南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

被害金額15両の土蔵破りは死刑ですか 仮刑律的例 #1笞刑

2023年06月29日 | 仮刑律的例
#仮刑律的例 #1笞刑
(要約)
(明治元年八月、松代藩からの伺)
今年の2月〜8月まで土蔵の戸の錠前を焼く手口で土蔵に4回侵入し、衣類や布、白米を盗んだ無宿者がおります。被害金額は金15両1朱銭8貫文。不届き至極なので、死罪でよいですか。
(返答)死罪ではなく、笞百回とすべき。

以上は要約です。
元のテクストに即して、できるだけ詳しく訳してみました。
#仮刑律的例 #1笞刑
【伺い】
明治元年八月、真田信濃守(松代藩)からの伺い
信州の無宿喜代太郎は、4年前の11月に欠落ちし(居住地・本籍地から出奔)、人別帳から名前を除かれて無宿者となり、以後居住地・本籍地には戻らなかった。
①喜代太郎は、昨年11月24日夜、信濃守御預所の水内郡台ケ窪、新田市左衛門の土蔵に、錠前を焼いて侵入し、箪笥にあった衣類9品を盗んだ。
盗品のその後
ア 盗んだ衣類のうち4品を質に入れようとしたが、いかがわしき品をであると見とがめられたため、放置して逃げた。
イ 残りの5品は、善光寺領東之門町で越後国の氏名不詳の行商人に一両銭五貫文で売り渡した
②喜代太郎は、本年3月7日夜、信濃守御預所の水内郡台ケ窪、新田栄作の土蔵に、錠前を焼いて侵入し、箪笥にあった衣類等9品及び白米約3升を盗んだ。
盗品のその後
ア 盗んだ物のうち9品を善光寺町に行く途中の某所に隠したが、その後発見には至らなかった(何者かが見つけてどこかへ持ち去ってしまったのであろうか)。
イ 白米約3升は喜代太郎が食べてしまった。
ウ 衣類1品、縞布一反は善光寺町で飯山辺りの氏名不詳の商人に一両一歩で売り渡した
③喜代太郎は、本年3月21日夜、7日に侵入した新田栄作の土蔵に再度侵入し(修繕した錠前を再び焼いて侵入)、箪笥にあった衣類7品及び餅米約3升を盗んだ。
盗品のその後
ア 盗んだ物のうち衣類4品は、善光寺町で氏名不詳の商人に二両で売り渡した。この金は酒食に使ってしまった。
イ 餅米約3升は喜代太郎が食べてしまった。
ウ 残りの3品は、善光寺町で産神の床下に隠したが、その後発見には至らなかった(何者かが見つけてどこかへ持ち去ってしまったのであろうか)。

喜代太郎は、本年3月26日夜、信濃守御預所の水内郡権堂村を通りかかったところを取り押さえられた。包み隠さず自白せよと厳重に吟味したところ、上記①〜③を自白し、そのほかはしておりませんと供述していたが、その後次の犯行を行っていたことが発覚した。

④喜代太郎は、本年2月、信濃守御預所の水内郡台ケ窪、新田市左衛門外2名の土蔵に、錠前を焼いて侵入し、衣類反物29品を盗んだ。
盗品のその後
ア 16品はその場において逃げ去ったり、隠したりした
イ 白米2品は喜代太郎が食べてしまった。
ウ 残りの衣類11品は、四両一歩銭五貫文で売り渡した。この金は酒食に使ってしまった。

以上のとおりであって、被害金額は金15両1朱銭8貫文に及んでいる。不届き至極であるので、死罪を申し付けたく伺いを提出する次第である。

【返答】盗賊喜代太郎には、笞百回の刑を申し付けるべきである。
倉庫破りをしたが窃盗には至らなかった場合は笞50回、盗みをした場合は被害金額が20金以下であれば笞百回という規則を新しく制定したところである。
喜代太郎の窃盗被害は金15両1朱銭8貫文というのであるから、被害金額が20金以下であり、笞百回を申し付けるべきである。

【コメント】
・本件は現代では、建造物侵入罪と窃盗罪。窃盗罪の法定刑は10年以下の懲役又は50万円以下の罰金ですから、窃盗を何件やろうとも無期懲役になることはありません。
しかし、江戸時代は、10両以上の窃盗は死罪と定められていましたし、土蔵破りだけでも死罪でした(公事方御定書)。松代藩の考え方はこの規定に沿ったもので、不届き至極であり死罪と考えたのです。
・【返答】では死罪ではなく、笞刑(百回)にすべきとされています。「新しい規則」が公事方御定書の規定を覆えしたことになります。この新しい規則とは、明治元年10月の「刑律改定についての行政官布告」のことです。「倉庫破りをしたが窃盗には至らなかった場合は笞50回、盗みをした場合は被害金額が20金以下であれば笞百回」と機械的に決めているのが、現代からみると斬新です。
・盗みを行った喜代太郎は信州の出身。4年前の11月に欠落ちし、人別帳から名前を除かれて今は無宿者です。4件の土蔵破り、被害金額は15両1朱銭8貫文にのぼっています。
手口は、土蔵の錠前を焼いて侵入したというもの。現代では窓を焼いて侵入する手口があり、「焼き破り」といわれております。喜代太郎は江戸時代版焼き破りの名手だったようで、4件全てにこの手口を使っています。
・伺いでは、喜代太郎が盗品をどのようにしたのかについて、詳しく記載されています。最初の犯行では、喜代太郎が盗んだのは衣類9点。うち4点は質入れしようとしたが、いかがわしき品をであると見とがめられたため放置して逃亡、残りの5点は行商人に売ったとされています。
売った相手は、「善光寺領東之門町にいた越後国の氏名不詳の行商人」。氏名不詳で裏付けが取れてないので、売ったことが本当かどうかは確かめようがありませんが、こういうような行商人がいてもおかしくないとは松代藩も認識していたのでしょう。
さすが、善光寺だけあって諸国から行商人が来ていたようです。
「善光寺領東之門町」は現在の長野市東之門町。善光寺参りをした後に、人々が行きそうな場所です。喜代太郎が衣類を盗んだのは、金に換えるのが目的でしょうから、こういうところをウロウロしている行商人はカッコウな売り捌き相手だったのでしょう。その後の犯行でも衣類や縞布は善光寺町で行商人に売ってしまっています。

〒380-0852 長野県長野市長野東之門町

〒380-0852 長野県長野市長野東之門町

〒380-0852 長野県長野市長野

〒380-0852 長野県長野市長野東之門町






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする