リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年10月~その1

2011年10月16日 | 昔語り(2006~2013)
がんばって仕事をした後はシンフォニー・ナイト

10月1日。土曜日。今日からもう10月かあ。今日も何となく暗いけど、雨は降っていない。まだ寝足りなくてもう少し寝ていたい気がするけど、そうもいかない。まあ、急に増えたと騒いでいた体重は元に戻ったし、相変わらずおなかが空くけど、別に気にすべきこともなさそうだから、いいか。

体重や血圧の変化は毎日まめにモニターしているけど、その日その日の変化をいちいち気にしていたら、逆にストレスで体調がおかしくなるんじゃないかと思うな。我が家の秤はキロじゃなくてポンドなので、体重は半ポンド単位で表示される。ふだんの夜と朝の差は大きくても2ポンドで、だいたいは1.5ポンド、運動をさぼりまくって1ポンド。一方で、前の朝より増えたと騒いでも、せいぜい1ポンドか1.5ポンドで、たまに2ポンド。1ポンドは約454グラムだから、体重が2ポンド増えたといっても1キロ弱。つまり、ふだんは増えたといっても500グラム前後の話。でもまあ、心理的には「1キロ増えた」も「1ポンド増えた」もぎょっとすることではあまり変わらないような気がするけどな。

今夜は通しで買ってあるバンクーバー交響楽団のコンサートシリーズの第1回目だから、ゆっくり楽しめるように、今日中に校正担当者に送っておかなければならない仕事を超特急でやっつけにかかる。でも、科学がテーマだと動植物のラテン語の「学名」がやたらと出てきて、その和名や英語名の検索がひと仕事。今どきはいろんな大学のサイトにいろんなリストがあるけど、必ずしもすべてが網羅されているわけじゃない。植物なんか世界にいったいどれだけの種類があるやら見当もつかないくらいだから、あっちでひとつ見つけ、こっちでひとつ見つけ。それにしても、「ええ?こんなすてきな花なのに、何、その名前?」なんてのがぞろぞろと出てくる。たとえば、愛好家も多いシクラメンの和名は「ブタノマンジュウ」。まあ、カタカナ書きのうちはまだいいけど、もろに漢字で「豚の饅頭」と書いたら吹き出してしまいそう。こんなかわいそうな名前をつけた人は想像力が逞しすぎたのか、それとも想像力のその字も持ち合わせていなかったのか。まさか、豚がシクラメンをむしゃむしゃ食べているのを見たからってわけじゃあ・・・ないだろうな。

仕事が間に合って、今度は超特急で夕食の支度をして、着替えをして、いざコンサートへ。去年と同じドレスサークルの最前列の真ん中の席に陣取って、いよいよコンサートシーズンの幕開け。ベルリオーズの『ラコツキーマーチ』で始まり、バイオリンのチャッド・フープスがゲストソロイストでラロの『スペイン交響曲』。まだ17歳の高校生だそうで、いかにもぽっちゃりした紅顔の坊やという感じ。(プログラムの紹介記事に「ボーイスカウトとしての活動にも熱心」と書いてあった。)でも、迫力があって、これからどんどん伸びる天才だと思うな。休憩を挟んでの第2部はリストの『メフィストワルツ』に始まって、エネスコの『ルーマニア狂詩曲第1番』。どっちもどんどんテンポが上がって打ち上げ花火のように終わる。そして、最後はラヴェルの『ボレロ』。打楽器奏者が前に出てきて、あの単調なリズムを刻んで行く。最初はソフトに、しだいに音が大きくなり、見ているとスティックを持った腕がだんだんと高くなる。ドラムの表面との距離が開いても、確実に正確にリズムを刻み続けるのはかなり難しそう。最後はジャジャーン!と盛大に花火を打ち上げて、コンサートは終わり。ブラヴォー!

なんだか元気づいた感じだから、この勢いに乗って棚上げになっていた大仕事を再開することにしよう。最終期限は来週の金曜日。間に合うかな?(明日はまた絵のワークショップだけど、ま、ストレスになるといけないから、それくらいのさぼりはいいってことにして・・・。)

ネットワーク時代の夫婦の会話

10月2日。日曜日。雨を降らすのか、降らさないのか、どっちかにして欲しいような天気。たぶん降らないだろうけど。今日はちょっと早めに起きて、久しぶりにベーコンとポテトとカレシお得意の目玉焼きで朝食。

だけど、今日のカレシは何となく機嫌がよろしくない。どっちみち廃用にするコンピュータが思うように動かない、とぶつくさ、ぶつくさ。あのさあ、老朽化してもう1年も2年も不調で、去年新しいのを買ってから「そのうち」廃棄処分と決まっていたものでしょ?それを、新しいのはネットに接続しないと言い出して、老骨に鞭打ってきたのはアナタ?ワタシが新しいのに買い替えて不要になった古いのをとりあえず使ってと言ったのに、「そのうち」と言うだけで何もアクションを起こさなかったのはアナタ。そのうち、そのうちって、自分のペースでやりたいのはわかるけど、意地っ張りもほどほどにした方がいいと思うなあ。まあ、そういうあたりがカレシの性格のおもしろいところでもあるんだけども。

ワタシの方は新しいワイヤレスのマウスとキーボードがそろって平常運転になったけど、きのうから印刷できなくなってしまった。ワタシのPCはカレシのルータを通してワイヤレスでプリンタにつながっているんだけど、なぜか接続がなくなってしまった。カレシがネットブックをつなぐのに何かやっていたから、その辺りが怪しいと思うんだけど、カレシはワタシの新しいワイヤレス機器
のせいだと思っている。そこでソニーのオリジナルのマウスとキーボードに戻してみたけど、やっぱり接続できない。しょうがないから、ワタシの古いPCにつながっていたUSBケーブルを外して新しいPCにつないて、ポートをUSBに切り替えたら、はっ、ちゃんと印刷できるじゃないの。

この点もきのうからああだこうだと半ばけんか腰。人の意見をまともに聞かないのもカレシの性格ではあるけど、ここはおもしろいなんて言っている場合じゃない。で、なんかもやもやしながらワークショップでカラーホイールに色を塗っていて、電灯がポッ。カレシが計画(!)通りに危機の入れ替えと家具の移動を実行したら、常時プリンタに接続するPCは(今までの4台から)2台になる。だったら、USBのハブとケーブルを買ってきて、2台ともUSBポートにつないでしまえばいいじゃない。帰って来てUSBで共有する方法を提案したんだけど、言葉での説明をイメージに変換できないらしいカレシのこと、ち~っともわかっていない。ワタシはUSBのケーブルを振り回しながら、この先がプリンタにつながって、こっちがハブにつながって、2台のPCがUSBケーブルでハブにつながるのっ。つまり、プリンタとPCの間にハブが入るのっ。大昔にはスイッチを使って1台のプリンタを共有したでしょうか。あのスイッチが今はハブだと思えばいいのっ。

最後にはUSBハブで接続する案を満場一致で採択したんだけど、そこでカレシが「印刷できなくなったのは、ボクがネットワークのことでTelusに電話した前?後?午前2時半くらいだったけど」といきなりあさっての方へ走るような質問。う~ん、PCを落とす前だったから後だったと思う。カレシ曰く、「あのときネットワークのセキュリティキーを変えたんだよね」。あ~あ。それって、転居先の住所を残さないでこそっと引っ越すようなものじゃないのっ。さっそく、カレシが設定したセキュリティキーを入れたら、あ~ら、魔法のごとく接続が戻って来た。プリンタのポートを切り替えて、たまたま開いていたファイルを印刷してみたら、あ~ら、ちゃんと印刷できた。初めからネットワークをいじったと言ってくれたら、ごちゃごちゃ考えずにすんだのにっ。せっかくワタシが気に入ったキーボードのせいにするなんてっ。(ソニーのはカナダ仕様らしくて、ヘンなところにフランス語用のキーがあって、邪魔っけでしょうがなかった。それに使い始めて3ヵ月でキーの文字が消え始めたし・・・。)

