最近自治会内のお年寄りが亡くなる訃報が続けて舞い込んできます。
それにつけて、数十年前の私が子供の頃の生活の町並みが思い起こされ今日は『私のALWAYS』です。
私が小学生の頃、今住んでいる自治会の町名は『停車場』。
国鉄・筑豊本線中間駅の駅前一帯がその地域でした。
私の住んでいた『十組』は『停車場』の中でも駅の真ん前のエリアで、駅前には旅館と食堂とアイスキャンデーを作って売っている『東屋(あずまや)食堂』がありました。
あずき、いちご、コーヒーの3種類のアイスキャンデーを作っていたと記憶があります。
今のように抹茶とかメロンとか種類豊富ではありませんでした。1本5円。
写真は一部当時の建物が残ってはいますが都市計画で移築され看板だけは昔のままの『東屋食堂』です。
その『東屋』の隣には同級生の男の子のいた駄菓子とタバコを売り国鉄を利用する人の自転車を預かる『松本の自転車屋』。
同じ並びに、『下沢の果物屋』。ここにも同級生がいました。
遊び場所の公民館の広場へと行く道筋に『柴田のリヤカー屋』『林のノコ屋』があり、
リヤカー屋では太った親父さんが手を油で真っ黒にして持ち込まれたリヤカーの修理や自転車のパンク修理をしていました。
その隣のノコ屋では、痩せた親父さんが365日、毎日板の間に座ってヤスリでノコの目立てをやっていました。
みんな一生懸命に生きていました。