リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年5月~その1

2013年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
もしも、亭主ロボットや嫁ロボットがあったら

5月1日。水曜日。今日から5月。今日からごみ収集方式が変わって、今日は堆肥ごみとリサイクル品だけを回収。我が家は堆肥ごみに出すものがなくて、リサイクル品だけ。普通ごみは毎週出さないことが多かったから、方式が変わっても問題はない。何だか静かだったようで、いつものようにトラックの轟音で目が覚めずに、正午ぎりぎりまですやすや。でも、普通ごみも回収する日は、リサイクルトラックが1回、堆肥ごみのトラックが1往復、普通ごみのトラックが1往復。ということは、へたをすると、ダブル収集の日の朝は早朝から5回も目を覚まされる可能性が・・・。

今日はまず大洗濯から。ランドリーシュートは積み上がった洗濯物に押されてドアが開き始めている。このままだと洗濯物のなだれが起きそう。家事をさぼるとこうなるのはわかっちゃいるけど、カレシに洗濯するからベッドルームに積んである汚れ物を落としてよ~と言ったら、いそいそと二階へ上がって行って、シャツやらジーンズをどさっ。ほんとうにシュートのドアが開いて大なだれ。うはあ・・・。

洗濯機を回しておいて、キッチンの床掃除。カウンターやテーブルの上のごみやパンのくずを盛大に払い落として、ルンバ君にお任せ。洗濯をしてくれるロボットを作ってくれる人、いないのかな。まあ、大昔は盥と洗濯板でごしごしやっていたことを考えたら、「洗濯機」がそのロボットなのかもしれないけど、色物と白物を選別して、洗濯機に洗剤を入れて、適切な設定を選んで、スイッチをオンして、洗い終わったら乾燥機に入れて、乾いたらアイロンのいるものはアイロンをかけて、きちんと畳んでくれるロボットが欲しい。昔、誰にだったか忘れたけど、そんなことを言ったら、「嫁さん、もらえばいいじゃん」と返された。う~ん、お嫁さんはいらないなあ、ワタシ。だって、ロボットの方が楽しそうな気がするもの。

小町横町を見渡してみたら、『婚活市場でどうすれば売れるか』という質問。猫も杓子もコンカツ、コンカツの日本。「市場で(自分を)売る」というところからして、まさにmeat marketの観。スラングとしての意味はあまり芳しくないので日本語は省くけど、「婚活」も自由経済市場の原理で動くとすれば、当たらずと雖も遠からずかも。では、どうすれば売れるのか・・・難しい問題だな。買い手が重要視するのは何かを見極めなければ、「売れる」商品作りは難しい。買い手市場だとすると、pricing(価格設定)か、packaging(包装)か、status(ブランド)か、あるいはutility(使い勝手)か。場合によっては、買った後で維持費や運転費用その他のコストが発生するから、availability(稼働率)やdurability(耐久性)という要素も考慮に入れないと「無駄な買い物」になってしまうこともある。

お買い得セールというのもあるかもしれないけど、そういうのはあまり選べないから、「安い!」と思って買って後悔ということもありそう。もちろん、買ってみたら「買い得」だったとか、「掘り出し物」だったということもあるだろうけど、そういうのはたぶん、街を歩いていてふと目に留まったものが気に入って衝動買いしたとか、ちょっと規格外れだけど思いがけずぴったりフィットしたという場合かなあ。そういうのに意外と永く愛用するようなものが多いんじゃないかと思うけど、brand(結婚)が目的だとそれを見つける確率は低そう。流行は飽きやすく、移ろいやすい、ブランドは所詮持って歩いて人に見せるものだし・・・。

でも、今どきの結婚って、そんなにドライなものなのかなあ。まず好きな相手がいて、その人と一緒にいて人生を分かち合いたくて結婚するという形はもう廃れてしまったのかなあ。結婚したい!と思って、誰かいないかなあとカタログから相手を探すのが婚活だとすると、こてこての昭和育ちでロマンチストのワタシにはムリだな。まあ、出会いを待っていられない世の中なのかもしれないけど、だったら日本が誇るロボット技術の粋を結集して、結婚相手ロボットを開発したら、好みのスタイルに作ってもらえて、好みのタイプにプログラムもできるから理想的かもしれないな。(マリッジロボットだから「マリンバ」とか。)まあ、あまり夢のある話とはいえないけど・・・。

西も東も春の雪なのに夏の陽気?

5月2日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。ふむ、何だかちょっと曇りがちのような感じ。週末にかけては真夏のような天気になるという話だったけど、どうしちゃったんだろう。

カレシは英語教室ダブルヘッダーの日。朝食を済ませて、いつものように「あれがない、これが見つからない」とひとしきりバタバタして、「じゃあな」と午後の部にお出かけ。

ワタシはきのう洗ったものが山のようになっている洗濯かごから一階に置くものだけを引っ張り出して、たたんで、しまって、夕食の食材をフリーザーから出して、さて、仕事。いつものことではあるけど、日本はゴールデンウィークで、日本にいる人たちは行楽に出払ってしまうから、その間の仕事はみんな太平洋のこっち側にしわ寄せ。連休明けに納品してね・・・はあい。いいなあ。日本ではみんな遊んでいるってのに、その分こっちはねじり鉢巻のたすきがけで仕事・・・。

