南斗屋のブログ

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色川三中「家事志」文政10年3月13日-3月19日

2022年03月21日 | 色川三中
(はじめに)
土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第一巻をもとに、気になった一部の大意を記したものです。

(今回の記事について)
債務整理の話しが続きます。三中は薬種業をしています。この年26歳。この青年がなぜ債務整理をしなければならないかというと、父親の代で過大な負債が生じてしまったからです。しかも、父親は業務立て直しを果たせずに亡くなってしまいました。三中は親類等と協議し、債務整理に尽力していきます。

1827年3月13日(文政10年)
・今日も雨らしい雨とはならなかった。ここ半月ばかり雨らしい雨がない。
・夜、母が嫁の清を連れて、親類に挨拶に行った。
#色川三中
#家事志

1827年3月14日(文政10年)
朝四つ過ぎ(午前10時)ころ、隣の家に行き、上総屋への債務返済について話しをした。
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1827年3月15日(文政10年)
正午過ぎに、田中清吉を呼んで、上総屋及び四松屋の債務の件を相談した。隣の家の主人も呼ぶべきところであるが、体調不良のため、清吉とのみ相談した。
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1827年3月16日(文政10年)
夜に入り、上総屋の債務の件を親戚に頼みに行った。 
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1827年3月17日(文政10年)
船子村の半兵衛から、11日に催促があったこともあり、与市殿に早朝から行ってもらったが、うまく行ってない。来月10日には入金もあるので、お盆まで待ってくれるように頼むほかないだろう。
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1827年3月18日(文政10年)
略す。夜、密談等多々。
#色川三中
#家事志

1827年3月19日(文政10年)
玉造(現・行方市)の近傍にある余沢(現・小美玉市与沢)に佐助を連れて薬の行商に行く。この頃多事であり、細々としたことは略す。隣家で間原が債務整理のことで内談してくれたこと、与市が来ていたことは、後で聞いて知った。
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#家事志







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