帰る<場所>
満州
日本が尖閣諸島を民間人から買いつけたことで、大きな騒ぎとなっている。デモ隊がイオンや大使館を襲っている。ユニクロが会社ロゴに目隠しをしている。強化ガラスをほどこした店舗ビルの窓が無惨に打ち砕かれている。相当な破壊力だ。
2010年12月の「ジャスミン革命」(チュニジア)に始まる「アラブの春」のことを思い起こそう。翌年、その影響は世界各国に及んで、中国でもインターネットによる呼びかけにより大規模デモが準備された。ネット(フェイスブック/ツィッター)の削除を含め、ことごとく中国ではデモが制圧されたことを私たちは覚えているはずだ。「すれ違ったら笑顔を交わそう」なる微かな行動で彼らはなんとか「抗議」をした。「大声で抗議をするものが味方とは限らない。そいつはその叫びに呼応するものを逮捕するための『サクラ』と考えていい」という民主化リーダーからの注意呼びかけもあった。
だからひとつだけ確認する。中国では1989年の天安門事件以来、デモは出来なくなっている。正確に言えば「死を賭した」覚悟でないと、デモは出来ない。いま行われているデモは、国から許可されているデモ-国益に沿ったもの-だ。官許ということだ。デモの最中に行われている暴動と略奪は、賄賂や隔絶した貧富などの不満の源(中国当局)にいつでも方向転換する。「反日」による鬱積の放出が、「叛乱」に転化するかどうかのギリギリの駆け引きを、当局はやっている。そして18日は満州事変の日だった。
なんのこっちゃ、と思われるかも知れない。しかし『egg』の舞台はなんと、この満州なのだ。これはかなり物語の後半で知らされる。満州の最後とは、
・真夜中、津波かと思える轟音に飛び起き、裏の山へ逃げ込んで下を見ると、巨大な黒蛇かと見まがうものが家々を取り囲むかのようにしている。まるで獲物を飲み尽くそうとしている蛇は、闇の中で叫ぶ群衆だった。
・「赤ん坊を泣かすな!」暗闇の中から、低く鋭く誰かの声。母親たちが我が子の口を塞ぐ。
・日本人避難民の一団を載せた石炭車が大連に向かって走っているという連絡が入ったらしく、この列車を待ち伏せていた群衆が、線路脇から一斉に投石で襲撃をした。列車が行く先々でこの襲撃は繰り返された。
(『満州の遺産』倉本和子)
のようなものだったらしい。終戦直後の8月下旬にあったというこんな壮絶さは、一般の日本人のことで、政治家・軍閥・財閥の連中は、もちろん終戦前の7月から撤収を開始していた。
東北
この物語は、寺山修司未刊の遺作がもとと言われている。私は寺山修司が青森出身だということを忘れていた。主役の仲村トオルに言われて思い出した。物語は東京オリンピックが舞台だ。種目こそ架空の競技「egg」だが、選手は円谷幸吉とアベベビキラだ。いや、そう思って観ていたのだが、間違いと知る。それはもう物語が後半に入った頃だ。仲村トオル演じるのは粒来幸吉(つぶらいこうきち)で、妻夫木聡演じるのは阿部比羅夫(あべひらふ)だった。このブログで東京オリンピックも円谷のことも書いた。「幸吉はもう走れません」と書きあてた父親は、故郷の福島にいたのだ。
二人の東北人。寺山と円谷、私はこの二人の「帰りたい、そして帰れない東北」という像をうかつにも見逃した。黄昏色の二人をもう「過ぎ去った時」-昔話に閉じ込めた。しかし、椎名林檎による劇中歌の「別れ2012」で、そうではない、とはっきりと歌っていた。
ガンバレガンバレガンバレ
それは聞き飽きたバイバイ (作詞・野田秀樹)
「がんばろう、日本!」の声は、容赦なく鞭打ち突き放す。いま現在の東北の姿が歌に息づいていた(と思います)。この舞台は1964年から2012年、いや、だから正確には満州の時代に始まり1964年へと移り、そして2011年へと時空を越えたものだった。