カレシが帰って来て、夜の部の準備をしている間に、ワタシはトレッドミルで運動。今日からは時速4マイル(6.5キロ)でスロージョギング。このスピードだと、早歩きはちょっときつくなって、走る方がずっと楽な感じ。時間を15分に設定して、1.6キロ。けっこう汗をかく。このペースで1週間くらい足馴らしをしたら、時速8キロになるまで、少しずつスピードを上げて行くのが目標。脇腹から胃のあたりについていたぷよぷよが心なしかちょっ~とばかり減ったような、減っていないような。走り終わったら、熱い1分間シャワーで汗を流して、夕食のしたく・・・。

天気予報によると、明日から1週間くらいずっと晴天で、土曜日から月曜日あたりまでは最高気温が20度を超えるらしい(平年並みは15度前後)。内陸の郊外では25度を超えるだろうな。明日は半袖を通り越して、スリーブレスにするかなあ。日照時間は日の出から日の入りまでたっぷり15時間で、いかにも夏だ!という感じ。そうそう、エアコンを始動させなくちゃ。でも、5月に入ってからの始動はいつもより遅い。去年も4月の末だったし、ここんところなぜか春がいつまでもだらだら続いているような。でもまあ、この週末はご近所中からバーベキューのおいしそうな匂いが漂って来そうだなあ。

我が家の前庭は、藤色の原種チューリップ、ブルーベルとホワイトベル、ヒヤシンス、すずらんがいっせに、でも雑然と花を咲かせて、枯れたと思っていたボケまでが3つ、4つ花をつけている。見上げればライラックも満開に近くなったし、アメリカハナズオウも赤っぽいつぼみがたくさん。このハナズオウはアメリカ東部が原産地で、バンクーバーには数えるほどしか植えられていないらしい。ほんとに今ごろは、桜の季節こそ八重桜が盛大に散ってほぼ終わったけど、道を歩けばあちこちでシャクナゲとモクレンが真っ盛り。こういうのを文字通りの百花繚乱というのか、外を歩くのが楽しくなる。

でも、この週末のバンクーバーにはちょっぴり時期外れの夏の到来だけど、州の内陸部やアメリカ中西部は時期外れの大雪で、ミネソタ州やウィスコンシン州では30センチも積もったところがあるらしい。何だか申し訳ないみたい、と思ったら、北海道でも雪が降っている。オホーツク海側の紋別では6センチも積もったそうで、札幌でも21年ぶりの5月の雪になったそうな。もっとも、釧路に住んでいた子供の頃には、ゴールデンウィークに雪が降るのはあまり珍しくもなかったように思う。よくぼた雪をかぶった傘をさしてメーデー行進をしている写真が新聞に載っていたな。(テレビはまだなかったような・・・。)

それにしてもまあ、どこもかしこも何かヘンな気候だこと。だいじょうぶか、地球・・・?

勝手に人生相談承ります

5月3日。金曜日。起床は正午ぎりぎり。何かすっきり目が覚めなくて、寝起きが良くないような。でも、予報の通りにいい天気で、庭仕事に出て行ったカレシは30分もしないうちに、「暑くてやってられん」と、汗びっしょりになって家の中に入って来た。(水を飲んだほうがいいよ~。年寄りになると脱水状態になっていても気づかないらしいから。)

ワタシは今日も仕事日。ゴールデンウィークの日本はみんな出払ってしまって(あんがい50キロの渋滞にはまっていたりして)、メール前線は静か。(嵐の前じゃないといいけど。)でも、全体の予定を見ると比較的余裕がある(ようにに見える)ので、ちょっとやってはだらだら。大あくびが出るたびに(頭じゃなくて)モニターの画面を切り替えて、小町横町のタイトルだけを眺めて、勝手に人生相談回答者の帽子を被って、突っ込みを入れてみる。たとえば・・・

「チョコケーキやアイスが苦手」――アイス(クリーム)の食べ過ぎは日本人の低体温化の要因のひとつらしいですよ。低体温になるとウィルスやがん細胞が喜ぶだけです。苦手を善しとしましょ。

「グーグルマップで家が小さいのがバレた!」――まさか「うちは大きすぎてお掃除がタイヘンなのぉ」なんて言ってなかったよね。へたな見栄は張りすぎると風船ガムみたいにパチンと弾けて自分の顔にべちゃっと貼りつくんですよ。

「出会いの方法」――出会うことです、はい。

「海外在住。日本の友人との関係」――去るものは日々に疎し・・・。

「アメリカ人の夫とくだらないことで喧嘩になった」――アメリカ人でなくても、みんなしょっちゅう夫とくだらないことで喧嘩してますって。それが夫というものなのです。

「好きになれない子供のタイプ」――自分の子供がそのタイプじゃないといいですね。

「2年間がんばったけど、彼女に昇格できませんでした」――「カノジョ」というのは、がんばって「昇格」する地位だったのですか。それはそれは、お疲れさま。でも、マゾっぽくないですか?次、行きましょ、次。

「アラフォーの恋の始まり方・・・これはありですか?」――恋の始まり方って、実に何でもありです。恋が始まってからも何でもあり・・・。

「電車内で爆睡するひと!」――うん、たっくさんいますね。電車に乗った時のマナーかと思いました。

「40代女性。無資格で離婚します。収入を得るには」――離婚する資格が必要とは知りませんでした。収入を得るには、働くしかないでしょうな。銀行強盗というのもあるけど、不安定そうだし、すごい体力がいりそう・・・。

「40代、年を取っていいことありますか?」――40代はまだダメです。60代になれば何だかんだと割引があったり、電車の優先席に座れたり、言いたいことをずけずけ言っても年寄りのことだからと大目に見てくれるし、いいことずくめになります。あと20年、がんばって生きてください。

「ねむ~い。とにかく眠たい」――おやすみぃ~。Nighty-night. Sleep tight.

はて、ワタシ、こんなことやって遊んでいる暇があったんだっけ?

