リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

日本人が他人恐怖症だとしたら、それは日本語のせいかも

2022年01月08日 | 日々の風の吹くまま
1月7日(金曜日)。🌤⛅🌥。台風一過のような朝。ルーフデッキの雪は80%くらい解けていて、残っている部分も氷のような感じ。近場の山並みは裾まであった雪が消えて、日が当たると何となく青々と春めいた色。べた雪から氷雨に変わった郊外では倒木による停電が多発し、バンクーバー島へ行くフェリーは今日も強風のため欠航。リビングの窓から見える自動車修理工場の駐車場には(修理を待っているらしい)車がいっぱい。でも、白い雲の間の青空はやっぱりいいなあ。

今日もけっこう暇なので、まずはこういう暇な時に読もうと思ってコピーしておいたBLOGOSの記事を開いて、ふむふむ。コミュニケーション戦略研究家の岡本純子と言う人がPresident Onlineと言うデジタル雑誌に寄せた記事のようで、タイトルは『「寒くないの?」の声かけだけで不審者扱い』。「寒くないかと声をかけただけで不審者扱いにされる」と言うところに目が行ったんだけど、区役所から「下校途中の小学生男児が女に声をかけられた」と言うアラートがLINEに来たんだそうな。路上で男の子に寒くないのか、どこの学校かと声をかけたそうで、「不審者」は50~60代女性と言うのに、50代の筆者は「私も不審者になるのか」ともやもやしてしまったそうな。思うに、その子が家に帰って「知らないおばちゃんに話しかけられた」と報告して、それを聞いたママが「こわぁ~い」と区役所のしかるべきホットライン?に報告したら、区役所が「それは危険だ」とアラートを発信したというところだろうな。

サブタイトルの『世界一血が通わない国・日本で進行する孤立化という病』が何だか怖いけど、日本では「他人恐怖症」の傾向が非常に強くなっている」そうで、ある調査では回答者の63%が「初めて会う人と話すことが苦手」と答えたんだそうな。なるほど。でも、日本は階級制度こそなくなっても未だにかなりの縦社会だし、そこで使われる日本語はその縦の社会を反映して、初対面の知らない人と気さくに言葉を交わすのが難しい構造になっているので、他人が怖くなくたってつい話しかけるのを躊躇してしまうんじゃないかな。まずもって、尊敬語、謙譲語、謙遜語、丁寧語というのは、実に奥ゆかしいコンセプトだと思うけど、ひとつの言語の中にボキャブラリーの異なる言語がいくつも枝分かれしていて、それを相手によって使い分けるようになっているから、相手と自分の間の年齢や地位と言った上下関係を推測してからでなければ口を開けない。相手についての推測が間違っていれば、ボキャブラリーの選択を誤ってしまうわけで、うっかり相手を下と踏んでしまったら、その人の自分に対する評価がガタ落ちになってしまいかねない。だから、ほんとに怖いのは見ず知らずの他人じゃなくて、自分の失敗(この場合は推測ミス)じゃないのかな。普通に丁寧語で話せばいいのにと思うけど、掲示板なんかを見ていると「マナー警察」と言う怪物が跋扈しているみたいだから、何とも窮屈な社会だなと思ってしまう。

ワタシは生まれついておしゃべりだから、どこでも誰とでも年齢や性別(ついでに人間や犬)に関係なく話をする習癖があるんだけど、東アジア人には話しかけにくいと感じるし、話しかけられることもめったにない。マンションにはアジア人も多いから、たまにエレベーターに乗り合わせた高齢者に中国語で話しかけられることはあるけど、ごめん、中国語はわからないのと言うとがっかりした表情で黙り込んでしまう人が多い。でも、これは他人と関わりたくないんじゃなくて、互いに通じる言葉がないからだと思う。逆に、若い人たちは「話しかけんなよっ」というピリピリしたオーラ全開で、ひたすらスマホを見つめているケースがほとんどだから、人種に関係なく知らない他人とは関わりたくないという意思表示なんだろうな。そうだとすれば、「他人恐怖症」と言うよりも「他人嫌悪症」とでも表現した方が、筆者の言う「孤立化という病」に近いような気がする。いつかまた日本に行けるようになったら、そのときは日本語が今よりもっとさび付いていそうだから、うっかり知らない人に話しかけないようにしないとね。声掛けしている怪しい外国人の老婆に注意せよ、なんてアラートを出されそうだもん。


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