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軍法務官が戦犯として訴追されたケース-横浜BC級戦犯裁判170号事件

2021年10月14日 | 横浜BC級戦犯裁判
(概要)
 本件の被告人は小池金市法務大尉です。小池大尉は、当時台湾軍の法務部に所属し、検察官の職務を行っていました。本件はその職務に関するものです。
 小池大尉は、台湾で捕虜になったアメリカ人飛行士を起訴しました。起訴されたアメリカ人飛行士は死刑の判決を受けて、処刑されたため、捕虜を違法に死亡させたという点が問題とされたのです。
 そのため、検察官のみならず、裁判官を務めたものも戦犯に問われました。台湾軍法務部の将校8人は上海のアメリカ裁判で裁かれましたが、小池金市法務大尉のみは横浜裁判で裁かれ、懲役4年の判決を受けました。

(起訴理由の概要)
 参考文献1によれば、起訴理由の概要は次のとおりです。
「小池金市は、台湾台北市所在の台湾軍法務官であったが、同軍軍法会議検察官に指名され、昭和20年5月21日ころ、虚偽活詐害的な証拠に基づいて米軍飛行機搭乗員3名を故意かつ不法に訴追して同年6月19日ころこの3名の不法殺害に寄与したこと、台湾軍軍法会議判士に指名されて同年5月21日ころ虚偽活詐害的な証拠に基づいて訴追された米軍搭乗員3名の審理に当たり搭乗員らに抗弁の機会を与えず、かつ公正なる審理を怠って死刑の判決を宣告し、もって同年6月19日ころ、この3名の不法殺害に寄与しこたこと、並びに同年2月より同年5月に至る間、米軍搭乗員3名の捜査を命じられ、周到かつ公正無私の捜査をなすことを故意かつ不法に怠って、同年6月19日ころ、この3名の不法殺害に寄与した。」
 なお、参考文献1は、ここに「軍法会議」とあるのは、「軍律会議」の誤りではないかと指摘しています。

(経過)
1947年
6月25日 被告人、軍事委員会から訴追される
9月9日 第1回公判
参考文献1には、本件の裁判官、検察官、アメリカ人弁護人の名前はなく不明。日本人弁護人は飛鳥田一雄弁護士です。
9月12日 第2回公判、判決 重労働4年
 被告人はこの判決に対して異議申し立て。
1948年
6月9日 被告人側、異議申立書を提出。
9月12日 異議申立てに対する決定。重労働4年という判決は承認するが、被告人の判決前の収容期間を考慮し、重労働期間中11か月半は免除する、との内容。

 (軍法務官とは)
 本件は、軍法務官が戦犯に問われたものです。
 戦前の日本には、特別裁判所として、軍法会議というものが存在していました。「会議」という名前がついていますが、会議を行うのではなく、これで軍事の裁判所という意味になります。根拠法令としては、陸軍軍法会議法、海軍軍法会議法があり、いずれも1921(大正10)年成立、1922(大正11)年4月に施行されています。
 この軍法会議の裁判官役は、「判士」と呼ばれる武官(4名)と法務官という文官(1名)で構成されていました。武官は、法律のプロではありませんから、法律のプロは法務官のみということになります。検察官役も法務官が行いました。もっとも、検察官役を務めた場合は、その事件ではその法務官は裁判官役は務めず、別の法務官が裁判官役になります。
 法務官は検察官役、裁判官役が固定ではなく、ある事件では検察官役、別の事件では裁判官役というように、事件ごとにどちらかの役目を務めていたのです。
 軍法務官については、参考文献2および3があり、上記の記載もこの参考文献を参考にさせていただきました。

参考文献
1 横浜弁護士会「法廷の星条旗〜BC級戦犯横浜裁判の記録」
2 西川伸一「軍法務官研究序説ー軍と司法のインターフェイスの接近ー」(2013年)
3 西川伸一「戦前期日本の軍法務官の実態的研究ー軍法務官193人の実名とその配属先をめぐって」(2014年)」


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