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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「体罰」なきのみをもって「善し」とはせず

2013年02月14日 00時13分34秒 |  〃 (教師論)

 「体罰」という名の「私的制裁」は、今は「教員は身を守ることが優先の時代」になっている以上、必ず避けなければならない。早期退職だろうが定年退職だろうが、何十年も勤めれば2000万以上には退職手当が出るわけで、家族の顔も頭に浮かべれば、生徒にバカにされようが、部活で負けようが、それがなんだというのか。こういう言い方は批判されるかもしれないが、世の「教師批判」は政治的思惑を持って行われているので、標的にされたら助からない。いじめでも体罰でも、一度問題化してしまったら、管理職は自分が助かるために平気でウソの報告をして、現場教員は切り捨てられる。残念ながら、そこまで考えて「身を守る」必要がある。落とし穴はどこに仕掛けられているか判らない、そういう時代なのである。

 ところで、「体罰」というか、「暴力による生徒指導」を完全に否定できる教員も、正直に言うならばほとんどいないはずである。僕が書いている「私的制裁」が行き過ぎると、「私刑」(リンチ)に近づいてしまう。これは刑法上の傷害罪に他ならず、正当化することは全くできない。しかし、「体罰」的要素を持つ「私的制裁」はありうる。それは「量刑の平等性」が確保されたうえで、「あの先生は忘れ物をしたらゲンコツ一回だ」などとなっている場合である。これが望ましい「良い指導法」ではないと思うが、こういうのはよくあったはずだ。それは「体罰が効果をもたらす現実」があるからである。生徒は内心不満をため込んでいるとは思うが、嫌なことは避けたいから気を付けるという効果はある。(それで効果がある生徒は、言葉で注意しても同じ効果が期待できる。)

 もう一つの類型として、「思わず手を挙げてしまう」というのがある。それは生活指導や部活動で起こりやすい。結局のところ、教師も生徒も人間なのだから、全くどうしようもない言い逃れやヘリクツを並べ立てる生徒を前にすれば、熱心な先生ほど「怒り心頭に発する」こともある。ぼくはそういう現実があることは否定できないので、「一度も体罰をしたことがない」などと自分がいかにも理想的な指導をしてきたかのように語る教員は信用していない。教師は、理想的な教員として、理想的な学校に配置されるわけではない。右も左もよく判らぬ新米教員として、いじめや対教師暴力、暴言のはびこる学校に採用されたら、一番下っ端の教員に何ができるのか。「大学では体罰は禁止と教えられました」と言うのか。あるいは、見て見ぬふりを続けるのか。

 それとも、体を張って生活指導をしている教員にならって、自分も体罰を始めるのか。あるいは「問題生徒」の中にとびこみ、徹底的に話を聞く役を演じるのか。そういう現場を知らずに教員生活を続けていける幸福な教員は別だが、今50代、60代の教員なら、そういう修羅場の時を知ってる人も多いのではないか。今のような少子化時代ではなく、ちょっと前までは「第二次ベビーブーム世代」が学校にあふれ返り、生活指導も進路指導もムチャクチャ大変な時代だった。

 例えば、こういう生徒がいたとする。成績もよくスポーツも得意で、級友の信頼も厚いためクラスの選挙で男子学級委員に選ばれた。ところが「マジメにコツコツ」が苦手で、というか学力も運動神経も抜きん出ているので、塾や少年スポーツしか一生懸命にならず、学校では手を抜いている。そこで清掃の時間なんかは、率先してさぼりまくり、女子に大変な役を押し付け、自分は男子を引きつれ、毎日ほうきでチャンバラをしている。だから担任は、毎日注意をしている。学級委員で男子のリーダーが先頭に立って遊ぶので、男はマジメに掃除をしなくなる。女子からは「先生がちゃんと注意しないから男子がさぼって困る」と訴えてくる。

 そこで担任はその生徒を「学級委員が先頭に立って掃除をさぼってていいのか。恥かしいと思わないのか」と語気きつく注意したわけである。そうしたら、その生徒は「みんなサボってるのに、先生は何で僕だけ注意するんですか。僕が学級委員だからですか。それだったら、それは「差別」なんじゃないですか。みんなサボってるんだから、同罪で同じように注意して欲しいと思います。第一、なんで僕たちが掃除しないといけないんですか。僕の親はちゃんと税金を払っているんだから、清掃業者を学校でお願いするべきじゃないですか。生徒が掃除するなんて、そんなの日本だけだと思います」とか何とか言い張るわけである。

 この生徒の気持ちが判らないわけではない。これで掃除まで一生懸命なら優等生すぎるので、あえて女子の嫌われ者になるというのも思春期の行動として自然だろう。勉強も運動もできるのだから、掃除くらい一緒にさぼらないと、男子の中で居場所がなくなるかもしれない。しかし、学級委員が女子に掃除を押し付けているのは良くない。すいませーーんと言って、注意されたらさっさと掃除をして終わりにした方がいい。ヘリクツを言い立てるから、担任も女子の声を受けて引けなくなるわけである。こういう場合、親を呼んで一緒に考えようなんてしても逆効果である。そういう親に限って、「先生はなんで、そうじのことだけで連絡してくるんでしょうか。学校は学習だけしっかりやってくれればいいと思っています。何でも他の生徒も一緒にさぼっていたとか。うちの子だけ特に怒られてると子供は言ってますが、先生の対応はおかしいんじゃないですか」とか言うに決まってる。

 「うちの子は確かに学習も運動能力も恵まれていると判っています。そういう人間は、生活面でもしっかりしないといけないと、常々「ノブレス・オブリージュ」をしつけているつもりなんですが、行き届かなくて恥ずかしいと思っています」なんて言う親が日本にいるわけない。こういう場合、ヘタすると教師と生徒でヘリクツ合戦になってしまい、消耗戦が始まってしまう。それくらいなら、ふざけてんじゃねえとゲンコツ一回お見舞いして、それでオシマイにした方がお互いずっとすっきりする場面があるだろうと思う。今の場合は、まあヘリクツに対抗する「体罰」という場合である。

 成績もよく顔も可愛い女子が、裏でいじめの張本人だということもある。はっきりした証拠を付きつけても、言い逃れして絶対に認めない。顔もまともにあげず、明らかに反抗的な姿勢を示している。そういう卑劣な行為を止めるためには、担任が悪者になるしかない。お前のやったことは絶対に認めない。一発ビンタして今回は終わりにするから、二度とするんじゃない。いいか。では、歯を食いしばれ、と声かけて、一発張り手をするのが、良い指導法であるとは思わないが、僕は絶対にないとは言えないと思う。大人が怒ってることを判らせるためには、暴力を使わないと判ってもらえない場面があるのが、日本社会の現実ではないか

 そういうことが一回もない教員人生なら、いいのだろうか。男の教員である程度大変な学校を何校も経験していれば、そういう場面に何回かぶつかったことがあるのではないか。そういう場面を経験しないで済んだ教員は以下のようなことが考えられる。初めから体罰が無理なような女性教員は除く。(女性教員で「体罰」を行う人も結構多いと思うけど。)
①体罰の必要もないくらい生徒の能力が高く、落ち着いている学校。(進学高校を渡り歩いた場合)
②もはや誰も立て直しようがないくらい学校が荒れてしまい、生徒の暴力はあっても、教員側で押さえられないような学校。
③一部の教員の「暴力的指導」に生徒が脅えていて、他の教員はその傘の下で自分は体罰をしないで済んでいる学校。
④学校の性格上、教師が暴力を使ってはならないような生徒が集まっている学校。

 もし、そういう学校でなければ、特に「いじめ」「校内暴力」が多発した80年代の中学を経験したことがある教員ならば、自分が被害者になったことも加害者になったこともある場合が多いと思う。仮に自分が「体罰」をしていなくても、他の教員が暴力を振ったり振るわれたりしたケースを見てしまい、心痛む思いをしたこともあるのではないか。そういう中で「体罰」を行うのは、やはり「熱心な教員」であるということが多いという事実がある。熱心でなければ、そこまで体を張った指導はしない。熱心な教員でなければ、生徒は誰も付いてこない。暴力があっても付いてくる生徒がいるのは、やはり熱心さがあるのである。そうすると、他の教員は、自分はそこまで熱心に指導しているのだろうかと自問自答しないわけにはいかない

 個々の教員がバラバラに頑張らさせられれば、中には熱心さが力の指導に頼る場合を生むこともある。それが「暴力のエスカレート」に陥りやすい。だから、自分の場合も、暴力的指導を一回もしていないという風には言わない。一回もなかったという教員は忘れてしまったのである。あるいは、そこまで熱心でなかったか、たまたま恵まれた学校ばかりを回ってきた「教員の特権階級」なのである。(「夜回り先生」水谷修さんも、体罰の経験はないとブログに書いて、いや俺は殴られましたよと卒業生から言われたと書いている。)だけど、体罰経験があるということは、そういう大変な時代もあったという証ではあるが、別に誇るべきことではない。もっとうまく指導する力が自分になかったか、自分も未熟で感情的になってしまったかである。反省の材料でしかない。

 そしてやはり、体罰に限らず「力による指導」は、教員集団を引き裂き、生徒の心を遠ざける。一回の体罰だけなら、かえってすっきりした関係になることはありうる。しかし「継続的な暴力」になれば、それを止められない周りの教員も周りの生徒も皆傷を負ってしまう。教員集団の誰もが力の指導をできるわけではないから、力で押さえることが優先の学校では、「生徒が言うことを聞く先生」と「暴力を使わないから生徒が言うことを聞かない先生」に、学校が分断されてしまいやすい。そして、「体罰で生徒を押さえている教員」は、他の教員がだらしなくて強い指導ができないから自分が憎まれ役をやってやってると考えて、周りの教員に不信の念を強める。こうして学校がバラバラになっていくのである。


 さて、長くなってしまったが、日本の現実の中で教師は指導して行かなくてはならない。大津市のイジメ事件では、学校や教育委員会が襲われたり非難された。大阪市立桜宮高校では、関係ない生徒が嫌な目に合っていることもあるようだが、この学校のガラスが割られたという事件もあった。学校のガラスに「体罰」を加えたわけである。このようにイジメや体罰が問題化すると、今度はその学校がイジメや体罰の対象になってしまうくらい、日本社会には暴力の根深い衝動があるのである。そういう中で、ただ「体罰をしなかった」というだけで、僕はそれがいい教員である証になるという風には思っていない。人生の中に数回、強い指導をせざるを得ない場面に遭遇することもあるし、そのときの指導のあり方があれで良かったかどうかと悩み続けるという方が自然な教員人生だと思っている。ただ、そういう場面の話ではなく、一般的な指導のあり方を論じるとすれば、やはり生徒が自ら考えて行けるような心の指導を心がけて行かなくてはならない、というしかない。しかし、教員集団が連帯して生徒に一致して「心の指導」をできる学校がどれだけあるだろうか。タテマエではなく、現実の学校現場を考えていくとするなら、「体罰がないというだけで、いい教員だというわけではないだろう」と思っているわけである。

 そして最終的には、加害者であれ被害者であれ、教師が「暴力」に直面した時に、生徒が味方になってくれるかが分かれ目なんだろうと思う。「あれはやり過ぎだ」と他の生徒に思われるか、「あの場面は生徒の方が悪い」とその生徒の友人も「早く先生に謝りなよ」と忠告してくれるか。

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「体罰」と「私的制裁」の間

2013年02月10日 23時38分47秒 |  〃 (教師論)

 「体罰」の問題について、「『体罰』の本質は『DV』である」を書いた後、話が途中になっている。まず、「学校内で起こった暴力事件を全部、体罰と呼ぶ」という定義で話が進んでいる気がするのだが、それでいいのだろうか。「暴力」と「体罰」は違うのではないだろうか。「体罰」という言葉の「」は「身体に対して直接加えられる」という意味である。それも考える問題があるが、それは次回以後に。「」は「罪に対して償いの意味で課される刑」と一応書いておきたい。刑罰の本質が、応報か教育かという問題は刑事政策上の大問題だが、「体罰」の場合は「応報でもあるが、本人にとっては教育の意味を持つ」ということになるだろう。