今日はスターウォーズの日なんだって

5月4日。土曜日。ああ、よく寝た。今日もいい天気。(予報では向こう1週間ずっと「いい天気」。)天気予報サイトのポイントキャスト(我が家のある区域のピンポイント予報)によると、午後2時半の気温は23度で、湿度39パーセント。こりゃ「夏爛漫」だ、もう。

今日5月4日は、何と「(国際)スターウォーズデイ」なんだって。日付を英語で言うと「May the Fourth」なので、ジェダイ騎士のあいさつ「May the Force be with you」に引っかけた、しゃれっ気たっぷりの日。世界中でスターウォーズに因んだイベントがいろいろとあるらしい。こういう遊び心たっぷりの「国際何とかデイ」もあっていいよね。

一番最初のスターウォーズ(後のエピソード4)をカレシと見に行ったときはすごい感動だったな。オープニングタイトルの「A long time ago in a galaxy far, far away....」を見たとたんから胸がわくわく。「むかし、むかし、はるかなたの銀河系で」というあれ、なぜか子供の頃に近所に来ていた紙芝居屋さんの口上を思い出したけど、宇宙船やロボットが登場するSF映画のストーリーを「むかし、むかし」で始めるという発想は新鮮だったな。そうなんだ、あの映画は何もかもが新鮮な感動だったと思う。同じ時期にスティーブン・スピルバーグの『Close Encounters of the Third Kind』(日本題は『未知との遭遇』)もヒットして、インテリ気取りは「Close Encounters」の方を評価して、「スターウォーズは子供っぽすぎ」とこきおろしていたもんだった。まあ、スターウォーズは基本的には古典的なアメリカ西部劇なんだけど。

でも、ああいう映画はめったにない。砂漠の星タトゥーインの地平線に沈んでいく「双子の太陽」のイメージは今も記憶に鮮明だし、ルークがハン・ソロと出会うバーでは奇妙な異星人たちのバンド演奏が強烈な印象として残っている。最後はすごいスピード感に、手に汗を握って座席の縁まで身を乗り出していた。後でテレビで製作過程のドキュメンタリーを見たけど、今のようなCG技術がまだ存在しなかった時代にあれだけの特撮をやってのけたジョージ・ルーカスは天才だと思ったな。あまり映画は見ないワタシだけど、あるいはそのせいかもしれないけど、スターウォーズは映画として類まれな傑作だと思う。

スターウォーズに登場するキャラクターでどれが好きかと聞かれたら、ワタシは何と言ってもチューイーことチューバッカが1番。何だか雰囲気全体に一度仲良くなったら絶対に裏切られることはないだろうという安心感がある。「頼りがいのある人」って感じかな。「かわいい」って感じもするし・・・。2番目はR2D2で、3番目がヨーダ。後のポケモンのピカチューにはR2D2を思わせるところがあると思う。(一人で家で仕事をしていて、よく英語版のポケモンを見ていたワタシ・・・。)

そういえば、スターウォーズを見た映画館は、今Arts Clubのスタンリー劇場になっている。これも何かの縁なのかなあ。ま、May the Force (Fourth)be with you!

激安のモノはどうして激安なのか

5月5日。日曜日。暑い!目が覚めたら汗をかいていた。きのうはエアコンを起動して、ファンに設定して1日運転したので、今日はさっそくクーラーをかける。窓の多い二階は日光がいっぱい。我が家は断熱性が良すぎて、日中暑くなると、夜になってもなかなか温度が下がらないのが悩み。

バングラデシュでのビル崩壊事件。軟弱な地盤の改修もせずに建てられたビルには本来の建築用途ではない縫製工場がいくつもあって、ミシンの数は1000台とも2000台ともいわれる。死者の数は600人以上、負傷者は2千人を超え、そのほとんどが女性。母を亡くした子供たちがどれだけいるのやら。子供を養うために必死で働いていたシングルマザーたちも多いだろう。その子供たちはこれからどうなるのか。違法建築、違法操業を平気でやるような雇用主が保険に加入していたとは思えないから、障害を負ってしまった人たちは補償もないままこれからどうやって生きて行けばいいのか・・・。

先進国からの仕事がなければバングラデシュのような後進国はどうやって自国民の生活を向上させられるんだと言う人もいる。正論ではあるかもしれないけど、こういう議論には「恵んでやっている」という傲慢さがプンプンする。かって、親しい友だちが集まったパーティで海外旅行の話をしていて、費用の安さを理由に貧しい国へ遊びに行くことの是非を議論をしていたら、ある人の奥さんが「でもさぁ、貧乏な国がないと、あたしたち中流階級がバケーションに行けるところがないじゃないの」と口をとがらせて反論して座が白けてしまったことがあったけど、同じ思考なんだろうな。流行のモノが欲しいけど、高くて買えない。でもそれを身につけてファッショナブルな人間だと認定してもらいたい。そんなときに、「そこのファッション感覚抜群の方、お安くなってますよ~」と囁くグローバル商人・・・。

日本にも、発展途上だった明治時代には若い女性たちが鉄格子を設えた製糸工場で毎日13、4時間も埃にまみれて働き、偏った食事や劣悪な労働環境で結核などの病気で倒れて行った「女工哀史」があった。(最近は「女工たちはどっちかというと恵まれていた」と評価したがる向きもあるらしいけど、たぶん「denial」という、自分にとって嫌なことや気まずいことは信じたくないという否定心理がどこかで働いているのかもしれないな。)そうやって先進国になった日本は今、「外国人研修制度」の大儀名分で発展途上のアジア諸国の労働者を劣悪な条件や差別の下で働かせているらしいけど、日本の一般社会はそういうことには無知なのか、あるいは「後進国の人間を働かせてやっている」という思考で見て見ぬふりなのか、そういう「ブラック企業」を蔓延らせているような観もある。

