リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年2月~その2

2011年02月28日 | 昔語り(2006~2013)
ライラック色の夕空は何の予感?

2月16日。水曜日。ごみ収集トラックの音で目が覚めたらまだ午前7時をすぎたばかり。ちょっと耳をそばだてたら、うわ、窓に雨が叩きつけられる音がする。いつも(外の音に過剰反応して眠れなくなるカレシのために)BGM代わりにひと晩中流している安眠脳波サウンドの「降りしきる雨」の音よりもすごい。雨の音が2つ重なったら土砂降りもいいところだけど、ああ、勤め人でなくて良かったあと思う瞬間・・・。

ちなみにこのサウンドマシン、安眠用、リラックス用、脳の活性化用の3種類の脳波を導き出すのに効果があるちうサウンドがいくつかずつ入っている。マシンを使い始めたのはもう15年くらい前からで、今のはぐんと進歩した2代目。先代のキカイでは「波打ち際の音」をよくかけていたけど、あまり音質は良くなかった。買い替えて5年くらいになる今のキカイは技術の進歩のおかげか、降りしきる雨に混じってぴちょぴちょと落ちる雨だれの音も聞こえるくらい質が良い。まあ、海際で育ったワタシはどっちかというと波の音に揺られて眠る方が好きなんだけど、雨の都バンクーバー育ちのカレシはやっぱり「雨の音」。(じゃぶじゃぶ降る音を聞いた友達に「夜中にトイレに行きたくならないの?」と聞かれていたけど、子供だったらおねしょをしてしまうかなあ。)安眠効果が良すぎて、旅行先にも時計つきの小型のを持って行く始末・・・。

正午前に起きて、朝食を済ませて、シーラとヴァル(とレクシー)が来る頃には雨風が止んで曇り空。気温は5度。カレシがネイバフッドハウスでのミーティングに出かけたので、その間に切れていたドアオープナーの電球を取替えにガレージへ。オープナーがガレージのど真ん中の頭の上にあるもので、車があると取り替えられない。どういうわけか知らないけど、電球が切れているのを発見して「切れてるぞ~」と知らせるのはいつもカレシで、その切れた電球を取り替えるのはいつもワタシ。電球を取り替えるなんて、女子供にだってできてしまうくらい簡単なことなんだから、大の男にできないはずはないと思うけどなあ。そういえば、何かが故障したときにも、「壊れている」と知らせてくるのはカレシで、点検や修理をするのはいつもワタシ。まあ、子供のときによく母に「アンタは器用貧乏」と言われたもんだけど・・・。

車がなくて妙にがらんとして見えるガレージの真ん中で、脚立に登って、照明のカバーを外して、新しい電球に取り替えて、ふと下を見たら、いつのまにかレクシーが入って来て見上げている。プードルとコッカースパニエルの雑種だそうで、「コッカプー」とかいうらしい。クリームがかった白い巻き毛とふさふさした耳と尻尾がいいし、ルックスもワンちゃんとしては「美犬」だな。悪質な繁殖業者のところから救出されてシェルターにいたのをシーラが引き取ったもので、初めはおどおどしていたのが、やっとワタシにも慣れてくれたらしく、この頃は「遊んで~」というモーションをかけて来るようになった。掃除の間、ちゃかちゃかと家の中を走り回ったり、天気のいい日は二階の陽だまりに寝そべったり、束の間だけペットがいるような気分になる。たぶん、ときどきお守りをする孫と同じで、「ときどき」だからかわいいと思うのかもしれないけど。

ミーティングから帰って来たカレシ、ロバータが今後の暫定的なプランを全部OKして、土曜日の午後に教室をやるなら、閉館後でも誰かを受付に残すと言ってくれたとうれしそう。まあ、カレシの英語教室はハウスのプログラムの一部になっているし、微々たるものだけど政府から補助金をもらっているそうだから、継続したいのはわかる。移民向けの公的な英語学級のELSAも最近は受講者が減って、政府からの資金を切られそうになっているらしい。あっちの教師は有給だから、資金が途切れたら教師はレイオフ、ELSAは閉鎖ということになるんだろう。でも、まったく無報酬のカレシは条件さえ合えばいつでも教室を再開する用意があるわけで、ロバータとしてはキープしておきたいというところか。そうか、どうやらカレシの英語教室終了は「引退」じゃなくて、再開の条件が整うか、カレシがその気になるまでの「無期サバティカル」ということになりそうだなあ。あんがい思ったよりも短そうな予感が・・・。

夕方、水平線の雲が切れて、沈む間際の夕日がパッとさして、ちょっとの間ライラック色の夕焼けになった。嵐の後だからなのか、それとも朝方には冷え込んで雪混じりの雨が降るという予報だから、嵐の前の何とかなのか・・・。

天気も家族も何となく機能不全

2月17日。木曜日。正午に起床。キッチンに下りて来たワタシを見るなり、先に起きていたカレシが、「白いものがヒラヒラしていた」と言った。ええっ?たしかに「かもしれない」という予報はあったけど、今ごろ雪なんて困るなあ。

昼のニュースはとなりのバーナビーでの突然の「大雪」のトピックがトップ。5センチくらい積もったらしく、坂道では車がずるずるとスリップ。山のてっぺんにあるサイモンフレーザー大学はバスが登れなくなって休講状態。(あんな山の上に大学を作ろうなんて考えたのはいったい誰なんだ?通学用のゴンドラを作ってはどうかという構想もあるけど、チェアリフトの方がいいかも。)メトロバンクーバーはけっこう面積が広いし、地形が複雑なせいかどうか、微小気候とかいうのがあって、正確な天気予報が難しいんだそうな。だから、バンクーバーではただの雨なのに、隣り合っているバーナビーでは「大雪」なんてことはそれほどめずらしことではないけど、「雪交じりの雨」の予報だったのが朝起きてみたら一面の銀世界というのはちょっとめずらしい。

今日は午後いっぱい仕事をして、夜は楽しみにしていた芝居。予約してあったチケットをピックアップするのに早めに行って、イアンとバーバラが来るまで近くのWilliams Sonomaをのぞきに行った。スタンリー劇場からはグランヴィル通りの反対側で2ブロック先。みぞれ的な雪がちらちらし始めたと思ったら、店に着くまでに猛烈な雪で歩道があっという間に白くなった。帰りは大丈夫かなあと心配しながら、店の中でキッチン道具を眺めて楽しんで、劇場に戻ろうと外へ出たら、雨がしょぼしょぼ。さっきまで雪が降りしきっていたのが嘘のような話。イアンとバーバラが劇場に到着したところで、バーバラが「リッチモンドで少し降っていて、途中は雨で、車を止めた頃は雪だったのに、ここまで歩いて来る間に雨になったの」と。てことは、我が家のあたりは雨ということか。それにしてもマザーネイチャー、ご乱心・・・?