 そうすると、「罪」があることと「刑の平等性」があることが「体罰の前提」であるはずだ。戦前の小説や映画なんかを見ると、「授業中に騒ぐ」「宿題をやってこない」「そうじをさぼる」などのルールに反した行為があると、よく「水をいっぱい入れたバケツを持たせて廊下にたたせる」なんてことがあった。こういうのが本来「体罰」というものだろう。大体、授業中だけのつもりが、教師が忘れて放課後ずっと立ちっぱなし…といったドラマが起こることが多い。授業や清掃などで迷惑な行為があると、それは悪いことだという了解が教員と生徒集団の間に存在する。「罪」が犯された場合は、大体「廊下に水バケツで立たせる」罰になる。

 そういう「量刑の平等性」もまあ承認されていた。「量刑の平等性」を皆が了解していないと「体罰」は機能しない「イギリスでは体罰が認められている」という人がいる。伊吹衆議院議長もそういう発言をしている。いやイギリスでは禁止されたという話もあるし、一部復活したという話も聞く。アメリカの一部の州でも体罰は容認されているようだ。そういう世界の事情はよく判らないが、はっきりしているのは、それは「正式の体罰」であるということだ。つまり学級担任または教科担任の訴えをもとに、校長が生徒を呼び出し話を聞いて、校長の権限で「ムチ打ち5回」などと決めて校長自身がムチを振う。

 多分多くの場合、そうなっているのではないかと思う。つまり、「犯罪」のあとに「事情聴取」と「刑罰の言い渡し」がある。これは「刑罰」の最低限のルールだろう。正式の刑事裁判ほど厳格なルールはないけれど、少なくとも保護者には事前連絡され、本人や保護者の言い分は聞く。日本ではそういう意味では、「体罰」は確かにない。「体罰は禁止されている」わけだから、校長が正式に言い渡す「体罰」はありえない。諸外国で「体罰を認めている国もある」などと言っても、教科担任や部活顧問が誰の意見も聞かずに、勝手に暴力を振うことを認めている国はないだろうと思う

 「暴力」によって支えられた法秩序体系を持つ日本(だけでない近代国家)は、システムとしての司法機関が機能している限り、それを国民は「暴力」とは認識しない。しかし、では逮捕時の警官個人が「お前みたいなヤツは、生きて裁判を受ける資格なんてない」と言って射殺してしまったらどうだろう。今度はこの警官の方が犯罪者である。システムの一員として銃の使用を許可されることはあっても、警官が個人の考えで刑罰を執行してはならない。取り調べ時に「いつまで黙ってるんだ」と殴ったり椅子を蹴ったりするのは「拷問」であり、憲法で禁止されている。明るみに出れば警官の方に非があることになる。警察、検察は否定して、やったやらないの議論になり裁判所は認めないことも多いが、はっきりした証拠で暴力が証明されたら警官の犯罪となる。

 今「体罰」と呼ばれているのは、警官が裁判を待たずに勝手に射殺したり、逮捕時にやり過ぎ的に殴る蹴るの暴力を振う場合にあたるのではないか。それは「体罰」ではなくて、「私的制裁」というべきだろう。また取り調べ時に教員の方が激昂して殴りつけるというようなものも「拷問」と捉えることができる。学校に認められた合法的な「懲戒権の発動」だというためには、言い分を十分に聞く事情聴取、校長等の責任者による言い渡しや罰の執行、保護者への連絡と同意などが最低限必要だろう。そして実際、いじめ、ケンカ、喫煙等の事件が起こった時、暴力を使わず事情聴取をして、保護者に連絡の上、謹慎、反省文等の罰を言い渡すことをしている。ところで、それらの場合はいじめや喫煙が校則に違反していることははっきりしている。

 今「体罰」と問題化しているケースのほとんどは、部活の試合でのミス、部活練習中の気合い等、そもそも「罪」ではない。校則上定められていないことを問題にしている。だから、そもそも「体罰」の対象になるはずがない。教員の側の思い込みによる「指導という名の私的制裁」なのである。「体罰も必要な場面もある」という人がいるのは、そうしないと「教室内の秩序が保たれない場合もある」「ケンカしている生徒を分けるため力で引き離す場合はどうか」などと言うのである。常識で考えて、教室を抜け出してさぼろうとする生徒を引きとめて、手や体をつかんで座らせようとする行為が「体罰」のはずがない。それは言ってみれば「公務の執行」なのである。(「校務執行」と言うべきか。授業妨害は「校務執行妨害」である。)

 こういう風に、今「体罰」と言われる行為の多くは「私的制裁」で、明るみに出れば教員側の非になるしかない、非合法な暴力である場合が多い。一方、実力で「校務の執行」を行う場合や「暴言に対抗する場合」などは、「体罰」ではないのである。

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部活動のあいまいな領域

2013年02月01日 01時13分02秒 |  〃 (教師論)

 間が空いてしまったけれど、「体罰問題」をもう少し考えたい。一番最初に「この問題は奥が深い」と書いた通り、日本中あちこちの学校で問題化し、さらにスポーツ界に問題が広がっている。これは「暴力事件」というべき問題だが、「パワハラ」と捉えると実は日本の会社で多数行われている。奥が深いというのは、その意味で「日本の構造」を考えないと完全には理解できない。

 ただし、「根強い暴力体質」があるから「日本はダメだ」と言いたいのではない。他の国においては、声をあげたり問題を意識すること自体ができない社会も多いし、「むきだしの暴力支配」が日常化している軍事独裁政権なんかもある。日本ではそういうことはなく、「ある種の限られた特殊な空間」を除けば、「暴力的指導」がはびこっているわけではないだろう。

 いや、「体罰は絶えない」と言われるかもしれない。この10年ほど、毎年400人ほどが体罰で何らかの処分を受けているという。これには「暗数」(報告されなかった事件数)があるわけで、実際には数倍になるんだろう。でも、たぶん、「体罰は激減している」と思う。僕が生徒だった頃に比べて10分の1程度ではないか。僕の時代も、戦前に比べれば当然激減していたのだと思う。体罰問題で発言している桑田真澄氏は「生徒に聞くと半数程度が体罰を経験していて、自分の時代に比べて減っている」と語っている。

 少年野球の場でもそうなんだから、一般の授業などではかなり減っていると思う。親からも教師からも体罰を受けずに育った教師が今では大部分だと思うから、すぐに手が出るという発想にはならない。でも、「体罰事件」はある。減ったと言っても皆無にはならず、必ず一定程度は起きている。「日本社会の中の学校」という以上、このままでは問題が完全になくなることはないだろう。

 体罰事件が起きる状況を調べてみると、大体3つが多いように思う。部活動宿泊行事小学校である。小学校のことはよくわからないが、たぶん「学級王国」的な部分と「体格差」ということではないかと思う。中高になると生徒と教師の体格差はなくなっていくから、身体の大きさでは威圧できなくなっていく。戦前には「軍事教練」もあったし、中高は義務教育ではなかったから、教員の絶対支配権が確立していたので、体罰も可能だったかもしれない。小学校の教員にけっこう体罰の処分事例が多いように思うが、まだ体格差があるので力で制圧しようとするとケガをさせやすいということか。

 一方、部活動と宿泊行事には共通な面があり、教師にとっても日常の授業と違った特別な時間だということである。体罰問題が明るみに出ると、いじめ事件の時と同様にやっぱり校長が出てきて事情説明をして謝罪している。学校長は学校の最高責任者だから当然で、部活動顧問も「校長から任命された校務分掌の一つ」ということになってしまう。でも、教員側からすると授業や学級担任なんかと違って、部活顧問を校長から任命されてやってるという意識は薄いと思う。各主任や学級担任は校長が教員の希望を無視して強権的に任命してしまうということが時々あると思う。でも部活顧問まで校長が決定している学校は多分ないだろう

 各教員の希望を生活指導部の部活動担当が調整して、それをもとに校長が顧問を「委嘱」するといった学校が多いと思う。よほどもめた時(熱心だった顧問が異動してしまい、後を引き継げる教員が誰もいない場合など)を除けば、校長が顧問決定に乗り出すこともないと思う。授業や進路指導等、あるいは学級経営なんかでは、「年間指導計画」という「作文」を書かされることが今は多い。でも「部活動指導の年間計画」なんて作ってる学校もないだろう

 仕事というのはどんな仕事であれ、「仕事ではないもの」との「あいまいな領域」があるものだ。教員の場合は、特に「仕事」をはみ出る部分が常に存在する。「ボランティア」というか。「授業」そのものも、どこまで事前の教材研究、授業準備、事後の課題やテストの扱いなどをするかは、やりはじめていくとキリがない。一回の授業に毎回全身全霊を込めるわけにもいかないけれど、教材を自分で買ってそろえたり、関連の書籍を読みあさったり、自宅で学習プリントを作ったり、教師は皆いろいろやったことがあるはずである。それでも授業自体は、教員の一番重要な仕事だから当然と言えば当然だろう。

 「教員の一番重要な仕事」などと言うと、それは学級担任ではないかとか、「こころの教育」ではないかとか言われるかもしれない。「いじめを防ぐ」とか「次代の国民を育成する」とか「やっぱり進学・就職の実績向上」とか、言い出せばいろいろ言える。でも、教員全員が毎年学級担任をするわけではない。担任ではない年もあるし、担任をしていても、進路決定に直接かかわる卒業学年は数年に一度である。校内には様々な仕事があるが、毎年必ず行うのは、採用試験時の教科の授業を担当することである

 担任のない年はあっても、授業のない年はない。教員採用試験も教科ごとに行われ、合格者は各校に教科ごとに配属される。各校に配属されてから授業以外の仕事が割り当てられる。最後に部活顧問が決まる。学生時代によほど活躍した実績があれば別だろうが、各校にはすでに前年度の顧問をしていた教師がいるわけで、たまたま異動して空いてる部活を頼まれることが最初は多い。新人の間は言われた通りに部活顧問を引き受けるしかない。

 ただ、別格がある。例えば音楽の教員である。吹奏楽や合唱などは、普通音楽の教員しか専門的指導ができない。非常に熱心だった若い男性教員が年限で異動し、(音楽は女性教員が多いので)育休明けの女性教員が赴任してきたりすると、なかなか大変な事態が起きることがある。保健体育の教員もそうで、専門的指導ができるスポーツが必ずあるわけだから、必ず主要な運動部の主顧問になるだろう。でも、部活指導員という資格はない。教科で取るだけで、バレー部指導員、バスケ部指導員とかで取るわけではない。だから、誰が何の部活顧問をやってもいい。自分の生徒時代に経験のない運動部や文化部を担当することはとても多い。

 だからどうしても「部活顧問のボランティア的性格」が出てくる。これは本来おかしなことである。まあ、卓球部とか文芸部とかで活動中に死亡事故が起きることはないだろう。だけど、かなり危険がある部活もある。陸上部で砲丸が当たったり、弓道部で弓が当たったり…。柔道部や体操部で頭を打ったり、サッカー部や野球部で真夏に過酷なランニングをさせて熱中症になったり…。毎年のように事故が報告されている。柔道部なんかは顧問をする資格が本来はいるんではないだろうか。

 本格的に強くしようと思ったら、土日も活動しないわけにはいかない。生徒や保護者も望むが、平日は時間も限られるし、他の部活もあるから、例えばバスケ部が毎日体育館全面を利用するわけにはいかない。だけど、毎週のように休日に活動する場合、教員の勤務時間はどうなっているのだろう。教員の私生活がなくなってしまうということもあるが、そもそも一週間に一日も休みを取らず働くということが労働法制上許されるんだろうか

 だから、当然のこととして、土日の活動は校長が命令して行っているわけではない。命令したら労基法違反である。顧問の方から施設利用願いかなんかを出して、校長が許可してボランティア的に活動している。ただし東京では部活動の本務化が進んで、土日に4時間以上の活動をした場合、長期休業中に振り替えを取れるようにはなってきた。それにしても土日に出勤したら月曜に授業あるのに代休ということはありえない。また毎日遅くまで、時には朝練などもあったりして、部活顧問は時間外勤務になってしまうことが多い。もちろんこれも、勤務時間終了で活動をやめて帰宅しても、校長にはなんら止める手立てはない。

 毎日遅くまで活動し、土日も出て来る、それならものすごい額の時間外手当がもらえるだろうと思われるかもしれないが、それはもちろんない。教員には「時間外手当」そのものがない。(代わりに教職調整額4%が教特法で支給される。)校長が時間外勤務を命じることができる4条件というのがあって、「①生徒の実習、②学校行事、③職員会議、④非常災害、児童生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合等」ということになっている。部活動は入ってないのである。

