リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

旅の空から~太平洋横断1日目(アリューシャン時間帯)

2024年09月21日 | 日々の風の吹くまま
9月20日(金曜日)。🌤☀⛅。ゆうべ寝る前に時計を1時間戻しておいたので、目が覚めたのはアリューシャン時間の午前7時。(アラスカ時間帯にいたきのうの朝なら午前8時。)時計の時刻を変えるのはバンクーバーを出港した翌日のインサイドパッセージでの変更に次いでこれで2度目。(船は日付変更線に向かって西へ西へと航行中なので、時間帯が変わるたびに1時間逆戻り。)ハワイ/アリューシャン標準時というそうだけど、ハワイは夏時間を採用していないのに対してアラスカでは夏時間があるために、標準時に戻るまではひとつの時間帯の中で1時間の違いができて、夏の間はハワイ時間とアリューシャン時間があるということでややこしい。船内誌のChroniclesによると、今夜も寝る前にまた1時間戻すことになっていて、ほんっとにややこしい。何だかそのたびに1時間ずつ若返って行くような気がしないでもないけど、んなこたぁないよなぁ。日付変更線を越えたらとたんに次の日になって、1日年を食っちゃうわけだし・・・。



どこにも寄港しない日(Day at Sea)の朝食はラ・テラッツァのバフェが7時半から、レストランAtlantideが8時からと、それぞれ30分繰り下げ。ゆっくり寝てくださいってことだろうけど、ほんとに8時を過ぎてから行ってもラ・テラッツァはがらがら。ルームサービスを頼んでキャビンでのんびりくつろいで食べる人も多いのかな。クルーズの宣伝にもよく(若くておしゃれな)カップルがバスローブに身を包んでバトラーの給仕で優雅にやっている写真が載っているし、夏ならベランダで海風に吹かれて2人きりのひとときというのもありだけど、外の気温は10度で、9月の北太平洋ではロマンチックも何もあったもんじゃない。今日は正午からワイン・ペアリングのセッションがあるので、朝食はフルーツたくさんとミニマフィンとクロワッサンで軽くコンティネンタル。外には船影(きのうはクジラが見えた)。海上暮らしの日はイベントやゲームや教養講座が目白押しで、カレシは10時から「ポップ音楽史」、ワタシは11時からきのうに続いて「海洋学」。そしてジャズクラブSilver Noteの前で待ち合わせてワイン・ペアリング・・・。





けっこうな参加費がかかるせいか集まったのは15人くらい。シャンペンが配られて、総料理長と副料理長の挨拶があって、アミューズブーシュ(フォアグラ)が運ばれて来るとソムリエ長のマリアがペアしたシャンペンについて解説。前菜はホタテのセヴィチェ、メインは鴨の胸肉、続いてチーズ3種、そしてデザートはパイナップルのバーバと、それぞれにペアしたワインの解説を聞きながら食べ進むこと2時間。何と5杯もワインを飲んだ勘定で、おなかもいっぱい。キャビンに戻った2人はそのままベッドにバタンキューで3時間も昼寝・・・。







目を覚ました頃にはもう5時で、備え付けのコーヒーマシンでアメリカーノをいれて目覚まし。遠くの水平線にはコンテナ船のお通りで、陸地は影も形もなし。カレシが「今日は夕食はスキップだな」と言うので、うん、ワタシもおなかが空いていないから、後でおやつにバトラーのラヴィニアが毎日補給してくれるトリュフ味のカシューナッツとドライフルーツを食べれば十分だろうね。何たって毎日ワイン付きで3コースのリッチな食事をしてるから、たまにはおなかを休めないとね。午後11時、船はウナラスカ島の手前で島の間を抜けてベーリング海へ。今夜もまた時計を1時間戻すんだって・・・。





旅の空から~アラスカ州コディアク

2024年09月20日 | 日々の風の吹くまま
9月19日(木曜日)。🌤☀⛅。一晩中かなり揺れていたけど、8時過ぎに目を覚ましたら静か過ぎて拍子抜け。とっくにアラスカというか西半球で最後の寄港地コディアクに着いていて、ベランダのすぐ外に大きなはしけが横付けになっていて、どうやら燃料の給油の最中。Silver Novaはハイブリッドエンジンを採用しているから燃料はそれほど要らないかもしれないけど、それでもコディアクを出たら日付変更線を越えて東半球の釧路に着くまで、陸地は影も形もない日が続くんだから、燃料だけじゃなくて食糧もたっぷり補給しておかないとね。



コディアクは辺境アラスカのさらに辺境にあるという印象だったけど、人口は6千人近い、アラスカで10番目の都市で、アメリカ沿岸警備隊と海軍の施設がかなりある。アメリカが帝政ロシアからアラスカを買収するまでは、18世紀末にラッコの毛皮を求めて住み着いたロシア人がパブロフスカヤ・ガワンとしてロシアの植民地の首都にしていたところで、今でもロシア正教の信者が相当数いるそうな。(北海道にもロシア人が住み着いていた形跡があるそうで、思いがけないところにロシア正教の教会が残っていたりするらしい。)朝食の後でカメラを持って10階デッキに上がったら、貨物の荷揚げ施設らしい埠頭にバイキングのクルーズ船が停泊していて、後ろにそそり立つ山の上にはウィンドタービンが6基。コディアクの電力需要の相当な部分をまかなっているんだそうで、かなり進取の風潮があるところと言う印象。



コディアクでのツアーは野生動物の観察などの自然に親しむのが目的のエネルギーが必要そうなものが4つあるだけで、毎日キャビンに届く船内の情報誌『Chronicles』を見ていたカレシが、「市内と港のツアーはいいな」と言うので、残念でした、ツアーのチケットは全部売り切れ。自分でテンダーに乗って行って街を歩いて来る手があるけど、どれほどの見所があるのかな。そもそもツアーの予約がオープンしたときに、ケチカンから(後でキャンセルになった)ダッチハーバーまで寄港地全部でこれはと思うツアーを予約してあったのに、カレシがアラスカには興味がないとか、山の中を歩き回るのは嫌だとか言うから、ケチカンとシトカを除いてそっくりキャンセルしたんだから(スカグウェイは予約しなおしたけど)、今さらツアーに行きたいなんて言っても遅いっつうの。


スシとビールのランチ

キャビンでアメリカーノをいれて・・・

午後3時頃、10階デッキのプールサイドで午後4時から太平洋への船出を祝うパーティがあるという船内アナウンス。午後4時はコディアク出港の時間で、ホスピタリティ部門のスタッフの発案で予定にはなかった「出帆パーティ」をすることになったらしい。おもしろそうだから4時ちょっと前に行ってみたら、うは、かなりの人がシャンペングラスを片手に即席のバンドの演奏を聴いたり、踊ったり。船が動き出す4時にはクルーズ・ディレクターのJPが挨拶して、日本語で乾杯の音頭を取って、みんなそろって次の寄港地である釧路までの楽しい太平洋横断の旅を願っていっせいに「かんばぁ~い」の大合唱。次いでDJのリオがバンドを指揮してダンスパーティ。最初は10人くらいだったのが、周りの人を引っ張り込んでいるうちにみんな大いにノリノリ。ワタシもエキサイトして生まれ故郷に行くのよぉと踊りまくり。スタッフの1人がワタシの携帯でカレシとワタシが踊っているところをビデオに撮ってくれて、楽しい思い出の記録ができちゃった。ちょっと(年甲斐もなく)はしゃぎすぎかもしれないけど、さよなら、コディアク!うん、いい運動にもなった・・・。