芝居はトレーシー・レッツ作の『August: Osage County』(8月:オセージ郡)。2008年にトニー賞とピュリッツァー賞をまとめてもらったブロードウェイのヒット作だそうで、全3幕、2回の休憩をはさんで3時間の太作。オクラホマ州オセージ郡の暑い夏。詩人の夫べヴァリーと処方薬中毒の妻ヴァイオレット、次女アイヴィー、ヴァイオレットの妹夫婦、雇ったばかりの家政婦ジョナ。そのべヴァリーが行方不明になり、まず(実は別居中の)長女バーバラと夫ビル、十代の娘ジーンが駆けつけてくる。べヴァリーが溺死体で発見され、も自殺したらしいということになる。葬式のために三女のカレンが(いかにも詐欺師っぽい)婚約者を連れてフロリダからやって来て、(それぞれに問題を抱える)三人姉妹がそろい、これでも家族なのかというくらいの機能不全家族が互いに過去の恨みつらみを洗いざらいぶちまけあう中で、中心は母ヴァイオレットと長女バーバラの確執。近々映画化されて、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツがこの2人を演じるという話で、名優メリル・ストリープのヴァイオレットは見ものだと思う。笑ったり、しゅんとなったり、目頭が熱くなったりで、3時間がちっとも長いように感じられなくて、ずっしりと見ごたえのある作品だった。

劇場を出たら、歩道や駐車している車の上に薄く雪が積もっていたけど、天気は小雨。我が家に帰り着いてみたら、雪が降ったような形跡はどこにもない。ふむ、マザーネイチャーも相当の機能不全とみたけど、はて・・・?

日本語を訳すのは大変なのよ

2月18日。金曜日。うわっ、まぶしい。午後の気温はプラス10度。昨日のめっちゃくちゃな天気は夢だったのかなあ?それともまだ目が覚めていないのかなあ?これじゃあ、さすがに移り気な「乙女心」さえ「うっそぉ~」と叫んでしまうだろうな。たまたま昨日雪が積もった区域に住んでいて、スリップ事故で車をぶつけてしまった人には恨めしい春の陽気。たった24時間でこの違い!

カレシは起き出してすぐヒーターをオフにしに温室へ直行。春の日差しがいっぱいで、正午にはもう屋根が開き始めている。キッチンの窓に置いた無線温度計で温室内の温度をモニターして、5度以下に下がったときに電気ヒーターを入れるんだけど、熱効率のいい業務用電気ヒーターだから電気代がかさむ。氷点下に下がる寒波が続くときは、せいぜい12平方メートルの温室の暖房に、185平方メートルの家全体の(電気)暖房の倍以上のコストがかかってしまう。単位面積あたりにしたら30倍以上ということになるけど、まあ、二重壁とはいえポリカーボネート製の温室と省エネ構造の家の暖房効率を比べても意味はないか。園芸はカレシの生涯の趣味なんだし、それに、新鮮な有機栽培野菜を最短距離で地産地消だし・・・。

さて、来週の終わりまで5つ並んだ仕事のその2。ざっと見たところで、当たり障りのない文章だからスイスイかな。寝る前に仕上げて送り出した「その1」は、原稿用紙をびっしり埋めても数枚程度の文字数なのに、英語になったらやたらと語数が多い。五掛けで出す大雑把な見積もりよりも2割も多かったからびっくり。ワタシはこんなに口数が多くないはずだけど・・・と思ってよく見たら、漢字の数がすごい。四文字熟語がぞろぞろ出てくるし、専門的な小難しい言葉も漢字のオンパレード。これがITの分野だったら、カタカナ語のオンパレードでぐっと経済的になるところだけど、表意文字の漢字を表音文字の英語にするには、一文字に複数の単語が必要な場合が多いから、結局は仕上がりの語数が増える。仕上がりの語数が料金請求のベースになっている方としては、ダラダラした文で語数を増やせば儲かるんだけど、そこはそれ、プロの自尊心ってものがあるから、できるだけ簡潔な訳文を心がける。だから、黙っていても語数が増える漢字満載の略語や略称、四文字熟語をじゃんじゃんと使ってくれるエライ人たち、だ~い好き!

でも、そういうエライ人たちがかなりの年だと、難しい言葉を多用するから要注意。漢字は読めないし、何のことかわからないしで、中国語起源の古い四文字熟語が出て来たりすると、まずは日本語訳をば、ということになる。そこではたと困るのが(ワタシには)「読めない漢字」。英語なら単語の発音からスペルの見当をつけて調べることができるけど、日本語は上の漢字が読めなければ、和英辞書を引こうにもどの「音」の項を探せばいいのかわからない。例の「国際結婚は大変」トピックに倣って、「だから日英翻訳は大変なのよ!」と言ってみたところで、「アンタが選んだ商売でしょ!」と、誰も同情してくれないしね。もっとも、ネット時代の今は漢字をコピーして同業仲間に聞くと言う手もあるけど、だいたいは返事を待っている暇がないし・・・。

まあ、一番手っ取り早いのは、英語版ワードで日本語入力するのに使うIMEのパッドを使って、部首の画数を数え、同じ部首の漢字のリストから漢字を見つけ、カーソルを置いて音読みと訓読みを見つけ、それから日本語辞書を引いて定義を調べ、相当する英語がわからなければ和英辞書を引き・・・はあ。漢字の画数を数えるのは部首だけでもめんどうな作業で、角を曲がったら2画?それとも線の続きだから1画?日本語を読み書きして育ったワタシがこうなんだから、日本語育ちじゃない人たちはもっと大変かもしれないな。「止揚する」なんて言葉、和英辞書には「哲学用語。(独)アウフヘーベン」と書いてあったけど、それって独英辞書を引けってことなの?しょうがないから、ネットの独英辞書サイトで調べたら、意味合いの違う定義が動詞だけでも20近くも出てきてしまった。さて、エライ人はどんな意味で使っているのか・・・?

好きでやっている仕事ではあるけど、だけど、だけど・・・。

他人が自分と同じはずはないのに

2月19日。土曜日。いや、まぶしいのなんのって、すっかり春が来たような気分。道路向かいの大きな桜の木をよくよく観察したら、日当たりの良い上の方の枝に3つか4つ、ピンク色の点が見える。おお、桜が咲き始めたぞ。バカ暖冬だった去年よりは少し遅いけど、平年よりはちょっと早い。寒い冬を持って来るはずだったラニーニャ嬢はいったいどこをほっつき歩いているやら(きのうはトロント周辺にふらりと現れたらしい。)ま、週間予報では、来週の水曜日あたりは雪がちらつき、その後は晴れの日が続いて冷え込む(最低気温は氷点下)そうだから、まだ油断はできない。常春のバンクーバーだって、エイプリルフールに雪が降ることもあるんだから・・・。

さて、仕事のパッケージの一番大きいのが済んだところですんだし、世間では週末ということで、今日はワタシも「休み」。何にもせずにダラダラしていたいなあ、とは思うけど、だいたいのところは、ちんたらちんたら仕事をやって、切羽詰ったところで猛然とダッシュしては「ワタシってがんばってる~」と自分の肩を叩いているのが「平常勤務」なもので、仕事が休みだからといってダラダラしていてはまったく区別がつかなくなような気がする。そこで、まあ少しは家事もやらねばということで、まずは洗濯。ランドリーシュートを開けたら、は、また3ラウンドか・・・。

チュニジアで始まって、エジプトで盛り上がった中東の「変化」への要求デモは、あっちこっちへ飛び火してかなりややこしいことになっている。インターネットがグローバル化した今の時代は、都合の悪い情報を管制しようとしても、あの中国でさえ「もぐら叩き」の状態なんだから、デモが始まったとたんにあわててネットを遮断したってムダ。迂回路はいくらでもある。だけど、何十年も政権に居座って来たお山の大将にはふもとのことはわからないんだろうな。だから、急にデモ隊が押し寄せてきて慌てる。慌てるから、バカのひとつおぼえみたいに軍隊を繰り出して制圧を図る。群衆は怒り、デモは膨れ上がり、死傷者も続出する。暴力で制圧しようとすればするほど、火は燃え盛る。わかってないなあ。ま、それほど既得権というのはおいしいもんなんだろうけど、さっさと札束をかき集めてすたこらと逃げ出せばいいのに。

