時間よ止まれ、キミは急ぎすぎる
5月2日。水曜日。いつのまにかもう5月。ああ、1年の3分の1がどこかへ行ってしまった。時間よ止まれ、キミは急ぎすぎる!そんなに急いでいたら、ちっとも美しくないじゃないの。もうちょっと優雅に、しずしずと進みなさい・・・なあんて言ってみても、時間はせっかちで頑固。ただただ前へ前へ、ひたむきに前へ、何がなんでもひたすら前へ進むことしか知らない。でも、もうほんのちょっとだけスローダウンしてくれないかなあ。子供だった頃はうんざりするほど時間の経つのがのろかったのに。
きのうはひたむきに仕事日。置きみやげ仕事を3つ片付けた。ゴールデンウィーク明けまでに仕上げる仕事はあと5つ。あんまり急ぐから、あれが抜けていた、ついでにこれもと、忙しないことはなはだしい。どれがどれなんだかわからなくなって来たじゃないの、もう。祝日がいくつも続くからゴールデンウィークと呼ばれるんだろうに。(いくつもの祝日やお盆休み、年末年始と、日本は休みの多い国だと思う。多すぎるから仕事が終わらなくて残業三昧になるのかと思ってしまうくらい。)せっかくの輝ける黄金週間なんだから、間にはさまった2日くらい会社を閉めて総出で休んだって、日本経済がどうこうなるってわけじゃないだろうに。ああ、時間よ、働きづめで休み続きでも休めないでいる人たちのために、止まってやってくれ。
そういえば、ずっと昔、NHKの子供番組に「時間よ、止まれ!」とおまじないのように唱えて時間を止められる少年の話があった。あんな風に自由自在に時間を止めたられたらどんなに便利だろうと空想を膨らませているうちに、周りのみんなの時間が止まっているときに自分だけ動いているということは自分の時間だけはどんどん経つということで、いい気になって時間を止めていたらそのうち親よりも先に年を取ってしまうかもしれない、それはいやだなあ、と思いあたって、時間を止める超能力の「夢」はぱちんと弾けたのだった。でもやっぱり、日本の人はちょっと時間を止めて、ゆっくりと深呼吸する必要がありそうに見えるけど・・・。
まあ、すっかり底をついた野菜をど~んと仕入れて来たので、冷蔵庫の野菜入れも、カレシの野菜冷蔵庫も満杯。冷蔵庫やフリーザーが空になって来るとなんかストレスっぽくなるけど、こうしていっぱいになったのを見るとふんわりした安心感で気持がゆったりするから不思議。(いつもしっかり買い置きをしていた母の影響かなあ。ま、食いしんぼうなだけかもしれないけど。)落ち着いたところで、残る5つの仕事にかかることにするか。またひたむきに仕事したら、週末前に全部終わるかな。よし、チャレンジ・・・。
ビデオカメラを探し歩いた日
5月5日。土曜日。ぐっすり眠って正午をだいぶ過ぎてから目が覚めた。2日間がんばった甲斐があって5つのファイルが全部完了。どれもやたらとグラフィックが多いもので、編集者に送るメールにまとめて添付したら、圧縮してあっても重くなりすぎたのかタイムアウト。送ったら終わりという瀬戸際でメールを分割したりしてちょっと手間取ってしまったけど、とにかく「予約」の仕事が来るまでは(ニューヨークの方も静かでいてくれれば)、棚ぼた的休み。ワタシのゴールデンウィークになるかなあ・・・。
カレシが旅行にビデオカメラを持って行きたいというので、きのうワタシがガシガシ仕事をしている間にリサーチさせておいて、基礎情報を仕込んでショッピングに出発。しばらく走らせていないからと、週末の駐車事情を懸念しながらトラックで出かけたけど、運よくWhole Foodsの向かいのメーターが空いていて駐車。目いっぱい2時間分のコインをジャラジャラと入れて、まずは近くのBest Buyへ。スマートフォンなどに押されてどこもカメラ類の売り場は小さくなるばかり。ビデオカメラもご他聞にもれずで、いろいろとあるように見えるんだけど、よく見るとメーカーはSony、JVC、Canon、Samsungのほんのちょっぴり仕様を変えてあるものばかり。カレシが内蔵メモリがなくちゃというので、やっと1機種見つけたら、「在庫ありません」。近頃は多いなあ、量販店なのに在庫がないっての・・・。