夕日に赤い帆じゃないけど・・・


旅の空から~波高き北太平洋を西へ

2024年09月20日 | 日々の風の吹くまま
9月18日(水曜日)。☁⛅🌤。きのうは何だか疲れて早くに寝てしまって、最初に目が覚めたのが6時過ぎ。シトカ湾から北太平洋のアラスカ湾に出たせいか、ひと晩中かなりの揺れて、おまけにキャビン全体がギシギシ、ガシガシ、カリカリとけっこううるさい。それでも、波の上の揺れは、ときどき大きな波にぶち当たってドンっとつまずくような衝撃があるけど、だいたいはゆらゆらした感じなので、いつの間にかまた眠りに落ちて、次に目が覚めたら7時過ぎ。今日はどこにも寄港しない(寄港するところがない)ので、1日中ひとかけらの陸地の影さえ見えない、まさに大海原のど真ん中と言う感じで、つい「Where the ocean meets the sky, I’ll be sailing」とロッド・スチュワートのRhythm of My Heartを口ずさんでしまう。どこまでも果てしないと大空が1本の細い線を挟んでどこまでも果てしない大海原と出会うという光景は、ワタシにとっては幼い脳裏に強烈に焼き付いた最初の「意味のある風景」として、その後のワタシの世界観に大きな影響を与えた原風景と言えるもの。妹が生まれて母が手いっぱいだった頃(ワタシは3歳半くらい)に父がよく散歩に連れ出してくれて、特に晴れた日にはジャガイモ畑の外れの崖っぷちに手をつないで立って、太平洋を見ていたんだけど、ある日父が横にまっすぐな線(地平線)を指さして、「あの線をくぐって行くとこことは違う世界がたくさんあるんだよ」と言ったのを驚異として受け止めた記憶がある。その頃のワタシはまだ「世界」が何であるかも理解できていなかったはずだけど、あの線の向こうにはわくわくするものがあるんだと感じたんだろうな。ロッド・スチュワートの歌をもじるなら、「大海原が大空と会うところ、そこがワタシの宇宙」(Where the ocean meets the sky, it’s my universe)となるかな。父はワタシの人生の最高のメンターだった。うん、来年は父が人生を終えた年齢に追いつこうというワタシだけど、きっとこのままずっと「お父さんの子」でいるんだろうな。


寄港地のない日は教養講座で・・・

のんびりと写真の整理を試みて、おなかが空いたら今日のランチは(高級)和食レストランKaiseki。メニューに「とんこつラーメン」があるので、普通のラーメンを想定して注文したら、「寿司はどれにしますか?」と来て、はあ?「前菜ですから量は少ないですよ」と言うので、そっか、ラーメンは「前菜」のスープなのか。それじゃあと、ワタシはたこロール、カレシはレインボーロールを注文したら、「それだけでいいんですか」と来て、そっか、巻きずしを好きに組み合わせるようになっているのか。でも、船が出て以来ずっと食べ過ぎの感があるから、今日はそれで十分。ということで、出て来た「ラーメン」を見てなるほどとナットク。脳内にしみついているラーメン屋のてんこ盛りのラーメンのイメージとは大違いで、いやあ、こんなお上品なラーメンは初めて。でも、麺はごく普通の中華麺だったけど、スープは薄味でおいしかった。次いで出てきたスシロールは、あはは、小さい輪切りが3個。いやあ、お上品もここまで来ると・・・。


これがとんこつラーメン

夕食を出すレストランは8つあるけど、そのうち5つは予約制で、うち3つはけっこうお高いカバーチャージがかかる。パッケージの料金にはクルーズ会社が決めるonboard creditと言うアカウント(私たちは今回300アメリカドルずつ)が含まれていて、ブティックで買い物をして、有料のレストランやプライベートなツアーを利用させるのが狙いのようで、言うなれば船内でのお小遣いの前払いということだけど、返金されないので「使わにゃ損損」。出発の半年前くらいになって空室を埋めるためにExpediaなどに激安で売り出されるパッケージに1000ドルなんてお小遣いが付いて来るのは、クルーズ慣れしていない人たちに「お得感」を持たせると同時に割引の幾分かを取り戻すしくみになっているからだろうと思う。でも、私たちには超高級ブランド品は縁がないし、ツアーはパッケージに含まれる(ベーシックな)ものを選んでしまうので、使い道はプレミアムWiFiと長めのクルーズなら洗濯の料金くらいなんだけど、今回は(少し高いキャビンにしたせいか)どっちも「無料サービス」になっているので、残るはレストランくらい。それで今回は和食のKaisekiとフランス料理のルレ・エ・シャトー会員La Dameに予約を入れて、さらにレストランでソムリエに声をかけられたイベント(ワイン・ペアリング)に申し込んで「前払い分」はめでたく使い切り。ビジネスってのは一種の狐の化かし合いのようなもんで、上手に化かされて上手に化かせられたらWin-Win。

午後も深まって来ると、今日はどのレストランに行こうかと言う話になって、10階デッキのレストランMarqueeの中にあるSpaccanapoliでピッツァでも食べようと思ったけど、そこはほぼ吹き曝しなので、地中海かカリブ海にでもいなければ寒すぎて、ピッツァとビールなんてのは年寄りの冷や水の最たるもの。ということで、3階デッキのけっこう気に入っているS.A.L.T. Kitchenのメニューが変わったからそっちにしよう。(となりのAtlantideと交互に行っている感じだけど・・・。)窓の外で砕けるすごい波しぶきを見ながら、前菜はカニの足、メインはワタシは(今夜のスペシャルの)メルルーサ、カレシはパンをボウルにしたシーフードチャウダー。カリフォルニアの白ワインはまあまあよりちょっと落ちる感じだったけど、メルルーサはおいしかったし、取り合わせに選んだ和風きのこライスはいい味の「炊き込みご飯」。デザートは?と聞かれたとたんにダイエット志向はまたもや雲散霧消して、ウォッカでマリネ―としたイチゴのパンプディング。帰りに5階デッキの船尾のラウンジで食後酒のコニャックを1杯。今夜も船は揺れそうだなあ・・・。


温室育ちのパン?






旅の空から~アラスカ州シトカ(野生動物たち)

2024年09月19日 | 日々の風の吹くまま
9月17日(火曜日)。⛅🌤。シトカはインサイドパッセージ外側で太平洋に面したシトカ湾の奥にある町で、1867年まではロシア領だったところ。周辺の集落を統合してできたシトカ市は陸地面積が7434平方キロ、水域を含めると何と12461平方キロで、市の面積としてはアメリカ合衆国で第1位。日本地図に重ねると、陸地だけなら熊本県より大きく、水域を含めると長野県よりちょっと小さい広さの「市」に人口わずか8500人。想像しがたいスケールだなあ。船は市街地からかなり離れた海上に停泊。潮の流れに乗って少しずつ位置が変わっているのか、外の景観がどんどん変わって行くのがおもしろい。近くにはOceanaのRegattaが停泊していて、テンダーが往来。たちのツアーはテンダーが船を出るのが午後2時で、観光船の出発は2時半。ラッコと野生動物を見に行くと言う趣旨だけど、何が見えるかは動物の気分次第。ツアーのオペレーターは穴場のようなところを熟知しているだろうと思うけど、それでもダメなときはダメ。動物園に行くんじゃないんだからあたりまえか。