政治や外交というのは、国家や企業や宗教や文化やその他ありとあらゆる利害がスパゲッティみたいに絡み合っているからややこしい。国家が国民の集団で形成されているなら、政治も外交もその国民性が反映されると思うし、その国民性というのは良きにつけ悪しきにつけ国民の大多数の「性格」の表現だと思う。とどのつまりは政治も外交も人間関係の延長線上にあるようなもので、だから天井桟敷から見ていると、人間ドラマとさして変わりがないように見える。最近、どこだったか忘れたけど日本の大手新聞のサイトに(例の尖閣列島事件の関連で)日本の外交史について触れた論説があって、日本外交の根本的な欠陥は相手国が「本質的に自分たちと同じ」と考えることだと書いてあった。日本人同士の交渉と同じ思考で外交交渉をやろうとしたのがそもそも無理な話だということだろう。だから、尖閣列島問題でも、中国漁船の船長を釈放して返すという「温情」を見せれば、中国側もそれに応えて、「事を荒立てずに矛を納めてくれるだろう」と思ったのに、中国は日本が本質的に自分たちと同じだとはこれっぽちも思っていないから、中国流の対応をして来て・・・。

これを個人のレベルに持ってくれば、他人を「本質的に自分と同じ」と考えるのが日本人の国民性ということになるんだろうけど、妙に納得が行った気がした。小町のような掲示板には、自分と他人はまったく別個の独立した人格だという概念がないとしか思えないような投稿が多い。つまり、他人は「本質的に自分と同じ」で、自分が感じることを同じように感じ、自分が好きなものを同じように好きで、自分が嫌いなものは同じように嫌いで、自分がすることには同じように応えてくれるはず・・・。だから、翻訳原稿にもたびたび登場する「同じ○○として~」という表現がいともあたりまえのように使われるのかな。日本人が外国で何かやらかすと、「同じ日本人として恥ずかしい」という反応が出てくる。民族的にはワタシも「日本人」なんだけど、(国籍を問わず)他の日本人が日本の外で事件を起こしたら、「バカなことをやっちゃって」とは思っても、恥ずかしいという感覚はないし、事件を起こした当人が恥じるべきことをなんでワタシが恥じなきゃならないのかわからない。でも、もしも日本という国が他国を攻撃したり、国の品格を貶めるようなことをしたら、「日本人のひとり」として残念(regrettable)に思うだろうけど。

そういえば、カレシのオンナノコたちが、カレシがワタシの欠点(たいていは嘘八百だったけど)をあげつらうたびに、「I am ashamed as the same Japanese woman (同じ日本人女性として恥ずかしい)」と応えていたっけ。まあ、ワタシという人間は元から日本人規格から外れているもので、カレシがガラスのケースに入った日本人形を期待していたなら、「注文したものと違うじゃないか」と文句を言うのはわかる。だけど、カノジョたちがそれに対して「同じ日本女性として」恥ずかしいと思うのはどういうことなんだろう。だって、ワタシの欠点を恥ずかしいと思うと言うことは、あわよくば押しのけてその後釜になろうともくろんでいた相手(ワタシ)を「自分と本質的に同じ」と考えていたということで、つまりはカノジョたちがワタシから欠点を横取りして、自分たちのものとして恥じていたと言うことになるの?なんだか頭がこんがらがってきたけど、だとしたら、何とも滑稽な話だし、本質的に違うワタシをカノジョたちに同化されると言うことはワタシの人格をハイジャックされるようなもので、大きな迷惑なんだけど・・・。

おいしく食べて健康なのが医食同源

2月20日。日曜日。今日もまぶしい。なぜかとろ~んとした気分で起きた。春眠何とかと言うし、春っ気がさしているのかもしれないけど、ちょっとばかりとろんとし過ぎ。月変わりであたふたしていたときには110台/70台に上がっていた血圧もだんだん下がって来て、けさは2度測っても100以下/70以下。どうしてかなあ。ま、別に問題がないからいいけど、日曜日でもあるし、残っている仕事の量を確認して、今日も休んじゃお・・・。

新聞を見たら、メトロバンクーバーでは、2012年の終わりまでに家庭から出る生ごみを普通のごみと一緒に出すことが禁止されるというニュース。植生ごみと一緒に集めて、堆肥としてリサイクルするんだそうで、すでに導入済みの市もあるけど、全域で実施になったら、「グリーンごみ」を毎週1回、普通ごみは隔週の収集になり、生ごみを普通ごみと一緒に出したら罰金を取られるらしい。2015年には業務用の生ごみも対象になるそうで、カナダ全国の平均の3倍も高いメトロバンクーバーのリサイクル率を80%に引き上げるのが狙いとか。いいことだと思うね。もう埋め立てる場所がないんだし、焼却処理場の話は出ては消えするばかり。その話をカレシにしたら、「池の跡に埋めるからいいよ」。うん、裏庭の真ん中に隕石が落ちたような大穴が開くもんねえ。我が家は市が支給する植生用のごみ容器をもらっていない(収集料は固定資産税で取られているけど)。雑草も野菜もみんなカレシが堆肥にしてしまうんだけど、大きなバケツにいっぱいの野菜くずからできる堆肥はひと握り。大きな穴を埋め尽くすにはいったいどれだけの魚の頭やコーヒーかすがいることやら。そんな貴重な原料を「市役所になんかやるもんか」と、なぜか妙に対抗しているカレシ・・・。

ではさっそく、というわけじゃないけど、夕食に食べる魚を3枚におろして、頭やひれ、骨をカレシに提供した。ラベルに「ゴールデン・ポンパーノ」と書いてあるから、調べてみたら「コバンアジ」。[写真]

最近セイフウェイの魚のフリーザーに登場したもので、頭から尻尾まで30センチくらいあって、せいぜい4ドル(400円弱)のお買い得。丸くてなんとなくかわいいけど、全体的にはがっちりとした感じがする。それもそのはずで、骨がえらく硬い。一見ほっそりした尾ひれの付け根は包丁では切り落とせなくて、キッチン鋏でバチッ。内臓は腹側のせいぜい前半分くらいにしか入っていなかったから良かったけど、3枚にするのにちょっと苦戦。クリスマスのプレゼントにもらった専用のナイフが大活躍してくれた。ぽん酢をさっと塗って、細く切ったしょうがと刻みにんにくと赤唐辛子をたっぷり載せて蒸してみた。身がしまっていて、味はあっさりだけど、脂身はとろっとした感じで、なかなかいける。オメガ3がたっぷりなんだそうな。

オメガ3といえば、最近カナダの保健省が卵をコレステロールの「要注意品目」から外したというニュースがあって、卵好きのカレシを喜ばせた。飼料の改良で昔ほどコレステロールが高くなくなったので、他の栄養素の豊富さを考えると「食べた方がいい」ということらしい。カレシのコレステロール事件以来めったに食べなくなって、消費が減った分、鶏舎の中を走り回って、オメガ3が豊富な亜麻の種を添加した有機飼料を食べるニワトリが産んだ「デザイナー卵」を買うようになった。これがまたスーパーで普通に売っている卵と比べたら、殻は硬いし、黄身は色が濃くて、いかにも卵!という味がする。まあ、食べた方がいいと言われたからって、今さらもっと食べようというわけでもないけど、好きだけど健康に良くないんだよなあ・・・というような後ろめたさがない(guilt-free)のがいいな。