では、ということで近くのLondon Drugsへ行ったら、見本はもっと少ないし、カウンターのお兄さんは「ビデオカメラのことはあまり知らないから・・・」。じゃあ、何でビデオ機器のカウンターにいるの?人材不足なのかなあ、この業界。ふむ、州の公務員だった頃に州政府職員組合の委員長がどこかから引用してたな、「If you pay peanuts, you get monkeys(ピーナッツを出せば猿が集まる)」と。この「peanuts」には「はした金」、「monkey」にはできるのに大した仕事をしていない人という意味がある。安く売るためにはコストを切り詰める必要があって、コストを切り詰めるには何かを切り捨てなければならないわけで、「激安」は何か重要なものまで切り詰めないと実現は難しそう。「安かろう悪かろう」という言葉があるけど、そこで切り詰めるのが人材だったら損をするのは売り手の方。でも、コストがかかるからといって安全対策を切り詰められたらたまったもんじゃないのは買い手の方。あまりにも安かったら目に見えないところで「何」を切り詰めているのかを探ってみるのも消費者の護身術のひとつかも。
結局、地下鉄でダウンタウンに出て、まずは駅から直結しているLondon Drugs。ここはカウンターの「えげれす弁」のおじさんがわりと物知りだったけど、探している機種がなかったので、最後の砦?のFuture Shopへ。ここでは熱心なお兄さんが新型の機種はフラッシュメモリを内蔵していないこと、スペアの電池は置いていない(置かせてもらえない?)こと、ブロードウェイの電池専門店ならあるかもしれないこと(スマートフォンをちょちょっとなぞって地図を見せてくれた)などなど細かく説明してくれた。それでもカレシがフラッシュメモリ内蔵がいいと食い下がるので、在庫も入荷予定もない見本品を売ってもらうところまで行った、なぜか同梱の電池がなくてアウト。じゃあ、一番仕様が近い機種をということで、値段が20ドル違うだけのフラッシュメモリなし、カードスロットはひとつのそっくりさん機種2つに絞り、明るくなくても使える(から20ドル高い)方に決めた。カレシには初めてのビデオカメラだからこんなところかな。ま、これで任務完了・・・。
夜、オレンジ色の大きな月が昇ってきた。これが今話題のスーパームーンってやつ。たしかに、大きく見えるなあ。ハタチくらいの頃に広角レンズをつけた望遠鏡をもろに昇ってくる満月に向けたことがあって、目の中いっぱいにすごい迫力で広がった月面に、うおぉ~っと叫びそうになったな。昔から満月の光に当ると気が狂うというけど、「スーパームーンが昇って来たよ」と言っても、カレシは新しいおもちゃに夢中で月を愛でるどころではなさそう・・・。
なんとも不思議な感覚過敏症候群
5月6日。日曜日。どこかで朝っぱらから外でロックを鳴らしているやつがいて、おかげで正午前に目が覚めてしまった。まあ、大音響ってわけではないし、日曜日だし、天気もいいことだし、2軒先の家のガキンコたちが庭で遊んでいるらしい。この家はシングルマザーと6人の子供が借りていて、両隣とよくひと悶着起こしているらしい。情報通のパット曰く、生活保護世帯で親子7人が住める福祉住宅がないので政府が借り上げているらしいとか。まあ、どんな事情にせよ、幼児を含めて6人も女手ひとつで育てるというのはすごいけど、誰にもつんけんと突っかかるもので近所中から総すかん。なんか損な性格だと思うけど、ワタシがそう思ったところでよけいなおせわ。
でも、しばらくうとうとしながら、これが日本の都市圏の住宅地だったらどんな反応になるかなあと想像してみた。小町横町には、うるさい、臭い、うざったいはもとより、見える、見られる、はては○○暮らしなのに持っている車がどうのこうの、子供を私立学校にやっているのいないの、はては服装がだらしないとかださいとか年不相応だとか、まあとにかくいろんなご近所関連の苦情や愚痴が渦巻いているけど、これはどういう範疇に入るんだろうな。それとも、「外で遊ぶ子供がうるさい」、「非常識な近所のシングルママ!」なんてトピックが上がるのかな。で、「生活保護を受けているのに6人も子供がいて、しかも男が訪ねてくるなんて非常識」と細かな観察報告までしてくれたりして。(子供が何人いてもシングルなんだから、ボーイフレンドの1人や2人いてもおかしくないと思うけど、まあ、小町横町には「自分のものさしに合わないことはすべて非常識」という常識があるらしいから。)
この、うるさい、臭い、見苦しいはご近所だけの問題じゃないようで、職場の誰かのキーを叩く音やヒールの足音がうるさくて頭痛がする、咳払いの音、デスクにものを置く音、話し声にひとり言、はてはため息まで、耳についてうるさい、イライラする。これって「騒音問題」というよりは、頭痛や吐き気がするとまでいう人の「感覚異常」じゃないのかなと思うけど、そういう「周囲に気遣いのできない非常識な人」を糾弾する書き込みがずらっと並ぶから驚きで、ウォークマンの出現以来若い人の聴覚障害が増え続けているという話をきいたけど、最近は逆に聴覚過敏症の人が増えているのかと思ってしまう。その上、嗅覚過敏症も増加中のようで、職場の誰それが臭い、加齢臭がきつい、口臭がきつい、洗濯物が臭い、あれが臭う、これが臭いとトピックを立て、頭痛や吐き気がすると訴える。前に慢性副鼻腔炎になると鼻の奥で存在しない臭いを感じると聞いたことがあるけど、日本人には蓄膿症が多いんじゃなかったかなあ。
過敏化しているらしいのは聴覚や嗅覚だけじゃない。視覚過敏症はもう先鋭化している感じで、顔かたちや容姿から男の頭髪の多寡、利き手から箸使い、服装のあれもこれもみんな見苦しい、違和感があると訴え、しまいに視覚過敏症の自分に配慮しないでビジュアル攻撃をかけて来る非常識な人が育った環境まで分析してくれるからすごい。特に他人が持って生まれて来た(その人にはたぶんどうすることもできない)個性に「正しいマナーと秩序でできている視野」を撹乱されて過敏症状が出るとしたら、どう見ても普通じゃないという感じがするけど、たぶん「お育ちが悪いのね、かわいそうに」と思うことで症状を和らげようとしているのかもしれないな。もっとすごいのになると、嫌いな食べ物は視野に入っただけでも「おぇっ」と吐きそうになるという偏食家がずいぶんいるらしいし、目の前で他人が食べるのを見ていると吐き気がするという重症例もあるらしい。ここまで来たら何か未発見の精神疾患があるんじゃないのかと疑ってみたくなる。
感覚過敏症が進行を続けると、そのうち鏡に映った自分が左利きに見えたり、醜いアヒルの子に見えたりして、そのあまりの違和感に「おぇっ」となる人も出てくるかもれしないな。そんなところまで行ったら視覚的に自分自身に対して拒否反応を起こすようなもので、イライラ病や不安神経症よりも性質が悪そうな気がする。もっとも、そういう五感過敏症が蔓延している環境の中で毎日を過ごしていたら、たぶんそれがごくあたりまえの状態で誰もおかしいと思わず、おかしいのは何千キロも離れたところでちょっと異常じゃないのかと心配?しているオマエの感覚の方だろうが!と言われてしまいそうだけど・・・。
世界は今日もあれやこれやと忙しい
5月7日。月曜日。一連の仕事が終わって、小さい単発仕事がひとつあるだけになったら、何だかやたらと眠い。良く寝ているはずなのに何でこう眠いのかと考えてみたら、なぜか夢の中でせっせと仕事をしているんだよね、これが。酔狂もいいところだけど、なぜか日本語原稿の単語の意味がわからないと、ウンウン言いながら英語を考えている。いったい、どうしちゃったのかなあ・・・。
あんがい、時節柄ここのところいろんな発表会で使う、「電報式」とでもいうのか、完結文がない仕事が多かったからかな。そうでなくも日本語は主語がはっきりしないし、行間を読んで想像を働かせないと何を言いたいのかわからない「暗黙の了解」的な文章が多いのに、それを項目にされてしまうからますますわからなくなる。そういうのをありったけの知恵を絞って訳したのに、客先の客先は「これはかくかくしかじかのところなんちゃらかんちゃら、というニュアンスなんですが~」と後出しして来る。おいおい、それはニュアンスなんかじゃなくて、そっちのお家の事情でしょうが。たったひとつの単語にそんなに奥の深~い「ニュアンス」を込められても困りますがな、もう。夢にまで出て来て、安眠妨害もいいところ。
今日は税務署から2人分の確定申告の確認通知がもう届いた。へえ、早いなあ。昔は1ヵ月か2ヵ月経って送られて来ていたのに、電子申告の指示書にサインして会計事務所に送ってから2週間足らず。今年は、カレシは追加納税(済)、ワタシはかなりの還付があるけど、金額は申告の通り。今年はカレシが約16万円の追加、ワタシが約37万円の還付で、差し引きざっと20万円。ひょっとしたらと思って銀行の口座をチェックしたら、あはっ、もう入金している。ずいぶん早くなったなあ。小切手が郵送されて来ていた頃はやっぱり1ヵ月以上かかっていたもんだった。サービスが良くなったのかどうか知らないけど、還付は払い過ぎた税金なんだから、早く返してもらった方が気分がいいことはたしか。
朝食を食べながらテレビを見ていたら、世の中は相も変わらずいろんなことが起きている。アメリカ競馬の名門ケンタッキーダービーで劇的な逆転優勝をした騎手は6年前にメキシコからバンクーバーに来て、地元競馬で好成績を挙げていたんだそうな。メキシコから来たときはまったく英語が話せなかったそうで、ゼロから始めてたったの6年であのレベルはすごい、とカレシは感心のしまくり。もちろん寝ても覚めても英語しかない環境だったからだと思うけど、それにしても、本命から5馬身遅れていたのが、ホームストレッチで馬の胴体がぐ~んと伸びたように見えたくらいに追い上げて、1馬身半の差で堂々とゴールイン。すごい迫力だった。全力疾走する馬の姿はほんとに「美しい」のひと言に尽きるなあ。
フランスの大統領選挙はサルコジが負けて社会党のオランド。ギリシャでは超緊縮財政を実行する連立政権が成立しなかった。ユーロ圏はどうなるんだろう。ドイツもEU経済の建て直しがやりにくくなるかな。EUが急速に東へ、南へと拡大し始めた頃、なぜかワタシはこりゃ危なっかしいなあという印象を持った。豊かな国とそれほど豊かじゃない国と発展途上の国とがひとつになって、市場の国境を取り払い、単一通貨を持つというのは、理想としてはすばらしい。すばらしいんだけど、所詮EUはローマ帝国とは違う。経済クラブみたいな感じで、会員の生活水準に目立った格差がないうちは和気藹々でうまく行くだろうけど、大きな格差のある会員が急に増えると、同じ(高い)水準に追いつこうと急ぐし、そこで通貨が同じで借金しやすいとなると、何かと問題が起きてくる。まあ、早くアメリカに対抗する勢力になろうとしたんだろうけど、ワタシにはEUは急ぎすぎた実験という感じがするな。
夜になって、新聞サイトを見ていたら、サンフランシスコで日本の若い副領事がDVで逮捕されて、保釈金を積んで釈放されたというニュース。こういう事件では外交官の不逮捕特権は通用しないんだそうな。奥さんの歯を折るくらいの暴力を振るっておいて無罪の主張も何もないだろうと思うけどね。バンクーバーでも日本総領事がDVで逮捕されたことがあったな。警察の取調べに「家で女房を殴るのは日本の文化なんだ」と主張したとかで、地元の新聞にでかでかと載ってしまった。この人は罪状を認めて、犯罪歴の残らない温情判決をもらった。日本に呼び返されてからはせいぜい軽い減給処分になった程度で、キャリアにはさしたる傷がつかなかったらしい。その後(ほとぼりが冷めた頃?)大使に出世してどこかの国に赴任したという話を聞いたな。エリートだったからかな。でも、今度の事件はどうなるんだろうな。アメリカだからなあ・・・。
こんなんで良いのかとは思うけど
5月9日。水曜日。いい天気。日が高くなって来ると晴れた日はいやでも暖かくなる。まあ、夜はまだちょっと季節外れに低温がちだけど。今日はわりと早めに目が覚めてしまって、しょうがないから正午前に起きた。シーラとヴァルが掃除に来てくれて、ワタシはワンちゃんのレクシーのお相手。シーラが園芸センターで苗を買ったときについてくるプラスチックのポットをたくさんカレシに持って来てくれたので、大きな袋にいっぱい貯まっていた1セント銅貨を引き取ってもらった。もう製造が中止になったし、慈善団体に寄付しようにもワタシたちのことだから、忘れっぱなしでそのうちお金として使えなくなってしまうだろうから、今のうち。
きのうはにわか雨のように降ってくる追加依頼に捕まってヘンに忙しかった。ひとつの語にワンセンテンス分の経緯を詰め込んで「そういうニュアンスを訳せ」とのたまわったところだけど、日本では今日が「その日」らしく、発注担当者がかなり焦っていたらしい。きちんと完成させてから翻訳を発注すればいいものを、納品してからも1行、2行と追加が来て、そのたびにちゃちゃっと訳しては送り返すんだけど、やれやれと思っているとまた2、3行、さらに2、3行と、とにかくちょぼちょぼと後出しで、その合間にも確認や質問が来る。こういうのは集中できなくてやりにくい。海外にも名の知れた一流企業なんだから、もうちょっと効率的にやれないもんかと思うけど、最近はこういうケースがよくあるような気がする。大丈夫か、ニッポン企業・・・。
それにしても、次の仕事にかかったのに、中断に次ぐ中断で、ついにはあきらめて一晩中スタンバイ状態でお相手をしたけど、何となく幼稚園からずっとお受験人生を過ごして一流大学に入り、めでたく大企業をゲットしたサラリーマン2年生あたりの若者が、プレゼンの作成を言いつけられて苦悶しているところを想像してしまった。「これでどーでしょーか」と上司にお伺いを立てるたびにあれこれとダメ出しされて手直し、追加発注。そんなことをやっているうちに上司から「言っている意味わかる?」とか、「そんなこともわからないのか」と言われてますますおたおた。しまいにエージェンシーまでが「あちらでは夜中を過ぎて待ってくれているんですが、残りはまだですか~」とプレッシャをかけて来る。何だかかわいそうな気もして来るけど、それが社会人になるってことだから。まっ、ごくろうさまぁ~(は付き合ったワタシに言うことかも・・・)。
読売の英語版に最近の新人社会人は35%だかが上司に「言っている意味わかる?」と言われると重圧感を感じ、次いで「そんなこlともわからないのか」だったという記事があった。そんなんでへこむなんて、世界に名だたる企業戦士たちもずいぶんとひ弱になったもんだなあ。大学生についての別の調査では、大学が伸ばすのが難しいと感じている能力として、「粘り強さ・ストレス耐性」、「環境への適応能力」などが上がっていた。ワタシが子供だった頃は「我々日本人は非常に順応性に富む国民である」と教えられたもんだけどな。まあ、小町横町でも仕事や人間関係にしんどい、疲れた、やめたいという愚痴が多いから、今どきの若い人たちにはほんとに忍耐力も適応力もないんだろうな。「やれない、やらない、やりたくない」か・・・。
ゆとり教育、過保護、過干渉・・・いろいろ理由はあるんだろうけど、その中でも、いわゆる「ゆとり教育」は日本の教育政策の大失敗として後世に残るかもしれないな。前に小学校の理科の文科省検定教科書を見る機会があって、こんなんでいいのかなあと思ったもんだけど、なにしろ教科書というよりはマニュアルという感じ。失敗しないように、決められた以外の答がでない仕組みになっているという印象だった。実験材料も全部予めパッケージしてあるんだろうな。自主研究とやらのレポートも親切にテンプレートと言えそうな例が用意してあったし、復習問題に至っては「わからなかったら○○ページを見てね」みたいなもんで、自分の頭で考えなくてもマニュアルのステップを忠実に追って行けば所定の結果が出るように作られているとしか思えなかった。
教育政策の失敗を是正するには世代交代を待つしかないんじゃないか思うけど、「ゆとり世代」がやがて「脱ゆとり世代」の新人と対峙するようになる頃のニッポン企業がどんなものか、ワタシには想像もつかない。まあ、その頃にはワタシはとっくに横丁の半ボケご隠居さんになっているだろうけど、ここはボケないうちに次の仕事をやらなきゃ・・・。
さっさとやってよ、もう・・・
5月10日。木曜日。おお、すご~くいい天気。ちょっと風が冷たいけど、週末には平年並みかそれ以上の陽気になるらしい。そろそろクーラーの稼動再開準備をしなきゃ。5月の中旬になってのスイッチオンはちょっと遅めだな。やっぱり春が遅かったということか。
今日は二階バスルームのシンク用蛇口セットの調達にでかけるので、朝食後にまずメールだけチェック。はあ、またまた追加?それも日本語数文字ずつが4つ。ついでに「何でこんなことがわからないのっ?」とキレたくなるような質問。そんなのTOEICが400点もあれば自分で辞書を引いて解決できるでしょうがっ。いい加減にしてくれ。1万円の仕事に2万円もかけるバカがいるかいな。ひょっとして、客(神様)だから24時間即応サービスをしてもらって当然だと信じ込んでない?それがすばらしい日本の「サービス」のあり方だと思ってない?狂乱バブルはとっくの昔に潰れたんだけど、アタマ、大丈夫?有名企業かもしれないけど、人間をロボット扱いしていたら先は暗いんじゃない?でもまあ、ワタシは郷に入ってないから、郷に従わなくてもいいよね?