 部活動で「体罰」があったという時、その体罰があった時間帯はいつだろうか。多分、その日の部活終了時の反省の時間、あるいはまとめて活動できる土日の活動が多いのではないか。その場合、その時間は本来の教員の勤務ではない時間帯になっていることが多いはずである。今「ボランティア」と書いてきたが、もっと正確に書くと「奉仕」である。自分は「奉仕」しているのに生徒がダラダラやってれば、それは怒るだろう。一方、土日に活動に出てきて指導する校長はまずいないから、管理職はなかなか休日の部活動の実情を把握することは難しい。この「部活動指導という領域のあいまい性」がある限り、「専門的技量を生かして奉仕しているという教員の意識」が存在し、その結果「体罰」ではないとしても一方的な暴言などが生じやすい。

 教師が来なければ学校の施設を使えないから、教師は開始予定時間に遅れられない。でも生徒は中には遅れてくるものがいる。殴らないまでも、「やる気がないならお前なんかやめてしまえ」「もうお前なんかいらない」と言ってしまうことが起きやすい。この問題はいずれ、部活を社会体育に移行させるということを聞いた時代もあるが、それは今思うと無理だと思う。東京都杉並区では、保護者が負担して土日の部活を業者に委託するという試みを始めているが、それが一つの方向だろう。でも公式試合はもちろん、練習試合に教員が立ちあわないわけにはいかない。また実際好きでやってる教員はいっぱいいるわけで、なかなか難しい。

 でもこの「あいまい性」にもいい面もあると思う。部活動は本来課外活動なんだから、生徒の趣味特技を伸ばすという意味で、教員の側も専門性だけでなく一緒に活動すればいいとも言える。だけど、この校内での「あいまい性」が、教員によっては「自分の王国」を作らせてしまい、誰にも立ち入ることができない領域を作ってしまう第一の原因である。どうすれば一番いいかは、誰にも結論は出ないと思うけど。

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「体罰」の本質は「DV」である

2013年01月23日 00時49分39秒 |  〃 (教師論)

 大阪市立桜宮高校の問題では、皆が「体罰」と表現している。あまり言葉にこだわるのもよくないと思うけれども、この「体罰」とは何かということを考えてみたい。もちろん、「①学校内で②教員によって③生徒に対して行われる④暴力的行為」はすべて例外なく「体罰」と呼ぶと決めてしまえば、話は楽だし大方は問題ないだろう。でも、実際に「体罰」が行われる時には、様々な事情や経緯があるものなので、もうちょっと考えてみたいのである。

 学校には簡単に言って、「教師」と「生徒」がいる。事務職員などもいるが少数だし、保護者や卒業生は常時いるわけではない。この中で「暴力事件」が起こるとしたら、4つの類型があるはずだ。
①教師が教師に対して行う場合
②教師が生徒に対して行う場合 → 体罰
③生徒が教師に対して行う場合 → 対教師暴力
④生徒が生徒に対して行う場合 → いじめ

 かつて30年位前だが、③の生徒が学校内で暴れまわる事件が多発した時代があった。その頃は「校内暴力」と呼んでいたが、考えてみれば以上のすべてが「校内暴力」である。だから今は「対教師暴力」などと呼ぶことが多いだろう。一方、①の「教師対教師暴力」というのは、まずはほとんどないだろう。僕も見たことはない。教師だってストーカー事件を起こしたりはするし、暴力事件は絶無ではない。でも、「教師という立場」にあるわけだし、すべての人が大学卒という「高学歴職場」だから、さすがにすぐに手が出るということはない。だからといって教師は皆仲が良いということはもちろんないし、手は出さないけれど、「口は出る」。特に、管理職などによる少数職種、新採用教員などに対する「パワー・ハラスメント」的な言動は、最近は特に多いのではないか。

 「教育現場に暴力はあってはならない」などとすぐに言ってしまうが、「体罰」は学校教育法で禁止されている以上、誰も反論できない。しかし、その結果「物理的暴力」ばかり問題になってしまうとしたらおかしい。今回の事例でも、暴力そのものと同じくらい「主将をやめるか」と強く問われたことが心の傷になったのではないかという指摘もある。②から④のすべての行為を「いじめ」とか「体罰」とか言葉を分ける必要もなく、ただ「暴力はいけない」と言えばいいのではないか。そして、その「暴力」には「人をからかう言動」「人を追いつめる言動」などの「パワハラ行為」を入れる必要がある。

 ところで、先の定義に関して「①学校内で」と書いておいた。ここが重要な点で、帰宅途中のコンビニ前で喫煙している生徒を見つけたとしても、その場でなぐる蹴るの暴力を振う教員は多分皆無だろう。「周りの目」があるし、学校外では「単なる暴力事件」であることは判っているからだ。学校内に連れてきて「指導」の場になると、暴力が出てくる場合がある。いろいろ理由はあると思うけど、「力による指導への幻想」もあるし、「言うことをきかない生徒への見せしめ」とか「自分の担当のときに問題を起こしたことへの腹いせ」「今まで期待をかけていたのに裏切られたという思い」などもあるだろう。「先生は怖い」と生徒に認識させて問題行動を減らすやり方を取ってきた学校では、教員が言葉で説得をしても聞かない状態になっている場合もある

 もう一つ重要な問題は、「家父長意識」である。暴力的指導が逆効果になることは実際は多いのだが、「強い指導」をする教員には生徒は何も言えないから、本人はなかなか認識できない。そして、本人は本当に「問題行動を減らしたい」「部活動を強くしたい」と主観的には思って行動しているのである。その思いのベースには、確かに「愛情」がある。それは「ゆがんだ愛情」「間違った支配欲」かもしれないが、本人が生徒に良かれと思っていることは疑いない。僕は前から「指導力不足教員」は大した問題ではなく、学校で一番問題なのは「指導力過剰教員」だと言ってきた。今回の教員も指導力は十二分にあるというか、あり過ぎるくらい熱心な教員だったのだと思う。実際生徒の言葉を見ると、熱心で指導力がある先生というような声がある。

 部活やクラスなどは、長く一緒に活動しているから「同じ釜の飯」意識が高まってくる。この「クラス一丸」「部活一丸」が面白いと同時に、問題も起こす。ずっと指導してきて、もっと強い部活にするために、どうすればいいか。そのときに、自分が指導者で「上の立場」にあることは疑わない。つまり、部活動が自分が家父長(親)である「擬制的家族」と意識されてくる。そうした場所での暴力は、「体罰」と呼ぶよりも、「行き過ぎたしつけ」という名の「家庭内暴力」に近いのではないか。だから、この問題を考えるときには、教育公務員には体罰は禁止されているなどというタテマエ的議論よりも、DVをくり返す男性へのケアをどう進めるべきか、というような議論の方が生産的なのではないかと思う。

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「反いじめ文化」を育てる②

2012年09月17日 00時42分37秒 |  〃 (教師論)

 一体学校で「いじめ」が起きたら何が悪いのだろうか? いじめは防げないが、学校や教育行政が「隠蔽するのが怪しからん」という人もいるようだ。「生徒がルールを守らないのに、学校がきちんと指導できていないのがおかしい」という人もいる。そういう考え方によれば、学校がもっと毅然と対応すべきだし、また毅然と対応する教員の給料を上げて教師を競わせればいじめがなくなるという意見もある。もっと極端になると「いじめを犯罪にして警察が解決すればいい」という人までいる。

 僕からすれば、あまりにもナイーブな人間観に驚いてしまう。きっと「いい家庭」「いい学校」で育った「二世議員タイプ」で、実際にルール違反をする生徒や女子グループの複雑な人間関係のもつれなんかと格闘したことがないんだろう。だから、そんな「厳しくすればいじめは防げる」みたいなバカみたいなことが言えるんだろうと思う。もっとも僕も「深刻ないじめ事件」を緊急に止める必要があるときは、教師の強制力で指導したり、警察力を導入することも大切だと思う。

 でも、大人になっても職場や家庭で人間関係がもつれることはつきまとう。未成熟な生徒がいっぱいる学校内で、人間関係でトラブルを起こさせないことだけが学校の目標ではダメだろう。教師の力で学校にいる間だけは守られていても、卒業して「狼の群れ」の中に放されたら何もできない人間であることを暴露してしまうことはけっこう多い。学校時代に、基本的な「反いじめ文化」が育てられていないということで、それが一番問題なのではないかと思う。

 「いじめ」のニュースを見聞きすれば、「かわいそう」な事例が一杯ある。教科書を隠されたり、虫の死骸を入れられたり、誰も話しかけてくれなかったり、カネを持ってくるように強要されたり、そんな行為を受けている生徒を「かわいそう」と思う。それは自然である。かわいそうだから「同情」するというのは、確かに「何かを考え行動するときの最初の一歩」になることが多い。戦争で子どもが死んだり、飢餓が広がり難民になったり、津波で家族や家を失ったり、原発事故で突然村ごと住めなくなったりするのは、まさに「かわいそう」。子どもも大人もそういうニュースを聞けば皆「同情心」が高まる。それを否定する必要はないし、最初は同情からでもいいだろうと思う。でも、「同情」には明らかに限界がある

 「緊急の時期」を過ぎてしまえば、どんなところに住む人間にも「日常生活」がある。被災地にもある。いじめ事件が起こった教室にもある。「忘れてはいけない」とマスコミは言ったりするけど、「だんだん忘れていく」ことは避けられない。そして「同情される側」も「同情だったらもういらない」と普通は思うようになる。非日常の緊急時期には同情も大切だったけど、「かわいそうだから助けてあげる」という発想では、「同情する側が上」で、同情される側の自立が阻害される「同情」から発する行動は、「義務感」と結びついてしまうことが多い。「経済が発展した我々は、飢えと戦争に苦しむ発展途上国を助けなければいけない」「被災地の人々を支援するのは国民の義務である」などなど。

 まあ、そういう「義務」もあるかもしれないけど、義務感だけでやっていると、楽しくないし疲れてくる。皆の熱が下がってくると、義務だと思って頑張る人だけ負担が多くなり、冷めてきて手伝ってくれない人を批判する気持ちが起こる。そうして気持ちがバラバラになって終わってしまうと言うのが、多くのボランティア活動や社会運動のてん末である。「いじめ問題」も似ていて、同情と義務感だけでやっている学校だと、「いじめ防止ポスター」なんかを作らされる生徒会役員や学級委員なんかだけ負担感を感じてしまい、結局試験勉強と部活動の日常に呑み込まれてしまう。

 人間は楽しくなければ続かない。これが大原則であって、いじめがいけないのは「かわいそう」だし「ルール違反」だからでもあるけれど、一番は「いじめがあるクラスはつまらない」からである。そのことを教師はもっと発信していかないといけない。そうでないと何だかマジメ主義になってしまい、みんながいじめはないかと見張っているようなムードになってしまう。「いじめはないけど、つまらない学校」は、いじめ問題のニュースが報じられなくなった数年後にいじめ事件が起きてしまうかもしれない。いや、いじめが起きないにしても、それでは「反いじめ文化」を育てたことにならない。では、「楽しい学校」をどうしたら作れるのか。教員処遇の問題は別に書くとして、「大胆に外部の風を入れる」ことと「マイノリティの文化を学ぶ」ことかなあと思う。

 「マイノリティの文化」と書くのは、やはり差別や偏見をなくすことが、いじめを学校から減らしていくことと結びついていると思うからだ。差別について学ぶことは、「差別がかわいそう」ということではない。「差別の中でも差別に負けない生き方を作ってきた人から学ぶ」ということである。「差別や偏見はありません」という人が、実は「部落出身者だからといって差別する気はない」と自分で思っているだけで、「学歴がない人はダメ」という理由で「被差別部落や外国人や経済的に大変だった人」を排除している、そしてそれを「合理的な理由だから差別ではない」と思い込んでいるということはかなり多い。

 実際にマイノリティで素晴らしい生き方をしてきた人を具体的に知らないから、「偏見はない」と思い込んでるだけで、「マイノリティへの敬意」もない。「敬意」がなければ「無関心」なだけで、「無関心であることを差別してないことと思っている」のである。それでは「反いじめ文化」は育たない。これは大切な点で、無関心であるということ自体が偏見を持っていることだと判らないと、「いじめを傍観する」=友達ではないから無関心だっただけでいじめてはいない、という子供たちの多くの心を動かすことができない。
 
