リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

翻訳者稼業は綱渡り

2015年01月15日 | 日々の風の吹くまま
ネットを散歩していたら、BLOGOSに日本の新聞がCharlie Hの「Tout est pardonné」を
「すべては許される」(=何をするも自由)としたのは誤読だという記事があった。ワタシはフ
ランス語から「All is forgiven」(すべてを赦す)と読んだけど、直訳日本語では新聞メディア
の訳になってしまうだろうな。「All is forgiven」はキリスト教思想が下地にあって、(酷い目に
遭ったけど)怨念を捨てる(赦す)という感じだけど、異教徒の日本人には通じないだろうか
ら、ワタシだったら日本的に「何もかも水に流す」と訳すだろうな。

辞書を見ると「許す」に多様な意味合いの英語が挙がっている。つまり、日本語は「赦し」も
「容認」も「許可」もみんな「許す」で事足りるわけだけど、この大まかさに日英翻訳者はいつ
も悩まされる。英語は難しいと嘆く人に「コミュニケーションの道具に過ぎない」と助言するの
をよく見るけど、人間の言語は無機質な「コード」ではなくて、それぞれの民族が生まれた環
境とそれに根ざした思想や宗教、文化が根底にある。だから翻訳はtraduttore, traditore
(イタリア語で「翻訳者は裏切り者」)と言われるほど危ない綱渡り仕事ってことだけど、互い
に分かり合えないとしたら言語を機械のように扱うからかもしれない。

CHの「風刺画」は他のメディアでよく見るけど、全然おもしろくないというのがワタシの正直
な感想。欧米の新聞は社説のページにひとコマのeditorial cartoon(時事風刺漫画)を掲
載するのが普通で、的を得た突っ込みに笑ったり、ペーソスに胸を熱くしたりするものが多
い。時の権力や権威を笑いのネタにする点では同じなのに、CHの「風刺」からユーモアも
ペーソスも感じられないのは、フランス人の感覚がイギリス人(とそれを受け継いだ英語圏)
の「ユーモア」とはまったく異質なものだからじゃないかと思う。

日本の人は西洋を大雑把に「欧米」と括るけど、「欧」と「米」の気質は日本人が想像する以
上に違う。単一民族が単一言語を話す島国の視座からは見えないかもしれないけど、カナ
ダとアメリカは東京と大阪以上に違うし、ヨーロッパの中でもフランス人気質は際立って独特
だと思う。それにしても、他国での事件を語りながら、他国や宗教に暴力を振るわない、思
いやりのある日本人はやっぱり偉いという方向へ引っ張るような記事が多いのは、他の(気
質の違う)国の文化や人と比べて(見下げて)の「日本(人)スゴイ」論が浸透しているという
ことなのか。ほんとにスゴイんだったら他と比べる必要なんかないと思うけど。