消費経済のウォルマート化(日本だとユニクロ化かな?)というのか、最新ファッションを安く手に入れるのは「権利」があるかのように洗脳された先進国の消費者もけっこう罪深いと思う。モノやサービスにはそれを生産するためのコストというものがあって、その中には人件費という、業種によってはかなり大きな比重を占めるものもある。何らかのコストがかかっていないものなどありえない。安いものはそれなりにそのコストのどこかを削っているわけで、それ自体はビジネスの常套手段として悪いことではないけど、安く買えてあたりまえと刷り込まれた消費者の要求を満たすためにさらなる「激安」を追求して、どこかで一線を越えてしまうと問題が起きて来るし、ときには倫理問題にも発展する。

ワタシは社会主義者でも社会活動家でもなくて、けっこう俗物的な人間ではあるけど、長いこと自分で自分を「雇用」して自分の経済基盤を確保するおひとりさま自営業で生計を立てて来たし、仕事の上でさまざまな日本企業や欧米企業が華やかさの裏に隠し持っている「本音」を垣間見ることも多かったから、明らかな売れ残り品や見切り品ではなくて、初めから意図的に「激安」と銘打って売られているものを見ると、「安い!」と喜ぶ前に、つい何となくなぜそんなに安いのか、コストのどこを削ったのか、誰がその代償を払っているのかを考える。買うかどうかは別の次元の意思決定だけど、あまりにも安いと感じたものは直感的に買うのをやめることが多い。

でも、一般の消費者には目の前にあるモノがそこに到達するまでの「供給連鎖」は見えないのが普通だから、ここは各段階の供給者がその連鎖の上流、下流のもう少し先の方まで目配りすることを要求するしかない。それでモノの値段が高くなるとしたら、今までどこかで妥当な以上にコストを削っていたから安かったんだと納得すればいいんだけど、はたしてウォルマート化された消費者が納得するのか・・・。

トラブルはだんご3兄弟でやって来る

5月6日。月曜日。今日は20度ちょっとで、あまり暑くないはずの日。それでも平年よりは5度くらい高いという予報。きのうは内陸の郊外で30度を超えたところがあったとか。

エアコンを午前11時起動にセットしておいたので、快適に眠って、快適に目が覚めて、身支度をしていたら、キッチンから、「おい、コーヒーメーカーがスタートしないぞ~」とカレシの声。キッチンに降りて行って、あれこれいじってみたけど、ほんとにうんともすんとも言わない。ここのところ少々不調だったけど、いよいよジ・エンドか。

「コーヒー、どうするんだよ」と、少々苛立たしそうなカレシ。
「エスプレッソ用のポットがあるからだいじょうぶ」。
「それだとほんの少ししかできないじゃないか」。
「あっ(と、電球がポッ)!フレンチプレスがあるよ」。
「何だ、それ?」
「コーヒーを入れて、お湯を入れて、プランジャーを押すコーヒーポット」。

ということで、キャビネットの一番上の棚においてあったボダムのフレンチプレスを出して来て、とりあえず問題解決。カレシ曰く、「この方が簡単だし、おいしいから、もうコーヒーメーカーは買わなくていいよ」。

――

カレシは暑いからと庭仕事はやめて、その代わりトレッドミルで10分。カレシが走り出すとフレームの中でカチッ、カチッという音が頻繁にする。あれ、ねじか何かが緩んでいるのかな。でも、その後ワタシが走ったときは初めに3、4回聞こえただけだった。跳ねるように走ってみても、1回だけカチッ。カレシは昔から足取りが重いし、体重が20キロ以上違うし。「チェックしてもらおう」と、電話に飛びつくカレシ。そうそう。

――

「コーヒーメーカーとトレッドミルと、次は何かなあ」と、サラダを作っていたカレシ。
「ワタシのスチーマー!容器のひびが下まで行っちゃったの。オーブンは去年からダメだから、今のところ4つね」。
「そういえば、家電がばたばたと故障したことがあったな」。
「そうそう、VCRとか何とか、3ヵ月くらいの間に8つも壊れたよねえ」。
「8つも?じゃあ、4つはまだそう悪くはないってことだな」。
「ええ?だけど、これ以上壊れたら買い替えの費用がタイヘンだよ~」。

午後4時のポーチの温度計はまだしっかり25度。何かみ~んなヘンだ・・・。

トラブル、もうひとつ

5月7日。火曜日。ほんの少し気温が下がって、今日は爽やかなそよ風。でも、寝つきが悪かったもので、何となく眠い。ゆべはどういうわけか両足の膝から下がパンパンに腫れて、カレシによると顔までちょっとむくんでいた。急に暑くなったせいかと思ったけど、カレシは「いきなりトレッドミルでバンバン走るからだよ」。そうかなあ。今朝はちょっとよくなっていたけど・・・。

きのうは仕事の関係でいけなかったので、今日新しいコンタクトレンズを取りに行った。うっかりレンズを流してしまってから1年近く古いのを使っていたので、帰って来てさっそく入れてみたら、あ~ら、辞書の小さな字がちゃんと読めるではないか!これで、辞書を調べるたびに大きなルーペを持たなくてもよくなるし、老眼鏡をかける必要もないな。ばんざ~い!

