尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

素晴らしき『すべての美しい馬』ーコーマック・マッカーシーを読む④

2023年11月19日 21時42分20秒 | 〃 (外国文学)
 入院前に最後に読んだのが、コーマック・マッカーシーの『すべての美しい馬』(All the Pretty Horses)。これはとても素晴らしい青春冒険小説で、大変満足して読み終わった。こんな凄い本を読んでなかったのかと自分でも驚いた。1992年に刊行され、その年の全米図書賞全米批評家協会賞をダブル受賞した。日本では黒原俊行訳で1994年に翻訳され、2001年にハヤカワepi文庫に収録された。というか、同文庫創刊時の最初のラインナップ5冊の1冊だった。

 他の4冊はグレアム・グリーン『第三の男』、アゴタ・クリストフ『悪童日記』、カズオ・イシグロ『日の名残り』、ボリス・ヴィアン『心臓抜き』で、これらの本は全部その時に買って読んでいる。話題の『悪童日記』や『日の名残り』を単行本で読んでなかったので、文庫化を待ち望んでいた。一方、『すべての美しい馬』は題名も作者の名前も知らなかったのである。アメリカでもそれまではあまり知られず、この作品でブレイクしたそうである。買ったまま20年以上読まずに積まれていたが、読んでみるとこれが一番面白い。そう、『悪童日記』や『日の名残り』よりも面白いのである。読んでますか?
(映画)
 この作品は2000年に映画化されている。ビリー・ボブ・ソーントン監督、マット・デイモンペネロペ・クルス主演というので、これは見たいではないか。2001年に日本でも公開されたのだが、これは見なかった。そんな映画があったという記憶さえ持ってない。主人公はジョン・グレイディ・コールというテキサス南部に住む16歳の少年。牧場に生まれ、馬とともに生きてきた。ところが祖父が亡くなり、牧場が売られることになる。1949年のことである。父親は戦争で心の傷を負い牧場経営に関心がない。祖父の娘である母親は夫への愛情を失い、サンアントニオ(テキサス南部の大都市)で舞台女優をしている。テキサスはもはや牧場の時代ではなく、あちこちで石油成金の話題ばかり。赤字の牧場を建て直そうという大人はいなかった。
(親友とともに)
 こうして少年は居場所と生きがいを失うことになりそうである。だが、まだ高校生なんだからガマンして学校へ行くのが普通の生き方だろう。だが、ジョン・グレイディは違った。親友のロリンズと愛馬に乗って家出したのである。そして、途中で道連れになった年下の少年とともにリオ・グランデ川を渡りメキシコに密入国したのである。当時は今と違って国境越えに警戒が強くなかったようで、少年だけでメキシコに入れた。しかし、そこには過酷な自然が広がり人馬ともに苦労が絶えない。それを何とか乗り越えて(年下少年とは別行動となり)、ようやく平原に出て大牧場に行き着く。そして牧場の下働きとして雇われる。二人は馬の扱いに慣れていて、野生馬の調教をして次第に牧場でも居場所が出来ていく。
(ジョン・グレイディとアレハンドラ)
 あるとき、二人は白馬(アラブ種)に乗った美少女とすれ違う。それは牧場主の娘アレハンドロで、メキシコシティの学校に通っているが馬が好きでよく自家用機に乗って故郷に帰るのだ。映画ではこのアレハンドロをペネロペ・クルスがやっていた。当時26歳だが小説ではジョン・グレイディの一つ年上の17歳という設定。10代のペネロペ・クルスが白馬に乗って現れたら、ストレートの男なら恋に落ちずにいられないだろう。ということで、ここまでは「王国」を追放された「貴公子」が隣国に逃れて、そこで「美しき王女」と巡り会うという「青春ファンタジー小説」の王道的な展開なのである。

 そこまでも十分に面白いが、もちろん事態は突然暗転する。そこで見たメキシコの現実、暴力にさらされる少年たち、不条理にどう対応するか悩む青春。そして知る社会の暗部、メキシコ革命の記憶などが圧倒的な筆力で描かれる。ただひたすら圧倒される物語が一段落するかと思われたとき、ジョン・グレイディは自ら新しい戦線を開いてしまう。危機をどう乗り越えるか、少年には過酷な日々が連続する。その過酷な運命は今まで読んだ青春小説の中でも最も凄いと言える。アレハンドロとの至上の愛はどう決着するのか。読む側もドキドキしながら読むことになる。なんて素晴らしい青春冒険小説だろう。

 テキサスからメキシコへ荒々しい自然を描く「西部劇」でもあり、常に馬が出て来る「動物小説」でもある。もちろんベースに「冒険小説」「青春小説」があり、さらに「恋愛小説」「歴史小説」の趣もある。このようにジャンル小説のミックスみたいな小説で、今までのマッカーシー文学の中でも一番読みやすい。ある種エンタメ的に読むことも出来る。一体どう展開するのか気になってどんどん読み進んでしまう。そういう小説なんだけど、それでもこれは紛れもなく「純文学」である。

 ものすごく面白いけど、一度読んだら忘れてしまう小説とは違う。それは「居場所」を無くした少年の愛と暴力の遍歴を通じて、やはり「」を考えているのである。少年は自分の取った行動が果たして正しかったのか、常に悩み、「大人」に尋ねて回る。その対話を通して、自らの行動が果たしてやむを得ないことだったのか、それとも自ら「選択」したことだったのかが厳しく問われるのだ。そこが一番感銘深いところで、今まで読んだ多くの青春小説の中でもベスト級だと思う。こんな素晴らしい小説なのに、まだ読んでない人が多いんじゃないか。是非多くの人にお薦めしたい小説だった。
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