 「楽しい学校」と言うのは「遊びがある学校」という意味ではないわけで、もちろんレクリエーション大会をいっぱいやるというようなことではない。「生徒にも教師にも、深い知的、身体的刺激があって、人間や社会について新しい考え方、生き方を学ぶこと」である。学校なんだから「学ぶ楽しさ」を教えられなければいけない。「身体的」とわざわざ入れたのは、人間関係作りのゲームや演劇のワークショップ、伝統芸能や伝統工芸の体験授業などを想定しているからだが、基本は講演で「話しを聞かせる」ことが多くなると思う。聞かせるだけでは生徒は飽きるので、テーマ設定と講師の選定はよく考えなければいけない。僕の体験では「学校で生徒に話してほしい」と頼めば、日時さえあえば断られることはほとんどないと思う。

 「マイノリティ」と僕が書いたのは、いわゆる「差別問題」だけを指しているのではない。大企業に対しては中小企業が「少数派」であって、地域の中で「技術で頑張っている中小企業」を見つけて話してもらう。地域の中で「有機農業」を続けてきた農家、厳しい環境の中で頑張っている伝統工芸家、そういう人々も広い意味で「マイノリティ」と考えて、頑張ってきた姿に学ぶところが大きい。また、もちろん地域の中の外国人文化との触れ合いも大事だし、自分の地域ではない問題(アイヌ民族や沖縄の文化など)を特別に呼ぶことも考えられる。(特に高校の修学旅行で、北海道や沖縄へ行く場合。)

 ただ学校としてどうしても考えておかなくてはいけない問題もある。教員も一般社会の差別の中で生きてきたのであって、もちろん部落差別や女性差別、障害者差別などについては勉強したことはあっても、一般社会でまだ認知度が低いような問題については特に意識が高いというわけではない。今イメージしているのは、性的マイノリティホームレス刑余者(前科のある人、刑務所から出所した人)、難病を比喩に使う問題実験動物や毛皮などの問題などである。難病を比喩に使うというのは、例えばいつも掃除をさぼりがちな生徒を「お前はこの班のガンだな」と教師が言ってしまい、身内にがん闘病中の家族がいるマジメな女子が傷つくといった場合である。「そんなに勉強しないと、お前の将来はホームレスだ」とか「そんなことをしたら刑務所行きだぞ。」などと教師が言ってしまうこともあるかもしれない。生徒の中にも親が刑余者である場合がいないとは限らない。

 教師がホームレスの差別意識を持っていると、生徒が襲撃事件に関わらないとも言えない。そして何より深刻なのは性的マイノリティの問題で、教師が一生懸命制服の指導をすればするだけ、性同一性障害の生徒を傷つけてしまうことが現に起きている。なんとか全日制の高校に入っても制服でつまづき、制服のない定時制高校へ変わるという例も多い。中学段階では学校側にカミングアウトできず、高校段階で自分の「性自認」をはっきりさせたということである。それもできないで悩んでいる生徒がいるということを中学や全日制高校の教員は頭の中に入れておかないといけない。この性的マイノリティ(いわゆるLGBT)の問題がいじめに直結していることもあるので、問題自体を意識するとともに、「性的マイノリティの人々の豊かな文化」を紹介することは重要である。

 そういう問題を一度にできるものではないだろうが、学校の特色を生かしながら、特別授業(人権や健康の講演会)、進路指導、行事(文化祭の講演会など)、道徳、総合学習、各教科の授業などで試みていく。問題は生徒に教え込むのではなく、生徒の心と触れ合う授業を作って、「大変だけど教師も楽しむ授業」を探っていく。そのためには「教師の感度を高めること」が必要である。学校自体が差別やいじめを生み出す場合も多いので、「自分を見直す」ことも求められる。現場で教員一人ひとりが自分の感度を上げて、できることをやっていくしかないだろう。自分がもっと納得して働ける学校を作っていくということである

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「反いじめ文化」を育てる①

2012年09月13日 19時48分34秒 |  〃 (教師論)

 この何十年か、何度か時々「いじめ」問題が大きく取り上げられる。そのたびに「いじめ対策」とか「いじめ調査」とか「強い対応」とかが言われる。そして、数年後にまたいじめが大きな問題となってしまう。それは「学校の対応が問題」だとして捉えられ、特に「公立学校バッシング」と結びついて取り上げられることが多かった。その言説の構造こそが、いじめ問題を大きくしてきたのではないか。「評価」を避けられない「学校そのもの」の中に「いじめの芽」が存在する。だから、いじめを根絶するという目標を作ると、かえって「いじめ隠ぺい」を招くと考えられる。「いじめ事件」を仮に防止できたとしても、「いじめ的言動」のすべてを学校からなくすことはできない。学校だけでなく、すべて人間の住むところどこでも、差別や偏見を完全になくすことはできない。

 では何をすればいいのか。事件になるような大きな問題さえ起こらなければ、それでいいのか。そうではないだろう。本当は生徒を取り巻く「差別社会」の中で、それに立ち向かっていけるような「反いじめ文化」を育てていくことが学校の目標ではないかと思う。しかし、それはなかなか難しい。生徒を取り巻く「現実社会」の影響力は強い。生徒は教師の言葉よりも、テレビやインターネットの伝える「怪しい話」の方を信じている場合が多い。テレビのヴァラエティ番組などは、出演者の中に「差違」を見つけて、からかったりバカにしたりする趣向がとても多い。生徒が、「普通と違う」生徒をバカにしたり偏見を持つようになるのは当然だ。

 生徒の住む世の中は差別や偏見に満ちているが、それを今「差別社会」と表現すると誤解されるかもしれない。日本社会にあった歴史的な社会的差別(部落差別や性別差別など)は、学校では否定されている。もちろん完全ではないが、数十年前よりは「あからさま差別事件」が起きることは少ないだろう。しかし人間集団である以上、一人ひとりは「差違」を抱えており、学校という「能力によって評価される社会」では、「いわれある違い」は大きな問題になってしまうことがある。

 「行事」を通してクラスのまとまりを作ると言っても、球技大会をやれば優勝もあればビリもできる。優勝したクラスはいいけど、ビリになったクラスで「戦犯さがし」が始まれば「いじめ」のきっかけを作ってしまう。「クラスでまとまる」「みんなで決めて、みんなで頑張る」などというクラス目標だけでは、うまく行ったときはいいけど、条件の違いで他の仲間と同一のペースで頑張れない生徒はかえって排除されてしまうこともある。ではどうすればいいか。「マイノリティへの配慮」がすべての活動の前提に必要なのではないか。「誰も悲しい思いをしないクラス」というようなスローガンである。

 学校では勉強やスポーツをするが、勉強もスポーツもできる方がいいに決まってる。そして少しの努力や協力で、みんなで試験を頑張ったり、スポーツ大会でいい成績をあげたりできることが多い。その「少しの努力や協力」をしない生徒に対しては、教師が努力や強力を求めるのは当然である。だけど十分努力してるけど結果が付いてこない生徒や、努力自体が大変な生徒(障がいや病気を抱える生徒など)もいる。そういう生徒のプライドにも配慮しつつ、どうやってクラスのまとまりを作っていけばいいのか。うまく行ってるクラスを見て、「技を盗む」ことを繰り返して教師も成長していくと思うけど、今のように「教師どうしを競争させれば、教育がうまくいく」みたいな競争政策の下ではそれも難しい。それぞれの教師が孤立しながら悩んでしまうのが今の学校だ。

 多くの場合、「いじめ事件」の前に「いじめ言動」があり、その前に「いじめ的な言葉が飛びかう教室空間」がある。「言葉」が重要だと思う。人を馬鹿にするような言葉遣いを生徒がするようになるときがある。強い者へのへつらいか、テレビなどの影響か。例えば、本当に友達同士の間で、「こんな問題もできないのか」「うるせえな、チビのくせに」などなど。この「くせに」がいけない。友達同士だからいじめではなくても、いけない。こういう言葉が教室で当たり前になると、皆が自分の偏見(ホンネ)を出しやすくなってしまう。今は「キモイ」というような言葉が一番問題だ。だけど、この言葉は使わない方がいいと教師が言う方がいい。それは難しいと思うけど。「反いじめ文化」を育てるには、「言葉」に敏感になることから始まると思う。

 その時に生徒は「なんで使ってはいけないの」と聞くだろう。言葉で説得するのも大切だけど、最後の最後は「先生はその言葉が嫌いだから、このクラスでは禁止だ!」と決めてしまう方がいい。そうでないと、うまく説得に応じない生徒がヘリクツを述べたてて(「言論の自由」とか)、問題がこじれてしまうことがある。「賢い生徒」の方が問題で、自分が傷つかない立場にいて教師をやり込めることを喜びとしがちなのである。「キモイ」は人を不快に思う時の言葉だから、教室で使う必要はない、と言い切ってしまう方が問題は少ない。「うちの担任は誰かが不快な思いをする言動を許さない人だ」と思ってもらう必要がある。

 そのような「担任権限で禁止」がうまく行くためには、それ以前の前提として「学校と担任教師への信頼」が存在してなければならない。そうでないと「何か、うちの担任、変なこと言ってたよ」になってしまうだろう。だから、今はなかなか難しいだろう。「学校バッシング」「教師バッシング」こそが学校の体力を擦り減らしてしまい、いじめを防げない「内向きの学校」を作ってしまったのではないかと思う。以上は主に中学を念頭に、「原論」として書いた。具体的な話は次回に書きたい。


 なお、中学と高校の違いは以下の通り。現在、日本社会では大きく学歴の三層差が存在する。(橘木俊詔「日本の教育格差」、2010、岩波新書)「有名大学卒」「大学卒」「高卒」である。専門学校や短大は中身に応じて、大卒(それほど有名でない大学)や高卒のカテゴリーに入れる。「高校中退」は「アウトカースト」である。この三層はおおむね、入った高校で決まる。どこの大学を受けるかは受験料さえ払えば自由だが、いわゆる有名大学に入るには進学高校(普通科上位校)へ進む場合が多い。普通科中位校では「それほど有名ではない大学」または専門学校、職業高校では就職というコースが多くなる。いじめなど多くの問題が中学で起こるのは、発達段階もあるが、一番大きいのはこの「人生の大選抜」に直面しているからである。しかし、まだ選抜前なので、できることはかなり多いとも言える。高校は「選抜後」の生徒たちに直面するので、有名大学へ向けてスルーしていくだけの生徒か、選抜に敗れてしまい教師の役割をもう必要としない生徒が多い。この基本的な現実を踏まえない教育論議はすべて意味がない。

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鍵は「学年団」の結束-「減いじめ」のために

2012年09月01日 01時17分18秒 |  〃 (教師論)

 いじめを早期に発見し、レベルがまだ低い段階で指導できる学校体制をいかに作るかある程度の学級数がある中学や高校を対象に考える。(少子化に伴い「1学年1クラス」の学校もあると思うけど、そういう小規模校は事情が違う場合が多い。夜間定時制高校や離島・へき地の学校も生徒像が違う。小学校は教科担任制ではないし、自分で勤務体験もないから事情がよく判らない。)

 最近の教育行政や世論などを見ると、「教員の指導力」をそれだけで取り出して資質を向上できるものと考えているらしい。そうでなければ、「教員免許更新制」とか「教員給与への成績率導入」などを行うはずがない。しかし、それは間違いで、「教員の指導力」というものは、他の教員や生徒との「関係性」の中でしか発揮されないものである。特に中高では「教科担任制」なので、自分の教科だけ一人で頑張っても、自分の担任するクラス、学年の成績向上はできない。もちろん生活面の問題解決もできない。問われているのは、一人の教師の指導力ではなく、「学校の指導力」なのである。

 そのことは学校に勤めている人はほぼ全員判っている。しかし、ドラマなんかだと理想に燃える先生が一人で頑張ると生徒も変わり、学校全体も変わるかのごとく描かれる。そういうのを見ると、教員が一人で頑張れば学校を変えられると錯覚してしまうけれど、それは現実離れした発想である。いいとか悪いとかではなく、学校も行政が法的根拠に基づいて設置した行政組織である。一人の教師はその行政組織の一員に途中から加わることしかできない。

 教師はある年に、新規採用されたり異動を命じられて、ある学校に赴任する。たまたま全くの新設校一年目ということも、ごくまれにはあるだろう。だけど、普通は創立何十年かの伝統がすでにある。自分が来る前の去年も、生徒がいろいろ活動していた。自分がその学校に転勤しても、進学実績が急に上がったり部活で急に勝ち進んだりはしない。1年生を受け持てばともかく、上級生を担当させられると、まず「去年までの先生はこうだった」「前の先生の方がいい」という生徒の大攻撃に会う