新しいレンズで世の中の展望がちょっぴり明るくなった気分で、仕事、仕事。やり慣れた契約書だから楽だけど、ワタシの後ろでカレシが英語教室の生徒さんとスカイプで話をしたり、またぞろ「あれがない、これが見つからない」とうろつき回ったりするので、気が散ってしょうがない。あのね、何をどこに置いたか知らないかって、置いたのはアナタなんだから、ワタシが知ってるわけがないでしょ?

ご飯を食べて、また仕事。寝るまでに終わるかな?アイスホッケーのプレーオフ、バンクーバーカナックスは今年も第1ラウンドで4連敗して、あっさりと脱落。いつもなら窓口に長い行列ができて、ダフ屋が儲かるプレーオフのチケットが、今年はオーナー会社が割引販売したくらいに売れ行きが悪かったとか。ふむ、こっちももしかしたら修理不能の故障かな。Fair weather fan(勝ってる時だけファン)のカレシは「Who cares!」(知らんよ、もう!)

そのうち、オフィスの中でしきりに鳥がさえずっているような、どこかで電話が鳴っているような音が聞こえるから、2人して、耳を澄ましてあっちこっち。どうやら換気装置の給気口からとわかって、ワークショップにある換気装置を調べたら、う~ん、どうもトラブルのおだんごがもうひとつ・・・。仕事を中断されたついでに開けて調べたら、モーターは動いているけど、制御装置のあるあたりが熱い。あした、サービスを呼ばなきゃ・・・。

こういうトラブルって、どうしてこう、だんごみたいに次々と起きるんだろうな。去年から壊れっぱなしのオーブンも入れると、トラブルだんごはこれで5兄弟。もうひとつ故障して6つになったら、もしかして半ダース割引・・・なんてことは、まあないだろうけど。

カレシは「みんな同じ組合に入ってるからなあ」と冗談に言うけど、ワタシは組合に入ってないから、せいぜい「故障選手」の仲間入りをしないように自衛しないとね。

難しい日本語はほんとに難しい

5月9日。木曜日。この2、3日寝酒をグラス1杯(1オンス)だけにして、肴もクラッカー程度で少量にして、就寝時間も1時間くらい早めたら、目覚めの時間はあまり変わらないけど、何となく睡眠の質が良くなった感じ。足もほとんど浮腫まなくなった。右のふくらはぎの下の方の痛みがまだ取れないので、トレッドミルはひと休み。軽い肉離れでもしたのかな。やっぱりカレシの言うように、長い間休んでいたトレッドミルをいきなり昔のペースに近いレベルで再開したのが良くなかったのかもしれないな。うん、過信は禁物・・・。

英語教室の午後の部に出かけるカレシを送り出して、今日から最後に残った一番大きなファイルと格闘。ゆうに5日はかかりそうな量あって、カレンダーの上では6日あるけど、月曜日は交響楽団のシリーズの最後のコンサートだし、火曜日には不調のトレッドミルと換気装置の両方の修理屋が来るし、おまけに冷蔵庫の食料が品薄になって来たし、あ~あ。これって、「半隠居」どころか「25%隠居」にもほど遠いじゃないの、とため息をついてみるけど、あ~あ。まっ、生活ってのはそんなもんだけど。

カレシがお出かけで静かなオフィス。仕事に集中したいのに、きのうから校正担当者が飛ばしてきた質問メールがいくつもあって、まずはそっちの対応に追われる。たいていは英語思考的な観点から説明するか、ちょっとの手直しであっさり解決するんだけど、ときには「ん?」と考えさせられる質問もある。元からやたらと複雑な漢字言葉をちりばめてあって、中には日本語の辞書を引いても出て来ないようなレア?な語まで使っているから、校正担当者さんと二人三脚で解決して行かなければならない。けっこう日本語思考の勉強になるという感じもするけど、納期の関係で翻訳と校正が同時進行するようなときは、メールのたびに思考が中断されるから、疲れることはなはだしい。

でも、お役所的なところの事務方の人たちの「作文」はいつも頭痛の種であることには変わりがない。日本の学校ではもう作文の授業はやってないのかな。大学では論文とか書いたんだろうになあ。まあ、最近は英語人の英語作文もひどいもんだけど、日本語人の日本語作文もそれに輪をかけたくらいにひどくなっているという印象。特に難解な漢字言葉など、もしかして漢字検定とやらの勉強テキストで覚えたのを使ってみたんじゃないかと疑ってしまうようなのがあって、そのまま訳すと意味がおかしくなる(齟齬する)から、ほんとに意味を理解しているんかいなと首を傾げることも多い。(まあ、エライ人はエライ人なりに自分の地位に「相応しい」文章を書きたいのかもしれないけど、読み手に通じないんじゃムダな骨折りだろうに・・・。

何と言うか、高級な道具類は揃えたけど、使い方がよくわからないか使いこなせていない、という感じで、英語の語彙と文法を英語人も敵わないほどばっちり極めたのに、英語人との会話について行けないと嘆く人と似ている。まあ、道具の使い方をマニュアルで覚えただけのうちは簡単そうに感じるけど、マニュアルを卒業して、自分の想像力を使ってその道具で何かをする段階に入ったら、使い勝手が悪いと言い出すようなものかもしれない。生半可に覚えた小難しい言葉も同じことかな。人間と言う生きものが、人間同様に「生きもの」である言語を使って意思伝達を図ろうとするわけで、機械的に文法に従って単語を並べても、「話」として通じないこともあるってこと。