テンダーが出る2時少し前に2階デッキに降りて、ちょうど戻って来たテンダーの客が降りるのを待って乗船。いつもツアーは10分前までに集合、テンダーは出発時間までに乗船口に来るようにと口を酸っぱくして言われているのに、遅れてくる人が必ず何人かいるから、いつも不思議。たいていが30代後半から50代前半くらい(つまりミレニアル世代?)で、慌てている様子はなく、遅れるのがファッショナブルと言った感じでもなく、待っていた人たちがいることに気付くようでもなく、淡々と現れて開いている席に座っておしまいなんだけど、共通して説明しにくい雰囲気を持っているからおもしろい。ちなみに遅刻常習は人種に関わりなく男性より女性の方が多いという印象。波を蹴立てて飛ばすテンダーでシトカの船着き場に着き、陸に上がったら回れ右して隣の桟橋を歩いて待っている観光船に乗り換え。下は両側に4人掛けのシートがずらりと並んでいて、上は屋根のない展望デッキ。

テンダーは沖の船を通り越してさらに飛ばして、入江のようなところでエンジンを停止。ガイドが「ザトウクジラがいますよ」。へえ、こんな北までザトウクジラが来るとは知らなかった。みんな窓の外の水面に目を凝らして、ときどき誰かが「ほら、あそこ」。でも、そっちに顔を向ける頃にはクジラは垂直降下(瞬間的に尻尾が見える)。トフィーノでホエールウォッチングに行った時もそうだったけど、クジラは観光客相手にショーをやっているわけじゃないので、潜ったら次はいつどこに現われるかわからないので、写真を撮るのはまず無理。でも、軽くジャンプして見せてくれたのでいいってことか。次はかなり離れた入江の旧サケ養殖場に近づいて、「岸にいるよ」。いるよって、何が?カメラを目いっぱいズームして岸辺をのぞいたら、いたっ。太ったクマ!夢中で写真を撮りまくって、船がぐるっと回ったら反対側の岸にもクマが3頭か4頭現れて、また写真を撮りまくり。





次はまた波を蹴立てて飛ばして、今度はラッコ探し。あそこにいるっと言われて、日差しがまぶしい海の上に目を凝らしたら、あはっ、黒い点々がぷかぷか。ラッコは生涯のほとんどを海の上で過ごすのに、皮下脂肪がなくて高密度の毛皮で体温を保持しているそうな。それで、昔はラッコの毛皮が引っ張りだこで、乱獲の対象になったけど、今は毛皮を目的とする捕獲は禁止されているから、ああして(一見して)のんびり、ぷかぷか・・・。



ラッコの群れ(規則でこれ以上は近寄れない)

ツアーを終えた観光船は船着き場に戻らず、沖の船まで波しぶきを上げて一直線。途中で歓声が上がったと思ったら、あはは、大きなブイで大きなトドが大あくびをしながら日向ぼっこ。ちょっと寒かったけど、海の上で楽しい午後を過ごして、観光船は帰船の期限ぎりぎりの午後5時25分にSilver Novaに横付け・・・。


日向ぼっこのトド・・・



旅の空から~アラスカ州スカグウェイ

2024年09月18日 | 日々の風の吹くまま
9月16日(月曜日)。☁⛅☁⛅。何となく目が覚めたのが7時40分で、とっくにスカグウェイに着いていて、外を見たら、あら、またもやOvation of the Seasが目の前に。今月釧路に入港するクルーズ船の中には入っていないので、一緒に太平洋横断ということはなさそうだし、きのうジュノーにいたSeven Seas Explorerも一緒もしかしたらまだアラスカシーズンが終わっていないのかな。



スカグウェイはアメリカのワシントン州からカナダ西岸に沿って延々1600キロ続く(瀬戸内海のような)海のハイウェイ「インサイドパッセージ」の北の終点(あるいは出発点)で、内陸の鉱山地帯に通じる鉄道の起点でもある人口1200人ほどの集落。朝食の後でひとりカメラを持ってプールデッキに上がって見たら、周りに険しい山がそそり立っていて、そこここに氷河が見える。部屋に戻ってカレシに船を降りてみるかどうか聞いたら「街に出てみたいな」。でも、船からはテンダー(補給船)で岸まで行くらしいので、ツアーのデスクでテンダーの運行予定を聞きに行くことにしたけど、4階デッキまで降りて行く途中で「ストリートカーで市内観光」ツアーに空きがあったらそれに乗ろうかと言うことになって、たまたま空きがあったのであっさり自主行動よりも楽なツアーに決まり。ツアーは陸で1時15分スタートで、12時45分かそれ以上前のテンダーに乗るようにとのことで、今日はランチを端折って、その代わりバトラーのラヴィニアが毎朝持って来てくれるトリュフ味のカシューナッツをおやつに持参。

普段は補給船で緊急時には救命ボートになるテンダーは、接岸できない寄港地では客の足にもなる便利な存在。スカグウェイでは船からテンダーの船着き場まではせいぜい5分で、そこから標識を持った係の案内に従って、ツアーの出発点に行ってみたら、おととい乗ったスクールバスみたいな古ぼけたバスが待っていて、ええ?あのぅ、street carってのは市街電車のことのはずだけど・・・いえいえ、スカグウェイでは1927年型のバス。昔ハーディング大統領が訪れたときに、派手な色に塗ったトラックを「ストリート・カー」と銘打って走らせたのが始まりで、その後公共交通機関となって、道路(ストリート)を走る乗用車(カー)なのでストリートカー。つまり、初めからガソリンエンジンの乗用車だったわけ。開拓時代の服装のガイドが運転して、クロンダイクのゴールドラッシュ時代の建物が並ぶ中心街からのどかな住宅地を走り抜け、町を見下ろす展望台に行き、ゴールドラッシュ時代のカラフルな人物が埋葬されているゴールドラッシュ墓地で開拓時代そのものの逸話を聞いての1時間半。最後にガイドさんが「世界のあちこちでオーバーツーリズムが問題になっていますが、スカグウェイではみなさんのような観光客のおかげで街並みや景観を守れていることを理解して感謝しています。今日はありがとうございました」と深々とおじぎ。なるほど、住宅街ではストリートカーに手を振る人たちがいたなあ・・・。


スカグウェイのストリートカーはバス

人口1200人の町に大きなクルーズ船が3隻

太陽にきらめく氷河

ゴールドラッシュ時代の墓地

津波の際の避難ルートの標識

スモールボート・ハーバーに巨大な船

出港は午後4時。次の寄港地シトカに向かって夜の間に北上して来たインサイドパッセージを南下。夕食はどこにしようかなんて考えながらだらだらと過ごしていたら、ベランダの外に海からそそり立つ山と流れ落ちる滝(川?)と後ろに散在する氷河。風が冷たいので、出たり入ったりしながら1時間も見とれまくりの写真を撮りまくり。よく考えたら、インサイドパッセージはフィヨルドなんだ。ニュージーランドの南島のフィヨルドもすばらしかったけど、アラスカのフィヨルドはもっと荒々しくて野性的。いつか北欧のフィヨルドをもに行きたいな。


お先にぃ~








旅の空から~アラスカ州ジュノー

2024年09月17日 | 日々の風の吹くまま
9月15日(日曜日)。🌧。起きたのはまだ今日の寄港地ジュノーに向かっているときで、外は雨。風もありそうで、気温は10度。うはっ、北緯58度の秋は寒いっ。でも、私たちはツアーを予約していないので、のんびりと8時半に朝食。オートミールの向こうにコンジー(中國粥)があったので、ボウルにたっぷり入れてもらって、ぐるっと回ってスクランブルエッグをのせて混ぜたら、あら、けっこうイケるじゃないの。