皇紀2600年
「歴史を作るみっつの『S』」をご存知だろうか。「Sex(性)」「Sport」「Screen(映画)」である。権力者、あるいは権謀術者はこれを攻略しつつ、機をうかがう。みっつ目の「Screen」は、近いところで言うと、毛沢東が権力闘争で少数派に甘んじていた時、京劇による文化戦略を組んだこと。第四夫人の江青(チャンチン)がこの指揮をとって、文化大革命の発端となった。オウム真理教のサブリミナル手法なんていうのもある。
1940年、神武天皇が即位してから2600年とあって、様々な国家的行事が行われた。奉祝会、観兵式、なんと万国博覧会もあり、そして東京でオリンピックだ。その昔も「悲願のオリンピック」であった。この時日本でたったひとりIOC委員をつとめた講道館の嘉納治五郎の演説が、世界の委員を動かしたと言われる(当時の写真をまたしても次回になりますが掲載します)。ついに獲得した開催地だが、戦争はこのあと一気に佳境へと突入。その真っ只中の窮乏で、万博もオリンピックも出来なかった。「朗らかに 元気に 祝へ!」という大日本翼賛会のポスターは、奉祝会のあと「祝ひ終った さあ働かう!」となる。この皇紀2600年、スポーツ(sport)と映像(screen)の力は、人々をいやが上にも熱狂へといざなう。
なぜだろう、日本人の心の中にある「満州」というものに、私たちは繰り返し還っていくような気がしている。満州は日本のものだった、ということではない。あの頃私たち、いや日本人は何を考え何をしていたのか、それを知りたいという願いから私たちは自由になれるのだろうか。舞台では力強く台頭するものと、力なく退行していくものが交叉する。物語はそいういう意味での「故郷」をつきつける。
「帰るところがある奴はいいよな」
そう言うのは、熱狂の中に人々を叩き込むアベ(べ)だ。故郷を持つ円谷(つぶらい)は、レギュラーポジションを外されてはうなだれる。
そして両者を結び合わせる(と私は思ったが)のが、深津絵里演ずる苺イチエだ。もちろんこれが「一期一会」の引き合わせであることは言うも愚かだ。
すべてはこれから始まるというラスト、でもなんて切ない始まりだろうか。
舞台ではここで引き合いに出した話が出てくるわけではない。そこではマジックハウスのようなたくさんのロッカールームが目まぐるしく移動し停止する。そこに人が入れ代わり立ち代わりする。そして物語は進行する。観客は、奈落やそれに類似した穴があるに違いないと思ったり、さっきいたはずの人はどこに行ったのだとか、この人はどこからやって来たのだと考えている間、いつの間にか場所や時間を通過したり戻ったりしている。役者のひとりが一秒でもタイミングを間違ったら物語は止まったに違いない。ここに書いた評論めいたことは、それらの後をうごめいていることだ、そんな風に私は思った。
この『egg(玉子)』は、始まりであり、未知であり、そして予感だ。だから『egg』なのだ。
☆☆
どうですか、前回ブログの東京オリンピックのポスターと、この『egg』のポスター、重なりますよね。オリンピックのポスターの方は、3月半ばの夕方、寒風吹きすさぶ国立競技場で3時間、回数は80回取り直したといいます。『egg』の方も大変だったのでしょうね。
☆☆
大相撲、白鵬と日馬富士一騎討ちの様相ですね。それにしても昨日の妙義龍に対して、白鵬は厳しかった。解説は「突っ張りですね」と初め勘違いしていました。どう見ても妙義龍の立ち会いを白鵬の肩が迎えをうった、ということです。土俵上で動けなくなった相手を、普通白鵬は、手で助けます。それがなかった。余裕がないというより、今は一騎討ちの状態ということなのでしょう。