 その学校の生活指導の方針は大体決まっている。「朝全員の教員であいさつ運動をして、服装や頭髪をチェックしている」と言われたら、疑問を持っても一緒にやっていくしかない。「この学校の生徒は落ち着いている」と言われる学校もある。それも、今までの教員と生徒がそういう「伝統」を作ってきた成果であり、新1年生にも指導して誇りを持たせていくわけである。このように、自分の「指導力」を発揮するより前に、「学校の伝統」みたいなものがあって、それは生徒実態の変化とともに次第に移り変わっても行くが、とりあえず目の前にいる生徒は自分一人の頑張りで急に変容するわけではない。

 そして、各学年数クラスあると、学年の担任と副担任で「学年団」が結成される。高校だと各科目の専門性があって、例えば日本史が専門だと3年を主に教えて、1年担任だけど自分のクラスも教えなかったりする。でも中学や、高校でも国数英や体育の教員は自分の学年を中心に教えることが多い。各学年に数クラスあれば、教師も他学年の学年の生徒はよく判らない。生徒の側も部活や委員会で接点がある場合もあるけど、大体学年の先生以外は顔と名前が一致しない。つまり、学年に数クラスある学校の場合、学校は(教師も生徒も)「学年」が基盤なのである。教師にいじめを発見せよと言っても、名前も知らない生徒の事情はよく判らない。一方、生徒が教員に相談する場合でも、養護教諭や部活顧問に相談することもあるが、クラスの問題は学級担任か学年の教師が多い。

 この「学年教員団」は普通一週間に一回、「学年会」(学年会議)を開いて、学校行事の調整や生徒情報の交換、分析をしている。だから、学校である学年だけ問題が多発したとするなら、その学年団がうまく機能していないことになる。一方、学年会で出た問題を皆で共有して、共通の指導態勢で生徒に当たっていけば、すぐに生徒の問題が解決するわけでなくても、少なくとも「先生は皆同じように対処する」ということが生徒に伝わる。それは例えば、こんな具合。

・「修学旅行の班分けを来週のホームルームの時間に行う」→「班作りが難しい可能性が高い生徒がいる場合は、事前に担任がそれとなく周りに声を掛けておく
・「最近ガサツな言動が多く、掃除の時間にさぼる生徒も多い。弱い生徒に掃除をやらせたり、抜け出してタバコを吸ったりすることに結びつきやすい。修学旅行を前に心配がある」→「班分けをする前に、来週のホームルームの時間に臨時学年集会を行ったらどうか。全体に注意した方がいい」→「臨時に学年集会を開く」というように、生徒実態を見て指導のあり方を作っていく。

 そして、臨時の集会はこんな様子。まず集会担当の教員が集合させ、号令をかけ並ばせる。その間、例えば副担任の教員が追い出しを担当し、クラスやトイレでさぼっている生徒を体育館に連れてくる。集会は最初に生活指導担当の教員が、大声で多少威圧的に「最近の様子を見ていると、修学旅行が心配だ。行って事故が起きたら取り返しがつかない。いじめなどにつながる心のスキがあるのではないか」などと強く話す。そのあと学年主任が「修学旅行は学年最大の行事で、今までみんなで勉強や部活を頑張ってきたのに、ここでダメにしていいいのか。この後班分けをするけど、もめて仲間はずれを出したりすると楽しいはずの旅行が、クラスや先生にとっても一番辛い行事になってしまう」と心に訴えるような話をする。

 そのあとに修学旅行担当の教員が、具体的な班分けの人数、係生徒の問題(各班で班長、副班長、生活係、保健係を決めるなど)を説明する。そして話が重くなり過ぎないように、事前に行ったホテルの様子とかレクの話などを紹介して楽しい旅行にできるようにと終わる。僕が何を言いたいかというと、こういう「仕事の分担」が教師の仕事であり、全体統括の教員もコワモテの教員も、事務的な説明も、追い出し担当の副担任も皆同格で学年団を構成して仕事が進む。生徒はそれをよく見ていて、この学年の教員はみんなでまとまっていて、一緒に修学旅行を成功させたいとどのくらい本気で考えているのかを判断しているのである

 そういう「学年団」の結束が生徒に見えたときに、「いじめ」に限らず、心配な生徒の情報が集まってくる。一方、教員間の指導にすきまがある場合、そのすきまが少しずつ広がって行って、ダムの決壊のような大問題の多発につながっていく。だから僕は学年教員団が結束していくことが、学校で一番大事なことだと思う。学年団は教科が違う教員で組むことになるので、教育に対する考え方や趣味なんかは必ずしも一致していない。組合に入っている教員も入っていない教員もいる。しかし、組合未加入の教員でも管理職や教育行政の専横には怒っていることも多いから、実際の学年団で問題になることは少ないだろう。

 どこの人間関係でもそうだと思うが、最後は「馬が合うとか合わないとか」で決まってくる。教師には一風変わったワガママな人もたまにいて、そういう人と組むと大変な場合がある。指導力の有無ではなくて、指導力があり過ぎて自分で勝手にどんどん生徒指導してしまい、他の教員は指導してしまったんなら追認するしかない状況になるのが一番問題。「指導力」なんてそんなにいらないから、他の教員や生徒と一緒に地道に苦労できる人がいいのである。いじめを防ぐことに限らず、様々な学校の課題は、とりあえず自分が所属している学年の生徒をよくすることから始めるしかない。一緒に学年を組んでいる教員の協力で、成し遂げるしかない

 それを支援するのが管理職の仕事だと思うけど、最近は教育行政の圧力で現場のジャマをすることが多い。学年会で決まった要望が生きないことが多くなると、誰もアイディアを出そうという気にならない。学年団の結束と言っても、時には教育観のぶつかりあいもあるし、自分の考えが通らず腐るときもある。でも一緒に仕事をしていく中で、お互いの持ち味が判ってきて、生徒もそれを理解していくようになると、うまく回りはじめる。そのためには地域になじんだ教員が、主任や生活指導担当になっている方がいい。短期間に異動させる方針は、学校の力を削いでしまう。「減いじめ」というより、学校の組織の話そのものになってしまったけれど。

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卒業式と歌-卒業式⑥

2012年03月26日 23時54分38秒 |  〃 (教師論)

 卒業式に関する話を終わりにしたい。最後は「」の話で、「卒業の思い出の曲」のことでもあるし、「国旗国歌問題」でもある。僕が今まで書いてきたのは、卒業式に関して「現場感覚」とずれた言動が多すぎると思うからだ。特に大阪府で生じた事態。東京の事態もおかしいが、それは知事が任命した教育委員のイデオロギーに発する問題だと思ってる。つまり戦後ずっと続いてきた「教育をめぐる左右対立」の枠組みで理解できる。一方、大阪では「教員も命令で動く存在」「命令したものが守られないのはマネジメントの問題」という言われ方をした。この発想に見られる、教育というものに関する浅薄な理解には呆然とする。

 学習指導要領には「国歌を斉唱する」と書いてある。校長としてみれば式次第に入れないわけにはいかないという立場である。だけど、「先生方の中にもいろいろな考えがあり、そこからも生徒は社会や人生について学んでほしい」くらいのことを校長が言えなくてどうするんだろう。社会の中から「包容力」が失われてしまった。それを憂うべきは、むしろ「保守主義者」のはずだ。

 しかし、僕は国歌斉唱に際して不起立で通そうと思ったことは実はないのである。あんまり起て、起てと職務命令まで出すから、かえって反発したくなる気持ちは僕にもある。でも、「謝恩の日」や「卒業生を出すということ」で書いたように、卒業式というものは生徒にとっても教員にとっても大きな意味を持った日である。その本質の中では、国歌にどう対処するかというのは、あまり大きな意味を持つ問題とは思えない。いや、そうではないと、歌わせたい側も、反対する側も言うかもしれないが、僕は学校というものが生きて働いて意味を持っている現場においては、国歌が自分にとって死活的に大切な問題とは思えなかった。

 高校の卒業式が終わると、まあ東京では会おうと思えば大体はすぐ会えるけど、地方では大都市へ進学、就職する生徒が多い。全国では半数近い生徒が高校が最終学歴となる。学校を怨みに思って出て行く生徒も中にはいるのかもしれないが、大多数の生徒はその学校で会った友達や先生に感謝して去っていくと思う。そしてその思い出が今後の厳しい実社会で挫折しそうになった時の支えになるわけである。毎日のように卒業後も学校に遊びに来る生徒もいるが、大部分はほとんど来ないし、来れない。

 関係がうまくいった生徒ばかりではないけど、最後に何か声を掛けたい。卒業アルバムに一言書いてほしいとやってくる生徒がいれば、何か書いてあげたい。不起立でもただ処分されるだけならまだしも、当日すぐに「事情聴取」があり、続いて都教委に呼び出される。それが面倒くさい。生徒との最後の日をジャマされたくない。そんなにうまくいってなかった生徒でも、「高いお金を親が出してくれたんだから、専門学校ちゃんと行けよ」とか「取ってくれた会社に縁があったんだから、3年間は頑張ろうよ」とか言っておきたい。それでなんとかなると思ってるわけではない。僕の言葉にそんな力はないし、学校だって会社だって辞めて正解みたいなとんでもない所はいっぱいある。でも、まあそういうことである。

 ぼくがそう思うのは、地域に密着した中学から始まって、単位制定時制高校に終わったという自分の教員経験によるところが大きいと思う。劇作家の永井愛さんに「歌わせたい男たち」という傑作があった。永井さんのお芝居は僕は大好きでよく見るけど、中でもこの作品は評価が高かった。僕も面白いと思うし、中で提出されている問題はとても大事だと思う。でも(このことは前にも少し書いたんだけど)、この劇の中で議論している教員のあり方に僕はあまりリアリティを感じられなかった。その先生は卒業生の担任なんだけど、音楽の講師の先生が君が代の伴奏をしないように保健室で説得を続ける。

 そのドラマが面白いんだけど、でもその先生は卒業式の日だというのに、クラスの心配をしていない。僕が思うに、よほどの進学校で生徒がちゃんとした格好で時間通りに登校するのを疑っていないとしか思えない。僕が経験した学校では、卒業生が全員そろったことがない。まあ夜間定時制高校の時だけは、5分前にそろったけど、入学式に30人以上いたのが卒業式には半数になっていた。一方、服装や頭髪のルールがある学校では、異装や頭髪の違反がないかも頭が痛かった。荒れていた時期にとんでもない服装(いわゆる「ツッパリ」風)の生徒がいた年もあって、そういう時にどうする、こうするという事前の指導や教員間の共通理解が大変だった。そういう問題が出てこないと、僕には卒業式のリアリティが感じられないのである

 だからこそ、僕の経験した学校では、卒業できた生徒の喜びも、卒業までお世話した教員の喜びも大きかった。君が代問題も、賛成、反対どっちであれ意見を言うような人は大卒で進学高校出身なんでしょうね、やっと卒業できた定時制高校の生徒の気持ちは判りますかと、僕なんかは言ってみたいのである。

 さて国歌問題そのものに戻って。最近は「強制するのは問題」という意見が結構ある。僕もそれはその通りだと思う。99年の国旗国歌法制定時の野中官房長官の答弁では「強制するものではない」と明確にされていた。約束違反である。当時、民主党は党議拘束をはずして採決に臨んだ。また委員会審議では、民主党から国歌部分をはずして「国旗法」とする修正案が出ている。当時はとても多くの人から、国歌が「君が代」でいいのかという議論があった。

 成立して10年以上たって若い人には記憶がないかもしれないが、けっして国民的共感があったわけではないのである。僕が思うに、国歌斉唱と学習指導要領にある以上、(いくら指導要領は「最低基準」とその後言われるようになったとはいえ)式次第から外すのは今では大変だろう。でも、式次第の中に「国歌斉唱」とあれば学習指導要領通りである。それ以上の措置は必要ない。むしろ弊害が大きい。でも、それで終わらない。本来は「君が代が国歌でいいのか」ということをちゃんと議論していかなければいけない。君が代はやはり「大日本帝国の国歌」であり、「日本国」の国歌というには歌詞内容も歴史的経緯も問題が多すぎる。

 僕は国歌自体を考えていくことが大事だと思うけど、それはそれとして国歌が別だったら卒業式で歌っていいのかというと、僕はそれにも疑問がある。まあ国立の学校は違うかもしれないが。僕は厳粛な式というもの自体は否定しない。もっとアットホームな「祝う会」があってもいいではないかというのは賛成だけど、卒業証書授与のときにパフォーマンスしたり爆竹ならしたり生徒が席をたってケータイで写真撮りまくるなどということには賛成しない。だけど一番大事な証書授与の前が「国歌」でいいのか。