アメリカ合衆国で49番めに州になったアラスカの州都ジュノーはアンカレッジ、フェアバンクスに次ぐ第3の都市で人口約32000人。大陸の端にありながら市に直結する道路がないため、海と空からしか到達できないことで有名。ジュノーと言うフランス語名前の由来は金鉱を探しに来た(カナダの)ケベック人ジョー・ジュノーだそうで、もしかしたらこの辺りはカナダ領になっていた可能性があるのかもしれないな。ほんと、世界の歴史には自然の干渉とか人間の出会いのタイミングとか、いたるところにある種の「ボタンの掛け違い」のドラマがあっておもしろい。




接岸は9時半で、町はずれの大きなクルーズターミナルにはすでにNorwegian CruiseのNorwegian Sun(定員1976人)とRegentのSeven Seas Explorer(定員750人)が接岸していて、Silver Nova(定員728人)は3隻目。アラスカクルーズの起点バンクーバーにはターミナルのカナダプレイスに毎日でかいのが3隻、4隻と停泊していて、それがみんなここに寄るわけで、シーズンの終わりでこれだから、夏場の混みようは推して知るべしだな。そこいら辺を散歩して来ようということになって、持参の雨具を着込んで下船したら、これがバンクーバーだったら注意報が出るくらいの雨と風で、あっという間に眼鏡がびしょびしょ。船の写真を撮っていたら、図体の大きいクルーズ船がもう1隻ぐぃっと入って来てびっくり。Silverseaの親会社Royal CaribbeanのOvation of the Seas(定員約4905人)で、5年前にオーストラリアからニュージーランドにクルーズしたときにシドニー港に停泊していた船。私たちのSilver Museより先にニュージーランドのタウラロンガに寄港した際に、沖の火山島ホワイトアイランドを観光中のグループが噴火に遭遇して、死者22人、負傷者25人の大惨事になったいわくつきの船にアラスカで再会するなんて・・・。


Silver Nova

びしょぬれ・・・

Ovation of the Seas~5年ぶりの再会?

降りしきる雨の中をどこまでも続くような岸壁に沿って歩いていたら、あまりの冷たさに手がかじかんで来るし、しまいには顔に寒冷蕁麻疹が出始める始末で、雨が横殴りに近くなって来たので、散歩をあきらめて回れ右して帰船。ランチタイムだったので、ラ・テラッツァに駆け込んで、温かなチキンスープで体の中をほかほかにしたところで、夜はイタリアンの予約を入れてあるので、ワタシはピッツァのスライスと蒸した野菜(とデザート)と言う「控え目」のランチ。夜になっても雨は止まず、風は強くなって、今日のジュノーの最高気温はとうとう一桁のまま。ずいぶんと久しぶりに出た寒冷蕁麻疹は何とか夕食の頃には消えたけど、いやはや、寒かった・・・。


旅の空から~アラスカ州ケチカン

2024年09月16日 | 日々の風の吹くまま
9月14日(土曜日)。☁🌥。時計を1時間戻したので、余分に眠れてしっかり休養で来た気分。午前8時、最初の寄港地であるアラスカ州のケチカンに入港。カナダのプリンスルパートから北へわずか142キロ。アラスカで最も南にある第6位の都市は人口約8200人の漁業と観光の町で、いたるところにトーテムポールが建っているので有名。アラスカクルーズのシーズンである5月から9月にかけては延べ500隻では百万人以上の観光客が来ると言うからすごい。船を降りてツアーのバスを待っている間、ターミナルの広場で出会ったおばさんが「今日は3隻入る予定。夏には6隻ぐらい岸壁にずらっと並ぶのよ」と話してくれた。

私たちのツアーはケチカンの食文化と先住民文化と観光の目玉の木こりショー。バスは何と古いスクールバス。映画などでよく見る、あの黄色に黒い縞模様のごついバス。まずは先住民の集落にある小さな文化センターのようなところで、地ビール各種とルートビールの試飲とカニや海鮮チャウダー、野生のシカやヘラジカの肉で作ったソーセージの試食。ビールはまあまあだったけど、ソーセージは豚肉などのソーセージとはひと味もふた味も違っていて、お替りをしたくなったくらいおいしかった。先住民(トリンギット族)の歴史とヨーロッパ陣との出会いや交流を語るビデオを見た後はとなりの展示上でトーテムポールや先住民の民芸品のコレクションを見学。ポールを残したそれぞれの家系を調べているそうだけど、記憶のある人たちがいなくて難しいと言っていた。ビデオの中の先住民の踊りの音楽はどことなく阿寒のイコロシアターで観たアイヌ人の踊りの音楽に似ているような感じだったのが印象的。









ケチカンにはトンガス雨林を始め、自然の景観や野生動物の観光資源が多いけど、クルーズターミナルから歩いて行ける「木こりショー」はクルーズ客などに大人気。スクールバスでゴトゴト、ガタピシと中心地に戻って来たら、ショーを見てケチカン観光の仕上げ。カナダがすぐ近いせいか、アメリカとカナダの木こり2人ずつのチームがその技を競うという趣向で、長いのこぎりで2人がかりで原木を伐って見せたり、斧を振るってどっちが早く丸太を切り落とすか競ったり、標的に向かって斧を投げたり、プールでの丸太乗りで相手を振るい落とそうとしたり、垂直の丸太を登って滑り降りたりの大サービスと言う感じ。最後はチェーンソーでの「彫刻」が司会者とああだこうだと言い争っているうちに上半分が切り離されて、何と子供サイズの椅子になって、観客の中の小さな子供にプレゼントされて、早いペースの1時間は楽しかった。始まる前に「ビデオ撮影はご遠慮ください」と言われたけど、みんな携帯電話で遠慮なくビデオ撮りしているようなので、最後部の高い席にいたワタシも遠慮なくビデオ撮影。ショーが終わって、例のごとくギフトショップを通り抜ける過程でおみやげ漁りをして、木こりショーのマグネットをゲット。思ったより楽しい1日だったな。









旅の空から~13日の金曜日はのんびりと

2024年09月16日 | 日々の風の吹くまま
9月13日(金曜日)。☁🌥🌤。起床7時半。時計を変える必要もなく、時差ボケもなくて、いい旅立ちと言うところかな。今日は1日中北米大陸と西側のバンクーバー島と北のハイダグワイ諸島(旧クィーンシャーロット諸島)の間の航路を北上。夜の間はほとんど揺れを感じることがなくて、ときどき遠くにーバー島の人里の明かりが見えていたけど、バンクーバー島北端を過ぎるとハイダグワイ南端まではかなり距離に渡って太平洋に開けているので、船の中央部でもけっこう揺れを感じる。乗り物酔いはしても船酔いだけはしたことがないのが自慢のワタシにとっては、このゆったりとした揺れが何とも心地がいい。

この「インサイドパッセージ」と呼ばれる海域は南はアメリカ、ワシントン州オリンピアのピュージェット湾からセーリッシュ海、カナダ、BC州のビクトリア/バンクーバーのジョージア海峡、バンクーバー島東岸のジョンストン海峡、ヘカテ海峡と続き、アラスカ沿岸の島々を縫うようにアラスカ州スカグウェイまで北上する延々1600キロ。西側の島々が荒々しい太平洋の嵐を遮て、波が穏やかなため古くから貨物船や漁船の往来が盛んだったところ。地図で見ると半分以上がカナダを通っているんだけど、なぜかアメリカの領海ということになっているからおもしろい。アメリカがロシアからアラスカを買い取った後に遥か南の「本土」との間に物流ルートを開いたのがBC州がカナダ連邦に加盟する前だったという歴史的背景によるものだと思うけど、さしたる紛争もなく、アメリカとカナダの沿岸警備隊が仲良くパトロールしているし、公営のBCフェリーはごく普通に本土とバンクーバー島の間を往来しているからアメリカの領海を通っているなんて知らない人の方が多いだろうな。ワタシも今回「インサイドパッセージ(USA)」と書いてあるのにえ?と思って調べてみて初めて知った次第。


