南斗屋のブログ

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小池金市弁護士の経歴と戦犯裁判後のこと

2021年10月18日 | 横浜BC級戦犯裁判
(飛鳥田一雄回想録による小池金市軍法務官の裁判)
 前回の記事で小池金市軍法務官が戦犯裁判の被告人となった事件をとりあげました。
 参考文献1から同事件をとりあげたのですが、今回、別の文献(参考文献2)を参考にすることができたので、その点から事件を補足しておきます。
 参考文献2は、小池金市軍法務官の弁護人を務めた飛鳥田一雄弁護士の回想録です。
 飛鳥田は大正4年4月生まれ。昭和14年に高等試験司法官試験に合格し、東京弁護士会所属の弁護士試補、16年7月1日には横浜弁護士会に登録しています。
 この弁護士試補の時代の同期生が小池金市でした。
 「忘れられないのは戦後のBC級先般の弁護だね。A級は東京だったけど、BC級は横浜地裁。あそこの特号法廷っていう一番でかい部屋で審理したの。ボクもかり出されて、七つばかり、事件を受け持ったよ。先般の中に、修習時代の同期生で小池金市ってやつがいてね。法務将校として入隊したんだけど、配属された台湾で、アメリカ兵十四人を起訴して死刑を言い渡した、その責任を問われたんだ。」(参考文献2)
 飛鳥田は、小池が「アメリカ兵十四人を起訴して死刑を言い渡した」と述べていますが、参考文献1によれば、起訴されたのはそのうちのアメリカ兵3人だけとされています。
 飛鳥田と小池はだいぶ親しかったようです。
「修習時代から「金ちゃん」「いちを君」って呼び合うすごく仲の良かった友達だったし、オレ頑張ったよ。」(参考文献2)
 飛鳥田が頑張ったとする弁護活動は、死刑となったアメリカ兵は、無差別爆撃をしていたという事実の立証を行ったことです。無差別爆撃は国際法違反であり、戦争犯罪となります。戦争犯罪を行ったアメリカ兵を、正当な手続きに則って行った小池軍法務官は何ら法に触れていないという論陣を張ったのです。
 飛鳥田は、「これが立証されたらアメリカも困るわけよ。こっちの作戦が分かると、検事が折れてきてね。有罪を認めてくれさえすれば、重労働三年の求刑で手を打とうっていうんだ。」(参考文献2)
 結局、この流れで、小池は事実を認め、重労働三年の求刑となったのです(もっとも、判決では重労働四年)。

(小池金市の経歴)
 参考文献3には小池金市の軍法務官に至るまでの経歴が記載されています。
 明治43年生まれ。出身は島根県出雲市。小学校卒業後、16歳で大阪に出て阪急電車の車掌として働く。法律家になることを目指して24歳のときに上京。中央大学の夜間専門部に入る。その後司法科の試験に合格し、昭和16年に弁護士を開業した。
 昭和19年、自ら志願して、法務見習士官となる。激戦のフィリピン赴任を希望したが、同年12月に台湾についた時には、既にフィリピンまで飛行機は飛ぶことができなくなっており、昭和20年1月に台湾軍へ臨時転属された。
 この台湾軍への配属のときに、戦犯裁判となったアメリカ兵への軍律裁判が行われたのです。
 
(小池金市の戦犯裁判後)
 参考文献1では、「小池は、釈放後弁護士に復帰して活躍し、東京および関東周辺十県の弁護士会の連合組織である関東弁護士連合会理事長などを歴任している」と簡潔な記載があるだけです。
 小池が釈放されたのは、昭和24年だったようです。小池の子息が生まれたのは、「3年の服役を経て巣鴨プリズンを出所した翌年の昭和25年だった。」(参考文献3)とあるからです。
 ここからは、①未決勾留されていたのと同じ巣鴨プリズンで、重労働の刑の執行も行われたこと、②小池にとって仮釈放はなかったか、あってもほとんどなかったことがわかります。
 もっとも、この点については、参考文献には明確に書いていることではなく、断片的な記載から推論したものなので、他の文献から補う必要があるところです。
 小池が関東弁護士連合会理事長となったのは、昭和49年度ですが(参考文献4)、その前に司法研修所の弁護教官を3年間(昭和37年4月から昭和40年4月)務めています。
 司法研修所教官のときには、修習生に対して、次のような話をしていたそうです(参考文献5)。
「民弁の故小池金市教官からは,財産三分法をアドバイスされた。報酬が入ったら全部使わず、3分の1は老後のため、3分の1は不時の出費のため蓄えろというものだった」
 非常に手堅い蓄財法をも教える良き教官であったことが窺えます。
 小池の没年は今のところ尋ねあたりませんが、105歳のときに参考文献3の著者の取材を受けており、長命であったことが知られています(参考文献3)。


参考文献
1 横浜弁護士会「法廷の星条旗〜BC級戦犯横浜裁判の記録」
2 「飛鳥田一雄回想録」(1987年、朝日新聞社)
3 「戦犯を救え」(清永聡著、2015年、新潮新書)
4 「残された課題ー戦後70年と横浜軍事裁判」(間部俊明著、2016年12月号神奈川県弁護士会新聞)
5 神山美智子「昔々の物語」LIBRA2020年7・8月合併号






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