満州
日本が尖閣諸島を民間人から買いつけたことで、大きな騒ぎとなっている。デモ隊がイオンや大使館を襲っている。ユニクロが会社ロゴに目隠しをしている。強化ガラスをほどこした店舗ビルの窓が無惨に打ち砕かれている。相当な破壊力だ。
2010年12月の「ジャスミン革命」(チュニジア)に始まる「アラブの春」のことを思い起こそう。翌年、その影響は世界各国に及んで、中国でもインターネットによる呼びかけにより大規模デモが準備された。ネット(フェイスブック/ツィッター)の削除を含め、ことごとく中国ではデモが制圧されたことを私たちは覚えているはずだ。「すれ違ったら笑顔を交わそう」なる微かな行動で彼らはなんとか「抗議」をした。「大声で抗議をするものが味方とは限らない。そいつはその叫びに呼応するものを逮捕するための『サクラ』と考えていい」という民主化リーダーからの注意呼びかけもあった。
だからひとつだけ確認する。中国では1989年の天安門事件以来、デモは出来なくなっている。正確に言えば「死を賭した」覚悟でないと、デモは出来ない。いま行われているデモは、国から許可されているデモ-国益に沿ったもの-だ。官許ということだ。デモの最中に行われている暴動と略奪は、賄賂や隔絶した貧富などの不満の源(中国当局)にいつでも方向転換する。「反日」による鬱積の放出が、「叛乱」に転化するかどうかのギリギリの駆け引きを、当局はやっている。そして18日は満州事変の日だった。
なんのこっちゃ、と思われるかも知れない。しかし『egg』の舞台はなんと、この満州なのだ。これはかなり物語の後半で知らされる。満州の最後とは、
・真夜中、津波かと思える轟音に飛び起き、裏の山へ逃げ込んで下を見ると、巨大な黒蛇かと見まがうものが家々を取り囲むかのようにしている。まるで獲物を飲み尽くそうとしている蛇は、闇の中で叫ぶ群衆だった。
・「赤ん坊を泣かすな!」暗闇の中から、低く鋭く誰かの声。母親たちが我が子の口を塞ぐ。
・日本人避難民の一団を載せた石炭車が大連に向かって走っているという連絡が入ったらしく、この列車を待ち伏せていた群衆が、線路脇から一斉に投石で襲撃をした。列車が行く先々でこの襲撃は繰り返された。
(『満州の遺産』倉本和子)
のようなものだったらしい。終戦直後の8月下旬にあったというこんな壮絶さは、一般の日本人のことで、政治家・軍閥・財閥の連中は、もちろん終戦前の7月から撤収を開始していた。
東北
この物語は、寺山修司未刊の遺作がもとと言われている。私は寺山修司が青森出身だということを忘れていた。主役の仲村トオルに言われて思い出した。物語は東京オリンピックが舞台だ。種目こそ架空の競技「egg」だが、選手は円谷幸吉とアベベビキラだ。いや、そう思って観ていたのだが、間違いと知る。それはもう物語が後半に入った頃だ。仲村トオル演じるのは粒来幸吉(つぶらいこうきち)で、妻夫木聡演じるのは阿部比羅夫(あべひらふ)だった。このブログで東京オリンピックも円谷のことも書いた。「幸吉はもう走れません」と書きあてた父親は、故郷の福島にいたのだ。
二人の東北人。寺山と円谷、私はこの二人の「帰りたい、そして帰れない東北」という像をうかつにも見逃した。黄昏色の二人をもう「過ぎ去った時」-昔話に閉じ込めた。しかし、椎名林檎による劇中歌の「別れ2012」で、そうではない、とはっきりと歌っていた。
ガンバレガンバレガンバレ
それは聞き飽きたバイバイ (作詞・野田秀樹)
「がんばろう、日本!」の声は、容赦なく鞭打ち突き放す。いま現在の東北の姿が歌に息づいていた(と思います)。この舞台は1964年から2012年、いや、だから正確には満州の時代に始まり1964年へと移り、そして2011年へと時空を越えたものだった。