船の後について来たカナダの水先案内ボート

寄港地がないのが勿怪の幸いで、2人ともそれぞれの「オフィス」(カレシはライティングデスク、ワタシはリビングのテーブル)に陣取って、普段とあまり変わらないような1日。違うのは1日3食の料理と掃除がないことくらいかな。朝ご飯はラ・テラッツァのバフェ、ランチは同じバフェか3つ開いているレストランのどれか、夜はおしゃれなイタリアンレストランになるラ・テラッツァかか、カバーチャージがかかるLa DameかKaisekiに予約を入れていなければ、Atlantide、 S.A.L.T. Kitchen、Spaccanapoliのどれかその日の気分次第。深夜まで空いているバーもいくつかあるし、飲み食いには不自由しないけど、何しろリッチなグルメ料理がほとんどだから、ボリュームは全体的に小さくなっているようでも、東京に着く頃にはウェストのサイズがどうなっていることやら。ま、今夜はAtlantideに決めて、その前に船長(ブルガリア人)主催の歓迎パーティ・・・。




夕食から戻って来たら、「寝る前に時計を1時間戻してください」というノートが置いてあって、ええ?アラスカは北アメリカ大陸から西へ大きく突き出しているので、時間帯が違うのはわかるけど、明日寄港するケチカンもその次のジュノーもスカグウェイもシトカも、地図を見ればBC州からストレートに北のユーコン準州の西岸に沿って位置しているのに、同じ太平洋時間帯にないなんて変なの。要するに、州都ジュノーが広大なアラスカの南東の隅から尻尾のようにカナダの端っこにへばりついたところにあるから、時間帯が違うと不便だということだったんだろうな。ちなみにアラスカ標準時の西側にはハワイ・アリューシャン時間帯というのがあって、アリューシャン列島の端っこのいくつかの島がハワイと同じ時間帯になっているけど、夏時間を採用しているのはアラスカだけ。まあ、時間帯なんてのは政治的な境界線を縫って引いたようなもので、あちこちでジグザグだからややこしい。ほんとに人間のやることって・・・。


旅の空へ~いよいよ船出の日

2024年09月14日 | 日々の風の吹くまま
9月12日(木曜日)。☁🌤☀。疲れ過ぎていたのかどうか知らないけど、あまりよく眠れないまま朝。まあ、船に乗ってしまえば向こう18日間の「我が家」で昼寝し放題だからいいけどね。起きてまずはスーツケースにゆうべ出したものを戻して鍵をかけ、キャビン番号と名前を書いたタグをつけて、ドアの傍に置き、Silverseaが朝食を用意しているホテルの宴会場へ。部屋に戻ったらスーツケースがなくなっていたので、後はすることがない。デスクの上のメモに書いてあった通り、窓拭きのスパイダーマンが降りて来て、窓越しに手を振っておっはよ。いつも感心するんだけど、ロープでぶら下がって、吸盤で自分の位置を固定して、実に手際よく大きな窓ガラスがぴっかぴかになって、見通しがクリア。幸先いいかな?



チェックアウトは12時なので、2人共ベッドに転がってしばし昼寝をむさぼってからチェックアウト。クルーズターミナルへのバスは1時で、ロビーで待っていると案内があると言うので、ホテル内にあるスターバックスでダブルエスプレッソとクッキーを買っておやつ。先陣を船に送り届けたバスが戻って来て、ターミナルのあるカナダプレイスへ。アラスカのシーズンが終わったところなので、停泊していたのはSilver Novaだけ。おかげで(船が小さいこともあって)手荷物の検査もアメリカの入国管理(カナダ国籍ならパスポートがあればいい)もいたってスムース。Silverseaのチェックインカウンターでパスポートのチェックとクレジットカードの登録と顔写真の撮影があって、キャビンのキーを受け取って船に乗るまでもすいすい。キャビンの用意ができるまでラ・テラッツァでワインと軽ぅ~いバフェランチ。(食べ過ぎないようにしようと話し合って来たんだけど・・・。)

キャビンの用意ができたとのアナウンスがあったのは3時ごろ。私たちのキャビンは8階のMedallion Suite。ほどなくしてやって来た担当のバトラーは陽気なケニア人女性のラヴィニアさん。室内の装備を説明してくれて、洗濯は無料であること(うれしいっ)、WiFiもプレミアムが無料(おおっ)。清掃担当のインドネシア人のバハールさんがスーツケースを届けてくれて、さっそく荷ほどき。だいたい収まるところに収まったら、テレビ/モニターで緊急時の行動についてのビデオを見て、「見ました」と確認。(全員がこれをやらないと出港できないので、何度もお願いアナウンスがある。)乗船の手順がすべて終わったので、カメラを持って運動がてら上のデッキを探検。船の上ならではの視点からカナダプレイスの写真をパチパチ。最上階の船尾のバーはもうほぼ満員でにぎやかなこと。船全体もほぼ満員だそうだから、海を渡るのは約700人のコミュニティというところ。キャビンに戻ってくつろいでいたら午後6時の船出の時間。メトロバンクーバーのシンボルであるライオンズゲート橋の下をくぐって、いざ大海原へ。船の位置の関係で通信衛星の位置が低すぎるとかでWiFiが不調。でもまあ、のんびりしに来たんだからそれでも困ることはないよね。午後7時に夕食の予約を入れて置いたお気に入りのイタリアンレストラン「ラ・テラッツァ」へ。おいしいものを目の前にしてどれだけ抵抗できるかなあ・・・。


いろいろと必要で・・・

バンクーバーを後にして一路東京へ


クルーズ出発まであと2日~来年のクルーズの話をすると鬼が・・・

2024年09月11日 | 日々の風の吹くまま
9月10日(火曜日)。☁🌤⛅。少し早起きしたら、お客さんはもう起きていたので、そのまますぐに朝ご飯のしたく。まずカレシに声をかけてから、けさは我が家とっておきのベーコンときのこのオムレツ。きのこはシャンテレルで、たっぷりのベーコンと一緒に炒めて赤ピーマンを加えて、最後に卵を6個溶いてフライパン一杯に流し込んで盛大なオムレツ。お皿に盛り分けて、厚めのブリオシュローフのトーストを添えて、おっはようっ。


7年ぶり・・・

旅行の準備がだいたい整ったので、今日は少しゆっくりして、リビングに集まってひとしきりおしゃべり。ランチの時間が近づいて、デイヴィッドが角のパブに行こうと提案。でも、そのパブは去年閉業してしまって、最近改装工事が始まったけど、どうもアジア系のレストランになりそうな感じ。デイヴィッドが残念がるので、3丁先の古くからあってポピュラーなパブはどうかということになって、4人連れだってRiver`s Reachへ。前の方は高いテーブルをスツールが囲む形で、奥の部屋がふつうのテーブル。それぞれにビールを注文して、デイヴィッドはハンバーガーとスープのコンビ、ジュディと私たちはクラムチャウダー。サーバーさんにお願いして記念写真をパチリ。人気のある地ビールS&O(スティール&オーク)のエールはイケていたな。