赤身の肉をほとんど食べなくなってもう2年近いけど、ベジタリアンに転向したわけじゃないから、2人分のチヂミに薄切りの豚肉3枚、フォーにしゃぶしゃぶ用の牛肉を4枚といった具合に、ときどきは食べるし、ご馳走のときはラムの骨付きヒレのローストを作ることだってある。完全にやめたのは豚と牛の挽き肉で、その代わりに買うのが大豆と小麦のたんぱく質で作った「人工ひき肉」。スーパーでは「ベジタリアン食品」のコーナーにあって、低カロリーでコレステロールはゼロ。おまけに鉄分、チアミン、リボフラビン、ナイアシン、ビタミンB6とB12、それに亜鉛がたっぷり配合されている。我が家ではmock beef(牛肉もどき)をもじって「マクビーフ」と呼んで、挽き肉が必要なミートソースのパスタやタコスを食べたいときに重宝しているけど、これも食べつけるとなかなかいい味がある。

我が家の食は、何でもオーガニックジャなきゃダメなんてこだわらないし、無理にベジタリアンに思想転換することもないし、好きなものを(食べ過ぎない程度に)おいしく食べていればいいわけなので、食べることへのストレスがない。ま、これも医食同源(英語でいうと、You are what you eat・・・かな?)に通じるんじゃないかと思うけど。

絶対に安全で安心なところはあるのかな

2月21日。月曜日。ちょっと曇り空。テレビの天気予報は「北極の寒気が来る」とうるさい。先週は不意打ちを食らって、雪で難儀した地区の住民からブーイングの嵐だった?から、今度こそは先回りしてやれというわけかな。雪かきシャベルとスノータイヤを用意したほうがいいって、どこの話なの?まあ、週間予報を見ると、日中の最高気温はプラスだけど、週中を過ぎて晴れると最低気温がマイナス3度か4度まで下がることになっている。問題は曇りの日。中途半端な気温だから、また雪のところと雨のところが出そうだけど、予想積雪1センチじゃあたいしたことないって。2月が終わる月曜日にはプラスになって、春3月・・・たぶん。

今日のアメリカドル為替レートをチェックしたら、うわ、またカナダドルが上がっている。中東で盛り上がっている民衆デモがリビアにも飛び火して、こっちは大変な流血になっているせいだと思うけど、アメリカドル建ての収入に頼るワタシとしては、手取りが目減りするからちと辛い。リビアはエジプトと違って大産油国だから、動乱が起きて安定供給が危ないということになれば、世界中で石油価格が高騰し、需要側は安定した代替の供給元を探すだろうと思う。カナダは世界で6番目の大産油国で、生産高はリビアの倍もある。埋蔵量だって世界3位で、この先何年持つかとなると世界一で200年近い。石油マネーがカナダの油田に投資をしてきても不思議はない。だけど、それでカナダドルがどんどん上がれば、ワタシの手取りはどんどん下がる。おまけに円安傾向のダブルパンチで換算した収入がさらに目減りすると、回りまわってカナダ政府が手にする所得税だって減ることになる。だから、誰か、何とかしてくれないかなあ・・・。

午後4時半。カレシの後に続いてトレッドミルの時間。着替えをしていて、ひょいと窓の外を見上げたら、おいおい、雪が降っているよ。それも、すご~く大きな雪。まるで大きな花びらがわさわさと舞い降りてくるような感じ。たぶん3センチはあるだろうなあ。真っ白な大輪の花。家の中から眺めている限りは、ちょっと幽玄で、ちょっと華やかですてきだけど、積もりませんように・・・。

ニュージーランドではまたクライストチャーチで大地震。かなり浅い直下型らしい。かって一度だけバンクーバーで直下型の地震を感じだけど、マグニチュードが2くらいの微々たるものだったのに、地震王国の釧路育ちのワタシが瞬間的にわけのわからない恐怖感で目が覚めた。不動であるはずの大地がぐらぐらと揺れ動くのは何ともいえない不気味さで、精神的に動揺せずにはすまないのに、下からずしんと突き上げてくるような直下型地震は魔物に襲われたような気分だと思う。前回の地震で被害を受けて、まだ修復されていなかった建物はひとたまりもないだろうな。昼休みだったそうだから、たくさんの人たちがその建物の中にいたんだろうな。クライストチャーチにはカレシの母方の親戚がいるらしい。系図を調べないと名前もわからないくらい遠い親戚だそうだけど、みんな無事だといいな。

それにしても、日本の新聞サイトを見ると、安否のわからない日本人学生の一行がずいぶんいるらしい。大学の語学研修の時期なのかなあ。2月3月といえば学年末だろうに、期末試験のようなものは心配しなくてもいいのかな。日本からの留学生が減ったのは、就活に支障が出るという理由が大きいとからと聞いたけど、語学学校への短期の「研修ツアー」なら問題ないってことなのかな。(中学生まで団体で語学研修旅行だって。)最近のニュージーランドは日本人の間で語学留学やワーキングホリデイの人気スポットになっているらしいけど、バンクーバーの語学学校の経営が苦しいらしいのは、(大得意の韓国が不況という要因があるとしても)ニュージーランドにお客を奪われているということもあるのかな。こういうことにはやっぱり流行り廃りがあるということで、「世界一住みやすい都市」(エコノミスト誌のランク)で、(今のところ)地震がなくて安全なバンクーバーがまた人気スポットに返り咲くかもしれないってことかなあ・・・。

まあ、お客の都合はどうでもいいんだけど、地球はひとつの丸い球だし、地殻の上に乗っかったプレートもくっついて押し合い圧し合いしているんだから、バンクーバーだっていつグラッと来るかわからないんだけど・・・。

食事作法と縁結びの関係

2月22日。火曜日。今日もいい天気。いくら寒波が来るといっても、晴れれば日中の気温はまさに春うららの陽気だから、生理的なリズムも何となく狂いがちなのか、ふたりして朝から「かったるいな~」。ほんとにもやもや~っとかったるいんだけど、仕事があるしねえ、といったら「ボクもまだ2回レッスンがあるなあ」と。うん、今夜とあしたの夜のレッスンが終われば、英語教室は一応は「無期休校」。だけど、その先はその日その日に予定を決めればいいわけだから、お気楽で良さそうに見えるけどなあ。

もっとも、そうなったらそうなったで、あんがい「旗本退屈男」になってしまうかもしれないな。ふむ、そのときには、「じゃあワタシがばりばり仕事をして稼ぐから、アナタは主夫になって家計と家事とワタシのめんどうを見てちょうだいね」と言ってみたいような気もするけど、ま、それは夢のまた夢のは百も承知。だって、家事なんて、やらないし、やれないし、やりたくもないし。家計だって、会計士だからお手のものだろうと思ったら、「職業だから家に帰ってまでやりたくない」と丸投げしたままだし、ワタシのめんどうを見るなんて、めんどうをみてもらうのは自分の方だと思っているらしいから、どうなることか。だから、やっぱり「痒いところが痒くなる前に手が届くくらいのかいがいしい世話を焼いてくれる専業主婦のかわいい奥さん」の方がこの人にはふさわしかったのかなと思わないでもないんだけど、実際にそういう痒くなる前に掻いてくれるようなかいがいしい世話を焼かれると逆にうるさがる人だから、どうなることか。

