尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

国民主権に反する悪法-「秘密保護法」反対④

2013年11月14日 23時13分19秒 | 政治
 「特定秘密保護法案」に関する話も4回目なので、この法案の本質である「国民主権無視」、つまりは「知る権利」の侵害について書いておきたい。「知る権利」などというと、何だか難しい感じがしてしまって、よく判らないと思っている人も多いかと思う。この観点からの問題点は、おおよそ新聞や反対運動のサイトなどで見られるけれど、きちんと見てない人もいると思うから、ここでも書いておく。良く知ってる人には当たり前の議論だと思うけど。

 まず原則から書くと、政府の情報は本来すべて国民のものである。「国民主権」なんだから、国民が政府のすべての情報にアクセスできなければ、政府の政策の良しあしを判断できない。外交文書など、相手との交渉があることを今すぐ全部見せろなどとは最初から誰も言ってない。でも基本的には「30年」たったらすべて公開すべきである。アメリカなど諸外国で公開されている公文書を、日本政府だけが非公開にしているバカげた事例が今までいくつもある。

 それがこの法案では、行政機関の長が「特定秘密」に指定した秘密は、どこからもチェックを受けない。秘密の指定期間を何度でも更新できるから、30年どころか半永久的に秘密にできるし、そのまま誰にも判らないまま廃棄処分も出来てしまう。そんなバカなと思うかもしれないけど、そういう法案なのである。これでは民主主義の健全な社会とは言えないだろう。「国権の最高機関」である国会は、ここまで行政府にコケにされて、このまま法案を通すのか。三権分立の完全な無視である。立法府や司法府のチェックができることが、すべての前提だろう。

 さらに、情報を漏らした公務員だけでなく、「共謀し、教唆し、又は煽動した者」も未遂であっても罰則を科すと決めている。これでは誰でも引っかかる恐れがある。「テロ防止」を理由とすれば、何でも「特定秘密」にできる。自衛隊や原子力発電所を「市民が監視する」活動は、できなくなるかもしれない。もちろん一般的な原発反対だけなら、この法案が出来ても言えるだろう。でも特定の原発を監視し、核燃料の持ち込みに抗議しようという活動などは、「テロ防止」を理由にすべての情報が出なくなればできなくなるかもしれない。

 何が「特定秘密」かは国民には判らない。それは指定した方しかわからない。政府が知っていること、例えば家の近くの米軍基地、自衛隊基地にオスプレイが配備されるという、そういう情報があるとする。どのように配備され、どのような訓練を行い、いつ来るのか。「防衛機密」「テロ防止」と言えば、何もわからなくなる。しかし、様々な公開情報を組み合わせれば、かなりの程度で推測できる部分があると思うが、それを報道機関が「特定秘密」を恐れて報道しなくなる。政府側は、「もしかしたら特定秘密かも」と匂わせるだけで、政権に都合の悪いことを報道させられなくできる。「政権」と「政府」と「国民」と、本当はみな違う。本当は国民が政治の主人公なのに、「政権」の都合で出てこない情報が増える。小池百合子議員が、「首相動静は『知る権利』を超えている」と言ったのが、もうその恐れをはっきり示している。首相の行動パターンが判ってしまう可能性があるので、テロの恐れがあるとか言えば、何でも秘密にできてしまうではないか。

 ところで、今後の「情報漏えい」はどのようにして起こるのか?どうも、この法案を見ていると、「外国勢力」に通じる、または脅迫されたなどの人物が「特定秘密文書」をコピーして渡すといった「古典的なスパイ」を想定している気がする。しかし、そういうことは起こらないだろう。なぜなら、「文書情報」などというものは、もはやないからである。もちろんないこともないけれど、というか役所内では印刷されて、責任者が捺印して、厳重に保管されるというプロセスはあるんだろう。でも、その文書は間違いなく、役所のコンピュータで作成されているはずである。アメリカで起こったウィキリークスやスノーデン事件では、そういうパソコン内の文書が漏えいされたのである。

 だから、特定の政治的思惑、または正義感、あるいは私怨で、「特定秘密」を暴露すると決めた人物は、海外の匿名サイトに複雑な経路をたどって電子情報を伝える。そのサイトのアドレスが書かれた電子メールが、マスコミ各社や野党政治家に届く。そういう事態になるはずである。この「漏らした人物」は結局つかめないままに終わる。(警視庁文書漏えい事件で、現に解明できずに終わった。)しかし、その情報を報じたマスコミ各社や野党政治家の方だけが、「共謀した可能性」を理由に捜査対象になる。そういうありえないような事態が、この法律が制定されると起きるかもしれないのである。

 政治家は後世の批判にさらされるのが宿命である。後世の批判に耐えうるかと自己に問いかけて活動するというのが、政治家の務めだろう。だから、政治家は自己の関わった情報を残していく必要がある。在任中は日記などを書き、引退後は回想録などを残す。それが当然だと思うのだが、今のように携帯電話と電子メールの時代になると、具体的な政策決定過程が後世に伝わらなくなる可能性がある。「特定秘密」などは、「なぜそれが特定秘密に指定されたのか」ということ自体が、後世の歴史家の重要テーマである。それなのに、永久に秘密に指定できたり、そのまま廃棄が可能などというのは、全く歴史を恐れない所業だと思う。このような「歴史への背信」に対しては、なんらかの「反対の意思表示」を行うのが、「歴史への義務」ではないかと考える。
コメント
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