ひら謝りのカレシが「借りは返すから」と言うので、じゃあ長~い「お願いリスト」を作っても良いかと聞いたら、「それほどは悪かったと思ってないよ~」と。はあ。まったくもう、インターネットの時代になって、ネットワークやらワイヤレスやら、クラウドやら何やら、何でもかんでもめんどうくさい世の中になったなあ。プラグアンドプレイの時代はそんなに昔じゃないのに。。おかげで、人間関係もうっかりするとギクシャク。2人して今テクをよく理解していないと、プリンタ1台を動かすのに夫婦の仲さえうっかりするとギクシャク。まあ、うちはカレシ特製の豆サラダでなんとなく元の2人に収まったからいいけど、ワタシたちのせいじゃないよねっ?じゃあ、誰のせいなんだろうなあ。ゲイツ君のせい?ジョブス君のせい?ザッカーバーグ君のせい?ふむ、なんだかみんな他人さまの言うことはろくに聞かなさそうな連中だなあ。まあ、ワタシも人の言うことをあんまり聞かない方ではあるんだけど・・・。

国際結婚は苦労するのにとは、大きなお世話

10月3日。月曜日。目が覚めたらやっぱり暗かった。どうしてももうひと眠りしたくなってしまうのかそのせいかもしれない。昼のテレビでは、午前中に猛烈な雨だったようなことを言っていた。そういえば、先々週マイクがポンプで空にした池にワタシの膝までありそうな深さに水がたまっている。つまりは、10日。くらいの間にそれだけの雨が降ったということか。(風邪を引いていた)マイクが今週中に作業を再開すると言って来たけど、溢れないうちに壊した方がいいかもね。

きのうはプリンタの問題が一応解決したと思ったとたんに仕事がどさどさと降ってきた。棚から下ろした大きな仕事はまたちょっと棚上げ。別の仕事の「相談」もあるし、「来るものは拒まず」なんて能天気に構えていていいのかな。大仕事の期限は棚上げにならないから、このままではへたをすると徹夜になるかもしれない。このあたりの自己管理をなんとか改善しなければならないとは、まあ、いつも思ってはいるんだけど、なぜか実行に至らずじまいのワタシ。まっ、稼ぐのが好きな性分だからしょうがないか。この1、2週間の間にかなりのカナダドル安になって、その分アメリカドルで入って来る翻訳料の価値が上がるから、ここは腕をまくってひと稼ぎするか。

と言いながら、ちょこっと小町横町を歩いていたら、国際結婚する友だちを「なんでそんな苦労をわざわざ」という目で見ている人がいる。国際結婚と聞いただけで苦労すると思ってしまうのはいささか極端だと思うけど、日本人同士でも苦労する場合もあるのに、なんでわざわざ外国人と一緒になって海外まで行くのか・・・ふむ、どっちみち苦労するんだったら、同胞婚でも異人種婚でも同じことじゃないのかなと思うけど。何が苦労なのかと思ったら、言葉や文化が違う。食事も生活習慣も違う。親や友人になかなか会えなくなる。だけど、いわゆる「国際結婚」をする人はそんなことは百も承知の上でしてるんだけどな。たしかに結婚してしまってから「こんなはずじゃなかった」というケースも多いだろうけど、それはそういう違いや日本からの距離をどういう期待(イメージ?)を根拠に承知していたかによると思うけどな。

思ったとおり、「心配ご無用、うまく行ってます」という書き込みが並んでいるけど、トピックを立てたご当人は納得が行かないようで、「でも、それを差し引いたとしてもやはり、海外で非日本人と、日本人妻として暮らしていくということは目にみえない、言葉にできない苦渋や忍耐があるんだと思う」と食い下がっている。思い込みの激しそうな人だな、この人。「もうすごく大変な苦労をしています」という回答があったら、「ほ~ら、やっぱり」と安心してにっこりするんだろうな、きっと。まあ、思い込みの激しい人ほど他人の状況を「苦しいはず、つらいはず、怖いはず、痛いはず」とネガティブに感じる傾向があるように思うけど、その人の奥深くにある本能的な不安感を反映しているのかな。それで「そんなことないよ」というポジティブな返事が来ると、自分が否定されたように感じて「そんなはずはない」と相手の感覚を否定したくなるのかもしれない。

こういう人にはいくら反論しても通じないんだけど、ことさら「幸せ」を強調して自分の結婚の例を書き込む人もいるからおもしろい。特に国際結婚にまつわる相談トピックが上がって、助言も何もそっちのけで「アタシも国際結婚だけど夫は経済力があってハンサムでやさしくてお姫様扱いでもうシアワセの絶頂よっ」というような書き込みがぞろぞろ出てくると、つい天邪鬼が頭をもたげて、この人は本当はあまり幸せではないんじゃないかと思ってしまう。匿名掲示板だから、いくらでも正反対のことを書けるわけで、あんがい「アタシはシアワセなの」と自分自身に魔法をかけているのかもしれないな。誰かが、相手の国の言葉では微妙なニュアンスを表現できないから、ときにはつらいことになるのではないかと書き込んでいたけど、外国語だから難しいというのはわかるとしても、日本人を遠くから見ていると、気持の表現に限って言えば日本語と欧米語で「微妙なニュアンス」の伝達スタイルそのものに大きな違いがあるからことも関係しているんじゃないかと思うな。

まあ、他人が苦労だと思うことを苦労だと思わない人もいるし、よけいな苦労はしたくないという人もいれば、苦労を厭わないという人もいるし、ものともしない人だっている。つまり、同胞婚であれ、異人種婚であれ、苦労するかどうかは結婚してみないとわからないんだから、「わざわざ外国人と一緒になって苦労をするのか」なんて大きなお世話ってもんだと思うけど。

浦島さんを悩ませる日本語

10月4日。火曜日。なんか寝つきが悪くて、おまけによく眠れなくて、いつの間にか目覚ましが鳴り出す直前の午前11時25分。今日は少し明るいけど、起きてみたらかなりの風が吹いている。なんだか知らないけど、厳しい冬が来るという前兆だったりして・・・。

今日はまず朝食が済んだらカレシを英語教室に送り出して、午後5時が期限の仕事にとりかかる。またまた職場のもめごと。おかげで科学ものはまた棚上げ。多いなあ、セクハラにパワハラにチョンボ。ここだけなのかと思っていたけど、小町横町の巷には似たようなグチがたっくさんあるから、まあ概ね日本の都会の社会人社会のわりかし平均的な人間関係なのかもしれないとも思う。でも、こういうのは科学ものと違って、感情的なニュアンスのひだがけっこう奥深いから、何を言おうとしているかを正確に解釈するのが難しい。何しろ、解釈によって単語の選択が違って来るわけで、解釈を間違えば単語の選択も合わなくなって、場合によっては読んだ人が「すわ、裁判沙汰か?」と浮き足立ってしまう可能性もなきにしはあらずだからやっかい至極。

いつから始まったのか知らないけど、日本語の慇懃無礼化と感情の過激表現化はもう一時の「風潮」の域を抜けて、日常語として定着してしまったという感じがするな。日常の口語であるうちはワタシが困ることは何もないんだけど、それが企業の文書にちりばめられるようになると話は別。ちょっと声が大きくなっただけなのに「怒声を浴びせられた」なんて表現してあって、それをそのまますなおに「怒声を浴びせられた」と訳したら、めんどうなことになる人がたくさんでてくる可能性がある。ま、言葉は生き物だから時とともに変遷して行くのは当然だとしても、生き物だからこそそれなりにていねいに扱わないと、へたをしたらゾンビになってしまうかもしれない。言葉が豊かな命を失ったら、民族の行く末はあまり芳しいものではないと思うけど。

