蔓が伸びる。そして、好きな音楽の時は蔓はボックスの巻きついたりするそうだ。
私にはまたこんな経験がある。私はマンションに入ったのだが、私の部屋の東側に窓がある。2年ほど経ったとき、窓の下から木が2本(常緑樹と落葉樹、各1本づつ)が伸びてきた。このまま伸びると窓が塞がれて空が見えなくなってしまう。困った私は木に相談を持ちかけた。「お前さんたち、そのまま育つと俺の窓が塞がれてしまい、空が見えなくなるんだよ。これから海の方へ向かって伸びてくれないか。潮風に逆らうようになって困るんだろうが頼むよ。」
すると、驚いた事に2本とも海に向かって斜めに伸び出した。御蔭であれから6年が経ったが、あのままだったら窓が塞がれているはずなのに、青い空が見えている。この木は海に逆らっているわけだから、さぞ困るだろうにと時々は御詫びを
言って感謝している。この2本の木の曲がり具合を見ても、一般の人々は誰一人として信用しないだと思う。「それは自然に曲がったんだよ」と言うだろう。そう見るのは常識としては当然の事である。
私は山に行っても野に行っても、草や木と交流するのは実に楽しい。そして、スケールの大きな触れ合いをし経験する。いやプレゼントをいただく。万物は一体。事あるごとに、この感じを深くする。
そして、小さな私も大きい私と感じる。私の体験に興味を覚えられた方は「フィンドボーンの奇跡」を読んで御覧なさい。目から鱗が落ちる方がおられると思う。
転載 終了