まあ、日本語の字面にこだわらずに文章全体の流れで読み取った方がいいよ、と校正担当者さんに勧めてみたけど、日本語浦島になりつつあるワタシが見落としやすい日本語の行間にまで目配りしてくれる人だし、校正編集という立場上、どうしても「この語はこの訳でいいのか」を考えるのはいたしかたがない。日本語と英語とをすんなりと1対1で置き換えられたらどんなに楽だろうと思うけど、もしもそうなったら、ワタシの商売は立ち行かなくなる・・・よね?ま、文句を垂れている暇があったら、鉢巻を締め直して、いざ、仕事だ~。

甥の肝っ玉嫁さんが・・・

5月10日。金曜日。起床は午前11時50分。いい天気だけど下り坂の予報。まだ、5月の半ばなんだから、夏の陽気は早すぎるな。足のむくみはやっぱり急な気温上昇のせいだったのか、今日はすっかり普通に戻って、1キロ半跳ね上がっていた体重も元に戻った(といっても、まだ自己目標を2キロオーバー・・・。)

今日はねじり鉢巻の仕事日・・・と、意気込んで、でもコンピュータの前に座ってまずメールをチェックして、新聞サイトを一巡し、フェイスブックを開いたら、あれ、タイヘンだ。甥のビルの姉さん女房のサンドラが足首を骨折!サンドラはヘアドレッサー。識字障害のあるビルの書き込みは綴りがめっちゃくちゃだけど、何とかつなぎ合わせたところでは、サロンで仕事中に何らかの事故があったらしい。身体障害のある客がいたそうだから、介助をしていて足首を捻ってしまったということなのかな。何にしても、ヘアドレッサーは立ち商売だから、その足を骨折しては仕事にならない。(腕だともっとタイヘンか・・・。)

サンドラはサロンに勤務しているのではなくて、椅子を借りて商売をしているから、労災補償はあるのかどうか。最初は全治数週間の診断だったのが、明日土曜日に手術でピンを挿入して、日曜日に退院で、全治するのに3、4ヵ月はかかるとか。よほど複雑な骨折なんだろうか。まあ、ワタシが足の中指1本を捻挫しただけでも、普通の靴を履いて歩けるようになるのに3ヵ月かかってしまったから、特に複雑にできている足首の骨折となるともっとタイヘン。でも、肝っ玉母さんのサンドラのことだから、ギプスをした足を引きずってでも仕事に復帰するだろうな。

ワタシがカナダに来たとき7歳だったビルは、今では白髪交じりの中年おじさんになっているけど、識字障害(学習障害)の診断が遅れたため、高校時代はかなり荒れた時期があった。その人生が好転したのは何とか高校を卒業して建設現場で働いていたときに出会った4歳年上のサンドラ。イギリスはロンドンの下町生まれで、コックニー気質そのままの「気風のいい姐御」みたいな、超ぽっちゃりでいかにも肝っ玉母さんといったところがワタシは好き。(コックニー訛り丸出しだった両親も心根のいい人たちで、船乗りだったお父さんとは初対面で意気投合してしまったっけ。)まさに「男の人生は選ぶ女で決まる」を絵に描いたようなビルとサンドラ。未だにビルとラブラブだし、よく稼ぐし、子供たちのいいお母さんだし、もしもワタシに息子がいたら、三顧の礼でお嫁さんに迎えたいくらいの人。

ちなみに、サンドラのお兄さんはプロのサッカー選手で、若い頃はロンドンのチェルシーに所属していたとか。北米サッカーリーグでバンクーバーやシアトルの選手としてプレーした経歴があって、今もサッカー界で選手育成の仕事をしている。さっそくフェイスブックのサンドラのウォールにお見舞いのメッセージを書き込んだら、娘のテイラー(ボクシングをやっている18歳)が「いいね!」を押していた。ちょっと落ち着いた頃を見計らって、お見舞いの電話をしようっと。

さて、仕事、だんだん待ったなしになって来たから、ひとつがんばるか・・・。

夫がいるのか、子供がいるのか

5月11日。土曜日。天気は下り坂。今日はねじり鉢巻3本にたすきがけの仕事日・・・。

そんなときに限って、カレシはまた「かまってチャン」になる。参っちゃうなあ、もう。

「野菜の種をまいたぞ」。
(えらいねえ・・・。)

「おい、換気装置を止めてあるせいか、空気が悪くなって来たと思わない?何かやたらと咳が出るんだよなあ」。
「ん・・・?窓、開けてみたら?」
(あの、悪くなるのはこっちの空気の方なんだけど・・・。)

「おい、給湯タンクがもれているんじゃないのか?」
「ええ?床に水でもたまってるの?」
「いや、タンクの横に、錆みたいな色のしみが上から下までついているから」。
「だいぶ前からそうなんだけど・・・」。
(もれていると思うなら、さっさと配管屋を呼んでよっ!)

「なんかさ、温室の隅の方で雨漏りがし始めたみたいなんだけど・・・」。
(はあ・・・。)
「まあ、20年近く経つから、傷みも出てくるよなあ」。
(ん~!。)
「何だって、永久にはもたないよなあ。しょうがないよなあ」。
(ん~!!)
「ところで、今日の夕ご飯は何?」
(ん~、もうっ!!!!)

明日の母の日にちなんでの新聞記事に、ある夫婦が子供の数を聞かれて、夫は2人と答えるのに、妻は3人と答えたというジョークがあった。ある調査によると、家庭を持つ女性にとっての最大のストレス要因は子供ではなくて夫なんだそうな。わかる、わかる、よ~くわかるっ!

あのね、4日分くらい残っている仕事をあと2日半でやっつけようってところなの。ほら、お母さんは忙しいんだから、あっちでおとなしく遊んでいてくれない?お母さんのお仕事が終わったら、2人でうんと遊ぼうねえ。ん~、ほんっとに、もうっ!

