楊枝づくりの内職 嘉永7年8月上旬・大原幽学刑事裁判
大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳(気になった部分のみ)。
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嘉永7年8月1日(朔)(1854年)
#五郎兵衛の日記
午前中に万徳(公事宿)へ袴代を持参。借家に戻ると、幽学先生が辻番で働くいう驚きのニュース。隠密に見つかったら、タダではすみませんよと説得され、辻番の仕事は思いとどまってくれたものの、転居の意思は固い…。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
幽学先生、いきなり「俺は辻番で働く!」という驚きの行動に出ました。弟子の説得で辻番の仕事は諦めたものの、借家を出るという決意は固いようです。これには弟子一同も困惑です。
〈詳訳〉
・ 朝食後、小生は万徳(公事宿)へ袴代を持参し、万徳の下代には200文を渡した。
・昼食後、幽学先生は次郎左衛門と一緒に佐竹様のところへ行き、辻番の御奉公をすることを取り決めて来られた。
・幽学先生に転宅しないよう説得するも、先生は聞き入れず。
「予がこの借家にいたままでは、他の者が心を改めない。問題となる言動を見れば、黙ってはいられない。だから、どうでも外へ出なければならないのだ」との思召しで、承知をされない。
・次郎左衛門殿が、「長部村役人の書付が隠密に見つかってしまいますと、大変な問題となってしまいます。辻番はよろしくないでしょう」と言ってくれたので、先生も辻番の仕事は諦めてくれた。
・しかし、先生が松枝町の借家からは出るという決意は固く、どうするかは本日決まらず。
・幸左衛門殿は本日借家に泊まり、小生は7つ半に出番町へ行き、暮れ方に御屋敷に戻った。
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嘉永7年8月2日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は本番。朝掃除、床下げ。昼過ぎからは御弓場の片付け。夜番も勤める。
昨日、松枝町の借家に泊った幸左衛門殿は昼過ぎに御屋敷に戻った。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
本日は本番プラス夜番。人手不足のためでしょうか。一緒に働いている幸左衛門が松枝町の借家から帰ってきましたが、幽学先生が「借家から出ていく!」と驚きの宣言をした続報は記事にはありません。落とし所が見えないのでしょうか。
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嘉永7年8月3日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は非番。昼には霊岸島で網を売る。216文になった。松枝町の借家に行き、幽学先生の手紙を写す。先生は辻番奉公を諦めて、邑楽屋(公事宿)住まいを決めた。幽学先生は小生らにご立腹でご指導の言葉をいただく。良左衛門君からも励まされる。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
一昨日幽学先生は、いきなり「俺は辻番で働く!」といいだしたのですが、弟子の説得で辻番の仕事は諦めてくれました。しかし、邑楽屋(公事宿)で寝泊まりすると、借家から出ていく決意は固そうです。
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〈詳訳〉
・本日は非番。しかし、同僚の勇太郎殿が病気のため、朝掃除は代わりに行った。
・昼に霊岸島へ行き網を売る。2丈売って216文になった。
・松枝町の借家へ行く。幽学先生は十日市場村へ送る手紙をお書きになっていたので、小生は写しを作成した。その手紙の写しを良左衛門君、佐重子、又左衛門子、七郎右衛門子に送り、十日市場の世話をするよう書面を認めた。
・幽学先生は辻番奉公することは諦めた。借家住まいはやめて、今後は邑楽屋(公事宿)に泊まることとなった。
・会計の帳面を引き継ぐため、宜平殿に教えた。
・幽学先生「またこういうことになった。五郎兵衛なぞの根性が改まりさえすれば、帳面に書きようもあるが、この様なざまでは帳面に書きようもない。うわぬり根性では何にもならない。予が辻番等の奉公勤めをするようにしなければ、五郎兵衛ら三人は根性を改める事が出 来ない」と良左衛門君に愚痴をこぼしていたが、これは小生にも根性を改めさせたいという思召しなのであろう。先生はその後邑楽屋へ行かれた。
・後で、良左衛門君から聞いたところでは、「幽学先生にあれこれ言われてしまうと、難儀な気持ちになり、つらくて泣きそうになってしまいます。皆の行いを見てしまうと、先生としては指導せずにはいられないのでしょう。それで邑楽屋に行かれることとなったのです。
幽学先生のいうて下されたことを、ただそのままに、快く受けとめてくださらないか。難しいことではございません。このままでは国元にも悪い噂が伝わってしまい、皆困ります。そのような噂の立たぬよう心を切り替えて一新していただきたいのです。」
良左衛門君の話しを聞き、誠に忝けない思いになった。良左衛門は頼りになる男だと、心持ちを強くして奉公している屋敷に戻ることができた。
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嘉永7年8月4日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は添番。殿様は、青山長谷寺で七周忌の御法事。大野様が参列。御供道具をお持ちした。御屋敷内では、前夜には饅頭、当日には御馳走が振る舞われた。
そんな日だったのに、同僚の勇太郎は博奕に負けて裸で帰宅。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
・お殿様は、青山長谷寺で七周忌の御法事。御屋敷内でも、前夜には饅頭、当日には御馳走が振る舞われるなど、しめやかな雰囲気が伝わってきます。それなのに、奉公人の勇太郎は博奕に負けて裸で帰宅。奉公人の質の悪さが目立ちます。
・「青山の長谷寺」(ちょうこくじ)は、東京都港区西麻布二丁目にある曹洞宗の永平寺東京別院です。ここは旗本籔家の菩提寺なのでしょう。7月13日にも仏参が行われています。
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〈詳訳〉
本日は添番。早朝、青山長谷寺で御法事があり、大野様がご参列。御供道具を持参した。御法事には御親類や御客がお出でになるため、給士人として二人を派遣するよう指示があり、奥使いの喜助及び平作が来た。
七周忌の御法事で、前夜には饅頭をくださり、本日は御馳走がでた。
勇太郎は中嶋様の御屋敷で博奕に負けて、裸で帰宅。夜番は九つまで勤め、後は平作に任せた。
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嘉永7年8月5日(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
勇太郎は昨日の博奕の件で職場を首になった。一人で朝掃除、御夜具下げ等。夕方に御夜具上げ。
勇太郎から中庸、絵図、筆一本、将棋本などをもらったので、餞別に200文を渡した。夜番を八つまで勤め、その後平作に引き継いだ。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
同僚の勇太郎は、博奕で負けて裸で帰宅という不祥事を起こし、そのため、職場を首に。博打に手を出したことが、分かってしまったら、武家屋敷で奉公させられないでしょう。ましてや、昨日は殿様の法事の日でした…。
そんな勇太郎でも、儒教の四書の一つ「中庸」を持っていたのにはビックリ。当時の流行りだったのでしょうか。別れの際に五郎兵衛にプレゼントしています。
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嘉永7年8月6日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は添番。松枝町に幽学先生はおられたが、小生の顔を見ると外出…。良左衛門君から「先生は言葉足らずです。お言葉があったことに感謝しましょう。先生との20年来の情誼を考え、何とかして先生に安心してもらいましょう」との話しあり。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
幽学先生は相変わらず五郎兵衛とは顔を合わせません。五郎兵衛が来たと知るや、外出してしまいました。頼りになるのは良左衛門です。名主の息子だけあって幽学先生と五郎兵衛らの間をうまく取り持ってくれそうです。
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〈詳訳〉
本日は添番。
朝に掃除と床下げ。
昼から松枝町の借家へ向かった。幽学先生はおられたが、すぐに買物に出かけてしまわれた。その後、良左衛門君は
「幽学先生は物事の7割しか話さないのです。話していただいた内容が足りないと感じるよりは、話していただいたことに感謝すべきです。
先生の寿命の決まりがつく時は近づいています。今回の件のご処分がどうなるのか次第ですが。いずれ御奉行所から御呼出があります。幽学先生との20年来の情誼を考えてください。今こそ自らを正し、先生に安堵してもらうときです」と懇々と語られた。
御屋敷に戻り、床上げ、御弓場の片付け。
夜番は平作殿が九つまで勤め、その後、小生が引き継いだ。
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嘉永7年8月7日(1854年)
#五郎兵衛の日記
殿様が下屋敷へ御忍びでお出かけ。御忍びゆえ半供(半分の供)。五つには御帰館になられた。
