goo blog サービス終了のお知らせ 

実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

大川小学校へ(上)  実戦教師塾通信五百三十号

2017-01-13 11:30:40 | 子ども/学校
 大川小学校へ(上)
     ~新北上川大橋を走る~



 ☆☆
あの日、宮城県下で亡くなった小中学生は261人。そのうち、学校管理下にあって亡くなった子は75人。その75人中74人が、大川小学校の子どもという結末は、あまりに不可解でむごい。世界史的視点で見ても、これは戦時下でないとあり得ない数字だと言います。
次週に登場いただく、遺族であり裁判原告である佐藤和隆さんが、持ってってくださいと渡してくれた、昨年11月8日「河北新報」のコピーに、村井知事の見解が載っている。私たちも新聞やニュースで目にしているはずだが、次の一文を私は初めて見た。
「教員も11人中10人が亡くなった。ベストと思う選択をした結果、あのような結果となった」(赤字は私の作業)
私なりに、今までウェブやブログでこの事件の検証を書いてきた。私の考えは間違いなかったという思いを強くした大川小学校への道行だった。


 1 新年会
 塩竃駅で電車からレンタカーに乗り換え、ナビに「大川小学校」と打ち込んだ。分かっていたつもりだったが、すっかり忘れていた。車は大川小学校が「間借り」している、二俣小学校に着いたのだ。
 こんなときは電話ではなく、実際に道を指さしながら教えてくれる、地元を頼るのがいい。近くに仮設住宅があったので、私はそこに駆け込んだ。集会所は一杯の人で、さあ上がってください、と連呼される。仮設の新年会が真っ最中の人たちは、お雑煮をすすり酒をかわし、私の目的をなかなか分かってくれない。
 やがて(私より)年老いた方が、用向きを了解したようで、私の肩に手をおいて、外で説明しようと言う。そして、期待通り道を指さし、優しくゆっくりと説明してくれる。
「どこから来なすった?……おお、千葉、そうかそうか……しっかり見てきてください。よろしくお願いします」
そう言って手を振るのだった。

 2 校舎南の裏山
 北上川沿い通りの、だだっぴろい田野を走った。すると、土手を上がった巨大な橋のたもとにある信号の向こうに、ニュースで何度も見た光景が現れた。ぽつりぽつりではあるが、人や車が切れ目なくやって来ては去っていく。

頭が働き始める。時刻はまだ午後の1時を回ったあたりである。写真でも分かる。あの裏山は、校舎の南側になる。その裏山の影が校舎に落ちているのが分かるだろうか。裏山はこんなに近いところにあった! 最初にそう思った。校庭からものの一分もかからない!
 大川小学校の卒業生だというボランティアの人に、矢継ぎ早に質問する。三角地帯はあそこですね? 子どもたちが椎茸取りをしたという裏山の道はどこですか? 市の広報車が緊急避難を呼びかけ、猛スピードで通りすぎた道はここですね? 
 住宅が密集していたあたりは、すっかり荒れ果てた更地となっている。献花台でお祈りをし、校舎を回る。


下の写真が、裏山のふもとから校舎を見たものだ。繰り返すが、走ればものの一分もかからない。

これが、裏山に続く、子どもたちが椎茸取りをしたという道。「裏山は危険だし、立入禁止だ」と当局が言い続けた見解を思い出す。なだらかな道沿いに、石巻市が「震災後に」立てた「立入禁止」の看板。そして、子どもたちの死を悼(いた)む、たくさんの石。


 3 新北上川大橋を走る
 この川の向こうが追波(おいなみ)湾ですよね、私は訪ねる。すると、ボランティアの彼女は、
「ちげんだ、オッパ(追波)ってんだよ」
と笑う。校庭から橋の方向(三角地帯)を指して、彼女は言った。
「あのおっきな橋を見て」

あの頑丈な橋が、津波の運んで来た瓦礫や木を止めた、だから行き場をなくした海水が、土手を越えたんだ。そして、校庭にいる子どもたちを飲み込んだんだよ。
 読者は分かるだろうか。この写真は、校庭から撮ったものだ。150m先のこの地点を見上げるように校舎がある。そう言えば校舎二階とここは、同じ高さだった。私は驚き、おののく。
 私はじっとしていられず、予定通り校庭から三角地帯に走った。一体どれくらい時間がかかるのか。海はどんな風だったのか確かめるため、私はここに来たのだ。

橋のたもとの三角地帯から、さらに橋を走る。海はどこだ。海をそばに控えた河口は、どこも水面が高い。怖いくらいに川面がふくらんでいる。走っているうちに、いたたまれない気持ちになって思わず叫ぶ。
「おーい、みんな逃げるんだ!」
見える。蛇行した川のはるか彼方、いや、すぐそこにというべきか、両岸がへこんだあたりに。防風林を津波が越えた、と広報車が伝えた海が。


 13分ですよ、計測をした仲間が言った。橋の中央から、私がへたるように歩いて、橋にもたれ川面を見ながら、そんなふうに戻った結果である。それでも13分。子どもたちが校庭にいたのは50分だ。
 ボランティアの彼女に、話の「証人」なのでと、写真の撮影をお願いしたが丁重に断られた。顔を出してしまうとね、彼女は言った。遺族も見に来る人も、それはいろいろで、そのすべての事情に責任を負えないからと。でも、3000~4000人という人たちを相手にして来た人である。
「あなたたちがどんな思いでここに来たか、くらいは分かります」
と言ってくれた。


 ☆☆
遺族の佐藤和隆さんとのことを、次号で報告します。ひどい当局の対応を、拍子抜けするぐらいあっさりと、語ってくれました。奇しくも、遺族側が控訴したその日に、お話を聞いたのです。

 ☆☆
横浜でのいじめ事件、目が離せませんね。「150万円はおごり」という第三者委員会の報告を真に受ける当局は、今後一体どうする気でしょうか。どう考えても滑稽、いや、非常識な結論しか想定できません。
「おごりの行為」なので、
○当事者間で調整/解決する問題だ
○「おごった」側が不服ならば、民事で訴える問題だ
○「おごられた」側に、どうしたらいいかアドバイスする
行政/当局は「一番無難なのは最後のやつかな」などと、頭をすり寄せているのかも知れません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。