学ぶ権利?
~子どもの側から見る~
☆初めに☆
年度末とあってか、先月いきなり「小中学校において、標準時数が履修されていない」なるイチャモンが、堰を切ったようにメディア上にあふれ出ました。標準時数に至らなかった理由を、コロナはもちろんのこと学級閉鎖や台風などもバカにならずと、お人好しの現場サイドは真面目に対応していたようです。問題は、授業時数の安易な増大にあります。グローバルだのITだのにむき出しな「バスに乗り遅れるな」路線の後に、標準時数の履修がまことしやかに顔を出す。それは、子どもの「学ぶ権利」に関わることだとでも言うかのようです。無責任でぎすぎすな設定を、肯定するわけには行きません。この授業時数の確保をめぐる喧騒は、いまに始まったことではありません。いま現在も大真面目な顔して議論されているこの問題を、ざっくり振り返ってみます。子どもの方を見ているのか?という話です。
1 授業時数が増加した「ゆとり」
この論争の頂点は、もちろん「詰込みからゆとり」へ転換を謳った中教審の答申(1996年)である。しかしこの「ゆとり」は、現場でささやかれた「なんか楽になった感じがしない」声の通り、1日当たりの授業時数は増加してのスタートだった。教科時間が削られたあとには新たに総合学習が導入された。その上、学校が週5日制となったので、スケジュールは過密となった。総授業数が、それまでの**1015時間から945時間へと減少したが、「ゆとり」は教科の授業時数を減らしたばかりでなく、特別活動の時間も半分にしたのである。これらを行事(修学旅行・運動会などの準備)に充てていた現場の混乱は無残なほどだった。現場は「『ゆとり』どころではなかった」。この場合の「現場」とは、教師や子ども、そして保護者も考慮されないといけない。
**以下の数字は、すべて小学校高学年を基準としている。
先だっても書いたが、PISA(OECDの実施する学力テスト)に日本が参加(2000年)する。その結果に蒼ざめ、文科省は「確かな学力のため」に、授業時数増加に転じた。再び授業時数は1015時間となる。1日当たりの授業時数として、これは日本教育史上もっとも多いものになった。6時間目の授業になると、小学校の低学年においては、子どもらしからぬ「疲労」が見えるようになる。先生たちの工夫と努力と、子どもの「我慢」で何とかなっている現状だ。
2 「時数国定」
念のため確認する。戦後、授業時数を国(文部省)が決める「時数国定」は撤廃される。この時に文部省は、授業時数を「命令的なものではなく参考資料であることを申し添えます」と丁重に言っている。時数国定が復活するのは1958年だ。設定した授業時数を「下回ってはならない」と、省令は通達する。年間1085時間という、この過密スケジュールは10年経過してようやく見直される。時数そのものに変更はないが、時数に幅を持たせた「必ずしも到達する必要はない数字=標準」が冠される。現在の1015時間になるのは、更に10年後である。本当は現在の「標準時数」とやらも、その後の法令的変更はないので、いわゆる「上下に幅を持たせた」ものである。しかし、これが前述した2003年「確かな学力」の指導要領改定に伴い、国はこの時数を「上回る」ように求めることとなった。学力低下の批判をうけて、授業時数をの下限を「あいまいにして来た反省」というわけだ。これは「解釈変更だ」という批判が、文科省内でもあったようである(ドラマ『御上先生』でも、少し触れていた)。
3 一日7時間⁉
昨年の夏ぐらいから、全国の公立小中学校の授業計画状況を文科省が調査した結果について考察している。そこで各学校が、標準時数を平均で40以上オーバーして計画していることが明らかになった。既に書いたが、要するに「予備の時間をとっていないと、何かあった時こわい」という現場の理由だ。調査結果を見た文科省が、なんと「標準を上回る時数が本当に必要なのか」と、見直しを求めている。理由が「児童生徒の負担にならないように」とは、まるで80年前の文部省の文言である。これ以上に大切なことはないのに、このことを蔑ろにして来た社会の昨今に改めて憤る。しかしこのことからも、文科省内で「標準時数」が議論となって来た経過がうかがえる。関連するが、昨年暮れに文科省から「学校ごとに抱える課題が多様化する中、画一的な授業からの転換が必要」なるものが提案される。いかにも思いつきバレバレ風の文章からは、期待するものは何もない。何だと思う? 「小学校45分」「中学校50分」という、ひとコマ当たり授業時間をもっと柔軟に考えてもいいのではないか、という提案である。5分短縮すれば、6時間授業全体で30分の短縮となる。おっ、つまり、下校が早まる?昼休み延長? 文科省やるじゃん!と、現場(教員&子ども)は喜んではいけない。んなことになるハズはない。「(授業総数は)最低限守るべきライン」なんであって、この時間短縮の分を「確保しないといけない」のが、文科省の「柔軟」なる言い分だ。短縮で生まれた時間は「夏休み短縮」等で補うだと⁉ バカも休み休み言え。「児童生徒の負担にならないように」って、その3か月前に言ったはずだが⁉ どっちが本当のところなのか、実は文科省の中でもまだ確定していない。そのことを無責任とするか希望の指標とするかは、現場の声にかかっていると思える。教育委員会の指導には従わないといけないとする現場の校長・教員は、文科省の混乱・議論を指摘、ないしは可能性を引き出す場所にいる。考えても見て欲しい。標準時数を50コマも上回る授業計画は、7時間授業!の日を作り出す。こんなものを「学習の充実」などとは言わせないゾ。
☆後記☆
新学期始まりました。桜も入学式まで待っててくれて、曇天でしたが良かったね🌸 在校生の慌ただしい動きが伝わってきます。クラス替えは悲喜こもごも さあ、新しい一年が始まったよ~✋✋
柏ふるさと公園🌸 春休みの家族連れ。みんな笑顔です👪
ホワイトハウスにドジャース🥎 オオタニさん、ビップ待遇でしたね。執務室でトランプの椅子を「蹴った」?のは、お得意のジョーク? ベッツがただ一人、Tシャツでポケットに手を入れていたのも印象的でした
昨日から福島にいます。5ヵ月ぶり!です。元気をもらって来ま~す
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