それにしても、だれそれの口調が「きつい」という苦情の多いこと。どうもそれが「苦痛」で体調を崩してしまう人がかなりいるらしい。チョンボしたら上の人に叱られるもんだと思うけど、たぶん叱られずに育った人たちも多いんだろうな。いっとき(今でも?)「叱らない育児」というのがもてはやされたらしいけど、先だって小町に上がっていたトピックを見て、「叱る」と「怒る」の区別がないのが問題じゃないかなと思った。少なくとも「ニュアンス」の違いがあるだろうに、どう見てもまったく同じ意味で使っているとしか考えられない。まあ、ワタシが子供だった頃も悪さをすれば「そんなことしたらあそこのおじさんに怒られるよ」なんてやられるのが普通だったような記憶があるけど、なぜ見ず知らずのおじさんが怒るのかは子供心にどうしても腑に落ちなかったな。

叱る、怒るはいいとしても、この「きつい」の訳には悩まされることが多い。今どきの日本の職場には「おっかない」上司がそんなにいるのかと思ってしまう。でも、ほとんどは受け手が「きつい」と感じて、それを苦痛だといっているんじゃないかという場合が多い。ひょっとしたら「人」の痛みがわかる子供を育てるはずが「自分」の痛みに敏感な人間を量産してしまったのかな。それとも無菌状態で育って来て一種の「感覚過敏」になっているのかな。それとも・・・。要は精神的にひ弱な人が増えたということなんだろうけど。ま、誰にもきつい言い方をされず、怒声を浴びせられず、ちょっとしたミスを責め立てられず、みんなにやさしくされて暮らせる人生の方が楽に決まっているんだろうけど・・・。

幸せな結婚を続ける妻たちの秘密とは

10月5日。水曜日。いやあ、前の夜によく眠れなかったせいもあるけど、深々と8時間たっぷり眠った感じ。今日も雨がちで、正午過ぎのポーチの温度計は10度。やれやれ、これじゃあ平年の最低気温の方に近いじゃないの。さんざん夏をお預けにしておいて、おしるし程度の夏でお茶を濁したあげくに急いで冬って、いくらなんでもそれはないんじゃないかい?まあ、今日はこもっての仕事日だからいいけど。

大きな仕事がなかなか捗らないので、編集者の期限の方にしわ寄せが行ってしまうかもしれないと思い、きのうはたくさんくっついてきた小さいファイルをガリガリとなし崩しに片付けて、やっとのことで、金曜日の夜(というか土曜日の朝7時)の期限に間に合うと見通しが立った。ただし、あまりさぼらなければの話。でも、人間心理とは無縁の内容だから、少しは順調に進むような気がするな。グチや苦情が満載で、言葉の真意まで「翻訳」しなければならない仕事はくたびれるし、こっちまでがネガティブなオーラにくらくらして来る。まあ、毎日そういう環境にいたらたしかに生きにくいだろうなとは思う。だけど、自分たちの環境なんだから、「きつい」だの「つらい」だのと言っていないで自分たちで変える努力をした方がいいのにと思う。そういう「何とかしよう」というイニシャティブを取りにくい環境なんだということもわかる。でも、だからといって「何とかして」という他力本願では良くなる確率は限りなくゼロに近いと思うんだけどなあ。

きのうから、人間関係の好き嫌いとか、ポジティブな性格とネガティブな性格、自律の人と他律の人、そういったことを何となくテーブルで向かい合うたびに話していた。わりとまじめに聞いているから、こっちも調子に乗っていろいろと考えを話すんだけど、今までだったらわざとに反対の意見を持ち出すことが多かったのに、なぜかそれがないから不思議。どうして?と思っていたら、
バスルームから出て来たカレシが手に持っていたのは今週の『Maclean’s』。表紙にでかでかと、「妻たちの秘密の人生」なんてタイトル。なあんだ、それを読んで慌てたのか・・・。

記事は結婚歴の長い妻たちが夫婦関係を維持するために夫の知らないところで何をしているかというもので、誰かが出版したばりの本が下地になっているらしい。ワタシは雑誌が届いた日に読んだけど、「一線を越えない婚外恋愛」なんて過激なものもあるかと思えば、いわゆる「女子会」のおしゃべりや自分の趣味の開拓など、要するに妻たちのガス抜き。いかに自分の空間を確立して、いくら夫婦仲が良くてもたまることは避けられない結婚生活のストレスを上手?に発散して良好な夫婦関係を続けているかという話。鍵は、前提として「夫婦の絆」があって、その結び目の中にそれぞれが自分の精神的なスペースを持つことだそうな。言うは易しの観があるけど、たしかに自分だけの精神的なスペースを持つと言うのは、結婚しているいないに関わらず、精神的に自立した人間としての不可欠な条件だと思う。

ワタシはちゃんと自分のスペースを持って、そこで短編や芝居を書いたり、絵を描いたり、即興芝居をしたりしてガス抜きをしていると思うんだけど、カレシはのっけに出てきた「一線を越えない婚外恋愛」で結婚生活にメリハリをつけている女性の話しを読んで、「こんなことされたらたまらんから、もっとあいつの話を聞いてやらにゃならんなあ」なあんて焦ってしまったのかな。自分の精神的なスペースを求めるのは、男の場合は結婚生活から逃げるためで、女の場合は結婚生活から得られないものを補うためだとも書いてあったけど、そこをちゃんと読んだの、アナタ?

明日と言う日があると信じて仕事をしよう

10月6日。木曜日。ごみ収集トラックの轟音にも目を覚まされずに良く寝ていたのに、いきなりの削岩機の音で飛び起きてしまった。午前11時20分。あ、早朝でなくてよかった。マイクから池と滝を壊しに来ると言う予告があったけど、時間を知らせてくるのを忘れていたので、寝る前に「早起きしないから、勝手にゲートハウスの壁板を外して裏庭に入って、仕事を始めてね」とメールを送ってあったんだった。

就寝が4時半だったので、早く来なくて助かった。二十歳くらいの息子を助手に連れて来ていた。もちろん削岩機でガガガッとやらされるのは息子の方。なかなか気立ての良さそうな青年だな。ハンサムだし。失業中でお金がないからということだけど、うん、今は若い人たちにはかなり厳しい状況だからね。かなりの間ガガガッとやっていたら、裏庭はまるで激甚災害地のような感じ。池と滝を作るのに使った鉄筋とコンクリートの量に今さらながらびっくり。それでも、まあ15年近い年月はあるとしても、壊すのに作ったときの倍の費用がかかる・・・。

さて、だんだんに納期が差し迫ってきて、後2日。。それなのに試算してみたらたっぷりと3日。分はある。やれやれ、我ながらどうするつもりなんだろうな。とにかく、ひたすら仕事、1日。中ひたすら仕事。くたびれるなあ。えらい先生たちが書いたんだろうに、なんで肝心要の情報を抜かすんだろうなあ。雲の上の象牙の塔のえらいセンセたちだから、いちいち俗人にもわかるように細かに書かないのかなあ。(あんがい、書けなかったりして・・・。)ああ、おなかが空くなあ。この分ではまだストレス太りだなあ。だけど、がんばらなくちゃ。マイクが次は連休明けの火曜日と言うので、今夜はきっと半徹夜だ・・・。

