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校庭100周 実戦教師塾通信六百五十九号

2019-07-05 11:14:17 | 子ども/学校
 校庭100周
     ~気になること二つ~


 ☆初めに☆
全国に届くニュースとなりましたが、わが千葉県柏の中学校で、生徒に校庭を100周させる事態が発生しました。どうなっているのですか、という問い合わせは県外からもありました。何せ地元なので、細かなものから疑わしい情報まで、色々入ってきます。私の経験から考えられることを書いてみます。
 ☆☆
もうひとつが、携帯/スマホのこと。雪崩(なだれ)をうつようなスマホ校内持ち込み公認の流れです。いいんじゃないかい、と私は思えません。。予想されることを踏まえながら、考えてみましょう。


 1 「体罰に該当(がいとう)する認識がなかった」
<千葉県教委は6月26日、男子生徒に校庭を100周走らせる体罰を加えたとして、柏市立中の男性教諭を懲戒処分にした。男性教諭は5月25日に、顧問を務めるサッカー部の2年生の男子生徒に対し、前日の小テストでカンニングをした罰として「校庭を100周走れ」と指示>(以下< >内は新聞報道)というあたりはご存じと思う。この男子生徒は<1周約400メートルの校庭を約75周、30キロ近く走った時点で足がふらつき座り込む>。
 この顧問、担任なのか小テストを実施した教科担任なのか? どちらにせよ、部活とは関係ない小テストのことを持ち出してのことだ。何やってんだよ。
 さて、学校をある程度知っている方は気がついたのではないか。一周400mというトラックは、中学校にはない。回ったのはトラックではない。5月25日は土曜日。休日だ。この日は他校との練習試合だった。つまり、この男子生徒は応援しているギャラリーの外側を走った、というあたりが「400m」の根拠だ。<この日は気温が30度前後あった。練習を見にきていた母親が男子生徒を病院に連れて行ったところ、熱中症の疑いがあると診断された>という。母親は校庭で顧問に猛抗議したらしい。当然のことである。
 顧問は途中で止めさせようと思わなかったのか、また生徒や応援の大人(保護者)は顧問に止めるように言わなかったのか、などの疑問が出ようというものだ。私の推測であるが、生徒や保護者も気にしていた。しかし目前の試合展開が、その気を削(そ)いだ。男子生徒はそれら興奮の背後を走った。まして顧問は試合中の指示やエールやで、ついつい「忘れた」。これは口が裂けても言えないことでしょう。そして、そんな顧問への恐怖のためか、逆に「不服従」を胸にか男子生徒は走り続けた。と思う。<男性教諭はほかの部員にも同様の体罰を加えていた>という。今まで問題にならなかったのはなぜか。いや、今までも問題視されていたはずだ。今回のケースがひど過ぎたか、今回の出来事でついに日の目を見たのだ。
 次。顧問は<体罰に該当する認識がなかった>と説明しているらしいが、これを分かりやすく通訳すると、
「自分は自らの信念にのっとり生徒に対した。それが法律で禁止されているものだとは思わなかった」
となる。「ひどいことだとは思わなかった」のである。まさに柏市専属の弁護士から「アドバイス」を受けて出たものなんだろう。抗議を受け入れつつ、謝罪はしていない。
「いじめ防止推進対策法の趣旨を知らなかった」
とリピートし続けた、取手いじめ事件の時の学校関係者と同じである。
 ここ数日にわたって報道されている、埼玉のバドミントン部の生徒が自殺した事件にも触れておこう。
 いつも<一度休むと外周十周というペナルティー>を課した顧問には、日常的な暴言もあったという。こうしたことに対して、部活保護者会も持たれたという。今となっては、しておくべきだった多くのことで悔やんでいるのだろう。
 柏の中学校の件とあわせて、今後を見守らないといけない。

 2 ナイキとは違う
 以前は携帯電話の学校持ち込みを否定していた大阪が、今度は一転して認可する方向をとった。今は全国的な流れとなっているわけである。きっかけは昨年発生した大阪北部地震。ブロック塀の下敷きとなった女子児童のことがあって、子どもの安否や避難するにあたってのストレートでスピーディなアクセス、が浮上したのだ。
 20年ぐらい前だと思う。ナイキのスポーツシューズが爆発的に売れた。それと同時に、学校の下足箱からナイキのシューズが盗まれるというのもニュースとなった。喜び勇んで学校にナイキを履いてくる/履きたい生徒とその保護者に対し、学校に高価なものは持ち込まないように、という指導が入った。
 スマホは、まず高価だ。ナイキをもしのぐ高価なものを、ランドセルの方が大きいと思えるような子まで、中に忍ばせる。そしてこの高価な持ち物は、それが無くなったり盗まれたりしたとき「また買えばいい」ではすまないものをどっさり抱えている。それがナイキと決定的に違う点だ。すでにOKしている学校の対策は、ロッカーに施錠なんていうことも伝え聞く。そのうち廊下や教室に防犯カメラなんて、趣味の悪いジョークか。
 <従来の指針が時代/実態に合わなくなっていた>というのが文科省の見解らしい。その「時代/実態」とは<すでに携帯/スマホを小学生でも6割近い子どもが所有>を指している。だから何だよ、という大人もまだいっぱいいるのだが。そして<災害時への対応>で必要だからというのである。有事の対応を学校には任せられない、という現実でもあるのだろう。
 私たちは携帯/スマホが学校で解禁されるにあたって、一体それがどんなことを意味するのか考えておかないといけない。子どもが携帯/スマホを所持することは、子どもの分際で真夜中の新宿歌舞伎町を歩くようなものだとたとえておこう。しかもこの歌舞伎町は、実在の歌舞伎町と違って子どもを「店」に招き入れる。うっかり中に入れば子どもは身分検査をされ、本人や家族/友人の「知られたくない」ことまで「宣伝」される。また「店の商品」を包み隠さず見せるという「サービス」も控えている。大人は夜中の歌舞伎町に入る時の警戒心を一定持っているし抜け道も知っているが、子どもはそうではない。子どもにスマホを持たせてはいけない、というのではない。承認/愛情欲求の強い人間は、遠い知らない場所を欲しがるのだ。映画化もされた『スマホ落としただけなのに』(志駕晃著)なるホラーミステリーは、結構なリアリティである。
 携帯/スマホの学校での解禁で、今後私たちは想定を越えた事態を見ることになる。スマホの容量は人間の処理できる範囲を大きく越えているのだ。ひとつ安堵したのは、学校にスマホを持たせたいという保護者はほとんどいない、という都内の小学校校長の発言である。



 ☆後記☆
つい先日の夜のことです。車だった私は、所在なさそうに歩いている中学生とおぼしき女の子とすれ違いました。思わず二度ほど戻ってしまいました。爪なんぞ見ながらたった一人、おなじ場所を行ったり来たりしている。暗い中雨も降ってたのです。
「だいじょぶかい?」
怖がられないかと案じつつ声をかけました。思いの外(ほか)明るい顔で、大丈夫です、と返事が返ってきたのにはホッとしました。家でケンカにでもなったのでしょうか。
 ☆☆
やりました! ついにホンダ悲願の優勝! 今年はやってくれると思っていました。その時は意外に早かったという印象です。ドライバーのフェルスタッペンが、ルクレール(フェラーリ)と接触したシーンは、あの鈴鹿グランプリ最終シケインでのセナとプロスト接触を彷彿(ほうふつ)とさせました。

       おめでとう、ホンダ!