(第9の初演と板東俘虜収容所)
1918年6月1日、板東俘虜収容所(徳島県鳴門市)でドイツ軍捕虜による第9の演奏会が行われたのが、日本での初演とされています。
日本は1914年8月に対独戦を開始し、ドイツ軍の権益のあった中国の山東省に出兵。同年11月には青島を陥落しました。
ドイツ軍捕虜は日本各地に収容され、最も大規模だったのが板東俘虜収容所でした。
(習志野俘虜収容所)
千葉県では、習志野に俘虜収容所がありました。
習志野は、日露戦争のときに、ロシア人俘虜収容所があり、その跡地がドイツ人俘虜収容所となったのです。
習志野俘虜収容所の所長は、西郷寅太郎大佐(西郷隆盛の子)が務めていました。
(スペイン風邪による犠牲)
習志野俘虜収容所は、1915年9月から1920年1月まであり、この間スペイン風邪が流行したため(1918年~1920年)、同収容所でも犠牲者(ドイツ兵25名及び西郷所長)がでています。
西郷所長が亡くなったのは、1919年1月1日で、当日高熱を発した所長は医師が止めるのも聞かず、乗馬で収容所に向かい、年頭あいさつをし、その後亡くなったそうです(習志野市のホームページにはこのようにありましたが、当時の新聞記事では東京の自宅で亡くなったとありました)。
亡くなったドイツ兵は、船橋習志野霊園(船橋市習志野2丁目)に葬られており、毎年11月には駐日ドイツ武官を迎えて、千葉県日独協会主催による慰霊祭が行われております。
(収容所の場所)
習志野俘虜収容所は、現在の習志野市東習志野にあり、東習志野4丁目児童遊園(東習志野4-4)には、ドイツ捕虜オーケストラの碑が建立されており、往時をしのぶことができます。