そぞろ歩きで帰って来て、お客さんは昼寝。うん、わかる、わかる。時差ぼけは到着の日よりも翌日が一番きついんだよね。カレシはレッスンで、ワタシは空の雲を愛でながら荷造りの最後の仕上げとして連絡先のリストをまとめて印刷。トラベルエージェントのジェフから「荷造りは済んだ?」と電話。うん、やっとね。「良かった。明日はホテルに入ってSilverseaのデスクを見つけて荷物を出す時間とタグをもらってね」。はぁい。「で、今日電話したのは、Silverseaから来年3月のクルーズの飛行機の予約を知らせて来たので、確認する前にシンガポールと東京でのホテルをどうするか決めようと思って」。ええ?もう来年のクルーズの話?あのねえ、日本には昔から来年の話をすると鬼が笑うという諺があるの。「クルーズの話になると笑い死にしそうだな」。ほんと。でも、ジェフの勧めに従って、シンガポールで乗船前に3泊、終点の東京で3泊ということにして、「じゃあ飛行機の予約をそれに合わせて変更しておくからね」。はぁい。「ついでにSilverseaのサイトでゲスト情報を記入しておいてね」。はぁい。やれやれ。

まあ、出発まで6ヵ月になったからなんだけど、やっと今年のクルーズに出かけるところだというのに、来年の予定を決めるなんて、気が急いてしまうなあ、もう。でも、明日はホテルに入って、Arts Clubの新シーズン第1作『Jersey Boys』のオープニングを楽しもうっと。ジェフが「だいぶ前にロンドンで観たけど、すばらしいよ。絶対に気に入るから、楽しんでおいで」。はぁい。電話を切ったところで、ジュディが昼寝から起きて来たので、晩ご飯のしたくをば。うん、あさっての今ごろは船の上で出港の汽笛を待っているところかな・・・。


予定外の洗濯をして荷造りをしてお客が来て・・・

2024年09月11日 | 日々の風の吹くまま
9月9日(月曜日)。☁。うん、涼しくなった。目を覚ましたのは8時だったけど、何となくおしゃべりしていて、起床は9時。忙しいのにのんびりしていていいのかな。まあ、朝ご飯を食べて、まずは雑巾ひと山の洗濯から活動開始。

ゆうべカレシが園芸ルームで小さい鉢を浸けて水遣りするのに大きなトレイに水を張っていたのはいいけど、このところ買い替えた携帯が思い通りにならないらしく、ずっとそっちに気を取られていて、水を出しっ放しでど忘れ。デスクに向かっていたワタシがかすかなピチャピチャという音に気付いて、音のソースを調べにキッチンに行って、うは。キッチンに続く園芸ルームの床がいっぱいになったトレイから溢れた水で水浸し。(これで2度目・・・。)ワタシが大きな声を出したので、水を入れていたことを思い出したカレシが「やっちまったぁ~」と駆けつけて(もう少しで転倒するところ)水を止め、水浸しの床を見ておろおろ。ワタシは洗濯するつもりで洗濯機に入れてあった雑巾ひと抱えを渡して、これで始末してねと丸投げしてデスクに戻って旅行準備の続き。そうでなくても脳内には旅行のための細々したことが溢れているのに、もうよけいなストレスはごめん被りたいもんだ。

それにしても、この年で四六時中頭の中で耳鳴りがしているのに、キッチンの奥の園芸ルームでの水の滴り音をキャッチした聴覚の鋭さには我ながら感心したな。嗅覚も味覚も鋭敏な方なのは、たぶん生まれつき乱視で近視(今はド近眼)で遠視という難ありの視覚を補うように発達したんだろうな。つまりは生存本能が強くて、さらには自己保存の本能もがっちりということかな。カレシの注意欠陥症を補えているというだろうから、これもひとつの夫婦の形かも。さて、トロントのデイヴィットとジュディが午後の便で着くので、それまでに「即席民泊」の準備。ガラクタを片付けて、ソファベッドを開いてベッドメーキングをするだけなので、大して手間暇はかからないのいいところ。

ランチの後でいよいよ荷造りにかかって、まずはカレシが集めた「持って行くもの」を圧縮バッグに詰める作業。バッグはたくさんあるけど、一番古いのは空気を抜いても徐々に膨らんでしまうのでお払い箱。カレシの衣類は嵩張るので買ったばかりのLサイズのバッグ4枚に収納。ワタシの衣類は軽くて嵩張らないので、前回の旅行で買ったバッグのうちMサイズ3枚に収納。それぞれのスーツケースに並べて、隙間にカレシの運動靴やワタシのドレスシューズを詰めて、カレシがシェーバーやヘアブラシを入れているケースや洗面用具やワタシのローションやクリームを入れたバッグ類をはめ込むスペースがあるのを確認して完了。あとは自分の電子機器やアクセサリをパソコンバッグに詰めるだけ。ちょうど終わった頃に電話が鳴って、デイヴィッドが外の駐車場に着いたと知らせて来たので、カレシにビジター用の駐車パスを持たせて迎えに行かせて、よし、今度は「民泊おばさん」の出番・・・。






やることが多過ぎて大車輪で・・・

2024年09月09日 | 日々の風の吹くまま
9月7日(土曜日)。☀。はあ、今日も暑そう。起きたのが8時半で、窓の下の6番ストリートはもう通行止めになっていて、歩道に沿ってテントがいくつか。朝ご飯が済んだ頃にはテントがびっしりで、10時半頃からアンプのテストなんだかリハーサルなんだか、どんちゃか、ずんどこ。バルコニー側の仮設ステージがない5番アベニューがなぜかやたらと騒々しいので、外に出て計ってみたらほぼ80デシベル。やっかましぃ~っ。どうも建物の反対側(マンションの正面玄関のある道路側)にできた仮設ステージの騒音が外の駐車場を超えて5番アベニュー向かいの高層ンションの壁に当たって跳ね返って来ているらしい。やれやれ。窓の下にステージがないから何とか耐えられるかなと思ったけど、これじゃあねえ。出かける計画を立てておいて正解だったな。

毎年9月にやるようになった「リカバリーデイ」とかいうストリートパーティで、薬物アルコールセックス何でもかんでも中毒から抜け出した「エライ自分」をほめたたえ、悩んでいる人には各種福祉サービスを宣伝し、ドラッグを続けたい人には「安全なドラッグ」を支給するところを紹介し、運悪く死んだ中毒仲間を追悼するというお祭。連邦政府から補助金(私たちの税金)が出ているらしいから、トルドー君の「お日様ぽかぽか」政策の落とし子みたいなものかな。

午前中に留守中に支払い期限が来るクレジットカードの支払いを済ませておいて、ずんどこずんどこパーティが始まった正午、まずはランチをしようと7月のストリートパーティの時に泊まったホテルのレストランへ。後はバーナビー市の北東角にある大きなまだ行ったことのないショッピングモール(特にL.L.Bean)をのぞいて、その後よく行く園芸センターを冷やかして、どこかでスシでもテイクアウトして帰って来る予定・・・。

☆☆時間が惜しいときなのに・・・☆☆

9月8日(日曜日)。⛅☁⛅。何だか天気の変わり目のような朝。涼しくなるかな。きのうの最高気温は27度だったけど、蒸している感じで、30度を超えたおとといよりも暑苦しかった。お気に入りになったレストランで簡単だけどおいしいランチをして、バーナビー市のブレントウッドモールへ。この地区は住み替えを考えていた9年前の春に偵察に来たけど、その時はモールは大改修中だった。その前にワタシがモールに来たのは、夏休みで初めてカナダに来た1973年だから何と51年前。デパートと平屋の店が並ぶ田舎っぽいモールだったけど、数年前に大々的に再開発してオープンして、「The Amazing Brentwood」(すばらしきブレントウッド)という名の通り、街並み風の造りでプラザがあったりして、おしゃれなモールに変身。これまでバーナビーの目玉だったメトロタウンの巨大モールが何となく停滞しているのはブレントウッドが華々し過ぎるせいかな。