 「日本の大部分」(琉球王国と蝦夷地を除き)は、古墳時代頃から大きな文化的な共通性があって、革命で現体制ができてそれを再確認していかないと国家的統合が危ういというような国ではない。何も学校で国歌を歌って国民的アイデンティティを確認させる必要は少ない。むしろその学校に対する帰属意識を再確認して、自分の出て行く学校をふり返ることが一番大切。それは校歌が本来は一番のはずである。高校では音楽が全員必修ではないから校歌をちゃんと覚えないまま卒業することがある。おかしいでしょ。

 だから僕はまず最初に全員で「校歌」、最後に全員で「式歌」というのがもっとも望ましいと思うのである。「式歌」というのは、まあ全員で別れに際して歌う歌で、伝統的には「蛍の光」か「仰げば尊し」だろう。「仰げば尊し」は名曲だけど歌詞が双方ともこそばゆいし、歌詞に問題もあるからやらない学校が今は多い。でもまあムードはあるよね。最近は「旅立ちの日に」という名曲が生まれた。だからこの曲が式歌化していくのが全国的傾向ではないかと思う。でも秩父の先生が作ったので、山の方の感じが強く、大都市の学校や海辺の学校では今一つ歌詞にリアリティがない。誰かが歌詞の別ヴァージョンを作ってくれるといいな。

 そしてそこにもう一つ、卒業生だけで歌う「卒業生の歌」があるといいと思う。アンジェラ・アキの「手紙」とか森山直太朗の「さくら」とか。これは卒業生の最後の表現活動である。僕にとっては、91年松江二中の思い出があまりにも鮮烈なので、もし歌えるなら「大地讃頌」が一番いいと思う。それが歌える学年であるといいなと思うけど、高校ではなかなか無理かな。全員でやる音楽の授業がないんだから。だけど、卒業生、在校生の「生きる力」を育て、高校を出る生徒に思い出を作るという意味で卒業式という行事をデザインしていくと、君が代なんかそもそも式になくていいのだと思う。学習指導要領自体を実態にあったものに変えて行く必要があるし、そもそも文部科学省の告示に過ぎなくて国会の議決も経ていないものが金科玉条のごとく語られることもおかしい。

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記念品は岩波新書だった-卒業式⑤

2012年03月25日 23時46分57秒 |  〃 (教師論)

 卒業式の話題も大体終わったかなと思ったら、「卒業記念品」のことがあったので、簡単に。大体僕らの時代は、高校卒業時にハンコをもらったもんだ。ずっと使わせてもらった。もっとも「もらった」と言ってもプレゼントではなく、今思えば親が出したお金が戻ってきただけだが。また卒業生の名前で学校にテントとか緞帳などを新調するということも昔はよくあった。「第○○次卒業生寄贈」と書いてあるような物である。これもよく考えれば、本来は公費で対応するべきものだということになるだろう。

 僕の関わった学校では、最後の頃はもう卒業記念品というものが特にはなかった。今でも全日制進学高校ではあるのだろうか。ハンコの広告が学校に送られてくるから、今でも作るところはあるんだろう。(大体山梨県の業者である。)不況と言われる時代が長く続き、「私費会計」にも監査が入るようになって、できるだけ少額にする、すぐに返金するという風になってきた。

 単位制定時制ではそもそも、入学した生徒がバラバラに卒業することが前提になっているから、「卒業対策費」を集金しにくいという事情が大きい。また在校生から卒業生に花を贈ったりすることも今はできない。(本人に還元されるものしか私費では支出できない。)そういう原則も厳格すぎればちょっと淋しい。卒業する生徒や転勤する先生に、在校生として花を贈るなどというのは、みんなから集めたお金のもっとも正しい遣いかたではないか。

 91年の松江二中での卒業式では卒業記念品があった。学校へ残すものもあったし、自分たちの思い出の品もあった。そしてそれを教員だけで決めるのではなく、あるいは学級委員会あたりで決めるのではなく、生徒自らが決めて行った。自治意識を高める生徒会活動の活発化を進めてきた集大成として、生徒と教員で原案を作って、「学年総会」を開いて決めたのである。もっともこの総会が活発過ぎて原案が否決されてしまうという結果になってしまうのだが。(原案は「最後の行事である合唱コンクールのテープ」。それに対し、すぐに使える「テレホンカードやオレンジカード」がいいという修正案が通ってしまった。でもテープを残したいという女子リーダー層の強い希望もあって、結局は学年PTAの援助を得てテープも作ったのだった。)

 自分の高校時代には、ハンコの他に(きっとお金が余ったんだと思うけど)、担任団からの記念品があった。僕は事前に聞いていた記憶があるので、たぶん生徒会役員だったから相談みたいな話を聞く機会があったんだと思う。詳しいことは忘れてしまったけれど、結局本にしようというアイディアが先生から出た。各担任が1冊お勧めの岩波新書を選び、そこに生徒会推薦で早乙女勝元「東京大空襲」を加える。早乙女さんは高2の時の文化祭で講演に呼んだという縁があったのである。8クラスあったので、計9冊の中から各自希望の一冊を選んで、それをプレゼントとするというのである。これは今思うと、すごい傑作な企画だな。

 夏休みの宿題に新書を読むというのがあった。僕は今も新書をよく読んでる。歴史関係だけでなく、各分野に幅広く目を通すことは大事だと思ってきた。新書を読むようになったのは、きっかけとしては高校時代の刺激だったと思う。

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卒業生を出すということ-卒業式④

2012年03月22日 22時10分42秒 |  〃 (教師論)

 教師にとって「卒業生を出す」とはどういうことだろうか? 考えてみたいのは、そのことだ。入学式があり新入生が入ってくる。やがて授業が始まり、特別活動(行事や部活動等)も本格化する。そしてテストがあり評価がある。事件が起こったり、様々な事情で学校が続かない生徒も出てくる。毎年のほぼ決まったカレンダーの繰り返しである。耕し、種をまき、剪定し、収穫し、出荷する。農の営みに、それは似ているかもしれない。すべての素晴らしいこと、辛いことは通り過ぎてゆき、最後に「卒業」が来る

 学校は通り過ぎるところで、やがては上級学校を経て「実社会」に出て行く。その意味で「進路」が学校の本質である。ただし、いわゆるいい学校、いい会社にどれだけ入れるかという「競争」が学校の本質ではない。その「出口指導」、「狭い意味での進路指導」ももちろん大切である。世の中は競争だ、学校ももっと競争を激しくせよ、教員も競争だ、授業も競争だみたいなことを言う人が最近は結構いる。しかし、それが正しいとは思えない。世の中はそんな強い人ばかりではない。

 実社会の競争は必ずしもフェアな戦いばかりではない。学校で身につけた力でフェアに戦って勝てる場合だけではない。負けた人の心の拠り所はどこにあるのだろうか。それは一冊の本かもしれないし、心を打つ一曲かもしれない。でも多くの人にとって、行事や部活動で経験した「連帯の記憶」が大きな力になっているのではないか。いや、行事や部活とか言わなくても、学校時代の友人との他愛ないおしゃべり、その大切さこそが「学校」が人生にとって占める一番大きいものではないのか。

 そのような学校の本質的機能を弱めてはいけない。今、競争重視、進路実績偏重の広がりとともに、学校の担ってきた大切な役割が弱められているのではないか。僕が今言う「進路」とは、そのような「場」を育て、生徒とともに学校を作っていくことを意味している。つまり近年よく言われる「生き方指導としての進路指導」である。本人の自己認識の深化、社会認識の確立がないと、就職か進学か、大学か専門学校か、文系か理系か、推薦入学(AO等)か一般受験かなども決めようがない。

 そしてHR活動や行事、部活動などを通して、教員側も生徒理解を深め、学力だけでない本人の特質をつかんでいく。それを通して、保護者を含め、本人も納得のいく進路先を決めて行くわけである。大事なのは「狭義の進路指導」をするためには、広い意味での進路指導、「生き方指導」が必要だということだ。だから教師にとっては、学級担任として生徒の進路に関わること、そのために生徒理解を深めることがもっとも大事だと思うし、他のどの仕事にもましてやりがいがある。

 僕にとっては少なくともそうだった。もちろん授業で接した生徒が一番多いわけだけど、何十年も教師をしていると、卒業時の学年しか覚えてないことが多い。「卒業生を出す」ということが何といっても大きなことだからだ。(ちょっと別の話になるが、僕が「民間人校長」という制度に違和感を持つのもその点である。学校経営というだけなら教員でなくてもいいかもしれないが、生徒からすれば今まで一度も卒業生を送り出したことがない人が校長先生だというのでは、何かと不安もあるのではないか。)

 鳥取にホスピス「野の花診療所」を開いている医者、エッセイストの徳永進さんという人がいる。FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)の先輩であり、ハンセン病に関する素晴らしい本「隔離」の著者でもある。1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」を僕が責任者になって開催した時にも、講演をお願いし圧倒的な感動で場内を包んだ。その徳永さんが医者の仕事、時に「新規外来のやりがい」についてこんなことを書いている。講談社ノンフィクション賞を得た「死の中の笑み」という本である。

 「自分が初めて診断することで、そのことによってその患者さんが今まで過ごしてきた日常生活が今後どうなっていくか、ということを展望できる面白さだと思う。そこに希望があるにしろ悲しみがあるにしろ、ぼくら医療者はその緊張を支えとして仕事を続けている。」これは学校の教員に限らず、人を相手に仕事をしている人には多かれ少なかれあてはまる名言ではないか。

 学級担任は学習や生活指導を通し、また行事、保護者面談などを通して生徒を理解していく。そして進路希望を聞き、生徒にとってふさわしいか、高すぎないか、もっと頑張れるのではないかなどを展望し、本人とともに微調整をしていき、一緒に考えていく。そして生徒は思いのほか活躍したり、途中で大きく変わったり、時には裏切られたりしながら、進路が決まっていく。そして卒業の日を迎える。その日のために今までの苦労があったので、担任としても一番うれしい日であるのはもちろんだけど、教員からすればそれも一つの通過点であり、新年度の人事がありすぐに新入生の対応へと気持ちは移っていく。

 日々「新しい患者」が外来に来るのである。そういう教師としての一つの到達の日であり、同時にまた通り過ぎる一瞬であるというのが「卒業式」というものであると思う。「生き方指導としての進路指導」と書いたけれど、これは学校側から見た言葉である。生徒からすれば、日々の人間関係や学習活動はいろいろ複雑で毎日が試行錯誤である。そんな中で「生き方」などというものを教師が大上段から教えることなどできない。だから「指導」というよりも「伝わる」ものなのではないかと思う。

 教師が持っている授業や部活動の知識や技術や経験、これを生徒が感じ取るのである。だから「伝わらない人」もいるし、同じ人間としては馬が合うとか合わないとかもあるのは当然で、どうもお互いの理解がうまくいかない場合もある。自分の生徒時代を思い出しても、学校の対応がなんだか納得できない場面はいっぱいあった。教師も様々だった。しかし、この「教師の多様性」が今になると人生勉強になったと思う。教師を一様にしようとするのは、だから全くの愚策である。

 上級学校に進学しても、就職しても、人生はまだまだ続く。「生き方」という意味では、人生の最後の日まで自分なりの試みや変化がある。学校の同窓会なんかも、何十年もたって皆が高齢になってからの方がよく開かれたりする。だから学校の役割というものを、短期的に測ってはいけない。株式会社じゃないんだから、「今期の営業実績」みたいにして、○○大合格何人などと言うのは教育の本質ではない。進路実績という情報も公開されるのは当然だけど、それで「学校力」「教師力」を測ってしまうのは間違っている。教育は超長期的な営みであることを行政が理解しないで、短期的な目標を押し付けたら学校は間違った道を歩むだろう。

 卒業して何年もたってから、本を読んだら「恩人に手紙を書こう」とあったので、もう普段字も書かないんだけど僕に手紙を書いてみましたという卒業生がいた。班ノートに別の生徒への返事として書いたことが、他の生徒に大きな力を与えていたと卒業してから聞いたこともある。どちらも精一杯お世話したという中で起こったことではない。

