土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第一巻をもとに、気になった一部の大意を記したものです。
1827年3月6日(文政10年)
下男の吉兵衛は、病気で2日間出て来なかった。今日は勤めにでてきた。
#色川三中
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1827年3月7日(文政10年)
先日来問題になっていた債務支払いの件も決着したことだし、谷田部の親類の娘を縁女として客分としていたのだが、4月中にも披露しようと思う。
(この女性が「清」)
#色川三中
#家事志
1827年3月8日(文政10年)
・2月27日に亡き父の石碑を寺に建てたままにしており、仏参を怠っていたので、今日神龍寺にお参りにいった。
・朝、隣の主人が来られて、嫁の清に会いに来た。
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1827年3月9日(文政10年)
最近は雨が降らず、川は渇水である。土浦の船頭たちは、船賃の値上げを要求しているが、かなえられない。それゆえ、船頭たちは、荷物の運搬をしないという手段にでていると聞いた。
#色川三中
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1827年3月10日(文政10年)
借金返済のために、沈南蘋の画三幅と虎徹の刀を売ろうとし、内々に見たい方には見せている。本日来られた方からは、このような立派な物があることを黙ったままにしてやり過ごしてしまうこともできたのに、
そのようにせず、売却して返済に回そうというのは、立派な心がけであると言われたことであった。
#色川三中
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1827年3月11日(文政10年)
谷田部(現:つくば市)にいる結婚の媒酌人への礼のため、与市殿を遣わした。と思ったら、借金の件でどうなっているとの督促が船子村の半兵衛さんからあった。17日ころにはお話しに参りますとの返答をした。借金のことは、なかなか片付かないが、夕方には知人が大ひらめを持って来てくれたし、また、別の知人が来て一緒に酒を酌み交わしてくれた。
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1827年3月12日(文政10年)
谷田部(現:つくば市谷田部)に遣わした与市殿が戻ってきて、報告してくれた。媒酌人への礼に遣わしたところではご馳走になったこと、東平塚(現:つくば市)の医師に売掛金の督促をしたこと等、様々な用を足してくれた。
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