本日は本番。昼に大寺と二人で薬店の湯に入り、帰りに牛込揚場でかん木を買った。楊枝作りの為。夜番は九つまで勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
殿様が御忍びで下屋敷へお出かけ。御忍びのお出かけは、先月25日と28日にもありました。殿様にもよるのかもしれませんが、結構頻繁にある印象です。半供とは、フルバージョンの供の半分のことでしょう。
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〈詳訳〉
殿様が下屋敷へ御忍びでお出かけになった。御忍びゆえ半供(半分の供)。五つには御帰館になられた。
本日は本番。
朝掃除、床下げ、土用干しの手伝い。
大寺と二人で薬店の湯に入り、帰りに牛込揚場でかん木を買った。
夕方、夜具上げ廻り。夜番を九つまで勤める。
暮方、節五郎殿が来られて泊まり。
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嘉永7年8月8日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は添番。掃除。大崎より女中口使が一人、国部屋へ一人来た。仲番は万蔵という者が勤めた。夕方、夜具上げと御弓場の片付け。 夜番は九つまで他の者が行い、その後を小生が勤めた。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
五郎兵衛は添番プラス九つ以降の夜番。勇太郎が首になった影響もあるのか人手不足のようです。
昼に仕事をしたあとに一人で夜番を勤めるのはさすがにきつく、夜番は九つ(0時)の前後で担当を分けています。
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嘉永7年8月9日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は本番。朝掃除。昨日から楊枝作り(内職)を始めた。干した木を、日暮れまで削る。御弓場を設営し、暮方には片付け。夜番を九ツ迄勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
朝掃除を終えた後、日暮れまで楊枝作りをしています。少しでも収入を増やしたいという思いからでしょうが、売れるかどうかどこまで考えてのことでしょうか。五郎兵衛のことですから、あんまり考えていないような…。
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嘉永7年8月10日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は非番。松枝町に行く。幽学先生から厳しく叱責された。幽学先生は小生の嘘や盗人根性を指摘し、これ以上は相手にしないと宣言。良左衛門君からもとりなしの話しあり。その後、先生は邑楽屋へ赴き、小生らは借家に宿泊した。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
幽学先生は厳しい言葉で五郎兵衛を叱責。五郎兵衛殿の改心を期待しているのでしょうが、五郎兵衛を嘘つきだ、なんだと非難するのは以前と同じ手法であり、指導者としてはどうなのかと思います。その点、良左衛門君は冷静かつ的確です。
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〈詳訳〉
本日は非番のため、朝に掃除、昼前まで楊枝作りをし、昼から幸左衛門殿と二人で松枝町の借家へ行った。節五郎殿もおり、三人で良左衛門君と話す。
今日は、幽学先生がお出でになられた。
「誠に五郎兵衛は筋が悪い。嘘を言う、偽りをなす。こんな盗人根性では今後どんなことができるだろうか。
顔つきにも表れているぞ。悪い事をすれば、以後は改めますというが、一体何回言ったか覚えているか。四ツ谷文平が懸合に来た時は、そういう事はないとか、その気にはならない 等と言い切ってしまっているから、もうあきれてしまった。こんな根性では改めることができないだろう。そのような者とあいてをしていられない。」
「幸左衛門は自分が悪い事をして、予を悪者にする。節五郎は奉公勤めしているのだから、そのくらい察しそうなものだが、ちっとも分かっていない。」とお叱りになられた。
その後、小生は帳面に間違いが多いことを良左衛門君に詫びたが、良左衛門君は「そんな帳面のことをいうのは甚だ筋違いのことです。そのような帳面のことなどは誰でもできることです。そんなことより、五郎兵衛殿の心が改まれば、先生も再びこの松枝町の借家にお出でになるでしょう」と話してくれました。
先生は邑楽屋へ行き夕食を召し上がられた後、再び借家に戻られた、国元の様子や佐倉での腰物売買のことについてお話しになられた。
その後、幽学先生は四つ時に邑楽屋へ行か、借家では6人で泊まり。
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