 これが面白い、恐ろしいところで、何気ない一言、ちょっとした言動が生徒の力になっていることがある。それは自分の人生を思い出してもわかる。授業で教わったことを忘れても、教師の人生そのもの、趣味や生き方からこそ大きな影響を受けてきたと思う。だけど、それは裏返していえば、何気ない言動が生徒を傷つけていたことも同じくらいあることを暗示しているだろう。別に抗議するほどのことでもないけど、「この先生では」と思うことは僕も何度もあった。そういうことも含めて、だから最後には教師の人間としての力が試されてしまう。そういうのが「卒業」というものであると思う。

 だから「卒業式」という日が終わっても、生徒の心の中で学校は終わっていない。何十年も生きていて、心の拠り所になり、担任なり誰かの言葉が支えになっている。だけど実人生の中では、どこかでケリをつけるしかない。儀式を行って一端中締めとするが、卒業式を終えても「卒業」という期間はもっと長いのである。そしてそういう生徒に関わったということが、「卒業生を出す」ということで、教師にとっては一番の仕事なんだろうと思う。

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卒業式の時期と大阪のある卒業式-卒業式③

2012年03月19日 23時23分19秒 |  〃 (教師論)

 大阪府立高校で17人の教員が国家斉唱時に不起立だったとして、9日に戒告処分が発令された。このニュースを聞いて、「エっ、大阪はもう終わっちゃったんだ」というのが最初の感想だった。卒業式の日取りのことである。2月中には終わってるらしい。東京では、2月中の卒業式は許されない。年間行事計画が都教委に受理されない。今年の卒業式一覧を見ると、1日から23日に及んでいる。全日制普通科高校は大体10日前後が多い。職業高校ではひとケタの日付が多い感じ。でもさすがに大体は終わっていて、この段階で終わっていないのは6校である。春分の日に卒業式を行う学校もある。

 まだ終わってないところは「単位制高校」だからである。学年制高校なら、進学校はもちろん夜間定時制高校でも2月上旬には授業を終えてしまう。早めに年間の成績を出して卒業の可否を判断するためである。でも、完全な単位制高校では、各年次の生徒が混ざって授業を受けている。卒業予定生徒と1年が一緒に受けている授業がある。卒業生を3月にテストするんじゃいくらなんでも遅すぎるということで、なんとか工夫を考えて見たけれど、どうもうまくできない。「単位制」というのは、不登校生徒が学校になじんでいくにはふさわしいけれど、世の中にはこれが絶対という仕組みはないものだ

 高校を出ると、就職や進学で実家を離れて下宿する人も多い。また、職場によっては4月1日入社までに自動車免許を取っておいてほしいという会社もある。早生まれだと夏休みには教習所に通えないから、冬休みから2月、3月に取得することになる。それどころか、3月中に入社式をやってしまうとか、研修と称して実質働かせてしまう会社も多い。

 そういえば、プロ野球の高卒ルーキーなんかも、2月中にキャンプインしている。本来は3月31日までが年度だから、卒業式を終えても学校の指導はありうる期間に働かせていいのか。でもアルバイトすると思えば同じなわけだけど。こういう社会実態があるので、特に大都市に進学、就職する生徒が多い学校では早めに卒業式を終えるんだろう。東京が2月中の卒業式をやらないのも、ほとんどの生徒が自宅から進学、就職するという現実によるのだと思う。

 さて、大阪の事態だけど、いろいろの派生事態が起こった。例えば、大阪府議会議員の西田薫(維新の会)という人が母校の卒業式に参列して、不起立教員を目撃、来賓挨拶で生徒に向け、「皆さん、ごめんなさい」と発言し、自分のブログに「残念な卒業式」という記事を掲載した。これに対し、生徒や保護者と思われる人から「おめでとうの言葉もないなんて。非常識な挨拶だ」といったコメントが殺到した。この件は一部で報道されたが、知らない人も多いと思うので簡単に紹介しておく。

 本人のブログでは、「いつもなら『卒業生の皆さん、卒業おめでとう~』っと大きな声で一言話しますが、本日は『皆さん、ごめんなさい』。『社会の常識、社会のルールを教えるのも学校なのに、そのルールを守れない教員がいることをお詫びします。ほんとうにごめんなさい。』と…。」と書かれている。

 これに対して現在1000件以上のコメントがあるのできちんと読んでいられないが、最初の方にある「卒業生」と名乗るコメント。一部省略。行を詰めた。
 「この度は、私たちの卒業式にご来賓賜りまして誠にありがとうございました。ただ、申し訳ございませんがはっきり言わせていただきます。あの場での「ごめんなさい」という挨拶。なぜ、あそこであのような自己主張をされたのですか?いくら条例で決まっているからとはいえ、あたしたち卒業生におめでとうの挨拶もなしなのですね。

 まず第一に、昨日の卒業式での主役はあたしたち卒業生です。たくさんの方々に感謝して抱えきれない思い出を持ってとても良い学校だったと胸を張って言い切れます。その最後の最後の思い出となる卒業式を、あのような形で雰囲気をぶち壊したのは西田さん、あなたです。

 答辞をきちんと聞いていただけたでしょうか。あの答辞は、私たち生徒自身で考え出来上がったものです。あれを聞いても、私たち生徒が、どれだけ先生方に感謝しているか、どれだけ学校の友達や先生すべての方を大好きなのか、西田さんには、伝わっていなかったのですね。とても残念です。(後略)」

 一方、「保護者」のコメント
 「今日の卒業式に参加した保護者です。こんな失礼な挨拶をされた人を見たのは、初めてです。あなたの意見は、式後、校長に言えばいいのではありませんか。

 卒業生は三年間、先生方にお世話になり、今日感謝の気持ちでいっぱいだったと思います。充実した学校生活を送れたのではないでしょうか。答辞での卒業生の涙でも明らかです。

 あなたは、子供たちの三年間、先生たちほど関わったのですか。「皆さん、ごめんなさい」とあなたに謝っていただく筋合いはありません。(中略)子供たちを直接教育された人を公の場で辱めていいんですか。祝いの席で言うべき言葉だったのでしょうか。」

 PTAからの正式な抗議があったようだが、その後ブログには「卒業生の皆さんへ」と題する文章を書いている。それよりも「不起立はマネジメントの問題」などという発想とまったく無関係に、学校が教師と生徒の「協働」によって生き生きと活発に活動している様子がよく伝わるではないか。これが全国のほとんどの高校の実際の姿だと思う。それは前回書いたように、卒業式が「謝恩の日」として生徒の心の中で昔以上に大きな意味を持っている現実を証している。こういう「教師と生徒の協働性」というものこそ、今まさに崩されていこうとしているものである。学校現場のジャマばかりする教育行政によって。

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「謝恩の日」-卒業式②

2012年03月19日 00時12分14秒 |  〃 (教師論)

 卒業式というもの、あるいは学校そのものも時代とともに少しずつ意味が変わっていく。僕が最後にいた単位制高校では、生徒がバラバラに卒業していく。原則4年の定時制だが、3分の1くらいの生徒は3年で卒業して、大学などへ主に推薦制度を利用して進学する。4年で出られず、5年、6年と掛けて卒業する生徒もいる。ついに卒業まで至らず、退学、転学していく生徒も多い。ほとんどの生徒が中学不登校、高校中退経験生徒で、単位制で1科目ずつ積み上げて行って卒業に到達する。全日制の進学校などと全然違う、「卒業の重み」というものを僕は教員生活最後で痛感することになった。

 教師は卒業式の日に卒業生や保護者から「お世話になりました」と挨拶をうける。どの学校の卒業担任の時も、まあ確かに「お世話した」のは間違いないが、5年、6年かかった生徒などは、確かに自分でも「お世話しました!」と言いたい感じがする。このような「教師に感謝の意を伝える日」というのが、卒業式の持つ機能の一つだが、最近では特に東京ではこの側面が強まっているのではないか。僕が生徒だった頃は、それほど教師にお世話になったという感じを持たなかった。

 高校も大学も「一般受験」という形式しかなかった。大学の説明会などというものもなかった。(もちろん都立高校にあるわけない。)高校卒業後は「大学浪人」なので、卒業式の日に教師に格別の謝恩の気持ちがあるわけない。受けたいところを受けて受かったり落ちたりするだけで、書類を作ってもらう以外には進路指導は特にない。むしろ授業で刺激を受けた先生への感謝の気持ちの方が大きかった。昔は卒業式という日は、「クラスメートに最後に会える日」という「クラス解体式」という性格が強かった。

 自分の中学の時はなかなか団結力があるクラスだったので、式後にお別れ会を開いたり、よく集まったりした。2年から3年になるときにクラス替えがなかったので、2年間の思い出があった。(大卒後に赴任した新採教員が担任で、卒業をもって退職して英国留学をするという事情も大きかった。)しかし今時の高校生は今後も会いそうな友人なら全員、携帯電話にアドレスが登録してある。やがて仕事や勉強が忙しくなってしまうけど、最初のうちは一斉メールで来れる人を集めて「ミニ同窓会」をよくやってる。昔は一人ひとり家に電話したことを思えば、大きな変化である。

 今は進学指導が複雑怪奇で、特に推薦で進学を考える生徒などは「担任のお世話」になる度合いが昔の比ではない。就職などは昔も学校の世話という側面が強かったけど、今のような「就職氷河期」が続くと就職希望生徒と担任、進路部は、ハローワークの担当者も加えて、いわば「同志関係」で闘っている感じになってくる。今年は特に被災地の就職希望生徒などは本当に大変だったと思うけど、報道等で見ても教員側の苦労も例年に数倍して大変だったと思う。生徒の方でも大変感謝しているに違いない。今は進学も就職も情報はほとんどWEB上で公開される。だから家でインターネットを見られる生徒は自分でここに決めましたというケースもあるけど、家で見られない生徒は大変である。学校の進路部やパソコン室あっての進路活動なのである。

 そういうような事情があるので、推薦進学生徒や就職生徒にとって「学校にお世話になった感」は昔よりもはるかに大きいわけである。進学実績を競うことばかりが重要視される風潮が強い昨今、「学校は死んだ」などという人もいるけど、そういう人は現実が見えていない。日本の高校生の半分以上は、推薦で進学したり学校あっせんで就職しているのである。

 卒業式に関して昔と違う事情が他にもある。昔はクラスメイトが全員そろうのは二度とないという感じだった。一方教師にはいつでも母校を訪れれば会えるという感じを持っていた。もちろん昔も異動や退職はあったわけだけど、多くの先生は10年以上はいた。「強制異動」制度そのものがなかった時代である。だから実際文化祭に行けば大体の先生に会えたし、数年後に教育実習で母校の高校に通った時も教えてもらった先生がたくさん残っていた。そういう先生を中心に飲み会を設定してくれたりした。

 今は、4月に行くと担任の先生には会えない確率が昔よりはるかに高い。卒業させてすぐの異動は今も少ないかもしれないが、教えてもらった先生のかなりが転勤する可能性は高い。卒業式では異動が発表にならない。20日過ぎに卒業式があるような高校では、卒業式後に先生と話しておかないともう二度と会えない可能性もある。別に会わなくてもいい、年賀状であいさつをすればいいと思うかもしれない。でも、今ではPTA会員名簿というものが作れない。(大体PTA自体が全員参加ではない。)生徒名簿というものを校内で作成することもできない。クラスごとに担任が作ることはあるが、生徒には配布できないし、教員も家には持ち帰れない

 生徒の住所は「S1情報」(セキュリティ重要度第一位の情報)で校外持ち出し禁止である。校外行事の時だけ、持ち出し簿に書いて管理職の承認を受ける。だから生徒からの年賀状というものも、昔に比べてめっきり減ってしまった。担任の住所が判らないのだから。(それでも「年賀状出したいから教えて」という生徒はいるのでゼロにはならない。)この情報管理がどれだけ文面通り行われているかは知らないけど、僕は「もう家から保護者に電話しなくていい」という指令だと受け止めて、規定通りやっていた。でも担任が家から生徒宅に電話できなくていいんだろうか。

 卒業式という日が生徒どうしの別れの日であるとともに、教師に謝恩の意を伝える日という意味が昔より大きくなってきたと僕は思っている。卒業式後に暴れるなんて昔の話で、今は親子でやってきて教師に感謝して一緒に写真を撮って帰る。

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卒業証書の作り方-卒業式①

2012年03月18日 01時11分02秒 |  〃 (教師論)