トラブル2つ、解決

5月14日。火曜日。午前10時前に目が覚めて、結局11時過ぎには起き出して、早い朝食。予報に反していい天気。今日はトレッドミルと換気装置の修理屋が来る日だし、州議会総選挙の投票日でもある。でも、うんうんいっていた大仕事を、交響楽団のシリーズ最後のコンサートもすっぽかして仕上げてしまったので、いろいろある今日はうれしい余裕・・・。

まずは、正午過ぎということになっていた空調会社から正午と午後12時半の間に到着するという連絡。修理のような訪問サービスの予約にはこういうのが多い。初めから「何時」と決めても、1日1ヵ所というわけじゃないから、想定外の問題があったりして1ヵ所で長引いたり、交通混雑に出くわしたりすると後続のスケジュールにしわ寄せが来る。それで、「何時と何時の間」というだいたいは2時間の枠を設定しているんだと思う。(トレッドミルの修理は「午前11時から午後1時の間」になっている。)でも、換気装置は緊急事態ではないので大雑把に午後ということにして、近くまで来たら連絡してもらうことにしてあった。

のっぽのお兄さんが現れたのは12時15分。さっそく換気装置のドアを開けて、熱交換フィルターを引っ張り出して、ファンモーターを外して手際よく分解し始めた。毎日24時間のろのろとファンを回して外気と屋内からの排気の間で熱交換しながら換気して来た我が家の「肺」は、過去25年で修理はこれが2度目。寿命はどのくらいかと聞いてみたら、「半永久的かな」。ふ~ん。のお兄さんは、大きなフィルターを外に持って行って、ホースで水をスプレーして汚れを落とし、ファンモーターも掃除して油を差し、換気装置を元通りにして、ドアを閉めて運転再開。あ、静かになった。少しして、家の中の空気が違って来たのがわかる。修理(というよりは全面的な整備)は成功。満足したお兄さんは「請求書は会社から送ります」と言って帰って行った。

換気装置の修理が進んでいる間に、トレッドミルの修理屋から「後15分以内に着く」という連絡があって、。こっちは「11時から1時の間」の予約で、小太りのロシア人のおじさんが到着したのは12時50分。最近は家電などの修理屋にはロシアやウクライナ、東欧から移民が多いなあ。きっとソビエト時代に故障したら自分で何とかしていた一種の「自助の文化」を持って来たんだろうな。マニュアル通りにしか修理できないような今どきの若い人たちと違って、機械の本質をよく知っていると言う感じ。あちこちを揺すぶって、ねじの締まり具合を調べて、自分で走ってみて、「ベルトが緩いんだね」。道具箱からアレンキー(六角レンチ?)を出して、ローラーを調節して、おじさんがもう一度自分でドンドンと勢いよく走ってテストして、「オッケー」。

東欧系の人は話好きなのかな。おじさんは私たちが知らなかったことをいろいろと教えてくれた。中でも目からうろこだったのは、寿命が2、3年というのは真っ赤な嘘で、ベルトとデッキを交換すれば10年以上は使えるということ。値段が高いのはモーターとエレクトロニクスで、ベルトやデッキは安い部品で簡単に交換できるので、労賃を払っても買い替えるより修理したほうが安いこと。そっか、買い替えなくてもよかったのか。でも、「Bremsheyはちょっと問題が多いから、買い替えてよかったよ。このメーカーのはかなりよくできているからね」と、おじさん。売る人と、修理する人とでは、言うことがずいぶん違うなあ・・・。「ベルトが偏ったら自分でローラーを調節するといいよ」と、使ったアレンキーをくれて、カレシにサインオフさせて、おじさんも業務終了。

やれやれ、トラブルが2つスムーズに解決して、やっとリラックスした気分・・・。

あり得そうにないことがあり得た選挙

5月14日。州議会総選挙の投票日だった。与党の自由党はクラーク首相の前任者のキャンベル首相の頃からえらく不人気で、1ヵ月ほど前の世論調査では、支持率が野党の新民主党に22ポイントもリードされる有様で、投票する前から「惨敗」が決まっていたようなものだった。

クリスティ・クラーク首相はキャンベル政権の閣僚で、離婚してシングルマザーになってからはいったん政界を離れてラジオのトーク番組のホストをやっていたけど、キャンベル首相が辞任した後の党首選に殴り込みをかけて党首の座を勝ち取った人。(カナダでは、オンタリオ、BC、ケベック、アルバータを含めて、女性首相に率いられた州の方が多い。ちなみに、オンタリオ州のウィン首相は公然たるレスビアン。)クラーク首相の弁舌はさすがメディア界にいただけあって実にさわやか・・・なんだけど、なぜか女性にはあまり人気がないらしい。

一方、野党の新民主党のエイドリアン・ディックス党首は、1990年代後半のグレン・クラーク(同じ苗字だけど無関係)首相の首席補佐官だった人。(ちなみに、労働組合幹部出身のグレン・クラークは収賄疑惑やら何やらのスキャンダルにまみれて辞任。失業状態のところをカナダで指折りの億万長者のジム・パティソンに拾われて系列広告会社の課長になり、今では3万人以上も雇用するパティソン・グループの社長にのし上がって、パティソン会長の後継者と言われているから、人生、何がどっちに転がるか、わからないもんだと思う。)そのクラーク政権で、ディックス党首はスキャンダルもみ消しのために証拠になるメモの日付を改ざんしてクビになった過去がある。眉間に深い皺があって、ちょっと陰気な印象・・・。