それでうまく期限に間に合って仕事を終わらせられたら、連休。カナダは感謝祭の三連休。日本も(何の日だっけ?)三連休。(ついでにアメリカも三連休。)なんか世の中が静かそうで、クライアントのオフィスはみんな休みだから、ひょっとしたら納品が1日。遅れても誰も気にしないかもしれないな。現実的には編集者氏の納期が平日だから、そうも行かないんだけど。だから、がんばるしかない。この年ではやっぱり少々疲れるな。「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」と言ったアップルのスティーブ・ジョブスは60才に手が届かないうちに死んでしまった。ワタシは63歳と半年。だけど、まだジョブスの1万分の一も生きてないような気がするなあ・・・。

足もとを見れば、冷蔵庫はすでにほぼ空っぽの状態で、ミルクはなくなったし、コーヒーも切らしたし、カレシのサラダ野菜もワタシの付け合せ野菜も乏しくなったから、時間があろうがなかろうが、明日は食料の買出しに行かなくちゃならない。せっかくの感謝祭の連休だから、食べ甲斐のありそうな鴨を一羽丸ごと買って来ようか。うん、どんなに仕事が忙しくても、どんなに神聖なる納期が迫っていても、食べることだけは、食べる楽しみだけは棚上げしたくないもんね。

よ~し、老骨をやさしくマッサージしながら、まだ明日があると信じて、がんばろうっと・・・。

ひたすら仕事した後の達成感は爽快だけ

10月8日。土曜日。正午をかなり過ぎてからぼけ~っと目を覚ました。そっか、仕事、終わったんだっけ。頭がぼけ~っとして、今日はなあんにもしたくない気分。ゆうべ(というか、けさにあたるんだけど)は就寝が午前5時半近く。その前の夜も午前5時で、カレシが「徹夜するよりは少しでも寝て早起きした方が楽だろう」と午前10時半に(頼んでなかったのに)起こしてくれた。頭がぼけ~っとするはずだなあ・・・。

ゆうべは、仕事を完了したのが午前4時ちょっと過ぎ。昼前から初めて、わき目も振らずに仕事したおかげで、期限に2時間以上の余裕で納品。正味の作業時間は11時間くらいか。1990年代だったらこれがワタシの平常の勤務時間で、週7日。やっていたけど、最近はその半分が普通だから、めったになく興奮して、終わったとたんに「イエ~ィ!」と、カレシとをハイファイヴ。うん、こういう「やったぁ」感は病みつきになりそうな魔力がある。もっと日本時間では三連休の土曜日の夜中に近い時間だし、編集者にとっても深夜だから、少々の遅れは次の工程に影響しないんだけど、期限は期限。同意した納期を外すのはプロの沽券に関わるから、ひたすらがんばることになる。それでも夕食の前に大きいファイルの完了時間の目処が立ったので、夕食後にそれっと食料の買出しに出かけた。何しろ、冷蔵庫はほぼ空っぽの様相で、牛乳もコーヒーもシリア
ルもオレンジジュースもない。野菜も底をついたし、ランチの食材もないし、おまけに寝酒のレミもないから夜を越せない・・・。

大量に仕入れて来た魚のトレイの山と体重2.8キロの鴨を冷蔵庫に突っ込んでおいて、ささっとランチをして、仕事を再開。ひたすらキーを叩いて、大きいのは午前3時半の完了。仕上がりの語数は約1万語で、日本語の文字数から(ワタシの平均45%を掛けて)想定していた語数よりもかなり多い。どうりで、やってもやっても終わりが見えてこなかったはずだな。なにしろ、目的語や先行詞に当たるものがあちこちで抜け落ちていて、(ワタシにもわかったから)たぶん日本語としてはちゃんと通じるんだろうけど、どっこい英語ではそうは行かないから、元原稿にない語を補ってやらなければならない。超高学歴なんだから、もうちょっと理路整然とした文章を書いてくれた良さそうなもんだと思うけどなあ。最近の日本では「空気」をコミュニケーションの手段として使うという話は聞いていたけど、その空気を翻訳しなければならなくなるなんて思ってもみな
かったな。あ~あ、頭痛がして来そう・・・。

というわけで、きのうの今日。起きてみたけど、何をする気にもならない。思いつきで買って来た牛のすね肉とマッシュルーム、にんにく、玉ねぎをスロークッカーに入れて、赤ワインをたっぷり入れて、スイッチをオンにしたら今日の「晩ごはん」のしたくは終了。魚のトレイを外して冷凍用のバッグに入れて、フリーザーに放り込んだ以外は、午後いっぱいをダラダラと過ごして、夕食
のしたくはインゲンを蒸すだけ。なんちゃってブールギニョン風ビーフシチューはかなり良くできていた。(前の夜にセットしておけばもっと良さそう。)食後にカレシはテレビの前のリクライナーで、ワタシはベースメントの小部屋のソファで、それぞれ撃沈。どうやらあまり久しぶりにビーフを食べたので、びっくりした胃袋が消化作業にエネルギーを総動員したせいらしい。消化しやす
い魚ばかり食べているせいもあるだろうけど、この頃はビーフのような赤身の肉が胃にとってはかなりの重労働に感じられるようになった。ま、加齢現象ということも考えられるけど・・・。

さて、今日は感謝祭の三連休の初日。まあ、ヘンな時間に2人揃って居眠りをしてしまったから、また夜更かしになるんだろうな。それでは、小町横町にでも散歩に行って、いつもにぎわっている井戸端会議場ではどんな議論が戦わされているのか、ちょっとばかりのぞいて来ようっと。

神様が2つの耳を授けてくれたわけ

10月9日。日曜日。起床午後12時半。日が差していた。久しぶりに良く寝た気分。やっぱり徹底的に神経を集中して仕事をした後は、消耗したエネルギーを補充するのに丸1日。はかかるということかな。だから、どんなに元気だと思っていても、どんなに精神的に必要だったとしても、そういうことを週7日。のペースで10年もやっていたら、誰だって燃え尽きてしまいそう。人間は生き物であって、使い捨ての乾電池で動くもんじゃないんだから。「昨日も終電、今日も始発でその元気・・・一体いつ休んでいるの?」とか何とか言うのは日本の新聞サイトを見るたびに出て来る強壮剤?の広告だけど、覚せい剤でもやらないと無理ってもんじゃないの?

でもまあ、今回はなんだか心身ともにすご~く疲れた感じがする。この道に入って最初の10年はカレシがまだ在職中だったので、ワタシは朝から夕方までひとり家でひたすら仕事。今は引退したカレシが寝ても覚めてもそばにいる。仕事のないときや忙しくないときはそれでも別にストレスにはならないけど、カレシの存在を無視して仕事に没頭しなければならない状態になると、カレシはまったく口笛になっていない「口笛」をいつまでもヒューヒューとやるから、そうでなくても何を言いたいのかわからない日本語の解釈に神経をすり減らしているワタシはイライラ。ひたすら無視を決め込んでいないとフラッシュバックが起きそうなので、必死で画面を睨むけど、ストレス度は上昇する一方。三つ子の魂の例えの通り、幼児期の強い見捨てられ不安は70に手の届く年になってもまだ無意識に頭をもたげてくるらしい。

だけど、塩辛い口笛はまだいい方で、本質的にネガティブ思考のカレシは、テレビを見ても、雑誌を読んでも、ラジオを聞いても、ワタシと話をしても詰まる所は愚痴とダメ出し。仕事で頭がカリカリしているときにそれをやられると、ワタシはストレスの極みになる。ワタシは宇宙はすべてダイコトミーだと信じているから、人間も生まれつきポジティブな性格の人とネガティブな性格の人がいると思っているけど、人間関係をややこしくするのはたぶんネガティブな性格の強い人たちの方ではないかと思う。ポジティブな人は誰についてもマイペースでポジティブに流せることが多いのに対して、ネガティブな人はポジティブな人を見ると、何につけても愚痴と批判とあら捜しで気を滅入らせて、ネガティブに転向させようとする傾向があるように思う。そうしないと自分のエネルギーを吸い取られそうに感じるのかもしれないけど、ポジティブな人にムカつくからと言って、じゃあネガティブな人となら相性がいいのかというと、相手以上にネガティブになろうとして疲れてしまう人が多いらしいから不思議。

