写真はこれまでに無くたくさん花を付けた女房丹精のシクラメンです。
今日はこれから別府鉄輪温泉へ出発します。
女房の友人からのお誘いで友人夫妻と宿で合流。温泉と賑やかになるであろう夕食を楽しんできます。
今日は雨模様ですが、大降りにならないことを願っています。
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このところ、ちょっとお出掛けが続いています。
昨日は市内の梅安神社の『梅まつり』に行ってきました。
毎年、この『梅まつり』の日に参詣していますが今年は梅の開花がずいぶん遅れ、境内を回っても梅の花はちらほら。
もっぱら振る舞いの梅酒と豚汁が目的のお参りになりました。
昨日は寒さも一息ついた久し振りの快晴でしたがいい天気の割にはお参りする人がまばらな『今年の梅まつり』風景でした。
でも、参詣する人数とは別に今年も本殿の横ではブルーシートを敷いた即席の宴会場、氏子の男衆が酒盛りで盛り上がりつつありました。
テントの中で梅酒と豚汁をご馳走になった後、紅白の小さなお餅と梅干が5個入ったお土産を頂きました。
また、来年。
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昨日、近郊の宗像市にある酒造会社の酒蔵開きに行って来ました。にごり酒や初しぼりなどの試飲コーナーが賑わっていましたが、私は車の運転があり試飲は女房に任せて、甘酒を少しだけ頂いてきました。酒蔵までの路地には地元の農、海産物の露店が色々と出ていました。新酒は自宅用に4合瓶の初しぼり原酒を。露店で殼付き牡蠣を買って帰りました。今日は携帯からの投稿でした。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の第一作の冒頭。
六(ろく)ちゃんが青森から集団就職列車で東京に出て行くシーン。
そのシーンの六ちゃんが乗っている蒸気機関車が鉄橋を渡る場面。
三丁目ファンの方なら今日の写真でピンとこられたかと思います。
そうです、あのシーンはここ中間市の遠賀川に架かる筑豊本線の鉄橋で撮られたのです。
(映画の映像はロケによる実写とCGを使っての合成との事ですが)
私も撮影の事は知らずに当時映画を見た時に『どこかで見た景色だ。だ。』と思いました。
見慣れた景色のはずです。この鉄橋を見ながら川向こうの中学校に3年通っていたのですから。
随分前のブログで写真を掲載した時に(たぶん、河川敷の鯉のぼり)遠景に写っているこの鉄橋のお話しを少しした記憶があります。
今、第3作が上映中。近々、観に行く予定ですが一昨日出掛けた時に寄り道して今日の写真を撮ってきました。小雪舞う寒い日でした。
私が中学校を卒業した昭和30年代は東京や関西方面の就職先へと向かう中学卒業生を乗せた集団就職列車が走っていました。
当時、中学校卒業生は『金の卵』と称せられ、高度成長時代の人手不足で“引っ張りだこ”の時代だったのです。
筑豊炭田の中心の町、田川や飯塚の国鉄駅を起点に出発した集団就職列車は中間駅にも途中停車。何人かの私の同級生も見送りの家族や周りの人と別れを惜しみつつ希望を胸に大都会へと故郷を後にしました。
蒸気機関車に引かれたアズキ色の客車。15才の旅立ちです。
写真は道路が拡幅されましたが当時の雰囲気が少し残る駅にほど近い家並です。
298円。待望の価格。
時々、ゴーヤチャンプルを食べたくなっていたのですが、スーパーの売り場の価格は398円。
「チョット、高いネ」。「いずれネ、298円になったらね」
そして一昨日、いつものスーパーの野菜コーナー。元気のよそうなゴーヤ。298円。
翌日は全商品『1割引きの日』
「明日ね。明日も同じ値段だったら買おうね」
そして昨夜の夕食に久し振り、半年ぶりのゴーヤチャンプルです。
豚肉、豆腐、ゴーヤを炒めていた女房。
「あっ、玉子忘れた!!」「といてといて。」
久し振りのメニューに、段取りもうっかりの調理風景でした。
美味しかった。
毎年夏には、マイ家庭菜園で隣近所にお裾分けするほど豊作のゴーヤですが、今は貴重品。
これから、求めやすくなる野菜ですが、今日は嬉しい価格。
美味しかった。
写真は落ち種からの葉ボタン。大きくなりました、30センチあります。
昨日はほぼ2週間毎に飲料水の補給に行く福岡市郊外の薬王寺温泉に。
今回も足を延ばして女房の実家に顔を出してきました。
2週間前にちらほら咲き出していた梅が昨日はほぼ満開でした。
我が家より開花の早い福岡市東部の女房の実家ですが、沈丁花の蕾も膨らんでいました。
昨夜から雨。なんとなく春の雨。寒が緩んだほっとする雨です。
昨日、生きることに皆精一杯頑張っていた私の子供の頃の近所の町並みを紹介しました。
それは、石炭が国を牽引し炭鉱労働者が町を牽引していた時代でした。