わざわざブレントウッドまで出かけた目当てはL.L.Beanで、カレシはウェストが伸びるようになっているタイプのジーンズをゲット。その足でちょっと離れたWhole Foodsをのぞいてバナナとししとうを買い、今度はローヒード・ハイウェイを飛ばしてよく行く園芸センターへ。秋植えの球根などを冷やかして、ワタシはふと目に付いた素朴な木彫りの船をゲット。さらに車を飛ばしてニューウェストミンスター駅まで行って、晩ご飯の握りスシと巻きスシをテイクアウト。帰り着いたのがちょうどパーティが終わる(はずの)5時で、まだずんどこやっていたので、騒音測定のアプリを持ってルーフデッキに出たら、70デシベルから最高は90デシベル。やっかましい!まあ15分ほどでお開きなって静かになったけど、23階で90デシベルはないよなあ。


ふぅ~ん

素朴なのがいいね


午前8時5分。朝日はどこに?


今日は旅行の準備に集中できる最後の日なので、掃除はどっちみち水曜日の朝にやらなければならないから今日は略式。ひと息ついて、地下2階のロッカールームからスーツケースを出して来て、カレシに持って行く衣類をベッドの上にまとめておいてね。留守番に来てくれるシーラに車のナンバーに変わりがないことを確認して、管理会社のサイトで11日から10月10日までのビジター駐車場の長期パスを申請。携帯の番号を知らせるメールを2本書いて送って、カレシのヘアカットとペディキュアをして、ちょうど使い切った牛乳を買いに行って来て、ついでにごみを捨てて、帰って来たら自分自身のヘアカットをしてシャワーをして、洗濯機を回し始めて、晩ご飯の後でカレシに手伝わせてリサイクルする酒の空き瓶やガラス瓶、容器の類をごみルームに運んで、と大車輪。それでもやり残しがあるけど、明日の朝に大車輪ということにして、同時に「民泊」のベッドの準備もしておかなくちゃね。ワタシのラップトップも一応立ち上げてチェックしておかなければならないし、自分の衣類はまだまとめていないし、あぁ~あ、くたびれた・・・。



旅行保険~夫婦の保険料の落差がスゴイ

2024年09月08日 | 日々の風の吹くまま
9月6日(金曜日)。☀。あっつぅ~いっ。きのうの最高気温は予想した通り31度。もしかしたら今日はもっと暑いかな。やぁ~ね。もう9月でしょ?何でこう急に暑くなったりするの?聞くところによると、どうもジェット気流が大きく蛇行しているもので、南の熱い空気と北の冷たい空気がシーソーのように上がったり下がったりしているせいらしい。今中国、ベトナムに向かっている超大型台風ヤギがさらにジェット気流をかく乱して、東部で季節外れの猛暑になるというからおっそろしい。船が東京に着くまで台風が東の方に進んで来ないといいけどねえ。

ユウ君のレッスンを終えたカレシが「持って行くものを集めて動き回るから、今日はウォーキングは休み」と宣言。持って行くものを集めると言っても、着るものは全部寝室にあるんだから、どれだけ動き回るのかと思ったら、案の定クローゼットの中とすぐ外のドレッサーの間を往来するだけ。まあ、暑い中をモールまで(たったの1丁半)歩いて行くのがおっくうだし、ワタシも何となく疲れているから、いいかな。ほんっとにこの「暑くなったり涼しくなったり」は年寄りの身体にはキツイなあ。暑い日が続くとストレスで体重が増えるしね。やっとバケーションでのんびりできるというのに、ここで体調を崩したら泣くに泣けないよ。旅行保険が無効になってしまうかもしれないし・・・。

午後はその旅行保険の手続きに、道路向かいのBCAA(BC自動車協会)にひとっ走り。午後2時半に予約を入れて行ったので、すぐに旅行保険担当のお兄さんが来て、まずは過去の病歴の質問。カレシの心筋梗塞とバイパス手術以外はどの項目も2人とも「ノー」で、臓器移植のところでワタシが「活きのいいのがあれば取り替えたいけど」と言ったもので、お兄さんは「そういう答もありましたか」と大笑い。過去12ヵ月の病歴(心臓血管系、呼吸器系、消化器系、がん、その他)は2人とも全項目で「なし」。コロナのワクチンもこれまで7回接種しているので、低リスクということになるらしい。今回は医療費がバカ高いアメリカ(アラスカ州)を通るので、保険料はヨーロッパに行くときよりぐんと高くなるだろうなと予想していたけど、思ったほどでなくてちょっとびっくり。でも、一緒の旅行で期間も同じ(1ヵ月)で適用範囲も自己負担の額も同じなのに、80代のカレシの保険料が16万円なのに対して、70代のワタシのは7万円という、この落差。まあ、保険料は医療費として税額控除できるから実質的に掛け捨てにはならないけど、年齢が60歳を超えると急に高くなって、その後70歳でまた上がって、80歳でさらに上がるんだそうで、90歳を過ぎたらかけられても30万円を超えるらしい。保険は統計に基づく数字ゲームと言われるけど、なるほど・・・。

保険の手続きが終わってほっとして、カレシを先に帰してワタシは銀行へ。シーラに払う「留守番料」をATMから引き出して、そのまま奥のLondon Drugsに行って新しいメモリースティックとSDカードを調達。ついでにマウスパッドの使い勝手が悪いので、キーボードも置けるノンスリップの長いパッドをゲット。明日は正午から(またぞろ)ストリートパーティがあるので、晩ご飯の後で駐車場に降りて車のバッテリをチェック。無事にエンジンがかかったので、ちょっとドライブして来て、ついでに給油。年に2、3回しか給油しないから、いつの間にかガソリン代がずいぶん下がっていてびっくり。何か相変わらずあれやこれやと忙しない感じの1日だったけど、明日の午後はまだ行ったことがないバーナビーの大きなモールに行って、「なんちゃって観光客」をやってみるかな。


使いやすくていい


通り魔事件やら何やら夏の名残りは暑い

2024年09月07日 | 日々の風の吹くまま
9月5日(木曜日)。☀。暑いっ。予想最高気温は29度。オフィスの外の廊下と中に置いてあるダイソンの扇風機を片付けないでおいてよかったぁ。予想が29度なら、あっさり31度か32度に行っちゃいそうだもの。リビングの窓を押し開けて、シーリングファンを回して、さらにキッチンのパティオドアを開けておくと、涼しい風が寝室に通じる廊下まで流れて来るので、それを扇風機でキャッチして風通しの良くないオフィスに流し込んで、カレシの後ろの壁に向けてあるタワーファンで壁伝いにオフィスを一巡させるしくみ。オフィスに直射日光が差し込むのは午前中だけなので、外の気温が30度以下ならこれで何とかしのげるから、思いつきにしては怪我の功名というところ・・・。

