昨日、生きることに皆精一杯頑張っていた私の子供の頃の近所の町並みを紹介しました。
それは、石炭が国を牽引し炭鉱労働者が町を牽引していた時代でした。
その当時、人口3万人のこの小さな炭鉱町に映画館が5つもありました。
松竹、大映配給の毎日館、日活映画の東洋館、東映館、新東宝の映画や洋画を上映するセントラル映劇、往年の名画を掛ける名画座。
昨年、我が国初めての記憶遺産に認定された山本作兵衛の炭坑画にも瞭然のように過酷な鉱内労働の後の大きな楽しみの一つが映画であっただろうとは容易に気付く思いです。
それ以前に、この町が全盛を誇ったのは、そんな昭和20、30年代よりもっと古く中間駅を起点とする香月線が開通した明治40年頃だったのでしょう。
遠賀川の流れを利した川船による石炭の積み出しから鉄道を使った大量輸送に大きく舵が切られたのです。
今日の写真は廃線跡のメモリアル。