つまり、ブリティッシュコロンビア州には、他の州から見たら、まさに「何でもあり」のクレイジーな政治風土があって、「何で?」ということがよく起きる。さて、投票所は、前回まではメインストリートを渡ったコミュニティセンターだったけど、今回はカレッジ。(選挙区の境界は国勢調査の結果に基づいて、人口分布の変化に合わせて調整されることが多い。)まあ、距離的にはカレッジの方がほんの少し家に近いし、幹線道路を渡らなくてもいいので楽だけど。カフェテリアの一部を仕切った投票所では、細かく分かれた投票ブロックの指定されたテーブルに行って、投票券を渡して、運転免許証で本人を確認して、選挙人名簿にサインして、折りたたんだ投票用紙をもらう。

投票用紙には候補者の名前と党名がアルファベット順に印刷されていて、横の白丸に×印をつければいいだけになっている。(正式な政党は4つだけど、今回はヘンな名前の泡沫政党の候補も2人)。投票ブロックごとにダンボールで囲ったテーブルがひとつしかないので、先に用紙をもらったカレシが「記入」するのを待つ。あれ、何だか誰に入れようか決めかねている様子。ワタシは置いてある鉛筆で支持する政党の現職候補の名前の横にささっと×印をつけておしまい。用紙を元のようにたたみ直して、投票箱のところへ持って行って、係の人に照合用タブを切り取ってもらってから、自分の手で投票箱にポトン。

投票は午後8時に締め切って、即刻開票。ブロックごとの票数が少ないので開票は猛スピード。ブロック○○番はA候補が何票、B候補が何票と、ブロックごとに票数が報告されるので、よほどの接戦でもなければ、1時間もするとほとんどの選挙区の「当選」や「当確」がわかる。今回は9時過ぎには大勢が判明して。それが何と「与党自由党が過半数」。え!?惨敗するはずじゃなかったの?久々に新民主党政権になるはずじゃなかったの?ひと月前には20ポイントもリードされていたんでしょ?投票日が近づいて急に差が縮まった言われていたけど、いくらなんでも「過半数」はありえないでしょ?

ま、そういうあり得そうにないことがあり得るのがBC州の政治で、不人気で負けが決まっていたはずの自由党が85議席中50議席を取ってびっくり仰天の勝利。ところが・・・党は余裕の過半数で政権維持を決めたけど、肝心のクラーク首相は二転三転の大接戦の挙句に僅差で「落選」。ほんと、何がどっちに転がるかわからないもんだ。世論調査なんて信用できないという証拠だな。ちなみに、トリノで車椅子からオリンピック旗を振ったサリバン前バンクーバー市長は自由党から立候補してみごとに州議会初当選。バンクーバー市長から州首相になる例は多いから、もしかしたら・・・?

もしからしたら、叫びたいのかも

5月15日。水曜日。予報に反して晴れ。今夜は『Dreamgirls』のオープニングナイトのレセプションとショーがあるから、雨具を持っていかなくてもいいのはうれしいな。これを楽しみにして、交響楽団の最後の最後のコンサートをすっぽかして仕事を終わらせたんだもんね。

ブロードウェイで1980年代の初頭に初演された、モータウンとシュプリームスをモデルにしたミュージカルだけど、せりふがほとんど歌で交わされるから、ちょっとオペラのような感覚。ステージにはツアーで製作中のものを見た「タワー」が4本。コンピュータで角度を変えたり、ライトの色を変えたり、時にはイメージを投射したり。作業場で見たときはまだ角材で「建築中」だったけど、なるほど。映画のセットと違って、舞台のセットはすごい想像力と高いデザイン力が要求されるけど、観客もかなりの想像力を要求される。映画はどっちかと言うと一方通行といった感じがするのに対して、「舞台劇」というのはある意味で舞台と客席の共同作業のようなところがあって、そこのところがたまらなく魅力なんだけど。

シュプリームスをクビになったフロレンス・バラードは失意のうちに若死にしたけど、彼女をモデルにしたドリームズのエフィーはカムバックを果たす。エフィー役の俳優のパワーはすごかった。最後の方は何か感動してしまって、涙がぽろぽろ。(ワタシってなぜかこういうところでは涙もろい・・・。)カーテンコールではほぼ総立ちで大喝采。シュプリームスの時代を知らない若い観客が多かったし、この分では2ヵ月の間、大入り繁盛というところだろうな。モータウンの歴史などに凝っていたカレシは「筋書がつかみ難かった」と、ちょっと不満そうだったけど、リサーチしすぎたもので、現実の逸話と「劇」の区別がつかなくなったのかもしれないな。シュプリームス、ベリー・ゴーディというモデルはあるけど、あくまでもモデル。(実際に、ダイアナ・ロスも事実と違うと大むくれだったとか。)ドキュメンタリーやリアリティショーじゃあるまいし、芸術にはpoetic license(詩的許容)というものがあるんだけどなあ。

ワタシは脳みそがふにゃふにゃになりそうな仕事と格闘した後だったから、心行くまで楽しめてうれしい。でも、他人さまのさっぱりわからない日本語の思考を読み解いて、英語でわかるように書き出す作業を続けていると、なんか「よくわからなくなってきた」という感じがして来る。まあ、ブログなるものを書いて、まだ大丈夫だと自分に言ってはいるけど、ときには日本語はもういいやという気分になることもある。でも、ときにはその他人さまのわからない思考にハイジャックされて、自分の思考が檻に閉じ込められているような気分になって、豊かな言葉や色彩や音色の中で手足を伸ばしたくなる。無性に自分を表現したくなる。また(ものにならない)芝居を書こうかな?ハチャメチャに自己流の絵を描こうかな?何かしたいな。

人間の心はいくつになっても自由な空間が必要なんだろうな。