リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

アファーマティブアクションにも賞味期限

2023年07月06日 | 日々の風の吹くまま
7月4日(火曜日)。☀⛅☁。連休明け。暑いなあ。日差しが南に回るのを待とうと、オフィスとダイニング/リビングのブラインドを下げたままにしていたら、するすると降りて来るロープの影。マンションの窓拭き、今日はこっち側からか。午前中は反対側の方が日陰で少しは楽じゃないのかな。日がカンカンに当たっている側だったら、下手したらフライになっちゃいそう。それでも、水と道具の入ったバケツを腰に付けてルーフデッキに降り立ったスパイダーマンが、我が家のダイニングとオフィスのワタシ側半分もきちんと掃除してくれたので、内側を掃除しないでいる口実がなくなったぁと言ったら、お兄ちゃんは大笑い。大きなスクィージーを振り回して、「これさえあれば楽々だよ」だって。窓拭きも排気口の掃除も、スパイダーマンは陽気な人が多いみたい。

カナダは連休明けだけど、アメリカは今日が独立記念日の祝日。あちらさんはここんところずっと政治も社会も何かとごたごたしているけど、もしかして賞味期限が過ぎちゃったのかな。ジョン・マクウォーターと言う言語学者がニューヨークタイムズに書いているコラムをニュースレターとして購読しているんだけど、つい最近のハーバード大学の人種基準の入学選考を違憲とした最高裁の判断について、なかなか奥の深いことを書いていた。この先生は裕福な中流家庭の出身だけど、黒人。特に有色人種を優遇する「アファーマティブ・アクション」のおかげで、高校時代は勉強を手抜きして趣味に打ち込んでいたんだそうな。でも、今になってみると、昔は必要性があったかもしれないが、いつまで実施すべきかを考慮すべきだったと言っている。たしかにね。ワタシに言わせれば、肌の色や人種を基準に選ぶと言うこと自体が基本的に差別的制度だと思う。たとえ不平等をなくすと言う大義名分があったとしても、制度として定着してしまえばただの特定グループの特権に過ぎなくなって、そこまで行ったら取り除くことほぼ不可能・・・。

カナダでも男女の機会均等を目指して、女性であることが確実に有利だった時代がある。ちょうどワタシが来た頃だったかな。事務職のワタシにはあまり縁のない話だったけど、女性だから、マイノリティだからというだけで選ばれるということに何となく嫌悪感があった(今でも)。だって、持って生まれた才能や努力して得た能力を無視して、その人が選択できなかった生まれつきの「見かけ」だけで人間の価値を判断しているわけで、まさにルッキズムの典型。もっとも、ルッキズムが動物種の生存本能に根差しているとしたら、知性と理性を得たはずの人間がそれを克服できなかったどころか、意図的に利用することを覚えて、社会制度として発達させたってことなんだろうけどね。でも、そうやって優遇された人たちが人一倍がんばるかと言うと、そうでもなさそうで、マクウォーター先生も高校時代に白人の学生たちから「勉強しなくてもいい大学に行けていいな」と言われて、ラッキー!とばかりに勉強は手抜きで趣味三昧だったそうな。昔から、水は低きに流れると言うけど、ほんとにねえ・・・。

劇作家志望のワタシが近しい人の「日本のことを書きなさいよ」というひと言で芝居の創作を止めてしまったのも、人間の本質を無視して機械的に「みんな同じ」を実現しようとする今の時代環境と無関係ではないと思う。その人は今でも友達だし、「日本人なんだから(カナダのことじゃなくて)日本のことを書くべきだ」と言ったんじゃないことはわかっていたんだけど、それでも何十年も住んでいなかった国の何を書けというんだ、それがカナダで劇作家になる要件ならごめん被ると、ある意味でムカついちゃったわけ。それ以来ことあるごとに、人生の展望を狭めるような特定のラベルを貼られたくないと言っていたせいで、少なくとも演劇関係の交流範囲ではみんなわかってくれたみたい。要するに、人間のやることには何であれBest before date(賞味期限)があるってことで、アファーマティブアクションもそのひとつだし、ダイバーシティとは何かという「理想的な」仕組みを解説しているうちは、感情に染み付いたステレオタイプとか先入観とか偏見というのはそう簡単に根絶できないと思うね。☆☆ネットがダウンして、そのままアップし忘れ・・・☆☆


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