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江戸時代の裁判 審理促進の願書 -大原幽学の刑事裁判より

2023年06月05日 | 大原幽学の刑事裁判
江戸時代の裁判 審理促進の願書

大原幽学は江戸に呼び出され刑事裁判の被告人となりました(その経緯については過去記事大原幽学の刑事裁判と「五郎兵衛日記」)。

大原幽学の江戸での裁判は嘉永5年8月(1852年)から始まっていますが、遅々として進まず、嘉永6年3月19日(1853年)の審理後、奉行所からの呼び出しがない状態が続いていました。
江戸では公事宿に滞在せねばならず、その費用は自己負担であるので、奉行所から放っておかれるのは経済的な面からも負担となります。
大原幽学の裁判では、大原幽学本人だけだはなく、門弟が多数呼び出されています。門弟たちは村の有力者だったので、村の存立そのものにも関わる事態ともなりえます。そこで、裁判の審理を促進してもらおうと、大原幽学らは書面を提出します。その内容が五郎兵衛日記に記されています。

(嘉永6年6月6日の願書)
長部村は以前は亡村にもなるべき様相でありましたが、大原幽学の教えに従い、徐々に立ち直りました。木挽渡世の者も改心して農業に精を出すようになったのです。代官様からもご褒美を頂戴するほどになりました。その後、先祖株組合についてお願いを致しましたところ、幸いにも代官様からご許可いただきました。これにより、利益をあげることができるようになり、村の運営も順調となりました。
そのように思っていた矢先に、今回の件が出来したのでございます。昨年銚子で八州廻り様のお取調べがあり、それ以降必要経費はかなりの金額となっております。お取調べは致し方ないことでございますが、そのは村全体が潰れになるほどでございまして、大変難渋しているのでございます。
御奉行様にもお願い申し上げたいところではありますが、御奉行様に申し上げても詮方ないことでございますので、御代官様に嘆願する次第でございます。

(ポイント1 領主宛の願書であること)
 この願書の最後には「御代官様に嘆願する次第でございます」とあり代官宛、領主宛のものであり、裁判を行っている奉行所宛ではありません。
 裁判を行っている奉行所に直接訴えかけるのではなく、領主から奉行所に圧力をかけてもらおうという戦略です。
 宛名とされている領主は清水家です。御三卿の一であり、大名よりも格上です。大原幽学の重要拠点である長部村(旭市)は清水家の所領であったのです。

(ポイント2 代官への周到な根回し) 
 願書はいきなり提出されたのではなく、大原幽学の門弟によって周到な根回しがされたものでした。
 根回しを担当していたのは、平右衛門という人物。平右衛門は、長部村(旭市長部)ではなく、荒海村(成田市荒海)の農民です。荒海村は、清水家ではなく、田安家(これも御三卿の一)の領地であるため、平右衛門は田安家の代官と緊密に連絡を取りあいます。田安家代官は、磯部寛五郎という人物であり、大原幽学による改革に好意的でした。
 平右衛門-磯部代官ラインにより、領主経由で奉行所にプレッシャーをかけるという考えが考案されています。磯部代官は願書の文章に手も加えており、これを清水家に持っていくようにとも指示しています。平右衛門と清水家は直接的なパイプがなさそうなので、清水家との根回しをしたのは磯部代官かもしれません。
 





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