皇紀2600年
「歴史を作るみっつの『S』」をご存知だろうか。「Sex(性)」「Sport」「Screen(映画)」である。権力者、あるいは権謀術者はこれを攻略しつつ、機をうかがう。みっつ目の「Screen」は、近いところで言うと、毛沢東が権力闘争で少数派に甘んじていた時、京劇による文化戦略を組んだこと。第四夫人の江青(チャンチン)がこの指揮をとって、文化大革命の発端となった。オウム真理教のサブリミナル手法なんていうのもある。
1940年、神武天皇が即位してから2600年とあって、様々な国家的行事が行われた。奉祝会、観兵式、なんと万国博覧会もあり、そして東京でオリンピックだ。その昔も「悲願のオリンピック」であった。この時日本でたったひとりIOC委員をつとめた講道館の嘉納治五郎の演説が、世界の委員を動かしたと言われる(当時の写真をまたしても次回になりますが掲載します)。ついに獲得した開催地だが、戦争はこのあと一気に佳境へと突入。その真っ只中の窮乏で、万博もオリンピックも出来なかった。「朗らかに 元気に 祝へ!」という大日本翼賛会のポスターは、奉祝会のあと「祝ひ終った さあ働かう!」となる。この皇紀2600年、スポーツ(sport)と映像(screen)の力は、人々をいやが上にも熱狂へといざなう。
なぜだろう、日本人の心の中にある「満州」というものに、私たちは繰り返し還っていくような気がしている。満州は日本のものだった、ということではない。あの頃私たち、いや日本人は何を考え何をしていたのか、それを知りたいという願いから私たちは自由になれるのだろうか。舞台では力強く台頭するものと、力なく退行していくものが交叉する。物語はそいういう意味での「故郷」をつきつける。
「帰るところがある奴はいいよな」
そう言うのは、熱狂の中に人々を叩き込むアベ(べ)だ。故郷を持つ円谷(つぶらい)は、レギュラーポジションを外されてはうなだれる。
そして両者を結び合わせる(と私は思ったが)のが、深津絵里演ずる苺イチエだ。もちろんこれが「一期一会」の引き合わせであることは言うも愚かだ。
すべてはこれから始まるというラスト、でもなんて切ない始まりだろうか。
舞台ではここで引き合いに出した話が出てくるわけではない。そこではマジックハウスのようなたくさんのロッカールームが目まぐるしく移動し停止する。そこに人が入れ代わり立ち代わりする。そして物語は進行する。観客は、奈落やそれに類似した穴があるに違いないと思ったり、さっきいたはずの人はどこに行ったのだとか、この人はどこからやって来たのだと考えている間、いつの間にか場所や時間を通過したり戻ったりしている。役者のひとりが一秒でもタイミングを間違ったら物語は止まったに違いない。ここに書いた評論めいたことは、それらの後をうごめいていることだ、そんな風に私は思った。
この『egg(玉子)』は、始まりであり、未知であり、そして予感だ。だから『egg』なのだ。
☆☆
どうですか、前回ブログの東京オリンピックのポスターと、この『egg』のポスター、重なりますよね。オリンピックのポスターの方は、3月半ばの夕方、寒風吹きすさぶ国立競技場で3時間、回数は80回取り直したといいます。『egg』の方も大変だったのでしょうね。
☆☆
大相撲、白鵬と日馬富士一騎討ちの様相ですね。それにしても昨日の妙義龍に対して、白鵬は厳しかった。解説は「突っ張りですね」と初め勘違いしていました。どう見ても妙義龍の立ち会いを白鵬の肩が迎えをうった、ということです。土俵上で動けなくなった相手を、普通白鵬は、手で助けます。それがなかった。余裕がないというより、今は一騎討ちの状態ということなのでしょう。