長いこと夫婦という関係でひとりの男と親密に付き合っていると、「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもんだと思えてくる。恋をしたいからといって恋人募集をかければ、いいってもんじゃないし、結婚をしたいからといって婚活すればいいってもんでもなさそう。まあ、「運命の赤い糸」なんて言うけど、たぐりよせるのにあまり強く引っ張るとプツンと切れてしまいそうな感じがするし、何本もあってどの色合いにしようかと決めかねることもあるだろうし、これだ!と思った糸がすぐに色あせてしまうということもあるだろうし・・・。やっぱり先立つものは「縁」かな。だけど、この「縁」というやつ、ほんとうにあったのかどうかは何年も一緒に暮らしてみなければ確信が持てないものらしくて、その間にいろいろと「疑い」を喚起するような波風が立つからやっかいだな。

小町で、最近婚活で知り合った人と食事をしていて彼氏がビックリする行動をしたので、『食事マナーができていない彼氏』というトピックを立てて、「お別れしたほうが良いでしょうか」と聞いている人がいる。イケメンでもなく、高給取りでもないけど、優しくて大切にしてもらえそうな彼氏だけど、食事中に(一応上品そうにフォークに刺してだけど)パンでお皿を拭って食べたのが「ありえない」と。トピックそのものは、フランスでは、イギリスでは、作法では、マナー教室では・・・と定番の「半径5メートルの知識」をひけらかしてのマナー論争になっていたけど、それはさておき、同様にマナーのできていない夫たちが続々と登場するからおかしい。(国際結婚関連のトピックにもマナーのできていない外国人オットたちがたくさん登場して来るから、男のマナー問題は人類共通なのかな?)

結局は、マナー違反じゃないと言われた投稿者が「お皿を舐めるような行為と感じて嫌だった」、つまり、相手のマナー云々よりも相手の行動に生理的な嫌悪感を持ったという「本音」を吐露した形になったけど、それだったら気持が冷めて別れようかと思うのは理解できる。誰かがいみじくも「結婚は生理現象だ」と書き込んでいたけど、あんがい男女の縁というのはそういう生理的な感覚での「相性」のことなのかもしれないな。ちなみに、カレシも小町女性のものさしで測ると食事のマナーができていない部類に入る。外では、毎週外食するようになってからだんだんに高級な方へ足を向けるようにしたら、周囲の雰囲気から自分でグッドマナーを吸収したようだけど、家では食事中に何かに気を逸らされて席を立つのはしょっちゅうだし、ゲップはするし、屁はこくし・・・。でも、ワタシが作った料理をいつも「おいしい」と言いながら食べてくれるから、まっ、いいか~となる。

それでも、もしも初デートでのカレシがそんなテーブルマナーだったら、これはダメだと思ったのかなあ。(初デートは2人ともコチコチだったけど・・・。)たぶん、今風に結婚がしたくてコンカツに勤しんでいたとしたら、「縁がなかった」と言ってお別れしたかもしれないな。まあ、恋は盲目の状態になっていたら、あばたもえくぼでちっとも気にならなかったんじゃないかと思う。いざ結婚してそれが「問題」になったときにのそれぞれの反応に、2人の間にほんとに「縁」があった(We were meant for each other)かどうかが見えてくるのかもしれないな。

ちょこっとしばれるんだって

2月23日。水曜日。春眠何とやらと言うけど、目が覚めたのは正午過ぎ。今日は通ったはずのごみ収集のトラックの音にもリサイクル車の音にも反応しなかったもので、すわ、大雪か?と思ったけど、目を開けたらなんだか春爛漫みたいな明るさ。起きてテレビをつけたら、ビクトリアではなんと25センチの「ドカ雪」が降って、街中が大混乱しているというニュース。しかも、まだまだ木曜の朝までは降り続けるんだそうな。そろそろ街中の花を数えて、まだ冬最中のカナダ全国に見せ付ける恒例の「フラワーカウント」の時期なのに、大変だなあ・・・。

ビクトリアではカレシの仕事の都合でほんの6ヵ月ほど住んだ時にも記録的な雪が降ったっけ。もう31年も前のことだけど、州都ビクトリアは公務員の街で、まだカナダ国籍になっていなかったワタシには働き口がない。しかたなく失業保険でぶらぶらしているうちに年が明けて、ある日、雪が降り出し、まあよく降ること。翌日には40センチも積もったからびっくり。カレシの職場は歩いて20分ほどの近さで良かったけど、「臨時専業主婦」のワタシは車でスーパーまで買い物。当時はホンダのシビックに乗っていて、スノータイヤには替えてあったけど、道路はぐしゃぐしゃで、車線のラインは見えないし、止まるたびにスリップして魚の尻尾のように後部が振れるから怖い。何とか事故を起こさずに乗り切れたはいいけど、生まれて初めてすごいホームシックにかかって、ひとりだけでも先にバンクーバーに帰るとカレシにだだをこねた。カレシが州税監査官に転職が決まってバンクーバーに戻ったのは、セントへレンズ山が大噴火する前の日・・・。

今日が英語教室最後の授業になるカレシは「雪が降ったらキャンセル」と予告してあったそうだけど、曇って来たのに雪が降り出す気配はない。それでも午後4時の気温はゼロで、じわじわと冷えてくるのがわかる。家の外にある水道栓は内側からシャットオフしたし、まだ芽を出したばかりの野菜の苗はトレイごと家の中の園芸ルームに避難させたし、これで準備万端、さあ、冬の最後のあがきを見せてもらおうか、とヘンに威張ってみたけど、雪、降りそうにないなあ。まあ、最後の日にキャンセルと言うのはなんだよなあ~と言いつつ、ワタシにとってもご用納めになる超特急の夕食をして出かけて行った。

テレビの天気予報のレーダー地図を見たら、あ~ら、厚い雪雲は国境のすぐ南、ワシントン州を東へ移動中。メトロバンクーバーの予想積雪は2センチくらいだそうで、ちょっと拍子抜け。まあ、雪に埋もれて花の数を数えるどころじゃないビクトリアの人たちには悪いけど、Better you than me(こっちに関係なければ、そっちのことはどうだっていいっつぅ~の)!予報では、あしたの木曜日から晴れで、気温はどんどん下がり、金曜日と土曜日の明け方の最低気温はマイナス7度。うわ、しばれる!(といっても、道産子にはマイナス7度じゃ「厳寒」のうちには入らないけどね。)土曜日の夜から雨交じりの雪になり、最高気温が7度まで上がる日曜日から先は、なあんだ、ただの雨、雨・・・。

どこから来たのか知らないけど、北海道語の「しばれる」という言葉はガチンと冷え込んで金縛りになったような雰囲気がよく出ていると思う。寒波が続けば、何もかも「がんがらがん」になるし、手は「かじかむ」けど、それでもちゃんと「まかなって」いれば心配なし。「雪かき」を「雪はね」というのはいかにも北海道らしいエネルギーが感じられるし、「捨てる」ことを「投げる」というのも豪快でいい。まあ、ごみを「投棄する」というから、「投げる」方が正統派のような気もするけど。昔は雪が降ると「スコップ」を持って外に出たものだけど、今は主婦の仕事になっているらしくて、積もった雪を押してかき退ける道具を「ママさんダンプ」というんだそうな。いやあ、これはもう豪快を通り越して、どさんこ女性のパワーが全開といったところ。うん、北海道語、なつかしいなあ。だけど、仕事があと3つ。のんきに油売ってたらからっぽやみといわれそうだし、たいぎでもはっちゃきこいてやらないと予定がわやになるべさ。

体感温度マイナス17度!?