その当時、人口3万人のこの小さな炭鉱町に映画館が5つもありました。
松竹、大映配給の毎日館、日活映画の東洋館、東映館、新東宝の映画や洋画を上映するセントラル映劇、往年の名画を掛ける名画座。
昨年、我が国初めての記憶遺産に認定された山本作兵衛の炭坑画にも瞭然のように過酷な鉱内労働の後の大きな楽しみの一つが映画であっただろうとは容易に気付く思いです。
それ以前に、この町が全盛を誇ったのは、そんな昭和20、30年代よりもっと古く中間駅を起点とする香月線が開通した明治40年頃だったのでしょう。
遠賀川の流れを利した川船による石炭の積み出しから鉄道を使った大量輸送に大きく舵が切られたのです。
今日の写真は廃線跡のメモリアル。
最近自治会内のお年寄りが亡くなる訃報が続けて舞い込んできます。
それにつけて、数十年前の私が子供の頃の生活の町並みが思い起こされ今日は『私のALWAYS』です。
私が小学生の頃、今住んでいる自治会の町名は『停車場』。
国鉄・筑豊本線中間駅の駅前一帯がその地域でした。
私の住んでいた『十組』は『停車場』の中でも駅の真ん前のエリアで、駅前には旅館と食堂とアイスキャンデーを作って売っている『東屋(あずまや)食堂』がありました。
あずき、いちご、コーヒーの3種類のアイスキャンデーを作っていたと記憶があります。
今のように抹茶とかメロンとか種類豊富ではありませんでした。1本5円。
写真は一部当時の建物が残ってはいますが都市計画で移築され看板だけは昔のままの『東屋食堂』です。
その『東屋』の隣には同級生の男の子のいた駄菓子とタバコを売り国鉄を利用する人の自転車を預かる『松本の自転車屋』。
同じ並びに、『下沢の果物屋』。ここにも同級生がいました。
遊び場所の公民館の広場へと行く道筋に『柴田のリヤカー屋』『林のノコ屋』があり、
リヤカー屋では太った親父さんが手を油で真っ黒にして持ち込まれたリヤカーの修理や自転車のパンク修理をしていました。
その隣のノコ屋では、痩せた親父さんが365日、毎日板の間に座ってヤスリでノコの目立てをやっていました。
みんな一生懸命に生きていました。
今日は立春。春が少し近づいてきました。
節分寒波も峠を越え福岡の週刊天気予報に最低気温の零下がなくなりました。
花壇のチューリップの芽も頭をそろえてきましたしラッパスイセンの芽もだいぶん伸びています。
ヒヤシンスも頭を見せ、皆、春へのスタートラインに立ちました。
今日は節分。寒の内も今日まで。明日は立春。
待望の寒明けです。
寒の内最終日の今日は連日の池に氷。今日は昨日より厚く4、5ミリあります。
玄関の寒暖計はマイナス4度。寒い朝です。
今夜、我が家は恒例の豆まきです。
今年は孫が帰ってくるとの事で鬼の面を急遽作りました。
豆は女房と二人でも毎年豆まきをしているので既に数日前から準備済み。
まさか二人では面はかぶりませんので、今年の面は特製です。
鬼は外、福は内。
子供の頃は撒かれた豆を年齢の数だけ食べていましたが、今はそんな事をしたらお腹を壊してしまいます。
部屋を全部回って、窓を開けて「鬼は外」「福は内」。
とある日、とある温泉のとある宿。
とある一室に二組の夫婦が夕食を囲む。
4人合わせて250歳のグループ。
普通、この年代が集まると、健康、年金、孫の話に旅行、財形失敗談、友人の安否、となるのだが一味違うキャラの『みんな合わせて250歳』のこのグループ。
さて、結末は・・・。
一昨夜、女房の携帯に友人から電話。
別府の鉄輪温泉に主人と連泊で宿を予約していたが1泊しかできなくなったので、代金はカード払いでの清算をしているし、よかったら一緒に行かない?とお誘い。
要は、OKなら2人で2泊を4人で1泊に変更の交渉を宿にするという。
時間と好奇心だけはたくさん持っているこちら二人。
うーん。行こう。
その友人「うちの人、おとなしいからいじめないでね」
今年初めて池に薄い氷が張りました。
雪は何度も舞った日があったのですが、今朝が一番の寒だったのでしょう。
明日は節分。寒明けです。
新聞を見ていた女房。部屋に入ってきた私に「あっ、あの人」
上から覗き込んで私、「利休庵のオヤジ?」
昨日の西日本新聞朝刊のシリーズで掲載『古処の静寂・春待つ秋月』に見覚えのある顔。
記事には
『品書きには“そば代 1500円”とあるのみ。予約がない限り、平日に打つそばは10人前だけという。料理を待つ間、店内を眺める。陶器、古布が張られた屏風。棟方志功の版画・・・。そば店というより、骨董品店の趣だ。』
記事の後半に
『最近は、そば目当ての客も口コミで増えてきた。来客が多い桜の季節は頑張って20~30人前そばを打つ。でも、この時期は来客ゼロの日もあるそうだ。』
先々週、私たちがそばを食べた日も、たぶん客は私たち2人だけだったと思う。
次の昼前も店をほおって窯元まで私たちを案内してくれた。あの日、お客は?・・・。