振り返ってみたら、カレシは昔からネガティブな傾向が強くて、仕事の愚痴、上司の愚痴、組織の愚痴、制度の愚痴。だけど、人が愚痴を言うのは大嫌い。まあ、このあたりは亡くなったパパにそっくりで、血は争えないというところかな。ワタシがカナダに来て働き始めて間もない頃はやはり戸惑うことがあって、帰って来て愚痴ることもあったけど、カレシの反応は「やられたらやり返して来い」と取り付く島もなかった。でも、あの頃にワタシの愚痴を聞いてやさしく慰めてくれていたらたぶん今のワタシはないと思うから、人生はまさに塞翁が馬。そうやって突っ放して来たワタシが強くなりすぎた(カナダ化しすぎた)と怒って、「正しい日本人女性」に矯正しようとしたわけだけど、ワタシをまたひと回り強くしただけだったのは皮肉と言えば皮肉。(実はポジティブで芯の強いしっかり者の女性こそ「正しい大和撫子」じゃないかと思うんだけど、それじゃあちっともカワイクない・・・のかな?)

それでも、仕事に徹底集中しているとき、エネルギーを出し切って疲れているときに、延々とグチグチやられると、さすがの極楽とんぼもイラ~ッと来る。それで、きのうはつい言ってしまった。「ネガティブな人って文句ばっかり多いけど、自分では何もしないよねえ」と。カレシは一瞬ぎょっとしたような顔をしたけど、今日はまたテレビを相手にダメを出しまくって、文句たらたら。まっ、それがワタシのカレシなんで、親じゃないワタシにはカレシを変えることはできないから、ここは、一方の耳から入って、ニュートリノみたいにすうっと脳みそを通り抜けて、もう一方の耳からサヨナラ~という「聞き流し作戦」で行くことにしよう。神さまはそのために2つの耳を授けてくれたんだから。でも、ヨブの忍耐の境地にはまだまだ遠い・・・。

雨の日の感謝祭は鴨づくし

10月10日。月曜日。かなりよく眠って正午に起きたら、雨模様。今日は三連休最後の日で感謝祭。朝食が済むや否や、冷蔵庫でゆっくり解凍してあった鴨を出してきて、解体にとりかかる。最近は何だか鴨も図体が大きくなって来たような感じで、胸の脂肪もかなり分厚い。何を食べさせているのか知らないけど、そのうちガチョウと変わらない大きさになったりして・・・。

まず余分な脂肪の脂肪の塊を切り取ってから、背骨の両側をキッチンばさみで切って鴨を開き、ひっくり返して胸の軟骨を切って、左右2つに分ける。これを前(胸)と後ろ(足)にそれぞれ切り分け、次に手羽を切り離して、最後にナイフで肋骨を剥がす。所要時間は15分。手馴れたもんだなあと我ながら感心・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(鴨の即製レバーパテ)
 かぼちゃのスープ、サツマイモのチップ
 鴨のバロティーヌ、ブロッコリーニ添え
 鴨のオレンジ煮、温野菜添え

[写真] 鴨や七面鳥を丸ごと買うと、おなかの中に別の袋に入れたレバーや砂肝が入って来る。いつもは使わずに捨ててしまうんだけど、思い立ってレバーで即製パテを作ってみることにした。玉ねぎとにんにくをバターで炒めたところにレバーを入れて、さっと火が通る程度に焼いてから、(フードプロセッサには少なすぎるので)チョッパーでペーストにした。塩と胡椒で味をつけて、カレシが庭から採ってきたタイムとブランディ少々を加えただけの簡単なもの。別のコースのためにスライスしてローストしたナスが1枚余ったので、パセリを巻いてちょこっと彩り。パテと言うよりはムースに近い食感だった。

[写真] 感謝祭と言えば、デザートはパンプキンパイということになっているけど、我が家はスープ。薄いチキンストックで玉ねぎとポルチーニきのこと隠し味のしょうがを煮て、ピューレにしてからクリームを少々。冷蔵庫の野菜入れの底にあった残り物のサツマイモをスライスして、さっとオリーブ油を塗ったのをトースターオーブンでカリカリになるまで焼いてみた。シナモンをさっと振って、できあがり。かぼちゃの半分でも鍋いっぱいにできたので、残りは明日のランチ・・・。

[写真] 胸肉がかなり大きめだったので、皮を取り除いた1枚を左右に開いて、ナスを巻き込んだバロティーヌ。げんこつで叩いて平均に伸ばして、タイムと刻みパセリを散らし、そこに縦にスライスしてローストしてあったナスを2枚。しばし考えて、トマトペーストとトリュフ入りのきのこのペーストを載せてロールアップ。たこ糸で縛ったのを、フライパンでころころと転がしながら焼いて、輪切りにしたら、あら、けっこう見栄えがするような。付け合せは最近気に入っているブロッコリーニ(たぶん、若いブロッコリ)で、これは三重の花丸かな。

[写真] メインはもう1枚の胸肉。これは半分に切り分けて、解体直後からスロークッカーで煮ていたもの。フランスの鴨料理と言えばオレンジソースのロースト。そこで、ポットに玉ねぎ少々とにんにく、鴨を入れて、オレンジジュースとたっぷりのグランマルニエを注いで、上にタイムを茎ごと2、3本。「高」にセットして、週末前にねじ込まれた小さな仕事を片付け、煮えている間に他のコースの下ごしらえや調理。結局、5時間ちょっとかけたことになる。ポットのソースにとろみを付けて、蒸したニンジンとインゲン、それと残ったナスとマッシュルームのソテーを付け合せ。かなり柔らかくなって、オレンジの味がしみた鴨のオレンジ煮も花丸だった。


何しろ鳥が図体が大きいから、胸肉だけでおなかいっぱい。残った足は冷凍しておいて、そのうちコンフィを作ろう。そのために捨てずに取っておいた厚さが1センチはありそうな脂肪がついた皮や手羽から、脂を煮出して、精製しておかないと。ワタシって、フランスの田舎のおかみさんになれるカモ・・・?

英語の生兵法もけっこう危ない

10月11日。火曜日。朝方にかなりの雨が降っていた模様。カレシの英語教室ダブルヘッダーの日だから、セットしておいた目覚ましの3分前に目が覚めて、即起床。空が明るくなって来そうな感じがしないでもないけど、湿っぽい。まあ、バンクーバーの10月ってこんなもんだけど。カレシにガレージから出されて路上駐車したままになっていたエコーが雨に洗われてきれいになっていた。(買って6年でまだ1回しか洗ってもらったことがない・・・。)

カレシを送り出して、ワタシはモールまで早足散歩。気温は摂氏10度で、薄手のフリースを着て出たら、暑くて汗びっしょり。銀行へ行ってシーラに払うお金を出して、サロンへ行ってカットとハイライトの予約を入れ、最後は郵便局。しばらく行っていなかったので、私書箱が溢れて郵便は保管ルーム行きになっていた。どさっと渡されたのは99%がカタログ。隅では赤ちゃんのパスポート写真を撮ってもらっている若夫婦がいて、首がぐらついて天井を見てしまう赤ちゃんの顔をおっかなびっくりの手つきでカメラに向けようとするパパと赤ちゃんの注意を引こうとするママ。中国語らしかったから、移民カップルにカナダ国籍の二世が誕生したんだろうな。パスポートは記念かな。それとも、母国にいる親に孫を見せに行くのかな。ほほえましい光景に芯までほっこりと和んだ気分・・・。

仕事を始める前にメールをチェックしたら、インドから財務系翻訳者募集のメール。長期契約を希望なんて書いてあって、レートはいくらだ、財務系はやったことがあるか、時間単位、1日。単位の処理語数はいくらだ、作業ペースはどのくらいだといろいろとうるさい。さては午前6時に電話をして来てボイスメールに(インド訛りが強すぎて)よくわからないメッセージを残して行ったご仁だな。聞いたこともない会社なのに、ワタシが引き受けることをOKしたかのような口調だけど、インド発の翻訳仕事は日英でもやってらんねぇ~と言うくらいに安いのが普通だから、ワタシの標準レートを言ったら吹っかけなくても退散してくれるかな。それにしても、国際電話をかけるならこっちが何時なのかぐらい考えなかったのかな。そもそも国際ビジネスを標榜するなら、時差を念頭に置いとくのって常識じゃないの?