2月24日。木曜日。目が覚めたら、うん、明るい。雪、降った?と起き出したカレシに聞いたら、「グリーンだよ」という返事。ほっ、雪は降らなかったんだ。だけど、天気予報を見ていたら、明日の明け方の最低気温は2月末としては新記録のマイナス8度で、「風速冷却指数(windchill factor)」、要するに「体感温度」はマイナス17度だって!(ご託宣の主は気象庁の予報官で、その名もコールドウェル(Coldwell)さん・・・。まさか、天気に関係のありそうな名前の人を優先採用しているってわけじゃないだろうなあ。)ま、それでも、どれだけ寒かろうが、雪が降ろうが、せいぜい日曜日の午後までの辛抱らしい。それにしても、バンクーバーっ子は天気の話をするのが大好きということになっているけど、ワタシもここんところ天気の話ばっかりしているような感じ・・・。

天気がいいし、クリニークではおまけがつくし、ということで、トレッドミルの運動に替えてモールまでひとっ走りすることにした。午後1時半の気温はプラス2度。走るといっても、トートバッグを肩に猛烈な早足で歩くんだけど、うわ、風が冷たい!手袋をしていない手がじ~んとする。(だって、手袋なんか持ってないもん。)露出した頬っぺたもじ~んとして、寒冷じんましんが出そう。だけど、背中に日差しをいっぱいに浴びて歩いていると、フリース裏のジャケットの中はじ~んと暑くなって、冬物のTシャツ一枚でも汗が出てくる。カレッジの前には着ぶくれした人たちがぞろぞろ。言葉からして寒がりやで知られるアジア人留学生らしいけど、まだ氷点下になってないよ、キミたち。今からまるで北極圏にいるみたいにぶくぶくに着込んでいたら、もっと冷えるあしたはどうする~?

ベイのクリニークのカウンターでクリームやらローションやらを買って、おまけを2セットもらって、地下の郵便局で私書箱を開けてきしっと詰まっていた郵便物(カタログに混じって、お、売上税還付の小切手も!)を引っ張り出し、ついでにキチン用品売り場に寄り道。新しいスチーマーが欲しいし、フライヤーも欲しいし、フードプロセッサも欲しいし・・・とぶらぶらと眺めて歩いていて見つけたのが、おひとり様サイズの蓋付きのキャセロール鍋。レンジでもオーブンでも電子レンジでも使えて焦げ付かないというもので、直径が10センチくらい、容量は300ミリリットル。おお、コースメニューのときに「なんちゃって○○鍋風」を出すのにうってつけじゃないの!食べる人が蓋をあけるまで中身をヒミツにできるのも、ちょっとしたお楽しみ要素を演出するのにもってこい。黒いのにしようかなあ、それとも外側が赤いのにしようかなあと、1分くらい迷って内側も外側も真っ黒なのを4つ買った。

これだからカレシに急かされないひとりショッピングは楽しい。せかせかしていないときは、思いがけないめっけものがあるってことなのだ。「ゆっくり走ろう北海道」だもんね・・・関係ないけど。ブランドショップのウィンドウに赤が多いのは、ひょっとしたらこの春の「流行色」ってことなのかなあ。赤はいいなあ。ピンクと違って、赤は華やかなエネルギーを感じさせるから好きな色。情熱的ってことかな、やっぱり。流行には関心がないけど、好きな色が主流になれば選択肢が増えてうれしい。

明るい春のファッションを眺めて息抜きをした気分になって、またテクテクと早足で家路に。いやあ、そんなに強くはないけど、南斜面のふもとの川面から吹き上げてくる風の冷たいの何のって。夜間の「体験温度マイナス17度」は脅しじゃなさそう。この分だと、日曜日になって雨が降り出すまでは冬眠だなあ。仕事の方は、はて、はかどるんだろうか・・・?

すずめ百までバイリンガル

2月25日。金曜日。けさもまぶしい。最低気温は空港で午前7時にマイナス8度だったそうな。ここでの観測データがバンクーバーの公式記録ということになる。午前7時と言うとちょうど日の出の頃か。夜明け前が一番暗いというけど、夜明け前は一番冷える時間でもあるのかな。

きのう寝る前に仕事にひと区切りついたので、今日は休み。ちょこちょこと休みが入るのはやっぱり楽だな。再来年の春に年金をもらうようになったら、やっぱりこんな風に仕事をしては休み、休んではまた仕事をするといったライフスタイルにしようかな。小町で普通の女性が働き続けるのは何たらかんたらというトピックがあって、どうも働きたくないらしい(20代の)投稿者が、「(結婚した女性は)のんびりとしたいことを仕事にして自分のペースで生きていくことが、精神的にも肉体的にも大事」と言って井戸端論議をかもしている。まあ、女性雑誌か何かの働く奥さんのイメージに逆行することに気が咎めるのかもしれないな。「働かない」ことを正当化しようと躍起になればなるほど、「働きたくない」ことを肯定してもらいたいのがはっきりして来る。のんびりとやりたいことをやって生きて行けたらさぞかし楽だろうと思うけど、人間として生きている以上はそうは問屋が卸してくれない。自分の人生なんだから、働くも働かないも、自分で決めて堂々と生きて行ったらいいのに。

どうもこの人はフリーで「のんびり」とやりたい仕事をしている友達が羨ましいらしい。のんびりとやっているフリーランスもいるんだろうけど、ワタシはのんびりとやれたことがないな。左脳と右脳をこき使って、2つの言語の間を行きつ戻りつしている身として、つい最近あちこちのメディアに載った「バイリンガルは認知症の発症を遅らせる」という研究発表の記事にちょっぴりはげまされた気分になったくらい。これは別に新しい発見でも何でもないんだけど、2ヵ国語が話せて、日常生活で両方をよく使う人はアルツハイマーのような認知症の発症が4年か5年くらい遅く、両方とも流暢ならもっと効果が高いらしい。ただし、少し先延ばしできるという程度で、予防にはならないらしい。それに、バイリンガルだと知能水準が高いというわけでもないそうで、単にバイリンガルの人は脳内での処理能力のやりくりに長けているということらしい。おもしろいと思ったのは、バイリンガルの人はモノリンガルの人と会話をするときにもう一方の言語が混じることはないということ。つまり、英語をちりばめた日本語を得意になってしゃべって顰蹙を買っているらしい海外帰りの日本人はまだバイリンガルの域には入っていないってことかな。日本の新聞記事にはそこのところが抜けていたような気がするけど・・・。

数年ほど、読み書きには困らないのにしゃべろうとしても日本語が出てこないと感じていた時期があった。翻訳を生業としているんだから、忘れたということにはならない。かなりの悪文でも読んで理解できる。(できなかったら英訳の仕事はできない。)仕事以外には日本語を使わないから、耳から日本語が入って来ない。そのせいで話し言葉とつながらなくなって、音声として出て来なくなりつつあるのかと憶測して、引退すれば日本語はどんどん遠くなるだろうから、それもありでいいかなと思っていた。それが、おととしの春にひとりで日本へ行って来てから少しずつ変わって来て、去年行って帰ってきてからは、単語を思い出せなくてつっかえることはあっても、けっこうすらすらと話せるようになっていることに気が付いた。耳や喉の奥にずっと垢のようにたまっていたものが取れて軽くなったような、なんかすっきりとした感じがする。たぶん日本語を話せなくなったんじゃなくて、日本語「で」話すことができなくなっていたのかもしれない。それが、「日本語での会話」に抵抗がなくなって来たということなんだろうと思う。

ということは、どうやらワタシも数年はボケるのを先延ばしできそうということか。書くことにかけては、日本語でも英語でも饒舌きわまりないのはわかっているし、口の方だって、延々1時間も英語でしゃべり続けたくらいだから、それに輪をかけたような饒舌な日本語のおしゃべりに辟易する人が出てくる日もそう遠くないかもしれないな。あんがい百歳までボケないかも・・・。

