私が中学校を卒業した昭和30年代は東京や関西方面の就職先へと向かう中学卒業生を乗せた集団就職列車が走っていました。
当時、中学校卒業生は『金の卵』と称せられ、高度成長時代の人手不足で“引っ張りだこ”の時代だったのです。
筑豊炭田の中心の町、田川や飯塚の国鉄駅を起点に出発した集団就職列車は中間駅にも途中停車。何人かの私の同級生も見送りの家族や周りの人と別れを惜しみつつ希望を胸に大都会へと故郷を後にしました。
蒸気機関車に引かれたアズキ色の客車。15才の旅立ちです。
写真は道路が拡幅されましたが当時の雰囲気が少し残る駅にほど近い家並です。