きのうの朝、バンクーバーのダウンタウンで最初に襲われた人が刃物で左手を切り落とされ、数分後に襲われた高齢者が死亡するという背筋が凍るような通り魔事件があって、メディアは騒然。(切断された手は再接続に成功したらしい。良かった。)コロナ禍の行動制限が解除されてから、通行人が見知らぬ人物に突然襲われるstranger attack(通り魔事件)があちこちで起きていて、「むしゃくしゃしていた」という動機が多かったけど、今回は捕まった犯人が精神疾患があって、過去に何度も暴力事件を起こして、今回も住んでいるところで起こした事件で保護観察中だったということで、州首相が「怒り心頭だ。市民の安全を守る対策を講じる」と発表。(去年あった無差別刺傷事件でも「怒り心頭だ」を言ってたなあ・・・。)何年も前にコミュニティで見守りながら治療すべきとか何とかいう理由で閉鎖された重度の精神症患者の施設を再開すべきという声が再燃して来たけど、あれ以来薬物中毒や精神症のホームレスが急増したのは事実。州議会の総選挙まであと1ヵ月半。これもイービー政権にも逆風になるのかな。

旅行に持って行くものを集めて回っていて、ふと、日本では3ピンや片側が幅広のAタイプの電源プラグを使えるのかなと疑問。海外に行くときはいつも持って歩いているコンセント変換のアダプターを出して来たけど、ヨーロッパとイギリス用。北米と日本はピンは同じ形だけど、日本のホテルには2ピンのコンセントしかなかったような記憶があって、もしかしたら3ピン用のアダプターが必要かも。まあ電子機器はたいてい2ピンのAタイプだから問題はないんだけど、念のため持って行きそうなものを調べて回ったら、意外とみんな2ピンだったのでちょっと拍子抜け。そこで思い当たったのが、忘れてはいけないのはUSBハブの方だということ。それならトラベルアダプターが2ピンのとユニバーサルのがあるので、なぁ~んだ、問題ないじゃないの。まあ、東京で必要が出て来ても、あそこなら何でも手に入るだろうから、すべては杞憂・・・。



午後、旅行前の最後のファーマーズマーケット。トロリーだと帰りが上り坂で治りかけの肩によけいな重量がかかるので、今日はトートバッグを使用。気温は30度を超えている感じで、あっという間に汗だくになってしまったけど、太陽が低くなって来たので、西側の歩道がほぼ日陰でちょっと楽。ケイラのテントでカレシ用のトマトときゅうり、ワタシ用の大きな玉ねぎと長い万能ネギ。これだけでトートバッグがずっしり重くなったのに、ポールのテントでまたきのこのパックとシイタケのジャーキー2袋とラディシュのもやしを買って、さらにベーカリーのテントでブリオシュローフとランチ用のクロワッサン。ポイントカード(お買上げ12回でパン1個無料)にスタンプを押していたアリが「あと1回でブリオシュローフが無料」と言うので、クルーズに行っちゃうから10月半ばでお預けねと言ったら、「じゃあ、餞別代りに今日のをタダにしちゃおう」と最後のマスにスタンプをポン。はあ、みんなやさしいなあ。重いバッグを肩に、パンを入れたバッグを下げて、また日陰を辿って家路。暑かったぁ。アラスカはさぞかし涼しいだろうなあ・・・。


てんてこ舞いになる出発の週の前の週もてんてこ舞い

2024年09月06日 | 日々の風の吹くまま
9月4日(水曜日)。☀。早くに目が覚めたので、ダイニングのブラインドの間から外をのぞいたら、わっ、みごとな朝日。午前6時45分。朝焼けっぽい感じもするけど、朝日が川面に映って、ポートマン橋がおぼろげに見える。あと2週間半で秋分の日が来ると、暦の上では公式に「秋」。起きるには早すぎるので、ベッドに戻ってちょっとうとうとしたけど、7時半過ぎには起きてしまった。地表近くは朝霧、空は晴れ。今日はまだ暑くないけど、ちょっとだけ夏がぶり返すらしい。ま、秋の空と何とかは・・・だよね。



今日の朝ご飯は定番のミューズリとバナナとアップルソースにスライスしたドーナツピーチが加わってフルーツサラダみたい。酸っぱいのと甘すぎる果物はあまり好きじゃないんだけど、ぺちゃんこの桃は甘さがあっさりしていて、歯ごたえもあっておいしかった。先にミューズリを食べ終えた(朝ご飯担当の)カレシがキッチンのカウンターにコーヒーを入れに行って、「何かヘンだ」。え、ヘンだって、何が。(フレンチプレスの)「手ごたえが全然違うんだ」。どれどれと立って行って、ポットに触ったら、あら、冷たいじゃないの。ははあ、ケトルにスイッチを入れるのを忘れて、お湯が沸いていなかったんだ。ちょっと触って確認するという発想がないんだよねえ、アナタ。「うん、まだ水のままだとは思わなかった。オレってcreature of habit(習慣の生き物)なんだよ。」。いやいや、アナタの場合は不注意優勢型のADHDじゃないかと思うよ。調べると出て来る「症状」がぴったりだもん。(カレシが子供の頃はそもそも発達障害というものが知られてなかったんだけど、80歳を過ぎた今なら認知症を疑われかねないよ。)

けさはのっけからトルドー君の少数政権のつっかえ棒だった新民主党のシン党首が自由党との協力協定を破棄すると発表したという爆弾ニュース。巷の支持率ではすでに自由党を超えている保守党を阻止するためだそうで、自由党は脆弱過ぎて、自己中過ぎてポワリーブル党首が率いる保守党には勝てない。トルドーは国民を見捨てたと手厳しい。そっか、トルドー君の不人気もそこまで来ちゃったか。血統と若さを武器に「お日様ぽかぽか」の政治を掲げて華やかに首相の座に着いたのが9年前で、まさにメディア時代の落とし子。残念ながら国民には何がぽかぽかしているんだかわからないまま、そのお日様が陰って(少数政権に転落して)、どんどん雲が厚くなって(支持率が下がるばかりで)、今は日暮れ時というわけか。総選挙は来年の10月だけど、もしかしたら時期が早まるのかな。うがった見方をすれば、人柄はともあれ卓越した政治家だったパパのピエールよりもお嬢様ヒッピーだったママのマギーの血を引いてしまったのがそもそもの不運だったかも。テレビのパーソナリティだった奥さんには捨てられるし、若い国民にはmeh(べぇつにぃ~)と鼻先で笑われるし、今度は政権を支えて来た新民主党に「もう用なし」とそっぽを向かれるし、次は自由党内からの突き上げか・・・。

ま、午後から先は1週間先に迫って待ったなしのクルーズの準備。カレシに持って行く衣類などを集めさせる段ボール箱をクローゼットに置いて、それぞれのコンピュータバッグに入れる付属品の類を集めておくバスケットをオフィスに置いて、クローゼットの隅っこにある金庫からパスポートと前回使い残した日本円とスイカ(まだ有効)を出してオフィスの別のバスケットに入れて、いつものことだけど何やかやといろいろ。日本で会う人たちに携帯番号を知らせるメールを書き始めて、釧路で「同窓会」を企画してくれている友だちと埼玉の旧友に送ったところで、月曜日に来るデイヴィッドとジュディとの夕食用にたっぷり肉が付いたベビーリブ2本と豚ヒレ1本とブロス用の鶏がらひと袋を買いにヴィクターの店にひとっ走り。ちょうど豚肉の処理を終えて、帯鋸で残った骨を切っていたお父さんが「ポークのブロスも作るかい?新鮮だよ。持って行きなよ」。いいなあ、でもねえと言っているうちにヴィクターがお父さんのそばでビニール袋を広げたので、結局は鶏がらに加えてとんこつ2袋までタダでもらってしまった。どっちも出かける前にスープにしてしまわないと、フリーザーがきつきつだなあ。でも、それには玉ねぎを切らしてるけど、それだけ買うのにスーパーに行くのも何だし、はてさて、何でこうもてんてこ舞い?