ぽちぽちと仕事をしながら、ぽちぽちと小町をのぞいては細切れにさぼる。英語で「Would you like more coffee?」と聞かれて、もういらないというときにはどう答えたら良いのかというトピックがあって、「No, thanks」は素っ気ないから「No, thank you」にしろとか、「No, I had enough」がいいとか、いろいろな案が並ぶうちに、「No, I’m good」と言うというのが出て来て、こっちで是非論が盛り上がっていた。いったいどこでそういう「タメ口」表現を教えているんだろうな。いや、学校で教える英語じゃないと思うから、アメリカのテレビドラマなどから覚えて来るんだろう。「学卒者」の集まりでも使われるから、普通の表現だと言う人もいる。若い人に、「How are you?」と聞くと「I’m good」と返って来る。日本語の「ら抜き」と同じで、口語表現としてだいぶ定着して来てはいるけど、年を食った世代にはかなりの違和感がある。たぶん、日本で「ら抜き言葉」が聞かれるようになった頃に年寄り世代が感じたような、ムズムズする違和感に近いと思う。

たしかに、言葉はどこの何であれ、時代の変化や世代交代に連れて変化し続ける生き物なんだけど、ワタシでさえ「I’m good」は何だかなあと感じる。日ごろ聞く言葉だから使わないわけではない。カレシとの会話ではI’m fineというべきところをわざとI’m goodとやることも多い。つまり、タメ口表現だとわかっているからそうい使い方をするんだけど、外国人として北米に住んで、英語が外国語のままの人たちが、たぶん本当の「生きた」英語の知識がない人たちに、あたかもそれが「正しい」用法であるかのように教えるのは何だかなあと思う。生半可な知識は怖いもの知らずで、それをひけらかしたい欲求はもっと怖いもの知らず。

カレシにその話をしていて思い出したのが、何年か前にダウンタウンで目撃した場面。おそらく日本人で、英語のしゃべり方からしてワーキングホリディか語学留学生と推察できる20代くらいの女性が、数人の白人男性とかなり大きな声で(英語で)談笑していた。まあ、そんな光景は語学学校がごまんとあるバンクーバーでは日常茶飯事なんだけど、その脇を通り過ぎたとたんに、彼女が甲高い声で「It was f**king good」。反射的にあっけらかんとカワイさ満開の彼女を振り返ってしまったけど、最近は抵抗感が薄れつつあるとはいえ、この「Fワード」は卑猥な言葉であることには変わりはない。(ワタシもかってカレシと大げんかを繰り返していたときは怒り心頭に達したときに自然に口を突いて出てきた。)

生半可な知識ほど怖いものはないけど、言葉は生半可でなくても怖い。英語は微妙なニュアンスを表現できないと言う「都市伝説」は誰が広めたのか知らないけど、英語人だって人間だからぼかしたいこともあるし、はっきり言いにくいこともある。心の機微を伝えられるのは日本語の専売特許ではないんだけど、どこかで「英語はストレートな言語」と教わって来るのかな、あんがい日本語の方が心の機微の表現が難しいような気がすることが多いけど、それはそういう「心の機微」を、英語では言葉や表情、ボディランゲージを総動員して表現するのに対して、日本語では言葉や表情を使わずに表現すると言う、まったく違う方法をとるからだろうと思う。おもしろいのは、気持や意図を「察してもらう」という狙いに関しては、日本語も英語も同じだということかな。

ま、ワタシの勝手な想像でしかないけど、日本語には擬音語、擬態語、擬情語という、いたって手軽に感情を表現できる語彙が多いし、特に豊富な語彙がなくても気持を察してもらえるようにできているけど、英語の場合は語彙が足りないと微妙な気持を十分に表現できず、結果として相手に正しく推察してもらえないことも多い。(このあたりで「言葉の壁」に阻まれたと英語や英語人に八つ当たりする人が出て来たりするけど、実はまだ「語彙不足の壁」であることが多いんじゃないのかな。)だから、「欧米ではストレートにものを言う」と思い込んでいる人たちは誤解されやすい場面もあるんじゃないかと思うな。カレシの今夜のレッスンのテーマは「will」と「might」の違いだったそうだけど、「will」はストレートに「意図」と解釈できても、「might」の場合は話し手の「気持」が込められている。これにボディランゲージや声のトーンでさらにニュアンスを微妙に
することもできるわけで、このあたりを通り過ぎたところで、本当の意味での「言葉の壁」を感じるようになるんじゃないかと思うな。

まあ、昔から「生兵法は怪我の元」というけど、生兵法のうちほど他人を相手に試してみたり、見せびらかしたりしたくなるのも人間の虚栄心のうちなんで、こればかりは・・・。

座るか、座らぬか、それが問題なの?

10月12日。水曜日。今日は外が明るい。天気予報ではしばらく晴れがちの日が続くという話。でも、この冬もラニーニャだそうで、バンクーバーのあたりは去年は長期予報が外れてそれほど寒くなかったけど、今年は平年より5度くらい低く、氷点下に下がる日も多いらしい。平年並みなら最低気温でもだいたいはプラスなんだけど、ときたまマイナス10度なんて猛烈な寒波が来ることがある。山脈の向こう側に居座った高気圧が北極の寒気を山のこっち側に溢れさせるもので、1週間とか2週間とかまとめて来るのが特徴。1970年代の終わりから80年代の初めにかけては11月、80年代の終わりは2月に来ていたような記憶がある。

そういう寒波のある朝の通勤途中、もこもこのイアマフをしていたのに、はみ出していた耳たぶの先っぽが凍傷になって、後で瘡蓋になって取れたことがあった。ビルの間を入り江から吹き上げて来る風は体感温度がマイナス30度くらいだったらしい。生まれも育ちも北海道の誇り高き「どさんこ」で、寒波襲来でしばれるときはマイナス30度以下になる厳寒の地に住んだこともあるんだから、長い厳しい冬は平気のはずなんだけど、「朝は山でスキー、午後は山を下りてゴルフ(またはセーリング)」という桃源郷バンクーバーに36年も住んでいると鈍ってしまうんだろうな。(曇り空と雨が1ヵ月続いても平気だけど。)まあ、寒波はいいとしても、オリンピックの前の冬のように、大雪と寒波が一緒に来て1ヵ月以上も居座られるのはごめんだなあ。

オフィスの掃除が終わるのを待って、メールをチェックしてから新聞サイトめぐり。地元新聞に、バンクーバーのあるレストランのオーナーが男女共用のトイレに「立ちション禁止」のステッカーを貼ったら(↓)、あっという間にツイッターやら何やらとメディアに広がったという記事があった。[写真]