ちょうどほどほどのところで・・・

2月26日。土曜日。目を覚ましたのは午前11時40分。ん、何だか薄暗いな。そういえば、お昼前後から雪が降り出すという予報だったから、もう降っているのかなと思って起きてみたら、曇っているだけで、まだ。まあ起き出してしまったからと、顔を洗ったり何だりして、バスルームから出てきたら、うわっ。粉雪がわ~っと降っていて、地面はもう真っ白。ポーチの温度計はマイナス4度。何だか知らないけど、この頃の天気予報は「何時ごろから」とピンポイントで、当たるときはほんとにその通りになるからおもしろい。

外で舞う粉雪を見ながらの朝食で、2人してトーストをかじっては「ラッキー、ラッキー」の連発。というのもこのトースト、もう少しで食べられないところだった。きのうの夕食後、カレシがいつものようにブレッドマシンに材料をセットしてスタート。ところが、2、3回くらい混ぜたところでガキンという音と共にストップ。容器がしっかりはまっていなかったのかと思って、カチッとはめ直してから再スタート。3回くらいでまたガキン。蓋を開けてみたら容器が外れている。もう一回トライして、やっぱり容器が外れる。5年くらい使っているから寿命なのかな。とにかく、パンを焼いてくれそうにない。どうする?木曜日だからモールは9時まで営業しているね。よし、容器にラップをかぶせて、(イーストが働き始めないように)冷蔵庫に入れて、それっ。

モールまでは車で5分足らず。ベイの地下のキッチン用品売り場へ直行して、同じ型のブレッドマシン(といってもクイジナートのこれしか置いてない)の箱を持って、レジへ直行してベイのカードで支払い(土曜日まで15%オフ!)。まあ、ショッピングの最短時間記録だろうな。家まで急行して、冷蔵庫から出した生地が室温に戻るのを待つ間に、新しいキカイを箱から出して、容器を洗って、まだ少し冷たい生地を移して、スタート。3時間10分後、無事にパンが焼き上がった。それにしても、新品のキカイが数年使ったものとまったく同じというのは、モデルチェンジの激しい今の時代ちょっと驚き。デザインも機能もボタンも、何ひとつ変わっていない。(価格は少し安くなっていたような・・・。)

緊急事態が今夜だったら、雪が積もって「ひとっ走り」というわけには行かなかったかもしれない。もっとも土曜日のモールは6時までしか開いてないんだけど、ま、雪雲の来るのが1日。早かったら、けさこうしてトーストを食べられなかったということ。冷蔵庫に入れられたり、容器を変えられたりしたわりにいつもより良く焼きあがっていたのは、新品のキカイが焼いたからかな。数えてみるとブレッドマシンはこれが7代目で、一番長持ちしたのは6代目。つまり、これからまた5年は大丈夫と言うことかなあ。見直したぞよ、クイジナート。

バンクーバーとしてはめずらしく細かな粉雪。ひとしきり降って止んで、気温はマイナス3度。今日とあしたは冬ごもりして、少しゆっくりのペースで仕事をすることにする。ゆっくりだから、PCの前に座れば寄り道三昧。今日も世界のいろんなニュースが駆け巡っている。最近おもしろいのが健康関連のニュース。コレステロールが多いからあまり食べない方が良いとされて来た卵。今度は飼料などの改善で「食べた方が良い」。肥満の原因になる「甘いもの」と一緒にされて来たチョコレートも、カカオ65%以上のダークチョコは酸化防止成分のフラボノイドが豊富で、血圧とコレステロール値を下げる効果があるから「食べた方が良い」。健康に良いのか悪いのか二転三転するコーヒーも、糖尿病やがんにかかるリスクを減らす健康効果があるから「飲んで良い」。成人病の元凶扱いされて来たアルコールも、実は心臓病の予防効果があるから「飲んでも良い」。

もちろん、どれにも「ほどほどに」という但し書きが付いているけど、イギリスでは1日。あたりのカロリー摂取量の基準を引き上げる動きがあるというから、「ほどほど」の線引きもあまりあてにならない。病気で食事療法を必要とする人でもない限り、健康、健康と、細かな数字にこだわりすぎたり、マスコミが流す「危険情報」にいちいち反応してむやみに怖がったりしていたら、今度はストレスホルモンが増えてしまって、せっかくの健康への努力も逆効果になってしまいそう。つまるところ、ゆったりと構えて他人に振り回されることなく、何でもほとほどの量をおいしく食べて、楽しく飲んで、ほどほどの運動をしなさいってことで、医学の進歩に関わらず、健康に生きるための秘訣は昔から基本的には変わっていないんだろうな。「変われば変わるほど、元のまま」という名言があるから。

午後4時すぎ。また雪が降り出した。今度は少し大きめの雪ひらだからけっこう積もりそう。ポーチの温度計はマイナス2度。天気予報を見たら、日曜日の明け方の最低気温はプラス1度、日中の最高気温はプラス5度で、天気は雨。なあんだ、今回も備蓄してある融雪塩の出番はなさそうだな。ま、ほどほどに降って、ほどほどのところで消えてくれれば・・・。

人間も死滅回遊するのか・・・

2月27日。日曜日。薄目を開けて、ん、明るくも暗くもない。起きてみたら、おお、雨だ!正午過ぎのポーチの温度計はプラス1度。あったりまえだよなあ。だって、あしたはもう弥生3月じゃないの。もっとも、3月はライオンのごとくやって来るというからなあ・・・・

ゆっくりやれる仕事の方はきのうのうちに約25%を終了。ふむ、ほんとは50%であるべきなんだけど、ま、いいか。格調の高い英語がご所望なんだそうだけど、日本語の原稿はあまり格調が高いとは言えないなあ。コンピュータが普及し始めた頃に「GIGO」という言葉が流行ったけど、これは「Garbage in, garbage out」、つまり、くだらないことを入力したって、くだらない結果しか出てこないという意味。まさに、フツー(あるいはそれ以下)の日本語文を書いておいて、格調の高い英語文もへったくれもあるもんかという、気分になってしまう。まあ、文章を書いた人たちはみんなエライ学歴と高い学位をお持ちのエライ人たちのはずなんだけど、そういうエライ人が自分で発注業務なんてやってるわけがないから、いくら文句を言ってもむだだけど。んっとに、まったく、もう・・・。

きのう、ロイターズ経由の記事に「日本の女子高校生のほぼ4分の3が自分は太っていると思っている」という見出しがあって、その記事が読売新聞の英語版にも転載されていた。(日本語版では見つけられなかった。)東京のある研究機関が、日本、アメリカ、中国、韓国の7千人以上の高校生を対象に調査をしたところ、自分が太っていると思うと応えた割合は、日本71%、韓国57%、中国39%、アメリカ29%なのに対して、実際の平均BMIを見るとアメリカが一番高くて22.6日。本は一番低くて20.0だという。日本の政府でさえ最近は日本の若い女性は痩せ過ぎだと言っていたのに、それでも「太っている」と思うというのはどういうことなんだろうな。それが女性の美の基準となっているのか、それとも幼児的な体型への憧れなのか・・・。