 しばらく「卒業式」について、いろいろと。最初は「卒業証書の作り方」。なんでかというと、東京でそれで「事故」が起こったから。17日の東京新聞朝刊に「校長印なく卒業証書無効 都立忍岡高、父母らに謝罪 作り直し郵送へ」という記事が載っていた。都教委のホームページを見ると、16日付で「都立高等学校における卒業証書に関わる事故について」という文書がある。

 この「卒業証書」というものは、僕はもらった後で一度も見たことがない。普通二度と使わない。まあ破った記憶もないから、どこかにはあると思うけど。都のHPには「すぐに卒業証書を必要とする場合には個別に対応する」などと書いてあるけど、必要とする人はいないはず。いるのは「卒業証明書」の方である。卒業したことが証明されればいいのであって、あんな大きな証書を見せろという大学や企業があるわけない。

 ほとんどの人は卒業証書がどうやって作られているか知らないだろう。「卒業証書」の紙そのもの(と「卒業証書フォルダー」)は、(都立高校では)都教委から来る。何枚いると申請する。外国籍生徒の場合、西暦を選べる。(日本籍では選べないのはおかしいのではないか。)定時制高校だと「学び直し」の生徒がいて、生年が「昭和」の場合がある。よって、「平成」「昭和」「西暦」各何枚と申請する。厚紙に基本条項(「本校所定の全教育課程を修了したことを証する 東京都立○○高等学校長 ○×△□)とか書いてあって、その下に校長公印が押される。それ以外に「卒業証書」の横にもっと大きな「学校印」、上に「割印」と三つ押す。

 その前に。卒業生が確定しなければ作りようがない。進学校なら何の問題もないだろうが、中堅以下の高校だと成績不振や出席不足で卒業できない生徒が出る。卒業生が確定して初めて証書作りになるわけ。でも、中には「追試」「課題」をクリアできれば、卒業が追認されるという生徒がいるときがある。待ってると証書が作れない。そういう時は作るだけ作っておいて、「卒業生番号」を最後に回すことにする。

 押印の前に、まず個人情報を書き入れなくてはならない。「氏名」「生年月日」「卒業生番号」である。これは担任が書いているわけではなく、ちゃんと「筆耕料」が公費で予算化を認められている。大体は書道の講師の先生だと思う。書道は講座数、生徒数の関係で大体は非常勤講師にお願いすることになる。その先生に証書の名前書きを依頼することが多い。もちろん校内、特に担任の中に能書家がいれば書いてもらっても良い。でもそれだとタダだし、今はあまりないと思う。

 そうして押印の段階になるのは、式の10日から一週間前頃。都立高校の入選前後の空いてる時間を使って押印作業をする。僕にとっては、ものすごく面白い仕事ではないけど嫌いではない。面白くないないのは、その後ほとんど役に立つわけではないのに、ハンコの押し方などの決まりが面倒くさい。曲がっていたら嫌な感じを持つ生徒もいるだろうし、けっこう気を遣う。でも嫌いじゃないのは、いよいよ学年団の最後の仕事、一年間の大団円という気分の仕事だからだ。

 基本、同じことの繰り返しの肉体作業。リズムに乗れば楽しくないこともない。ハンコそのものは、経営企画室(事務室)にある。公印は基本的に校長か室長しか押さないものだけど、証書作りだけは担任がやるしかない。今は公印持ち出し簿みたいなのがあるだろう。先ほどの「事故」の件は、本来この段階で気付いていないとおかしい。そして「位置合わせ機」みたいなものに乗せて押していくわけです。もっともこの「位置合わせ機」というのは最後の六本木高校で初めて使った。担任がクラスの生徒を押すという決まりはないので、誰が押したかはアトランダム。

 その前に「卒業生台帳」作りがある。本来はこちらが重要で、永遠に残る卒業の証明。卒業生をその年の生徒番号順に書き並べた書類。これは学級担任が書く。多少字が下手でも内部だけの書類だし、生年月日とかの情報は担任しか判らない。その台帳をもとに卒業生に順番を振る。それが卒業生番号になり、卒業証書の番号となる。で、台帳と証書を「割印」する。最後に押印が終わった証書を乾かす。どこか誰も来ない部屋に並べてカギを掛けておくことが多い。こうしてやっと出来上がり。追認生徒が出たら、番号を最後にして同じ作業。

 今回の誤押印問題は、それ自体は生徒・保護者には「言われるまで感づかない」(言われてもピンと来ない)問題だろう。生徒にすれば、「どっちでもいいよ」という話。学校印は押してあるんだから、それでいいんじゃないかという気もする。細かい話をすれば、卒業を認定したのは誰か。「校長」である。「学校」や「教育委員会」ではありません。だから校長名の下に「校長印」がないとまずいわけ。「生徒にすれば、どっちでもいい話」だと思うけれども、教師とすれば「プロ的には信じがたい」話だと思う。

 ただし、校長印にも二つあって「公印」と「私印」、その「公印」の方です。「東京都立○○高等学校長」とハンコ特有の読めない文字で書いてあるものです。普通読めないから、読まない。よってどっちでもいいと僕が言ったわけ。「私印」は普通のハンコで、つまり鈴木校長なら「鈴木」とあるもの。「生徒指導要録」という大事な記録に押すハンコは私印。

 こうやって、卒業式の準備がウラで粛々と進んで行くわけです。最後に、乾いた証書を確認して順番に並べ、金庫にしまい当日を待ちます。難読人名にポストイットでルビを振ったりもするかな。途中でミスを見つけるとどうなるかとか、いろいろエピソードもあるけどやめておきたい。とにかく、こういう裏仕事がある。

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「指導力不足教員」の「役割」

2011年05月15日 23時53分03秒 |  〃 (教師論)
 教員免許更新制度は準備不足のまま作られてしまったので、いろいろ不備が多くあります。文科省は「資質向上」が目的というけれど、そもそも最初に考えられた時には、間違いなく「不適格教員の排除」がもくろまれていたと思います。しかし、大学で行う座学中心の講習では(仮にやろうと思っても)「排除」は不可能だし、「私的資格の更新」とされてしまったので、結局「資質向上」なんて言ってるわけでしょう。

 そもそも「指導力不足教員」に関しては、文科省のガイドラインがあって各都道府県で、「認定」「研修」の仕組みができています。(「指導力不足教員」という呼び方をしないところもあるらしいけど、一応文科省の呼び方を使う。)その認定については、管理職や教委ともめたりしてる例も多いし、いろいろ問題もあると思うけど一応そういう仕組みができてます。

 東京都の場合は、公表資料によると昨年度は12人が認定されていて、研修中に3人が退職、残り9人は研修を受けた後で、4人は指導が不適切と認定され退職、4人は研修継続。解除されたのは1人となっています。また新規採用者は「期限付き採用」ですが、1年たって2919人中で86人が正式採用になりませんでした。自主退職以外に19人が正式採用不可になっています。

 ちょっと細かい数字を挙げたけど、何が言いたいかというと「ダメな先生はやめさせろ」と言う人がいるんだけど、もうそういう制度はできてるんですよ。そして、一人ひとりの事情は全然知らないけど、せっかく教師になれたのに、こんなに1年目でやめていく人がいる。それが実情です。

 僕が今までやってきた中では、やはり「問題がある先生」はいると思うけど、その大部分は「心を病む教員」を別にすると、「熱心すぎて生徒・同僚がついていけない教員」と「性格の偏りがあって付き合いづらい教員」だと思います。でも、学校から「排除」すべきだと思うほどの教員はほとんどいないのではないでしょうか。生活指導が厳しい先生とか、事務的にルーズでよく生徒に連絡をし忘れる先生とか、いろいろ「あの先生は…」という声が聞こえてくる場合もあるけど、まあ、生徒の方でなんとかうまく対処しているように思います。

 そこが大事なところです。最近は「教育はサービス」という観点が強調されすぎだと思います。学校の時間の大部分は授業だし、学力向上はもちろん大事。しかし、誰だって解の公式とか古文の文法は忘れてるけど、初恋やケンカ、行事や部活の思い出は今も鮮やかに残ってる…というのが学校なんじゃないですか。

 学校は、生徒が(起きてる時間の)「一日の半分」を過ごす「生活の場」です。だから、生徒も教師もある程度多様なメンバーがいる必要があるんだと思います。そして、世の中に実際に出てみれば、「指導力不足上司」なんてざらにぶつかるわけです。そういう時の対処法は誰に教わるの?

 実際アルバイトしている生徒に聞くと、「変な会社」「トンデモ店長」だらけみたいな感じがするけど、そこは生徒の方でテキトーによいしょしたり、うまくスルーして行き抜いているようです。そういうのは人間に生得的に存在してる処世術でもあるだろうけど、学校でいろんな先生に教わって「ちょっとヘンテコな大人」への対処法を身につけているのではないでしょうか。

 もちろん好き好んで指導力不足であるのは恥ずかしいことです。校内事情で今まで教えたことがない科目を担当する年なんかもあるわけですが、やはりそういう時は緊張するし自分で普通より勉強して臨むわけです。また相性もあるし、生徒指導で失敗したなと思いだす事例はどの先生にもあるでしょう。

 長くなってしまいましたが、教師の資質を向上させろとか、指導力不足教員はやめさせろとか言う前に、学校の持つ機能をきちんと考え、生徒の人間力アップのために何が必要かを考えて欲しいと思います。教師のそれぞれの持ち味がうまく生きるような学校なら、生徒もそれぞれの持ち味が生かせる学校になるでしょう。一方、教員統制が厳しくなれば、それは生徒に跳ね返る。そういうものです。

 4番バッターばかり集めれば優勝できるというような発想が教員免許更新制には潜んでいます。バント名人も守備要員も組織には必要なんだという観点で、学校作り、教員養成を進めるべきだと思います。
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「資質向上教員」ばかりの学校?

2011年05月13日 22時37分06秒 |  〃 (教師論)
 来週は沖縄へ行くので、書きたいことをまとめて書いてしまいます。(それでも全部は書けない。)
 まずは「教員免許更新制」がらみの話を2回ほど。

 教員免許更新制の目的は、文部科学省のサイトにこうあります。
 「教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。
 ※不適格教員の排除を目的としたものではありません
 ご丁寧にも※が書いてあるけど、そこの問題は明日以後にでも。
 
 別にいい目的じゃないか、何の問題もないでしょうという感じですね。いや、その通り。なんで更新しないと失職するのか、なんで免除される教員がいるのか、なんで自費で大学に自分で申し込まないといけないのか、自分で自主的に研修するんじゃ資質向上は計れないのか等々、そういう根本的な制度設計が間違っているけど、制度の目的(としてタテマエ的にここに書かれていること)自体は別に異論ありません。

 で、果たして今の大学等の講習でこの目的は達成されるのかという問題もあるけど、それは今置いておきます。(ついでに書いておくと、毎年数万人も行う講習で一斉に資質向上するわけもなく、でもいいんだよね、だってホントの目的は教師への嫌がらせなんだもん、ってことなんでしょう。)

 そうすると、10年立つと全員更新講習を受けて(新採10年以内を除き)、「資質向上教員」だらけになります。今全国で校長による業績評価に基づく勤務評定が給与に反映するようなシステムが作られて来ています。するってーと、「資質向上教員」が自分の給料を上げたくて校長に評価されるようにみんな頑張る、ってことになるわけだ。それが文科省の考える理想の学校なんかい、ということです。

 そんなご立派なセンセーばっかりが個々バラバラに頑張るという学校がどんなに息苦しくて恐ろしいか。3分の2位の生徒は、よーくわかると思います。が、3分の1くらいの生徒と親は、所詮世の中はそんなもの、進学だけが大事なんだし、自分は自分で頑張ってるから関係ないよと思うんでしょう。そして、政治家や官僚や大企業幹部やマスコミ人なんかは、大体その3分の1なんだろうね。

 前にも書いたけど、教師がどんなに優れていても、個々バラバラに勝手に頑張る学校は最悪です。生徒はそういう「指導力過剰教員」によって、完全に傷つけられます。

 だから問題は「教師の資質向上」だけじゃダメなんです。「現場力向上」がセットじゃないと逆効果なんです。ところが現場力を向上させると、愚かな教育行政にたてつくから、現場で協力して仕事できないように教員をバラバラにしていこう、とこの間ずっと国や教委はやってきたわけで…。それを変えずに教師の資質向上だけ目指しても効果は上がらないはずです。

 まあ、でも仕方ないから嫌がらせに耐えて受けるしかない更新講習では資質向上もしないだろうし、何だったんでしょうね、この制度ってことになるんだと思うけど。
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