冗談のつもりだったそうだけど、一気に話題になって、レストランは押すな押すなの大繁盛らしい。ステッカーは、お客が「話のタネ」に持って行くのか、それとも(たぶん女性客が)自分の家のバスルームに貼るつもりなのか、何度も剥がされてなくなったというからおかしい。あまりげらげら笑っていたもので、カレシが何事かとのぞきに来て、「Stupid(アホか)」とむすっとひと言。まあ、記事に対するコメントも大勢はもちろん「アホか」だし、それがたいていの男の反応だろうと思うけど、女性からと思しき賛成意見があったり、「フェミニストの陰謀だ」と言うのがあったりで、レストラン同様に大賑わい。

思わず、新聞社に「ある調査によると、日本では半数近い男性が座ってしている」と教えてあげようかと思ったけど、、だいぶ前に小町のこのテーマのトピックで「アメリカ在住夫人」が、自分の家でも(アメリカ人)夫にそうさせているし、「お邪魔したアメリカ人のお宅のバスルームにもそういうお願いがあったので、アメリカ人も座ってするのが普通ですよ~」と喜々として書き込んでいたのを思い出して、今さら「日本では~」はないもんだと思ってやめた。北米では夫がトイレの便座を上げっ放しにしていたという妻の苦情が夫婦げんかの原因のひとつだそうだから、「座ってやって」という妻の要求に従う夫がいたって不思議はないだろうな。でも、たぶんコンマ以下何位という少数派だろうと思う。そうでなかったら、このレストランの「立ちション禁止」ステッカーはほとんど話題にはならなかったはずだもの。

そういえば、ヘンなところで欧米より一歩先を行っている観のある日本では、男性が座る代わりに床にひざまずいてできるようにと「専用クッション」を発売したメーカーがあると、在日外国人の英語サイトにそのイラストが投稿されていたのを思い出した。そのメーカーは真面目だったようだけど、いかにもマンガチックなカワイイっぽい男性の(けっこう赤裸々な)イラストだったもので、笑ってしまった。(女性に心遣いのできる日本のダンナ様方、笑ってごめんなさい!)

座るか、座らぬか・・・。はて、21世紀の世の男性諸氏にとっては避けて通れない由々しき問題になるのか。ま、ワタシにはど~でもいい些末なことのように思えるけど、結婚前に話し合っておくべき重大問題だと思う女性たちもいるだろうな。ふむ・・・。

日本語様も英語ではすっきりとすっぴん様

10月13日。木曜日。いつもより1時間ほど早めにベッドに入って、突然の削岩機の音で目が覚めたのは午前10時10分。予告どおり、マイクと息子のキャメロンが到着して、さっさと作業を開始。しばらくはぐずぐず、うとうとしてみたけど、やっぱり削岩機の轟音には勝てないから、11時前に起床。まあ、期限は明日の夕方だけども今日中に仕上げて納品しておきたい仕事があるから、早起きも悪くない。うん、いい作業日和だぞ・・・。

口腔病理学の専門家のところから、土曜日の予約確認の電話。これで2度目。何度も電話をかけて、ホールドされて、かけ直しさせられて、やっと取った予約なんだけど、それを2度も確認して来たのはどういうことなんだ。思うに、歯科医からの依頼による「「鑑定」だからか医療保険の対象外らしく、「240ドルかかります」としつこく言われた。つまり、費用を聞いて考え直して、そのまますっぽかしてしまう人がけっこういるんだろうな。カレシが「2人でちょっといいレストランで食事ができる額」というけど、何も問題がなければ「安心料」だと思えばいいし、もしガンが見つかっても早期発見、早期治療で命拾いできたら安い「発見料」。ただし、薬の処方箋を出す場合は保険でカバーされるらしい。自分で見たところでは潰瘍らしいものは見えないし、いつもヒリヒリするわけじゃないから、やっぱり歯に欠陥があると思うんだけどなあ。

削岩機の音を聞きながら仕事。防音性のかなり高い家なので、家の中の、特に半地下のオフィスにいる限りはそれほどの騒音には聞こえないけど、一歩外に出るとかなりすごい轟音。おまけにコンクリートの埃がもうもう。さぞかし近所迷惑だろうな。これが日本だったら、きっと「挨拶がなかった、非常識」と糾弾されるんだろうと思う。でも、深夜のどんちゃかパーティと違って昼間の作業だし、コンドミニアムと違って一戸建てだから、別に誰も近所に挨拶して回ることはない。市の騒音防止条例で認められている時間帯を過ぎても騒音を出していると間違いなく苦情が出るけど、日中は「修理か改装をやってるんだろうな」と推測しておしまい。働いている人がいるわけだし。もっとも、我が家のご近所には隣のパットのような「横丁の消息通」がいるから、みんなうちの裏庭で何をやっているのかわかっているんじゃないのかな。

仕事はまあ簡単と言えば簡単なんだけど、すんごいバカていねい文。ひとつのセンテンスに「~していただく」が3回も出てくるかと思えば、「ご○○様」の連呼。で、その流れで読んで行ったら、「ご担当者」には「様」がついていなかったもので、つんのめってしまった。下っ端の担当者には「様」は分不相応だから「ご」だけで十分ってことなのかな。たぶん、文書を作成した人はそれが今どきのビジネス文書だと思って、深く考えずに「様」や「ご」をつけさせて「いただいて」いるんだろうとは思うけど、それでも、こうあまりにもバカていねいだと、やっぱり首筋や鼻の奥やお尻までがムズムズと痒くなって来る。東京のホテルでテレビをつけたら、バラエティ番組か何かで耳障りな「様」のことを話題にしていた。その例と言うのがあまりにも強烈な印象だったので、今でも覚えている。ある店の贈答用品のカウンターでのこと・・・。

「こちらにご注文主様のお名前様とご住所様、お電話番号様をご記入いただきます。お電話番号様はご携帯番号様でもかまいません。次にこちらの方にご記入いただきますのは、お受取人様のお名前様と、ご配達先様のご住所様とお電話番号様になります。お名前様とご住所様にはお振り仮名様を・・・」。

ひょっとして、「接客マニュアル」様にそのように応対させていただく・・・と書いてあったりして。そういえば、料理のレシピは総じて「~して、いただく」だな。もう食べるのはやめたのかと思ってしまうけど、昔のNHKの「今日の料理」では白いエプロン姿の講師が「~して、いただくとおいしいですよ~」とか言っていた。でも、今のレシピは、材料を「~してあげて」、「うまっ」とか「うまうま~」とか言う形容語をつけた上で、最後に「いただく」ことになっているらしく、そのちぐはぐな味付けがおもしろいけど、材料「様」が登場したら、おもしろがっていられないかも。

ま、仕事、仕事。この原稿、いくら「ご」だの「御」だの「様」だのをつけまくっても、英語になったらすっぴんの素っ裸なんだけどなあ(語数稼ぎにはならないし・・・)。

おうちがだんだん遠くなるのは良いことなのか?