この調査では、日本の高校生は4ヵ国の中でも「自尊感情」が最も低く、「自分は価値のある人間」と思う割合はわずか7.5%(アメリカ57%、中国42%、韓国20%)。この他にも、自分をポジティブに評価しているか、自分に満足しているか、自分には能力があるかと思うか、といった項目についても、日本の高校生の肯定的な回答の割合はすべて4ヵ国中の最低だったそうな。バブル崩壊以来の経済的の停滞に一因を求める向きもあるようだけど、どうなんだろう。ワタシは自信のなさの元凶はずばり「教育」にあると思うけどな。バブル時代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と煽てられて舞い上がったオトナが作った教育指導要領の影響をもろに受けたのが、バブル崩壊後の様変わりした現実世界で暗中模索を強いられている今の若い世代ではないのかと思う。バブルの後遺症といえなくもないけど、問題はまだ社会に出ていない世代がすでに自分を見失って、閉塞しているということかな。

稲作社会の日本には、元々から村の「和」を尊ぶあまりに個人(自我)の尊厳を否定する文化が根底にある。ワタシは、子供の頃から持って生まれたいろんな要素が「和」を乱すとして叩かれ、成人してからも人間らしく生きるために懸命だっただけなのに「(オレより)上に出るな」と叩かれて、それでも生き延びてきた「ぼっ杭」だから、個人の人格を否定するようことには人一倍敏感なところがあるとしても、今の日本の社会文化は自分を肯定する人、信頼する人、大事にする人を叩いて、貶めようとする「いじめ文化」が疫病のように蔓延しているように思う。人が自分の考えを述べることも、自分をポジティブに評価することも、自分はまっとうにがんばったと思うことも、受け取る側にはすべて悪。目立つな、人の迷惑になるな、人を不快にするな、人の考えや感情を最優先して考え、行動しろ・・・。

そうやって自己否定を強要することを、友だちや家族、夫婦の関係では「モラルハラスメント」、俗に「モラハラ」と呼ぶんだけど、バブル崩壊後の「失われた20年」の間にいつのまにか「常識」とか「マナー」と呼ばれるものになって正当化されて来たように見える。去年の教材関係のプロジェクトで資料として渡された教科書を見て、バブル期に始まっていわゆる「ゆとり教育」で頂点に達した教育政策がその元凶で、基本的にアメリカの教育思想を取り入れたはずなのに、その趣旨とは逆の結果が生まれたように見えるのは、やはり「個人(出る杭)」を尊重するという考えが抜け落ちていたからではないかと思った。他人とは違う自分の存在を認識していなければ、どうやって肯定すれば良いのか・・・。

何年か前に漁業に関する文書を訳していて「死滅回遊」という言葉に遭遇した。魚が海流などの影響で本来の生息域から遠く離れてしまい、元の海に戻れないまま、新しい環境での条件に適合できないために死滅してしまうことを言う。英語では「abortive migration」となっていたのに、海洋生物学の専門家にそんな用語は聞いたことがないと言われて頭を抱えた。どうやら迷子になった外洋の魚がうっかり日本の海岸に来て、釣り上げられたり、死んで打ち上げられたりすることを指す、四方を海と海流に囲まれた日本ならではの表現らしい。でも、こんなところで「死滅回遊」なんて物悲しい言葉を思い出したのは、海流に押し流されて、あてもなく大海を漂流しているような若者たちのイメージと重なったからかな。どこへ行くんだろう・・・。

母の心子知らず、この心母知らず

2月28日。月曜日。車道はほぼ100%、歩道も大半の雪が解けた。気温の予想は日中の最高も夜間の最低も向こう1週間はしっかりとプラス。あさっては相当に凶悪な嵐が来るらしいけど、まあ、白くなければちょっとぐらいの荒れ模様でもいいか。やれやれ・・・。

午後いっぱいは例の「注文の多い」仕事の見直し。元がフツーの文章で、内容そのものがごくフツーのことだったら、訳文も良くして「フツー」のレベルで、それ以上にはやんごとないレベルにはならないんだけどなあ。まあ、やってやれないことはないけど、英語でいうならtongue in cheekとでも言うのか、「やってらんにゃ~い」というような滑稽さが漂ってしまいそうでいけない。早い話が、日本の総理大臣の演説をオバマ大統領のようなレベルの英語に訳せと言っているようなものかもしれない。ひと言で言って、ムリ、no way、nada。ま、このあたりの葛藤があんがい翻訳商売における自虐的な楽しみだったりするんだけど・・・。

仕事にかまけているうちに、いつのまにか州の首相が新しくなっている。3期続いたキャンベル政権が州の売上税の連邦売上税との統合を強引にやってのけたことで与党の支持率が凋落する結果になって辞任を表明。新しい党首を決める選挙が土曜日にあって、選ばれたのが元閣僚のクリスティ・クラーク。キャンベル政権の閣僚だった頃に出産して、赤ちゃんを執務室に寝かせて仕事を続け、わりと美人ということもあって将来を期待されて副首相にもなったのに、なぜか育児と家族に専念すると言って政界から引退。この数年は地元のラジオ局でトークショーをやっていた。ラジオ番組のホストだけあって、立て板に水のしゃべりっぷり。いつのまにか離婚したようで、今回は9歳の息子を持つ45歳のシングルマザーとして州首相に就任するんだから、そのエネルギーはすごい。ま、野党の新民主党も似たような内輪もめで女性党首を退け、もうすぐ党首選があるから、そうでなくても何が起きるかわからないBC州の政治風景、彼女の政治手腕や政治日程は別としても、これからまたちょっとおもしろくなるかもしれないな。

今日の郵便にカレシの弟のジムから一通の封筒。宛名が2人になっていたから、何だろうと思って開けてみたら、小切手が1枚。ぺたんと貼ってあった黄色い付箋には、ジムの筆跡で「ママがみんなにあげると言っているから」という、謎めいた短いメモ。よくみたら、額面は1000ドルで、ジムの筆跡で書いてあるけど、サインは間違いなくママのもの。「ボケが始まって、頭がどうかしちゃったんじゃないだろうな」とカレシ。さっそくジムに電話をして事情を聞いたら、満期になった定期預金の分配だということだった。90代になって改めて定期預金に入れ直してもしょうがないし、かと言って自分の生活は老齢年金とジムが管理している投資信託の配当だけで十分以上だし、今すぐ役に立つところで使われた方がいいと決めて、夜の9時過ぎにジムを呼び出して小切手を作らせて、郵送させたんだそうな。

ジム曰く、「ママは好きなように使えと言っているんだから、そうするのが一番だと思う。いらなければどこかに寄付したっていいし」と。だけど、ポケットマネーと言えるような金額じゃないから、カレシは「ほんとに正気なのか」と心配。たしかに、去年の立て続けの骨折事故と入院の後には、食事を拒否したりして周囲を心配させたけど、今はきちんと食事をするようになって、薬で消耗した体力もかなり回復したし、ホームの中を歩行器具なしで歩けるようになっている。カレシに言わせれば、この先まだ何年もあるんだから、生活に困っていない子供や孫に金を配るなんてどうかしているということらしい。だって、このまま120歳まで悠々と暮らせるお金があるなら、設備も介護も環境もこのあたりで最高のホームに入ることだってできると思う。だって、大恐慌時代と、第二次世界大戦、そして極貧生活の時代を、働いて、家庭を切り盛りして、3人の息子を育て上げたママが築いた老後資金なんだから当然だとみんなが思っているのに、と。

よく「親の心、子知らず」というけど、「子の心、親知らず」も然りなのかな。最後的に、「せっかくだから、何か有意義なことに使おうね」と、納得したのかどうかわからないけど、カレシの結論。うん、120歳まで悠々自適ということなら、安心してありがたくもらっちゃっていいか・・・。