堪忍袋の緒がほつれて切れたワタシ、えいやっとそのままお気に入りのトートバッグを肩にお出かけ。1週間くらい前にセットをシンクに固定している止めナットが割れて、温水側のハンドルを回すたびにずれるようになり、そのストレスで冷水側のナットも壊れてしまった。セット全体を片手で押さえながら使うことはできるけど、そのうち配管の接続部に無理がかかって来そうなので、緊急の問題。今の蛇口は技術が進んでハンドルを軽く回すだけできちっと水が止まるんだけど、カレシが昔の癖で「しっかり」回しているうちにプラスチックのナットにひびが入って壊れてしまったらしい。それを指摘したところで、カレシはそんなことしていないと言うに決まっているけど、ボタンやハンドルを強く押しすぎたり、逆に押し方が足りなかったり、なぜかそのあたりの手加減がうまくつかめないらしい。
ま、地下鉄でオリンピックヴィレッジ駅の近くにある元のセットを買った専門店に行って、同じモデルがあればいいけど、9年前のものだし・・・と思いながら見て回っていたら、バスタブのと同じデザインのものがあった。バスタブ用があればマッチするシンク用もあるはず。さっそく在庫があるかどうか聞いてみたら、倉庫から取り寄せるので来週の火曜日には到着するとのこと。良かったあ、ばんざ~い!それまではダクトテープで固定してだましながら使えばいい。約2万円といいお値段だけど、これでも一番安いクローム仕上げ(最初にクロームにしておいてよかったな)。量販店で似たようなデザインのものを半額以下で買えるとしても、薄利多売用のものはブランドは同じでも所詮そのレベルの質でしかないから、こんなところかな。
蛇口の調達が済んだので、道路を渡って向かいのBest Buyで電話機を探しに行く。ここのところ、カレシのデスクの上にあるコードレス機の電池が続かなくなったし、充電中に熱くなるとうるさい。まあ、キッチンの電話も古くなって雑音がひどかったから、親子式機種で一石二鳥を狙い、最終的にハンドセットが3個あって、カレシが「絶対に必要」というスピーカーフォンと、ワタシにはうれしい「インタコム」機能が付いたものを調達。まったく、必要なものがあるならさっさと自分で調達して来ればいいじゃないかと思うけど、そこはいつも誰か(ワタシ)が買って来てくれるまで「新しいのが必要だ~」と言い続ける、筋金入りの「ヤッテちゃん」のカレシ。ワタシが「さっさとやっちゃ王女様」でラッキーだよねえ、ほんと。ベースは今まで通りカレシのデスクに置き、1個はキッチンに、3個目のハンドセットはワタシのデスクに。これで、本棚をぐるっと回ってカレシのデスクまで取りに行かなくても、いつでも電話を使えるぞ。(といっても、ワタシはあんまり電話はかけないんだけど・・・。)
落ち着いたところで「追加」を送ってあげた。返事が遅れたことをああでこうでと謝って、お客さんには効率的にまとめて送るように言ってねと、やんわりとお願いメモもつけた。こういう仕事をしていると、ひょんなところで企業の「ん?」なところがちらっと見えたりするからおもしろい。さて、キーボードの文字が消えてしまったので、ついでに衝動買いで調達して来た新しいキーボードとマウスに切り替えて、次の仕事のスタンバイ。今度のマウスはちょっと小ぶりで、指が短くなるばかり?のワタシの手に優しそう。お~い、肝心の原稿はまだかいな。こっちも人を待たせる「ダラダリアン星人」じゃないといいけど、そうだったらもう仕事は引き受けないよぉ・・・。
異国へ飛び立つ娘を見送る父親の心境
5月12日。土曜日。やっと5月らしい天気。何だかどこかへのんびりと散歩にでも行きたくなるような陽気。だけど、あ~あ、残念ながら今日も退屈な仕事・・・。
