土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第一巻をもとに、気になった一部の大意を記したものです。
1827(文政10)年2月27日
千勝様と大宝に参詣するため、暁天に出発。病後故か特に疲労を覚える。九つ過ぎに千勝様に参詣。金二朱を奉納して家内安全の為に護摩をたいた。
八ツ前に大宝に参詣。かねきやという宿に泊まった。
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1827(文政10)年2月28日
朝四つ時に大宝を発つ。再び千勝様に参詣して、次の歌を奉納した。
「吹風のままなる春の青柳を
よそにのみ見て世をば過ごしつ」
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1827(文政10)年2月29日
次のような御触書があった。
「河瀬藤太夫様が町奉行を仰せつけられたので、この段申し触れておく。
丁亥二月」
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1827(文政10)年3月2日
中町が初節句だというので、先だって7匁5分で人形2つを送っておいた。
暮れころ、中町に住む間原さんが、白酒をもって礼に来た。それから、白酒を飲みながら話をして過ごした。
(中町の間原平右衛門家は東崎町の年寄を勤める家柄である)
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1827(文政10)年3月3日
一橋殿(徳川治済)が2月20日に薨去され、鳴物は14日間停止せよとの触れが2月22日付けであった。しかし、鳴物については、おって沙汰があるまで自粛せよとの御触れが本日付けであった。
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1827(文政10)年3月5日
・下男の吉兵衛は、昨日と今日の2日、自宅へ戻っている。病気とのことで、来なかった。
・忠七佐助は、先月1日休んだ。
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