10月14日。金曜日。午前11時に目覚ましをセットしておいたのに、カレシが10時前に起き出してしまったもので、ワタシもとうとう10時過ぎに起きてしまった。今日はカレシの証券取引委員会時代のOB会があって、カレシは行きたくないと言いながら行くと返事をして、そのくせまだ行きたくないと言っている。行けないと言えば良かったのにと言ったら、「金曜日しか空いてないと言ったら、金曜日に変更してくれてしまったので、今さら行けないと言えないじゃないか」だと。やれやれ、初めから「今回は行けない」と言えば済んだことなのに。だけどまあ、自分は「ノー」と言わないで相手に「ノー」と察してもらおうなんて、アナタって昔からそういう「察してちゃん」的なところがあったよねえ。そっか、人の気持にはわりと鈍感なのも「察してちゃん」だからなのかな。

ブロードウェイの近くのレストランに集まるの11時45分なので当然昼食会だから、朝食抜きで一緒に行って、ワタシは買い物がてらWhole Foodsのデリで何か食べるつもりでいたんだけど、あまりにも早く起きてしまったもので普通に朝食。ゆっくり出かけて行って、Whole Foodsの地下駐車場に車を入れて、カレシに「行ってらっしゃい」。ワタシは道路を渡ってHome Depotへ。カレシがオフィスの反対側にあるコンピュータをデスクごと移動して来たときに、壁のコンセントとデスクの間のコードを躓かないように床に固定するテープを買う。んっとに「やってちゃん」だから世話が焼ける。ついでに照明のコーナーで100ワット相当の「デイライト」タイプの渦巻き蛍光灯を買い、そばの「新製品」のLED電球をじっくりと研究。けっこう明るいし、dimmerという明るさを変えられるスイッチにも対応しているらしい。これで100ワット相当のがあったらすぐにでも買うんだけどな。

買い物を車のトランクに置いて、今度はWhole Foods。まずはお気に入りの量り売りのシリアルを1キロぐらい買い、それから魚。端の方から、オヒョウの切り身とぶつ切り、ヒラメ、シーバス、アヒまぐろ、ホタテ、最後に剝きエビ(小さいshrimp)。今日の夕食にするカニケーキを買って、フリーザーからは魚バーガーをサケ、マグロ、マヒマヒの3種。寝酒のおつまみ用にとスモークサーモンのパテまで買ってしまった。それからのんびりと衝動買いモードでいたら、カレシから「終わった。今、どこだ~?」と電話。カレシが現れるまでに何品か買い込んで、今日の買い物はおしまい。まだ午後3時にもなっていないのに、道路はラッシュアワーのような混み様。金曜日だし、天気もいいことだし、ということで早じまいする人が多いんだろうな。そんなんでも国の経済はけっこううまく回っているようだから、早帰りしても別にいいんだけど。

帰って来て、納品するだけにしてあった仕事を送ったら、入れ替わりに何やら大きな仕事の引き合い。日本は土曜日だというのに、納品した方はコーディネータさんが出勤しているようだし、引き合いの方は別のコーディネータさんが自宅からメールをチェックしているらしい。まあ、日本からのメールの送信時刻を見ると終業時間をとっくに過ぎていることが多い。金曜日の夜だったりするから、「もう週末なのにまだお仕事ですか~?」と声をかけると、「まだ帰れないんです~」という返事が返ってくる。クライアント企業でみんな帰れないでいるから、そこから仕事を請ける小さい企業もみんな帰れない。まあ、ほんとに「帰れない」のか、何らかの理由で「帰らない」のか、そこのところはよくわからないけど、「おうちがだんだん遠くなる」。

夏の間はかなり静かな方だった仕事戦線がここへ来て急にざわざわと騒がしくなって来た感じがするなあ。節電の夏が終わって、企業が一斉にそれっとビジネスに精を出し始めたのかな。まあ、冷蔵庫もフリーザーもいっぱいになったから、ワタシも腕まくりして仕事に精を出すかな。そうしたら、カレシの方は今度は「かまってちゃん」になりそうだけど・・・。

ガンではないと思っていたけど

10月15日。土曜日。今日もちょっと早起き(午前11時30分)。医者に行くのはもったいないようないい天気。バスルームに行って、鏡に向かって舌をべろんと出してみたけど、今日はまるで治ってしまったような感じで、意識するとな~んとなく「ひりひり」が残っているかなという程度。よく観察してみたら、横にポチッとあったちいさな白い点もなくなっている。こんなのガンであるはずがない。なんか240ドル払うのがもったいないような・・・。

極楽とんぼのワタシは初めから「念のために」見てもらうということでのんきにしていたんだけど、カレシはずっと何となくそわそわした感じで、「舌の調子はどう?」と毎日1回は聞いて来るから、しまいに答えるのがめんどうになって「ほらっ」と舌をべろん。ワタシとしては「もしかしたらガンかも?」というのはこれが3度目で、両親ともガンで亡くしているので心配すべきなのかもしれないけど、ガンだったら手術なり何なりで治療すればいいやと思っているところがある。最初の卵巣のときは父がガンで他界した直後だったのでさすがに暗澹としたけど、結局はチョコレート嚢腫。2度目は下顎の歯根の間にビー玉のような腫瘍ができたときで、ガンの疑いよりも、放置すると骨が溶かされて顎が壊れると言われた方がショックだった。これも結局はただの嚢腫で、どちらも手術であっさり解決。まあ、ワタシには守護天使がついているから、ガンだろうがモラ族だろうが戦えるだけとことん戦って、弓矢も兵糧も尽きたら後は神様におまかせする、と言うのが基本方針なんだけど、う~ん、やっぱり極楽とんぼなのか・・・?

朝食を済ませたら、きちんと歯を磨いて、カレシが運転手でブロードウェイのイン先生のオフィスに向かう。今日からウォール街で始まった「Occupy Wall Street」がバンクーバーにも広がったので、行く先がダウンタウンでなくて良かった。少し離れた「制限2時間」の道路に車を止めて、オフィスまで歩いて行く途中で「天体望遠鏡」の専門店に遭遇。ドアのガラス越しに覗いてみたら、小さな店だけど大小の望遠鏡がずらり。まさにセレンディピティ。きっといいことがある予感・・・。イン先生(Dr. Ng)はまだ40歳前後の穏やかな物言いの先生。中国語訛りだけど、ひと言ずつゆっくりと発音してくれる。ワタシの話を聞いて、舌を観察して、赤外線か何かを当てて特殊なデジタルカメラで写真を撮って、カメラの裏の画像を見せてくれた。「普通の光だとわからないけど、ほら、ここの暗く見えるところね、これが炎症を起こしているところ。皮膚のカブレのようなもので、ガンではないし、前ガン状態でもないから心配はないよ。」。

ほ~っ。やっぱり「ガンではない」と言われると、ふうっと安堵のため息が出るなあ。イン先生曰く、「長引くようだったら消炎剤のクリームで治療する方法があるけど、あまり効果は上がらない」。ええ?舌にクリームを塗るって、どうやって保持するのかなあ。すぐに唾液で流されて飲み込んでしまわないのかなあ。まあ、消炎クリームは最後の手段で、とりあえず「まめに歯のクリーニングをしてもらうこと」だそうな。あはは、ばれちゃったか。最低でも年に1回、できれば2回は歯医者へ行ってクリーニングしてもらうべきなんだけど、ワタシはさぼってばかり。あ~あ、2万円近いお金を払って、歯のメインテナンスをさぼっているから「もしかしたら?!」ということになるんだと言われてしまった。エレベーターを待っているときにカレシに報告したらガハハ~ッと大笑い。でも、すごくほっとしたような顔で笑っていた。

車に戻る途中で望遠鏡の店に寄り道。反射鏡、屈折鏡、大きいの、小さいの。若い頃の昔に屈折鏡で土星を見るのにトラッキングを手動で微調整して、まるで空飛ぶ円盤を追いかけているようだったと若いお兄ちゃん店員に話したら、あまりにも原始的な話だったらしく目を丸くしたからおかしかった。今はコンピュータでトラッキングできるそうだけど、座標だの何だのを設定するのはめんどくさそうな感じ。ワタシは青と黄色のアルビレオや青いプレイアデスを見たいだけなんだけど。でも、カレシが少し調べて一番良いと思うのを見つけて取り寄せてもらえというし、お兄ちゃんは「メーカーは多くないのでたいていのモデルを取り寄せられますから~」と誘惑するし、うん、ガンじゃなかったので長生きするから、引退後の趣味に絶対に欲しい、天体望遠鏡!