今日5月12日、ワタシが日本を離れてカナダに渡ってきて満37年になる。37年というと、ワタシの人生のほぼ60%。日本で日本人に生まれはしたけど、カナダで暮らして来た年月の方がそれだけ長くなったということで、これからも長くなりこそすれ、短くなることはありえない。それに、今年は日本国籍だった年月とカナダ国籍で生きてきた年月が等しくなる。これからは「カナダ人」として生きる年月の方がどんどん長くなるわけで、はて、何らかの感慨を持つべきなのか。でも、ワタシの人生は「今」が一番幸せなときだと思うから、これから年をとるごとに「今が一番幸せ」と思える限りは、もうそれ以上望むことはないんじゃないかという感がする。だって、いつでも「今」が一番幸せと言うことは、少なくとも人生が悪い方には向かっていないということだ思うから。
これまでの人生の約60%、37年という年月が長いものなのか、あるいは短いものなのかはワタシにはわからない。生まれてから64年の「人生」というタイムラインの先端にあるのが「今」であって、その「今」がこの先どこまで延びるのかは神のみぞ知るで、ワタシにはわからない。まあ、まだ「今」を通過していない時間を予見する術はないし、未来を見通せないことによる「不安」は見かたによっては常に「考えろ!」と囁き続けてくれるポジティブなストレスでもある。自分の「未来」がわかってしまったら、良くても悪くてもそこで一気にやる気がなくなってしまいそうな気がするし、何よりも、この「今」は常に人生という名の「時間の流れ」の最先端にあるというのはちょっとしたスリルを感じる。
ちょうど37年前、昭和50年5月12日の今日、ワタシは千歳空苦で両親に見送られ、羽田空港で妹に見送られて、カレシと一緒の人生の第一歩を踏み出すべく日本を離れた。まだ成田空港は完成していなくて、ちょうど日本を訪問していたエリザベス女王夫妻が帰国の途につく日と重なった羽田は何だか物々しかったように思う。(考えたら、生まれて初めて飛行機に乗った日がたまたま日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件が起きた日で、大阪行きに乗り換えるために降りた羽田は薄暗くて、警察官だらけだったな。あれは札幌と大阪の間に初めて直行便が就航する前の日だった。)その37年前の5月12日、当時の千歳空港での父と娘の後ろ姿・・・。[写真]
不確定要素が多いのに、ひたすら「愛する人のところへ行くのだ」という幸せ感だけで胸がいっぱいの娘と、その不確定要素を知っていて、搭乗口に向って歩いていく娘の後ろ姿を黙って見送る父。いつもワタシの(もしかしたら唯一無二の)良き理解者であった父。この写真を見るたびに、あれから37年経った今でも胸がじ~んと熱くなって目が潤んで来てしまう。気軽に里が得るができるような格安の航空運賃はなかった。格安で便利な国際電話もなかった(まだ交換手を通していた)。メールもインターネットもスカイプも何もなかった。まだ、太平洋には物理的な距離感が厳然としていた。その37年前のあの日、生まれるときから成人するまで何かと手のかかる子だったワタシが異国へ飛び立って行くのを、父はどんな気持で見送ってくれていたんだろう。
かろうじて母の死に目に会えたワタシに「間に合ったんだから親孝行したんだ」と言って慰めてくれた父。その父の死に目にもかろうじて間に合ったワタシ。もう言葉を交わすことはできなかったけど、「最後に孝行した」と思ってくれたかな。その父の死からもすでに20年。長いのかなあ。短いのかなあ。でも、お父さん、ワタシは「今」とっても幸せだからね。お父さんの人生にいろいろあったように、ワタシの人生にもいろいろあった。でも、ひとつだけ確実に言えることは、ワタシはあの日ひとりで日本を飛び立ったことを後悔したことは一度もなかったということ。これからもいろいろあるだろうけど、ワタシ、大丈夫だから・・・。
とうとうぶっ倒れた、は大げさだけど
5月15日。火曜日。今日も初夏を思わせる天気。今日はちょっと早起き。といっても起床は午前11時過ぎだけど、10時間以上も眠った勘定になる。一度も目を覚まさずに、とにかくひたすら眠った感じがする。まあ、よく眠れてよかった。ベッドに入ったときはどうなるかと思ったから・・・。
