東京の学校事務に関わる問題はもっとあるけど、少し時間をさかのぼり、21世紀初めに起こったもろもろのことを書きたい。この時代は、働いていた者としては「現場無視」が極端になり「現場力を弱める」が目的化していった時代という実感がある。特に、「異動要綱」の問題などは、大きく報道されることもないので、知らない人が多いと思う。最近、都立高校を卒業して数年すれば知らない教員ばかりって感じている卒業生が多いと思う。そのヒミツを。
サラリーマンとして働いている人なら、民間企業でも公務員でも、転勤が人生の一大事であり、最大の関心事だろう。特に、海外、へき地勤務が避けられない職場では、結婚、育児、住宅購入、介護などを考え合わせ、いつ転勤するかを常に考えている。もちろん思った通りにはいかないが。教員の場合、「異動要綱」で決まっているが、現行のものは2003年に改定された。都教委の議事録にその時の議論が載っている。「平成15年7月10日」の議事録である。組合の反対論への反論などが載っている。他の場所での発言から、大部分は米長邦雄教育委員(日本将棋連盟会長)のものと思われる。
ここで都立高校の場合、原則4年~6年で異動というルールとなった。新規採用教諭は4年。それまでは新採6年、その他は10年だった。なお、米長氏はこのルールは「校長が決められる」が主眼で「1年でも出せる」「6年以上でもいさせられる」「校長の権限強化が真意」というような発言をあちこちでしてる。しかし、これはおかしい。そういう権限を校長が持ったとしても、1年で強制的に異動させるほどの人はほとんどなく、6年以上いさせることができるとしても本人が異動希望すれば出ることになる。もうみんな6年しかいられないと思ってるから、「その学校で骨を埋める」つもりで勤務する人がいなくなってくる。ようやく地域になれたころに異動になるなら、4年や5年で異動しようという人も多くなる。どんどん学校の教師が異動する。しかし、そうなることは目に見えていたし、それが目的なのである。
どうしてこういう「改悪」が行われたたのかと言うと、校長中心の学校作りを進めようとしても、校長は2年か3年で異動する。10年もいる古い教員が、本校はこうしてきたと言えば校長も従わざるを得なくなりがち。教員はどんどん異動させる、校長が異動の権限を握る、そうやって校長中心の学校にするという発想なのである。しかし、それならば校長自身が長くいればいいではないか。校長も代わるし、教員も代わるでは、長く地域の事情に通じた教員がいなくなるではないか。
この「異動年限の短さ」は他府県の人に話すとびっくりされる。他では大体、今も10年までいられるところが多いと思う。3年たったら異動対象で6年目までに異動する、なんてそんな仕組みのところは他にはないだろう。
僕は「学校は生徒が進路を決めて卒業していくところ」だと思っている。授業や行事や部活は通り過ぎていく過程で、最後に進路、卒業がある。高卒認定試験に合格して大学に入学する手もあるが、多くは高校を出て大学や専門学校や会社に行く。ここ半世紀くらい、ほとんどの日本人がそうしてる。学校は、よくも悪くも「進路」なのである。教員は、だから「卒業生を出す」ということが最大の仕事。ところが、新採4年では(今は初任者研修が大変で1年目に担任に入らないことが多いので)、4学年まである定時制課程では卒業までいられない。全日制で新採以外の場合でも、1回担任をすれば続けて担任しない限り、同じ学校で2回の担任はない。(中学は続けて担任することが多いが、高校では特に職業科などでは教員配置数の関係で担任に続けて入ることは少ない。)同じ学校で2回以上卒業生を出すことができなくなったのである。そうなれば、1回卒業生を出したら、6年までいないで異動しようと考えることになってしまう。その学校で前に進学や就職の指導をした教員が誰もいない学年ばかりになる。
それが都教委のめざす学校なのか。僕はこの異動要綱の改革を見て、都教委は学校を良くすることに何の関心もないということが本当に判った。以後は、もう撤退戦をいかに闘うかの問題になった。
サラリーマンとして働いている人なら、民間企業でも公務員でも、転勤が人生の一大事であり、最大の関心事だろう。特に、海外、へき地勤務が避けられない職場では、結婚、育児、住宅購入、介護などを考え合わせ、いつ転勤するかを常に考えている。もちろん思った通りにはいかないが。教員の場合、「異動要綱」で決まっているが、現行のものは2003年に改定された。都教委の議事録にその時の議論が載っている。「平成15年7月10日」の議事録である。組合の反対論への反論などが載っている。他の場所での発言から、大部分は米長邦雄教育委員(日本将棋連盟会長)のものと思われる。
ここで都立高校の場合、原則4年~6年で異動というルールとなった。新規採用教諭は4年。それまでは新採6年、その他は10年だった。なお、米長氏はこのルールは「校長が決められる」が主眼で「1年でも出せる」「6年以上でもいさせられる」「校長の権限強化が真意」というような発言をあちこちでしてる。しかし、これはおかしい。そういう権限を校長が持ったとしても、1年で強制的に異動させるほどの人はほとんどなく、6年以上いさせることができるとしても本人が異動希望すれば出ることになる。もうみんな6年しかいられないと思ってるから、「その学校で骨を埋める」つもりで勤務する人がいなくなってくる。ようやく地域になれたころに異動になるなら、4年や5年で異動しようという人も多くなる。どんどん学校の教師が異動する。しかし、そうなることは目に見えていたし、それが目的なのである。
どうしてこういう「改悪」が行われたたのかと言うと、校長中心の学校作りを進めようとしても、校長は2年か3年で異動する。10年もいる古い教員が、本校はこうしてきたと言えば校長も従わざるを得なくなりがち。教員はどんどん異動させる、校長が異動の権限を握る、そうやって校長中心の学校にするという発想なのである。しかし、それならば校長自身が長くいればいいではないか。校長も代わるし、教員も代わるでは、長く地域の事情に通じた教員がいなくなるではないか。
この「異動年限の短さ」は他府県の人に話すとびっくりされる。他では大体、今も10年までいられるところが多いと思う。3年たったら異動対象で6年目までに異動する、なんてそんな仕組みのところは他にはないだろう。
僕は「学校は生徒が進路を決めて卒業していくところ」だと思っている。授業や行事や部活は通り過ぎていく過程で、最後に進路、卒業がある。高卒認定試験に合格して大学に入学する手もあるが、多くは高校を出て大学や専門学校や会社に行く。ここ半世紀くらい、ほとんどの日本人がそうしてる。学校は、よくも悪くも「進路」なのである。教員は、だから「卒業生を出す」ということが最大の仕事。ところが、新採4年では(今は初任者研修が大変で1年目に担任に入らないことが多いので)、4学年まである定時制課程では卒業までいられない。全日制で新採以外の場合でも、1回担任をすれば続けて担任しない限り、同じ学校で2回の担任はない。(中学は続けて担任することが多いが、高校では特に職業科などでは教員配置数の関係で担任に続けて入ることは少ない。)同じ学校で2回以上卒業生を出すことができなくなったのである。そうなれば、1回卒業生を出したら、6年までいないで異動しようと考えることになってしまう。その学校で前に進学や就職の指導をした教員が誰もいない学年ばかりになる。
それが都教委のめざす学校なのか。僕はこの異動要綱の改革を見て、都教委は学校を良くすることに何の関心もないということが本当に判った。以後は、もう撤退戦をいかに闘うかの問題になった。