そうなんだ、ゆうべはとうとう「ダウン」してしまった。夕食後に仕事をひとつ終わらせて納品してしまおうとキーを叩いていたら頭がくらくらして来た。やけにごちゃごちゃしたパワポでの作業だから目がちかちかして疲れるんだよなあ、なんて思っているうちにだんだん視線が定まらない感じになって来て、おまけに吐き気がして来た。仕事が進まなくなって「ちょっと」横になったのが午後10時過ぎで、「ランチの時間だ」とカレシに起こされたのが真夜中。なんか空腹感があったので軽いランチを食べて、仕事に戻ったけど、ダメだ。後1ページくらいで終わりというところなのに、めまいはするし、冷や汗がわっと出るし、吐き気はするし・・・。
期限は今日の午後だったこともあって、もうほんとにあと一歩というところでどうしようもなくなって仕事を諦め、ふらふらとベッドに潜り込んだのが午前1時ちょっと前。身体的にしんどくなったというよりは、精神的なバッテリが上がってしまったというところだと思う。ここのところ、そうでなくても仕事の予定がびっしりなのに、たった何文字かの追加注文だとか、まともに校正できる人はいないのかと思うような質問がまるで降るか降らないか決めかねている雨みたいにぽつん、ぽつんと来るし、そんなときにカレシが食料の買出しに行く予定をどたん場で変えて来る。木曜の夜ということだったのが、土曜の夜になり、日曜の午後になって、そして当日の朝に「夜になってから行こう」。さすがに予定が狂ってやりにくいと文句を言ったら、カレシがしぶしぶ「じゃ、今から行こう」。あのさ、その手には乗らないのよ、ワタシ。さんざん振り回しておいて、ワタシがうるさいから「合わせてやった」とむくれられるのはごめんだって。
結局買い物は日曜の夜に済ませたけど、ワタシが商売相手のご機嫌を取っているように見えるからって、いい年をして「ママ~っ」とばかりにヤキモチを焼くこたあないでしょうが。お金を払ってくれる商売相手だから(もちろん妥当な範囲で)ご機嫌を取ってるんだから。それが商売ってもので、それがワタシの生計なんだからね。まあ、諸般の事情からカレシにはわからないとわかっているから、そこまでは言わないけど、言わないからどうしてもストレスが雪のようにしんしんと積もる。(どこかで「雪はね」をしないとそのうち豪雪に埋もれてしまいかねないから、ブログで「王様の耳はロバの耳」みたいなことを言っているわけだけど・・・。)
メンドクサイ客の相手とこうしてときどき輪をかけてメンドクサくなりたがるカレシの間に挟まれてイライラしながら、ワタシはこれまた諸般の事情に触発されて何となくカレシとの関係の精神的な「収支」のようなことを考えていた。端的に言ってしまえば、カレシについては「赤字」なのは明らかなんだけど、周囲の家族や友だちが何かと補填してくれているし、自分でもある程度穴埋めができているから、連結方式ならまだ十分に黒字だと思う。でも、けんかしたときにカレシが目を見開いて左右に激しく動かすことがあるのがどうも異常じゃないかと思っていたのが、どうやらパニックの症状らしいとわかって、カレシ部門が今後黒字に転じるのは難しそうな感じ。つまり、カレシと真っ向からけんかしたって生産的じゃないということで、「赤字転落」を避けるためには「経営方針」を見直して、赤字部門を補填して、梃入れするか・・・。(あ~あ、△印だらけの決算短信の翻訳をやりすぎたみたい。)
まあ、それやこれやで気づかないうちにストレスがたまって、ちょっとばかり自律神経が失調を来たしてしまったというところかな。でも、10時間寝て起きたら元気いっぱいというのは、重みで屋根が潰れるところまで行かなかったということで、安心材料かな。やり残した仕事もちゃんと期限通りに納品したし、またまた(今度はまとめて)飛んできた「なんで~」というような質問にもまじめに答えたし、カレシは「あんまり働きすぎない方がいいよ」なんて、やさしいことを言ってくれるし、ワタシの精神部門の業績はどうやら上向きの兆し・・・?